第39話 天岩戸

【兵庫県神戸市灘区 時崎邸】


『ヒルデガルドはいるかい!?』

突如として鳴り出したスマートフォンに恵が出ると、聞こえてきたのは奈良時代から生きているという仙人の声。えらい剣幕である。何しろヒルダわたしにまで聞こえてくるほどだ。

「はい?いますけど……」

『代わりな。いや、ハンズフリーにしてあんたも聞くんだ』

恵は、言われた通りにした。この場にいた者。すなわちわたしと遥香も耳を傾ける。

「うむ?わたしだが、どうされた。得子なしこ殿」

『テレビは見たかい?』

「いや?」

わたしが返答する間に、恵が部屋のテレビを付ける。

そこに映っていたのは、わたしにとってなじみ深いものだった。

「―――!!」

東京上空からの生中継。キャスターが何やら叫んでいるが、耳に入ってこない。何故ならば、上野恩賜公園の中央から続々と出てくる巨体は、この世界に本来存在してはならぬものだったから。

「なんということだ」

現場は阿鼻叫喚の地獄絵図。何しろ、歩き回っている巨体はそれだけでビルディングほどもあるのだ。それが続々と出てくるのである。まさしく蜘蛛の子を散らすがごとく逃げていく人々の様子までもが正確に見て取れた。

台地となった公園を占拠したそいつらの中心に広がるのは光り輝く裂け目。世界間を繋ぐゲートであった。

『見たね?それがあんたの言ってたの軍勢かい!?』

「ああ。間違いない。それもこれは、小国ひとつくらいなら踏みつぶせるほどの大軍だぞ。門の向こう、後方支援の兵員だけでも万単位に及ぶはずだ」

『確認だ。このには、飛び道具は効かないんだね?』

「うむ。地球の兵器に対しても恐らく矢除けの加護は効力を発揮するはずだ。となれば、原理的な問題になるが、威力は関係ない。遠距離攻撃はすべて無効と思ってもらっていい。例え核ミサイルの直撃であろうともだ。まあ単位面積当たりのエネルギー量なら現代の戦車砲の方が上だった記憶があるが、結果は同じだ」

『―――とんでもない化け物だねまったく』

「地球の機材であれを倒せというなら、わたしならダンプトラックを後進バックで体当たりさせて転倒させるな。得子殿なら理解していただけると思うが、二足歩行は不安定だ。あれほどの巨体となると特に。一度倒れれば操縦者への衝撃も相当なものになる。

起き上がるのに手間取っている間に、歩兵が肉薄して爆弾を設置すれば、あれも撃破可能だ。

あるいは落とし穴や地雷。いや、地雷も構造によっては飛び道具として考えた方がよいが。

索敵手段は有視界のみ、極めて劣悪だ。そこも狙い目だな」

矢除けの加護における飛び道具の定義は状況によって変動する。魔法全般に関わる問題だが、いわゆる砂山のパラドックス。『砂山から一粒の砂を取り去っても砂山のまま。そこからさらに一粒を取り去ってもそれは砂山である。しかしそれを繰り返していけば、最後に残った一粒の砂はもはや砂山ではない。ならばどれだけ砂を取り除いた段階で、砂山ではなくなるのか』、という哲学上のパラドックス同様、厳密に飛び道具を定義することは不可能だからだ。確かなのは、攻撃者の手から離れた武装や魔法は飛び道具として扱われるということと、飛び道具は完全に無効なこと。

『無茶苦茶だね。センサーのひとつもないってのかい。あんなデカブツを歩かせられて核ミサイルでも防げるってのに。なんてアンバランスな機械なんだ』

「だからあなた方でも対処可能だ。分からぬ。何故アルフラガヌスが東京を選んだのか」

日本は極東の要だ。米軍も間違いなく動くだろう。いや。ともなれば、最終的には全人類が動くに違いない。それならばまだ見捨てられやすい地域。先進国ならばEU離脱を選んで孤立したイギリスの方がまだしも救援が来るのは遅れるだろうし、あるいは第三世界でもいい。何故日本なのだ?アルフラガヌスの意図が読めぬ。

