第4話 ヒューマンエラー

 その日は、日没直後から休む時間もなかった。

 忙しなく白衣の群れが行き交う中にスーツ姿の男があった。

 男は目的の人物を見つけると、黒のスーツに身を包んだ大男を二人引き連れて近づいて行く。

 白髪交じりの頭に、ベタベタと整髪料を塗りたくりオールバックにしたその男は、長身ではあるが猫背で卑屈そうに見える。そして、これまた偉そうにずかずかと廊下を進んで行くと大声で目的の人物を呼び止めた。


「ドクター! いやいや、お忙しい中、ご苦労様ですな!」

「ああ……あんたか……。こんな所に居てもよいのですかな?」


 ドクターと呼ばれた男性は、相手を一瞥すると怪訝顔で聞き返すのだが、猫背の男はにやにやと下卑た笑みを顔に貼り付けながら言い返した。


「当然です! これから先生が挑まれる手術オペレーション!! その成否は我々にとっても大変に重要なものなのです!」

「ほぉ……と、言いますと?」

「先生にもご理解いただきたい! なんとしても、あの青年を死なせないでいただきたいっ! 高額の最新医療技術の全てを駆使して、必ずあの青年を生かして欲しいのですっ!」

「最初からそのつもりですがね……わざわざそんなことを言いに?」


 嘆息し呆れ顔でドクターが言うと、猫背の男は口元を引き攣らせながらずいっと顔を寄せてきて小声で言う。


「神の手を持つだかなんだか知らないが、あんたは言われた通りにやればいいんだよ。機械に任せずにあんたに多額の金を注ぎこむんだ。この手術の成否には、我が社だけでなくあんたの命運も懸かっていると思え、なんとしてでもあのガキを生き返らせろ」

「そう思うのなら、これから難解なオペに挑もうとするドクターを脅迫するものではないですな……まあ安心しなさい、どんなクランケでも死ぬ時は死ぬし助かる時は助かります」


 それ以上は、猫背の男もなにも言わなかった。




 20世紀の後半、500人以上もの死者を出した航空機事故史上、最悪の墜落事故。そしてそれから半世紀にも満たない間に起きた事故。

 その二つの事故の記憶も遥か昔、1世紀近くの時の流れの中で人々の記憶の中には体験としてではなく、最早知識として残るだけになっていた。


 技術の進歩と共に、航空機事故の発生率は限りなく0%へと近づいている。

 完全オートパイロットによる航空機の実用化から半世紀以上。最早、建物内にいる方が死亡事故に遭遇する確率が高いと言われる時代であった。


 しかし、限りなく0に近いその発生率も、0%というわけではない。

 航空業界のみならず、あらゆる職種の現場で起こる約0.01%にも満たない事故の原因は、全てがヒューマンエラーによるものであるという調査結果が出ている。


 すべてをオートメーション化できる技術と文明を持ちながら、人は自らの役割を手放しはしなかった。

 機械に全てを任せる事に、どうしても人間達は信頼をおけないのである。

 最終的には人の手が、目が、管理が必要であると、機械を生み出したのは自分達であるのだから。創造主である神が機械に劣るわけがないと、過信し続けてきたのだ。


 その結果、機械が人に取って代わる時代にありながら、未曽有の航空機事故が発生してしまった。


 乗員乗客428名を乗せたジャンボジェット機の表示が、東京羽田を出てから約30分後、突如モニターから姿を消した。

 しかしながら、GPSにより監視されていたジェット機。すぐに音信不通になった場所が特定されることとなる。

 奇しくも、墜落現場は群馬県の山奥。かの御巣鷹の尾根の近くであったことは、あの悪夢を、知識としてしか知らない航空業界人であっても、なんという悲劇的な運命の巡り合わせなのだと言葉を失ったと言う。


 絶対にありえないと思われていた事故の対応に追われる航空会社幹部達。そして、内閣と官僚達。現場では、警察、消防、地元の消防団員が徹夜での救助活動に追われていた。

 ここ人命救助の現場に至っては、尚更オートメーション化が図られることはなく、人間達が肉体と精神の疲労と戦いながら懸命の救助を行っているのだ。



 しかし、現場の人間達の懸命な努力も虚しく、生存者はわずか1名であった。



 この奇跡の生存者は瞬く間に世間の注目を浴びる。

 肉体の約50%以上を、欠損、損傷していた為に、そこを全て人工のパーツで補っていく、まるでフランケンシュタインさながらではあるが、実際には健常者と遜色ない状態まで修復させようという大手術であった。

 最新の医療技術と、最高の腕を持つ外科医による再生手術は、事故の原因と責任者の所在をそっちのけで世界中の注目を集めることとなった。


 生存者が17歳の少年であり、若く体力があったことも幸いした。

 手術が成功すると、一週間後には意識を取り戻し、その翌日には看護師と会話をできるほどにまで回復したのであった。




「……さん、お返事はできますか? ……さん」

「はい、かんご……ふ、さん……いまは……なんじですか?」

「朝の9時ですよ。検温と、それから血圧、心拍数を量りますからね」

「あさ? ですか? わからないんです……へやが……くらくて」

「すぐに眼もよくなるって、先生も言っていますから。焦らないでじっくり治していきましょうね」


 このやりとりも、今日で三回目であった。

 目を瞑っていても開けていても、カーテンを閉め切った薄暗い部屋の中にいるようで、看護師の姿もぼんやりと輪郭が見えるくらいで。

 少年は、本当に人間と話しているのだろうか? と、毎朝薄気味悪い思いで目覚めるのであった。



 つづく。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る