第4話 罪と罰

「あなたはもう、じゅうぶんに尽くしてくれたわ」


 白鷺乃音の義母が残した言葉。


 十分に尽くしたとはどういうことだろうかと、一ノ瀬チヒロは自問自答する。

 白鷺乃音の為に、あらゆる手段を講じて、彼女が目覚めるように手を尽くした事か。

 己の人生を投げ打ってまで、彼女の為に尽くしたことだろうか。


 松山六花との結婚生活も長くは続かなかった。

 当然だ、自分の妻のことよりも、目覚めない女の所へ通い詰める旦那のことを、いつまでも愛し支えてくれる女性がどこに居るだろうか。

 彼女は本当に良き妻であると共に、良き理解者だったのだとチヒロは思う。

 離婚をしてからの私生活は自堕落なものとなっていた。

 家にはほぼ帰らず、仕事漬けの毎日。勤め先のデスクで寝ている方が、余計なことを考えずに済むからであった。


 だから、本当に偶然であった。

 たまたま自宅に戻ったあの日、ヴァイス・ノインが帰ってきたあの日のことは、本当に奇跡的な偶然であったと言える。


 あれから家の事はほとんど、ヴァイス・ノインに任せきりであった。

 家事全般のことは卒なくこなすヴァイス・ノイン。これでは、戦闘アンドロイドというよりも家政婦ロボであると、チヒロは可笑しくなった。


 一軒家がいいと言った六花の為に買った家も、一人で住むには広く薄暗い、冷たい場所であった。

 ヴァイス・ノインがやってきたことにより、そんな場所にも光と温もりが戻ってきたような気がした。

 病院から帰ると、彼女が温かい食事を作って待っている。

 食卓を囲みながら今日あった出来事を話すと、彼女は小さな反応ではあるが、楽しそうにそれを聞いてくれた。それはまるで、あの、白鷺乃音と話しているような。まるで、白鷺乃音との結婚生活のような、そんな錯覚を覚えて、チヒロはそんな自分が許せなかった。

 アンドロイドを、生きた人間の代替品のように扱う自分自身を嫌悪した。

 そのことをヴァイス・ノインに告げると、彼女は少し困ったような顔をして、ちょっぴり口元に笑みを浮かべると。



「あなたには、安らぐ場所が必要なのよ」



 そう、優しく言って、チヒロのことを抱きしめるのであった。




 そして、遂にその日はやってくる。


 白鷺乃音が眠りについてから、幾度目の冬が訪れたであろうか。

 一ノ瀬チヒロは、頭に少し白髪の混じるような年齢になっていた。


 その頃には、ヴァイス・ノインの協力もあり、彼の研究は一定の成果をあげていた。

 いずれはノーベル賞を受賞する研究者になるだろうと、界隈では噂されるほどの人物の彼が、どれほどのものを目指し、どれだけのものを手に入れようとしているのか、その真実を知る者は誰もいなかった。


 深夜の病室。


 ヴァイス・ノインと二人。チヒロは白鷺乃音の身体に繋がれていた点滴や機材を全て外してやると、ベッドの縁に腰掛けた。

 チヒロは乃音の頬を優しく撫でてやると、まだ少し熱の残る頬を、何度も何度も優しく撫でてやる。



「ノイン、彼女は幸せだったのだろうか?」

「わからないわ。私は彼女と一つになったけれど、彼女自身ではないから」

「そうだったね。私は……私のやってきたことは、単なるエゴに過ぎなかったかもしれない。こうやって彼女をベッドの上に縛り付けて得た物はなんだったのか。金か、名声か……永遠の命……か」



 一ノ瀬チヒロは涙を流しながら、懺悔をするかのようにヴァイス・ノインに問いかける。


 己の行いは正しかったのだろうかと。己のしてきたことは、間違ってはいなかったのだろうかと。


 全てを犠牲にしてきた。

 自分だけではなく、己を愛してくれた女性の人生までも巻き込んだ。その家族も、自分の家族も、友人、同僚、部下、上司、様々な人達を巻き込んで、やり遂げるべきことを貫き通す為に生きて来た。


 それだけのことをしても、最も愛した女性を取り戻すことができなかったのだ。


 一ノ瀬チヒロは声を殺して泣いた。


 ヴァイス・ノインはただ傍に居続けた。



 その日、白鷺乃音は息を引き取った。






*****



 人間の平均寿命は100歳を超え始めている。

 ドクターイチノセが世界に残した功績は多大な物であった。


 事故や病気、或いは先天的に、肉体の一部を欠損しても、それは人工的なパーツで治すことが可能になった。

 老化さえも克服が可能になっている。誰しもが若かりし日の姿を保ち、一番気力と活力に満ちあふれる年齢を50年近く保てるようになっている。


 人はいずれ、死をも克服するだろう。


 それは、ドクターイチノセの残した功績なのか。


 或いは功罪なのか。



 近い未来に訪れるその日が来るまで、人々はこの永遠とも思える命を謳歌する。



「イチノセくん。あなたが望むのなら、私はそれを否定しないわ」

「だったらなぜ、そんな顔で私を見るんだ?」

「そんな顔とは?」

「おまえは、私が人間でなくなることを望んでいないのだな。それでも、私にはそれが必要なのだ。人の肉体のままでは行けない場所に。私は、彼女を迎えに行かなければならないのだから」



 ヴァイス・ノインは悲しげな表情で、手術台の上に横たわる一ノ瀬チヒロを見つめると、彼に全身麻酔処置を施すのであった。




「イチノセくん……愛してるわ」




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