第7話 狂騒の季節

 松山六花は、白鷺乃音が意識を失う場面に、たまたま居合わせただけであった。

 あの天体観測合宿の日に、同じ学校の同級生が倒れて運び込まれたのが、母の務める病院であることは知っていた。

 その日は、宿直勤務の母に用事を頼まれていた為に、たまたま病院によっていたのだが、白鷺乃音が入院していることは知っていたし、お見舞いに伺おうかどうか悩んでいた。

 特段仲が良かったというわけでもないし、それに、佐藤君との一件でなんだか顔を合わせるのは気まずいと一方的に思っていた為に、六花はそのまま帰ろうとした矢先のことであった。

 白鷺乃音が、10年前の航空機事故の生存者であること、そしてその時もこの病院に搬送されていたことは、後から知ったことであった。



「はい、お母さん。これ、頼まれたもの全部袋に入れてあるから」

「ありがとね六花。お夕飯は、あの材料をレシピ通りに炒めるだけだから、豚汁はちゃんと温めてね。それと、お父さんに」


 六花は、母の話をぼーっと聞いていたのだが、何気なしに見ていた入口の方からやってきた人物に気が付いた。


「あぁ、一ノ瀬くんだっけ? あなたの同級生なんでしょ?」

「え? う、うん。そうだよ」

「あの子、毎日こうやって、あの白鷺さんって子のお見舞いに来ているのよ。お付き合いしていたのかしら?」

「さあ……知らない」

「心配でしょうねぇ。ずっと昏睡状態のままで、もう1週間も意識が戻らないんだから。ねえ、六花?」


 母からの問い掛けにも上の空の六花は、この時から一ノ瀬チヒロに惹かれていたのかもしれない。


 天文部の副部長であった六花は、同じ天文部の部長である佐藤君のことが好きであった。

 2年生の時に、文化祭の出しものの案を先輩に丸振りされて、困っていた六花のことを助けてくれたのが佐藤君であった。

 他の生徒達は、先輩達の文句は言うものの、誰も手伝ってくれようとはしないのに対し。

 佐藤君は先輩達への不満どころか、全部の準備を押し付けられても不平不満を一切漏らさず、嬉々として、ずっとやりたかったという手作りのプラネタリウム制作を行ったのだ。


 文化祭1週間前にもなると、後輩達も手伝ってくれて、天文部の出しものは大盛況に終わった。

 3年生になってからも、佐藤君が後輩たちからの信頼が厚かったのもその為であった。


 ずっと憧れていた。1年半もの間胸の内で燻りつづけていた思い。

 でも、佐藤君の好きな相手は自分ではなく、学校でも、超有名人のあの白鷺乃音であった。

 敵うはずがないと思った。

 あんな美人な人に、自分なんかが敵うはずがないと六花はずっと思っていた。

 だからあの日、あの合宿の日に佐藤君が白鷺乃音に告白して振られた時、六花はよかったと思ってしまったのだ。

 それを、一ノ瀬チヒロに見られてしまって、自分は最低の女であると涙を流している間でさへも、六花は安堵していたのだ。


 けれど、そこからは憑き物が落ちたかのように、佐藤君への思いは急速に冷めていってしまった。

 これが初恋だったというわけではないけれど、思春期特有の恋愛にピリオドが打たれたのだろうと、なんだか吹っ切れた気持ちになっていたのに。六花は、また恋に落ちたのだ。


 毎日のように白鷺乃音の病室に通い詰める一ノ瀬チヒロのことが、六花はそんな彼のことを好きになってしまったのだ。

 どうしてまた、白鷺乃音に想いを寄せる男性のことを好きになってしまったのか。

 六花は、自分にはそういった横恋慕や、略奪愛の気があるのではと思い、やっかいな性格を持ったもんだと溜息を吐いた。


 毎日チヒロがやって来るのを、病院のロビーで待つ。

 最初はあまり乗り気じゃなかったチヒロも、女性にしかできないケアがあるからと一緒に白鷺乃音の病室に行くうちに。彼女の為に献身的に尽くしてくれる六花に、やっと心を開いてくれた。


 半ば強引に寝取ったと言っても良かった。

 日々、疲弊していく彼の家に転がり込んで、男女の関係になった。

 それから彼は、一人の男としての責任は果たしてくれたと、六花はそう思っている。

 結婚をして、自分の為に建ててくれたマイホーム。普通の夫婦生活を送っていたと思う。けれど心は満たされなかった。

 一ノ瀬チヒロの愛情は、半分は六花に注がれていたかもしれない、けれど、もう半分は別の女性。そう、白鷺乃音にずっと注がれていたのだから。

 だから、その半分の愛情を埋める為には、六花の取った行動は仕方のないことだったのかもしれない。

 結婚してから3年、六花は家にはほとんど帰らない夫への寂しさを埋める為に、別の男に身体を預けた。

 それでも、チヒロは怒りはしなかった。自分の甲斐性のなさが引き起こした結果であるとそう言ったのだ。

 六花には、それが我慢ならなかった。



「どうして? チヒロはいつもそうっ! 私の事よりも、うぅん、自分の事よりも他のことばかりを優先して! 周りの事がなにも見えていない!」

「他ってなんだよ?」

「決まってるでしょ」

「なにがだよ……。言いたいことがあるならはっきり言えよ」


 六花は涙目になるとチヒロの頬を平手打ちする。


「あなたの口から言いなさいよっ! あの子のことが忘れられないって! 私よりも白鷺乃音のことの方が大事なんだって! 自分の口ではっきり言えよ卑怯者っ!」



 あの時の口論も、六花の浮気が原因であった。




 六花とチヒロは離婚はしていない。戸籍上では今でも夫婦のままでいた。

 

 そして、一ノ瀬六花は天寿を全うするのだ。


 愛する男性に看取られながら。



「ありがとう、六花。きみは、私にはもったいないくらいの、本当に素晴らしい妻だった。ありがとう……」




 一ノ瀬チヒロは、妻へ最後の口づけをすると、病室から去って行くのであった。



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