第35話 古の一族
「
麗人だった。
服装は和室に似合わぬパンツ・スーツ。大変に整った容姿に、流れるような髪が麗しい。右目を覆い隠している眼帯―――刀の鍔らしい―――だけがミスマッチだったが、それすらも彼女にとってはアクセントに過ぎないと言えた。
時崎家。その奥まった部屋で遥香と
挨拶を終え、一通りの説明を受けた得子はこちらを見た。
「……話は分かった。信じがたい話ではあるが、先日の2号線の件もあるしね」
それはそうだろう。いきなり地球侵略と言われても厳しいに決まっている。信じて貰えただけでも儲けものと言えた。
「ま、あたしら自身、その話と似たようなもんさね。浮世離れしてるって点では」
「違いない」
「しかしそうか。昔は時代の節目節目で本物の妖術師を見かけたもんだが。まさか平成の世も終わろうって時に出くわす羽目になるとはねえ」
しみじみという得子。彼女がわたしの言葉に多少なりとも耳を傾けたのも、幾つか魔術を実演したからであろう。
そんな彼女へ、おずおずと質問したのは遥香だった。
「あの。あなた方以外の魔法使いが昔はいた、ということですか?」
「ああ。細川と山名が睨み合ってる頃は特に多かったね。家康のアホウが天下を取ってからだ。めっきり見なくなったのは。最後に見たのは、会津が京で切ったはったやってた頃かねえ」
―――ちょっと待て。今何かとんでもない発言が出てこなかったか?
目を白黒させる遥香とわたし。恵はにこにこしている。
「……あの。失礼ですが、おいくつですか?」
その質問に、待ってました。とばかりににんまりとする得子。彼女は懐に手をやると、一枚のカードを差し出した。
一見、何の変哲もない(ゴールドの)免許証である。ただし一か所だけ、異常な点があった。
「天平八年……?」
生年月日欄に混乱するわたしたち。天平って奈良時代では……?
「ああ言っとくけどそいつは本物だよ。宮内庁の知人経由で警察にねじ込んだ」
「「……」」
「実際にその年に生まれて、ちゃんと日本国籍も持ってんだ。誰であろうと文句は言わせないさね」
「……そういえば仙人って言ってたな……」「言われてみれば」
そこで恵に視線が集中。意図を悟った彼女は即座に手を振って否定した。
「あ、私は見た目通りの歳ですから」
その言に安心する。遥香も同じ心持ちであろう。後輩が実は三百歳とか言われたらと思うと気が気ではあるまい。
「ま、仙人って言っても不死身じゃない。老いないだけで、刃物で斬られりゃ死ぬし事故や災害でも死ぬ。稀に神通力を失って老いて死ぬ奴もいる。あれは何でかと昔っから疑問だったんだが、あんたらのおかげで謎が解けた。物理法則の乗り換えってやつのせいだね恐らく」
図らずも、遥香の仮説が補強される結果となった。科学ミームが主流のこの世界で生きていればそれも十分にありうる。老衰したという人物は世界観の激変を経て、魔法的能力を喪失したのだろう。そして、姿を消して行った他の魔法使いたちも代を重ねていくうちに、ミームの継承を維持できなくなったに違いない。
「いいこと聞かせて貰った礼だ。面白いものを見せてやろう」
告げると、仙人だという女は眼帯を外した。明らかとなる、濁った右の眼球。
直後。
―――銀?
まず目に入ったのは、それだった。さっきまで気にならなかった髪の色。そうだ。何故意識を向けなかったのか。いや、そう仕向けられていたのだろう。何らかの術の力で。
異常はそれで終わらなかった。
次いで目についたのは、右の額から伸びている、角。皮膚に覆われたそれは艶かしい。
最後は、耳だった。先端が尖り、長いそれはわたしに見覚えがある。まさか、こちらの世界にもいたとは。
「
「うん?ああ、あんたの世界にもあたしみたいなのがいるのかい?」
「うむ。わたしの世界では稀に、貴女のような姿を持つ赤子が生まれてくる。獣相を伴う場合もあるし、角が生えていることも珍しくはない。共通するのは尖った耳と色素の薄い体毛だな。わたしたちはこのようにして生まれた子を
我々は取り替え子が生まれれば、盛大に祝う。精霊が人の姿を借りて降臨したと信じているからだ」
取り換え子が生まれるのは人間だけではない。鳥。魚。野に住まう獣の子の場合もあれば、樹木の時さえある。彼らは例外なく不思議な力を備えている。歌う花。言葉を解する魚。一夜で千里を駆ける魔獣。いずれもが精霊の遣いとして敬われ、大切に扱われてきた。
「なるほどね。
けど、これは生まれつきじゃない。人の命数を越えて生きてると、次第にこうなるのさ」
「生まれつきではない…?」
「あたしらは天地の気と一体になることで人を超え、永遠となる。気は鬼なり。あんたらの言う精霊と、あたしらの言う鬼。これが同じものだとするならまあ、先天的なもんか後天的なもんかの差は重要じゃないんだろうさ」
なるほど。
取り替え子の寿命は限りなく長い。そもそも精霊は不死である。その不滅性が肉体の老いをも押しとどめるからだと言われている。仙人も同様の理屈で長い寿命を得ているのだろう。
実に興味深い。この世界にはまだまだ、調べねばならないことがたくさんある。そのためにも、今の問題を解決せねば。
「じゃあ、あたしは仕事に戻るよ。あ、そうそう。恵。うちの術を見たい、ってんなら見せておやり」
言うと、得子は眼帯を付け直し、そして場を辞した。
◇
「新神戸駅へ」
運転手に指示した得子は、スマートフォンを取り出すと登録してある番号にかけた。発信音が、車の中に響く。
これより東京まで赴かねばならない。お
口伝を思い出す。
遠い昔。まだ天地が平らだったころ、"あちら"と"こちら"に境はなかったのだという。得子が生まれた頃には、殷王朝に仕えていた記憶を持つ最後の世代がまだ何人か生きていた。彼らの言を信じるならば、殷が滅び、
次第に二つの世界を行き来することは困難になり、やがて交通は途絶えたのだと。
それが本当ならば、あの少女。異世界人と名乗る娘は、"あちら"から来たというのか。
「長生きはしてみるもんだ」
得子はこの千年あまり、人類の闘争の歴史を見てきた。ここ百年程で急激に進歩した兵器。戦術。太古のそれとは比べ物にならぬ。
"あちら"でも同様の発展を遂げているなら、今度は何百万死ぬか。
身震いすると、得子は通話を終えた。
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