最終章 未来泥棒

第1話 ヴァイス・ノインの帰還

 一ノ瀬チヒロが医者になって一年目の冬が終わり、春を迎えようとしている。

 多忙を極める医師という生活の中で、チヒロは少しずつだが、あの高校三年生の夏の日の事を思いだすことも少なくなっていた。

 当然、学生の頃のように、毎日、白鷺乃音の見舞いに訪れるということもできないが、それでも時間を作っては、彼女の病室にチヒロは通い続けた。


 医師としての知識と、経験を身につけていくにつれてチヒロは理解する。

 現代の医学では、彼女をこの昏睡状態から目覚めさせることなど不可能だということに。


 彼女を目覚めさせることができるまでに、医療技術が発展するまでどれくらいの時間が必要なのか。少なくとも、人の平均寿命が尽きるまでに解決するような年月ではないことはわかった。

 それは、白鷺乃音だけではなく、一ノ瀬チヒロにとっても同じことであった。


 死ねない、どんなことをしてでも、彼女が目覚めるまで生き続けなくてはならない。

 人の寿命を延ばし、肉体の限界を超える、そんな医療が必要だと。


 いつしか彼は、再生医療とアンチエイジング、この二つの研究に没頭するようになった。




 そして、一ノ瀬チヒロが医者になってから5年の歳月が流れたある日。


 それは梅雨の雨が降りしきる昼過ぎのことであった。

 今日は夜勤の為にチヒロはまだ自宅に居たのだが、唐突に呼び鈴が鳴った。

 来客など珍しいなと思い、インターホンの画面を見た瞬間、チヒロは玄関へと駆け出していた。


 ドアノブに手を掛けて開くと、門戸の外に傘も差さずに立っている人物。

 その姿にチヒロは息を飲む。言葉にならない衝撃が脳を揺さぶり、様々な感情が胸を焦がし、声を発することもできずにいた。


 何も言わずに立ち竦むチヒロのことを、表情のない顔で見つめると、その人物はゆっくりと口を開いた。


「探したわ。イチノセくん」


 ヴァイス・ノイン61298。


 白鷺乃音と同じ顔、同じ声、同じ仕草で、語りかけてくるその姿に、チヒロは胸を締め付けられる。



「どうして……」

「ごめんなさい、遅くなってしまって」

「ちがう……。どうして……再び俺の前に、現れた」


 震える声でそう言うと、ヴァイス・ノインは少し間を置いて答える。


「どうしてって? 私はあなたの元に帰ってくる必要があった。あなたにしかできないことを、これから成し遂げる為に私はあなと共に」

「帰ってくれ……」

「イチノセくん?」

「帰ってくれっ! その顔で! その声で! 俺のことをそんな風に呼ばないでくれっ!」


 チヒロは踵を返すと家の中に戻り玄関の鍵を閉めた。

 そのまま二階の自室に戻ると、レポートの続きをやる為にPCの電源を入れるのであった。



 しばらくしてチヒロは、携帯電話の振動する音に叩き起こされた。

 どうやらいつの間にか眠ってしまっていたらしい。画面を見ると、勤め先の病院からであった。

 電話に出ると、同僚の医師からで、担当している患者のことで2~3簡単な質問をされるとそれに答えて電話を切った。

 時刻は15時半。

 眠気覚ましに、冷めきってしまったコーヒーのカップに口を付けると、ふと気になり窓の外に目をやる。

 チヒロは驚いて部屋から飛び出した。

 階段を駆け下り玄関を開けると、先程と同じようにヴァイス・ノインが立っていた。


 雨の中ずっとそこに居たのだろう、ずぶ濡れであった。


「なにやってんだよ……」

「帰れと言われても、私には行く場所がない」

「だからってこの雨の中、いつまでもいるなんて、風邪でもひいたら……ひくわけないか」

「そうだな。私はアンドロイドだ。風邪などはひかない」


 そう言うヴァイス・ノインが、口元にほんの少し笑みを浮かべたような気がした。

 いつまでもそのままにしておいたら、警察を呼ばれるかもしれないので、仕方なくチヒロは中に入るように言った。


 玄関で待たせるとバスタオルを持って来て頭を拭くように言う。

 乾燥機にかけるから衣類を脱ぐように言うと、その場で裸になろうとしたので、洗面所に行けと言って、チヒロはリビングへ戻った。


 しばらくすると、用意してやったスウェットに着替えたヴァイス・ノインがやってきた。


「イチノセくん。あれからのことを、聞いて貰えるかしら?」

「ああ、本当は何も聞かないつもりだったけど。結局は気になっちまってる自分が、心底、嫌になる」


 そして、ヴァイス・ノインは、この数年間どこでなにをしていたのかをゆっくりと語り始めた。


 未来からやって来たアンドロイド。ズィルバーン・ツヴァイとの戦闘は、黒子との共闘により辛くも勝利することができたらしい。

 敵は大破、そのまま海底深くへと沈んで行った為に、最早残骸の回収も不可能であろうとヴァイス・ノインは言った。

 ズィルバーン型アンドロイドとの戦闘で、黒子は修復不可能なダメージを負ってしまったらしい。

 完全に機能が停止したわけではないが、ジェネレーターの破損により、自分でエネルギーの充填ができなくなってしまった為に、スリープ状態にあるそうだ。

 ヴァイス・ノインも、ダメージを負った。破損した部分の修復を行う為にこれだけの時間が掛かってしまったということであった。


「イチノセくん、これからはあなたと共に行動させてもらうわ。私の身体に使われている技術をベースに、あなたはブライダルウェポンとシステムの開発を行わなければいけない」

「そんなものに興味はないよ。俺に必要なのは、白鷺さんを呼び戻す為の知識と技術だけだ」

「そうはいかないわ。あなたのこれからの行いが、人類の未来を左右することはもうわかっているでしょう?」

「そんなことは知った事じゃないって言っているだろうっ!」


 チヒロが怒鳴りつけると、無表情のままヴァイス・ノインはじっと見つめてくる。


「お願い、イチノセくん」

「やめろ……」

「あなたにしかできないことなのよ」

「やめてくれ……」

「イチノセ……くん」



「やめて……くれ……」




 ヴァイス・ノインは、それ以上何も言わないのであった。




 つづく。

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