第5話 エリクサー

 看護師が部屋に飛び込んでくると病室に直ぐ来てほしいと言われて、ドクターは溜息を吐くと腰掛けていたリクライニングチェアーから立ち上がった。


「またいつもの発作かね?」

「はい先生。ただ、今日は特に酷く暴れて先生を連れて来てくれと言うものですから」

「構わないよ。“アレ”は、私のクランケだからね」


 自分の執刀した患者のことを、『アレ』と呼ぶことに対して看護師は少し不快感を示すも、あの世紀の大手術を成功させた人物である。普通のドクターとは違うのだろうと、看護師は納得することにした。


 病室に着くと、例の患者が部屋中の棚やら椅子やらを引っ繰り返して大暴れしていた。


「ドクターを呼べ! 僕の身体をこんな風にした張本人だ。おまえら看護師なんかにわかるわけがないだろうっ!」

「いいから落ち着きなさいレオナ君。まだ安静にしていないと、身体に障るわよ」

「うるさい! こんな身体、僕のこの身体のどこに障りがあるって言うんだ! 人間だった時の僕の身体なんて3割も残っていないじゃないか!」


 レオナ少年が怒声を上げながら暴れている所へドクターがやってくると、少年はドクターに縋り付いた。


「ドクター! お願いだ。僕を元に戻してくれ、こんな……こんなのはあんまりじゃないか」

「どうしたと言うんだね。君の身体は立派に元通りになったじゃないか」

「そんなことはない。これのどこが元通りだって言うんだ。確かに、腕も足も、目も鼻も耳も、内臓や脳だって、事故に遭う前と違いはないように見える」

「手術は大成功だ。人工細胞を使って元通りに復元したんだ、それは君の前の身体と何一つ変わりはしないものの筈だよ」


 レオナ少年は、自分の手足を撫でた後に、両肩を抱くと膝を突き涙を流し始める。


「じゃあなぜ、なぜ僕の目には、なにもかもが色を失った泥人形のように見えるのですか」

「人工の脳細胞が、まだちゃんと世界を識別できていないのかもしれない」

「しれない? 僕が目覚めてからもう半年以上も経つんですよっ! いつになったら元通りになるんですか!」

「焦ってはいけないよレオナ君、君にはこれから先も長い人生があるんだ。我々と一緒に、少しずつ元の生活を取り戻そう」


 ドクターに説得されると、レオナ少年はベッドへと素直に戻る。薬を処方されて、それを服用するとしばらくして眠りにつくのであった。


 また目覚めたら暴れるかもしれないからと、部屋にある調度品は全部片付けさせると、ドクターはまた自室へと戻って行った。

 それを見ていた看護師達は一緒に居た別の外科医に問いかける。


「あの先生、本当に患者さんのことを考えているんでしょうか? 患者さんのことをまるで物でも扱うように、腕が良いとは言ってもあまり関心できません」

「ドクターイチノセは立派なドクターだよ。現代の再生医学とアンチエイジング医学を確立したと言っても過言ではない人物だ」

「そんなにすごい人なんですか?」

「世界の人間の平均寿命が今や150歳を超えてきているのがそれを物語っているね」



 人間、ホモサピエンスの平均寿命は、20世紀から21世紀初頭までは、約80歳と言われていた。

 それはあくまで平均で、中にはその平均寿命を超えて100歳以上も生きる人も居ることは、当然誰もが知っている事実である。

 生物である以上、老い、老化を伴う死からは決して逃れることはできないと思われていた。

 しかし、医学の発展により、それが覆ろうとしている。

 事実、19世紀頃までは約50歳だったものがわずか一世紀で倍近くまで伸びているのだ。

 尤も、戦争や貧困による死がなくなったのも大きな要因であるが、医療技術の発達がそれを後押ししていることは間違いないものであった。


 今回、航空機事故の生存者と思われていた少年を、死の淵から救ったのも最新の医療技術であった。

 しかし、少年が生存者となったのは手術後の話である。少年の身体が発見された時には既に息はなかった。医学的には死んでいたのである。

 ただ、なんとか形を保っている遺体がそれしかなかったのだ。

 航空会社はバラバラになった身体を集めてきて生き返らせることはできないかと。再生医学の権威であるドクターイチノセに、アウトローな取引を持ちかけてきたのが事の真相である。

 金か、或いは名声か、ドクターイチノセはそれを承諾。見事、手術は大成功に終わり、少年は生き返ったのであった。


 人は、老いから逃れるだけではなく、遂には死からも逃れる術を手に入れた。

 このことが世間に知れれば、たちまち世の大富豪達や政財界の大物達の中には永遠の命を与えてくれと言いだす者もいるだろう。

 しかし、それと同時に湧き上がるのが、倫理観と言う議論であることは間違いない。。

 自然の摂理と神の教えに反する不老不死手術、ましてや死者を蘇らせるなどもっての外だと、倫理、道徳、宗教から否定されることでもあった。

 クローン技術が発展してきた20世紀の後半からずっと議論されてきている問題である。


 医療の目指すものとは、魔術や錬金術ではないのだ。


 神に与えられし命を、人がどうこうしようなどと、これほどにおこがましい行為はないと多くの人々は思うだろう。


 つづく。

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