第9話 白鷺乃音とヴァイス・ノイン61298

 その日、父と母は帰らぬ人となった。


 俺が覚えているのは、両親の帰ってくる筈だった空港の光景。忙しなく人々が行き交ういつもの風景。

いつも、ベルトコンベアの上を流れる荷物を眺めながら父と母が出て来るのを俺は待っていた。


 両親は共に医者であった。

 海外での紛争地帯や、貧しい国に赴いては医療援助活動をしていた。

 両親の仕事がどんな内容なのかはわからなかったけれど。それでも、誰かを助ける為の仕事をしているということは理解していて、そんな両親のことをヒーローのように俺は尊敬していた。


 その日も、いつもの様に両親のスーツケースが出て来るのを待っていた。

 しかし、姉に教えられていた時間になっても、見慣れたスーツケースは流れてこない。

 少し遅れているのだろうか? もしかしたら姉が時間を間違えたのかもしれないと思い、文句を言ってやろうと振り返ると、そこには酷く困惑した表情の姉が立っていた。


「お父さんと……お母さんの……飛行機が……」


 いつもと変わらない空港の喧騒が、次第にいつもとは違った風景に変わっていくのを幼いながらも感じ取って、父と母にないか良くないことがあったのだろうと予感すると、俺は不安のあまりに泣き出してしまった。

 そんな俺のことを抱きしめながら姉が「大丈夫だから、大丈夫だから」と、震える声で言い続けていたのを覚えている。


 そこからの記憶は薄っすらとしかない。


 あれよあれよと言う内に、親戚が集まり葬儀が執り行われた。

 それから数日後、黒いスーツ姿の知らない大人達が家にやってきて、叔父さんと姉の前で頭を下げている姿を見たのも覚えている。


 あれから7年。


 忘れたわけではないけれど、俺は普通に笑ったり泣いたり怒ったり、そして気になる女の子のことを考えてドキドキしたりする。そんな普通の高校生として日々を過ごせていたのに……。



「ヴァイス・ノイン61298の所属する地球軍艦隊と、ジュピターナ艦隊による戦闘は終盤を迎えようとしていたわ。敵艦隊に大打撃を与える為に司令官は重力爆弾グラヴィティックボムの使用を選択した。そして、ヴァリュキュリア一個大隊に撤退命令が下った時に61298はその命令を無視して単独行動を取ったの」


 淡々と説明を続ける白鷺乃音の言葉は、最早、頭には入ってこなかった。


 父と母が死んだあの飛行機事故の原因が、目の前に居る白鷺乃音そっくりのアンドロイドだなんて。そんな馬鹿げた話しを誰が信じることができるだろうか。


 そして、彼女もその飛行機に乗っていたという……。いや、待てよ。


 確かに、あの事故は乗員乗客合わせて429名が死亡するという。日本の航空機事故史上でも、二番目に犠牲者の多い事故であった。


 俺が生まれるよりもずっと昔にあった大きな事故を彷彿とさせる、悲劇的な航空機事故にマスコミ達は色めき立ち、連日の様にニュースやワイドショーでこの事故は取り上げられた。


 その時に、奇跡のヒロインとして取り上げられた少女がいる。


 多くの犠牲者を出した大事故のただ一人の生存者。


 それが……。


「彼女達が重力場に飲み込まれて現代にやってきて……。一ノ瀬くん、聞いてるの?」

「白鷺さんは……」

「ん?」

「白鷺さんは、その事故の唯一の生存者だったんですか?」


 俺の質問に、白鷺乃音は少し間を置くと、ゆっくり頷いた。


「どうして……」

「ごめんなさい一ノ瀬くん。質問の意味が分からないわ。どうして、あなたのご両親が亡くならなければならなかったのかってこと?」


 違う……。そうじゃない。そんな質問にはなんの意味もない。白鷺乃音の言っていることが本当であれ嘘であれ、あの事故は実際に起きてしまったことであり、もう二度とやり直すことのできないことなのだ。


 俺の両親は死んだ。その事実だけは、絶対に変えられない事実なんだから。


「一ノ瀬くん。仕方のなかったことだとは言わないわ。あの子達が来なければ、あなたのご両親がなくなることも、あの日、あの飛行機に乗っていた乗客429名の命が失われることもなかったかもしれない。けれども」

「違いますよっ!」

「一ノ瀬くん?」


 白鷺乃音の言葉を遮って、俺は大声を上げた。


「違う違う違うっ! そうじゃないっ! 俺が言いたいのはそういうことじゃない! どうして!? どうして白鷺さんは、そんな淡々と……そんな辛いことを……」

「……」

「俺は、自分だけが不幸だったとか、自分だけが悲しかったとかそんなことは思っていない。両親が死んで叔父さんも叔母さんもいっぱい泣いていた。姉ちゃんも! ずっとずっと悲しいのを堪えてきて、姉ちゃんの方が俺なんかよりずっと苦しかったんだ」


 いつしか俺は涙を流しながら捲し立てていた。


「あの日、家族を、友人を、愛する人を失った人たちは沢山居る。だから、俺だけが、あの事故の所為で辛い思いをしているだなんて思うのはやめにしたんだ。仕方ないじゃないか、もう死んだ人達は帰ってこないんだから。でも、白鷺さんは生きているんだ。それなのにどうして、そんなまるで他人事のように淡々と話すことができるんだ。どうして……」


 俺の言葉に白鷺乃音は黙り込み。

 やはりいつもと同じように表情を変えないまま、ただ瞳の奥にだけは悲しみを宿したような。そんな視線を俺に送ってきた。



「ごめんなさい一ノ瀬くん。頭では分かっているの。これは私の中にある白鷺乃音の感情、彼女はずっと苦しくて悲しくて、傷ついているわ。でも、私の中に入って来たもう一人の私。ヴァイス・ノイン61298には、その感情を理解することができないのよ」

「それって、どういうことですか?」


 白鷺乃音はゆっくり立ち上がると、ベッドに寝ているアンドロイドの頭を撫でて、想像もしていなかったことを俺に告げるのであった。



「あの事故のあった日、私と彼女は一つになったの」



 つづく。

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