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「ニオイ、取れたか?」


 浴室内でそう言いつつ、全力で鼻で息を吸ってみる。

 ゲロを浴びた個所は頭部から上胸部あたりだ。しかも学校制服から着替えてなかったことが災いし、制服の上着がゲロで汚れてしまった。クリーニングに出さねば。

 因みに原因の叔母は服もなにもかも無事だったりする。


 吸った息からニオイ自体はしないが、鼻がおかしくなっている可能性もある。それにあの生暖かい感覚が抜けない。

 それにあれだ。ターニィだ。

 あいつに性格面とかで嫌われるならまだしも、ゲロ塗れ男なんて不名誉で嫌われたくない。

 そう思う気持ちが強いせいか、さっきお湯を張った湯船につかり、湯船のお湯を顔に何度も掛けながらごしごしと擦る。

 そんな時、


「着替え、バスタオルと一緒に置いておくから。」


 脱衣所の方からターニィの声がした。淡泊に感じる話し声は無言の圧力にも似た感覚を俺は感じている。

 俺はターニィが脱衣所から出たかどうか判断するために浴室と脱衣所を繋ぐ曇りガラスの扉を見た。

 そこには人影があり、その影の濃さから扉に寄りかかっていると分かる。


「ターニィ」

「どうしたの?」


 思わず出られないじゃないかと言いそうになるが、用もなしに脱衣所にいるわけはないと考え言葉を飲み込む。


「何か用か? 着替えを置いてもそこにいるという事は俺に用があるんだろう?」

「……。」


 ターニィは何も答えなかった。

 しかし、食事や俺の保護者の襲来によって滞っていることがある。恐らくそれのことかもしれない。

 俺はため息のように息を大きく吸って吐き出す。


「ターニィ。お前の体というか、姿というか、あの摩訶不思議なことについて俺は何にも言ってなかったな。」


 その言葉にターニィはそっけなく、そうね。とだけ返してきた。

 それに追従するように俺は話し始める。


「はっきり言うと、別に変に感じなかったな。驚きはしたが、それ以上の感覚は不思議と湧かなかったよ」


 息継ぎをしながら扉の影を見る。ターニィは黙って、恐らくは俺の言うことを待っている。


「今ある感覚は、そうだな。秘密を共有した人。つまり、何だろう、兄弟みたいな?」

「家族じゃなくて?」


 俺の言葉に横やりを入れてきた。

 それに対して俺は笑いそうになる。ここで笑うと馬鹿にしたみたいな雰囲気になると感じて声は出ないようにこらえた。


「まだそこまでは言わないな。昔会っていたとしても10年のブランクがある。お互いに足らないことも増えただろうし、それに言いたく無い事もあるだろうしな。これからゆっくりお互いを知って行こう」

「そう。」


 ターニィは小さな声で言った。ガッカリしたのか、それとも安心したからなのか、顔が見えないから判断ができない。

 自分の浸かっている湯船を見る。そこに移っている俺の顔は眉間に皺を寄せていた。

 似合わねえ表情だな。そう素直に思った。

 俺は天井を仰ぎ、頭を空っぽにしてみる。

 出来るだけ考えず、本心で口を動かす。


「ターニィ。俺はお前の事をちゃんと思い出せない。会った、という事だけしか分からないんだ。俺はお前の事を思い出せない、だからお前の事を知りたい。これから一緒に暮らすんだ、知らないと人としても付き合いにくいだろ。それに、お前だって婚約者とかお嫁さん云々とかで今の俺の事を知っておいたほうが良いだろ」

「お嫁さんは否定しないの? 夕飯前は乗り気じゃない感じがしたのだけれど。」

「一緒に暮らしていくうちに何か変化があるかもしれないだろ?」

「例えば?」

「た、例えば、俺がお前を心から好きになるとか」


 すこしどもってしまった。

 それに対してターニィは静かに笑う。


「ふふ、それは楽しみね。」

「ああ」


 俺はその声に適当に返事をし、扉に寄りかかっている影を見ながら湯船から出る。


「そろそろ出たいから出て行ってくれないか? 着替えられん」

「そうね、その前にこれからどうするのか聞いてもいい?」

「もう寝ようかと、あの保護者はソファーにでも寝かせればいいし」


 俺はそこまで言って、ああ、と忘れていたことを思い出す。。


「そういえばお前の寝床用意してなかったな」

「床で寝ろと言うなら床で寝るけれど?」

「安心しろ。そんな鬼畜じゃない。それに同居人が床で寝てるとか想像したくない」

「そう安心したわ」


 そう言うとターニィはリビングで待っていると言葉を残した後、脱衣所を出て行った。

 わずかに扉を開けて誰もいないことを確認し、いそいそと着替えを始めた。


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