『日蝕も、このゲートの影響なのかい?』

「なぬ?そのような作用は門にはないはずだ」

わたしは急いで、縁側に出た。障子の向こう。単に曇っていたものとばかり思っていた暗い空はしかし、晴れ渡っている。太陽そのものが欠けているのである。

「―――なんということだ」

わたしは理解した。アルフラガヌスの目論見を。

「得子殿。敵の意図が分かった。奴ら、太陽を隠す気だ!」

『―――太陽を、隠す?』

「岩戸隠れ」

全ての者が、絶句した。

岩戸隠れ。太陽神である天照大神あまてらすおおみかみが隠れ、世界が闇に包まれたという神話。弟神である素戔嗚尊すさのおのみことの乱暴狼藉をおそれた天照大神は、天岩戸と呼ばれる洞窟にこもり、その間世界からは陽光が失われたのである。

「アルフラガヌスは天岩戸を再現するつもりだ。東京には、が住まっている。それを、素戔嗚尊すさのおのみことに見立てた自らがより追い出すという儀式を遂行することで、太陽を隠すつもりなのだ」

『―――そんなことが』

「可能だ。大して難しい術ではない」

地球は闇に包まれるだろう。日照を失った大地は荒れ果て、農業は全滅するだろう。たちまちのうちに寒冷化の波が世界を凍り付かせるだろう。そうなれば、地球人類は降伏を余儀なくされる。

もっとも、あちらの世界でこの儀式を行ったところで軍事的には何ら意味はない。太陽を隠されたとて、世界中の国家が術破りを試みるだろう。いとも容易く太陽は戻ってくるはずだった。

わたしとて、儀式魔術を破る法は心得ている。だが、それを実行するための人員が絶対的に足りぬ。すなわち、地球で太陽を隠されれば取り戻すのは極めて困難だ。

「奴らはゆっくりと皇居に向かって進むはずだ。逃げてもらうのが目的なのだから。万が一逃げなくても、捕縛して強制的に連れ出せば事足りるが」

『阻止しなけりゃ』

「わたしも、現場に行くことができれば城塞一つ分の戦力は呼び出す用意がある。敵が用いたのと同じ術を使ってだ」

だがいかに敵がゆっくり動いたとしても間に合わぬだろう。奴らが皇居に到達した時点で術は完成したも同然だからである。破壊活動が始まれば逃げぬわけにはいかぬ。

それにこの騒ぎでは新幹線や飛行機は止まっているはずだ。

『いや。そこから東京までがある。術で築いたものだ。そこを乗り物で通れば短時間でこっちまで来れる。頼めるかい?』

「承知した」

『よし。恵!』

「はい、大婆おおばばさま」

『案内しておやり。東京までそのお姫様のエスコートをするんだ。頼んだよ』

そこで、通話は終わった。

立ち上がる面々。ずっと黙って聞いていた遥香へと、恵は顔を向けた。

「部長。バイク、お願いしていいですか。狭い道ですんで」

「構わんが、三人乗りは違法だぞ」

「緊急時ですから」

話はまとまった。

「よし。行こう。東京へ」

わたしは、宣言した。


  ◇


【東京都 首相官邸】


「―――と、言うことだ」

時崎得子ときさきなしこは、集った男たちの顔を見やった。

この国を動かす者たち。そして、武力を司る者たちの顔を。

一連の通話を聞いていた彼ら。その長は、得子へ問いかけた。

「この話を、信じろと?」

「今起きてること自体が十分信じがたいと思うんだがね。

で、どうするさね?私にできるのはここまでだ。あの娘たちを使うも追い返すも、後はお前さん方が決めとくれ」

長は。は、相手の顔を見た。眼帯に右目を隠された、美しい顔。宮中には鬼が棲むという。鬼たちを束ねる人外の者。千年の昔、時の上皇を惑わせたという妖狐伝説の元ともなった人物。

だが、人間には違いない。

「……あなたの意見を聞きたい。

彼女個人の事だ。信頼できる人物かね?」

「ああ。半分勘だがね。だが私の勘はよく当たる」

ため息をついた首相は、決を下した。

「よろしい。まさしく猫の手でも借りたい状況だ。貴女を信じよう。私も役目を果たすとしましょう。

彼女らの行動に関して、すべての責任は私がとる。必要なものは担当者と話してくれ。後はお任せしてよろしいか?こちらも仕事が山積みでね」

「任せな」

静まり返っていた空間は、その言葉を境に活気を取り戻した。会話を聞いていたすべての人員が、自らの役目を果たすべく動き出したのである。

人類史上数千年ぶりかもしれない世界間戦争が、こうして幕を開けた。

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