第5話 使者

恐ろしく分厚い防壁だった。

外を野面積みの石垣、内を芝で補強された斜面によって支えられた盛り土は、高さ15メートル。厚さ50メートルという堅牢さ。広大な面積には各種の有用な植物が植えられ、呪言を刻まれた石碑が点在している。幅100メートル、水深10メートルの堀と合わせて城塞の外周をぐるりと守っているこの防御設備は補修も容易である。城の労働力たる粘土人形や泥人形たちは絶え間なく働くため、少々の損傷はたちまちのうちに修復してしまうのだ。さらに、この防壁は身長12メートルの巨大人型兵器がよじ登ってくる危険を想定されていた。ほとんど垂直の外壁は、敵の自重を受ければ崩壊するのである。足掛かりにならぬことで足止めするのだった。堀を埋めようとしたり、そこにつながる河川の水を断つのも困難だ。そんなことをすれば、城内の社で祀られている河の精霊の怒りを買う。まさしく難攻不落の要塞と言えよう。

この強力な施設の唯一の泣き所が、城門である。究極的には甲冑を運用するための拠点である城塞は、この二足歩行兵器が出入りできる構造が必要とされた。堀にかかっている橋は、橋というよりは土と石垣、古代ローマンコンクリート(この世界では現役だが)の複合で作られた堅牢な道だ。堀の水を循環させているのは埋め込まれた土管である。どうしても破壊するなら、相応の工兵部隊が時間をかけるか、あるいは地球の地中貫通弾が必要だろう。さもなくば百トンの質量がする破壊力に耐えられない。跳ね橋を設置できないのだ。少なくとも一か所は。

だから、この世界における城攻めは、城門を守備する甲冑をいかにして排除するか。という一点にかかっていた。

今。巨大な城門は、来客を迎えようとしていた。


  ◇


―――なんという見事な切り口か。

昨日の戦闘で破壊された甲冑。堀にかかる橋の前に放置された巨体へ目をやり、白髪に髭を蓄えた威丈夫は感嘆のため息を就いた。すれ違いざま、しかも鞘に剣が収まったままという圧倒的不利な体勢からこれを為した剣士のわざは、まさしく神域にあると言ってよい。これを見るために自ら使者の役目を願い出たのだ。

軍旗を掲げる供を連れ、騎馬に跨がった彼は声を張り上げた。

「我が名はサモスのコノン。

白銀の甲冑の騎士はおられるか!昨日の勇戦に、大王陛下よりお言葉を預かって参った!!」

城門の上が慌ただしくなり、やがて返答がきた。

「しばし待て!姫がおいでになられる!」

―――ふむ。姫、とな?

コノンが脳裏に疑問符を浮かべているうちに、回答は与えられた。自らの足で歩いてきたのである。

城門の上に現れたのは、女だった。強烈なまでの白と黒。病的なほどに白い肌と、濡れるような黒髪が生み出すコントラストは印象的である。驚くべき美貌を備え、戦衣をまとった彼女は、紅の瞳で冷徹にこちらを見下ろした。

「わたしに用があるというのはそなたか?」

「では、貴女が昨日の騎士か!」

「いかにも。

我が名はヒルデガルド。古の大図書館を守護する者の末にして、アレクサンドルの四番目の娘。

さあ。サモスのコノンよ。私に何用だ?アルフラガヌスは何を言ってきた?」

―――なんと。王女であったか。

コノンも名前は知っていた。この国の第四王女。魔術に造詣が深いと聞いてはいたが、美女だとも、ましてや優れた武人であるとも知らなかった。これほどの人物だったとは。

気を取り直したコノンは、声を張り上げた。城門の内にまで響き渡るように。

「まずは昨日の戦い、お見事であった!大王陛下も感服しておられる!!」

「お褒めにあずかり恐悦だ。

貴国の兵は精強と聞き及び、我が武運もこれまでかと思っていたのだが。わたしのような若輩者にしてやられるとは、どうやら噂はしょせん噂だったらしい。

何事も自らの目で確かめねばわからぬものだ」

痛烈な皮肉に、コノンも内心苦笑。返す言葉もないとはこのことだろう。とは言え使者としての面目がある。伝えるべきことは伝えねば。

「ご謙遜なさるな!大王陛下は貴女のことを高く買っておいでだ!」

「ほう。

ならばどうする?軍門に下れとでも言うつもりか?」

「いかにも。返答はすぐでなくともよい。ゆっくりと考えられよ!」

「―――否。そなたたちに、我らが父祖より伝わる大地を蹂躙した報いを受けさせねばならぬ。

騎士たちの屍を連れて帰るがよい。屍臭が臭くてかなわぬ」

交渉の決裂。相手が王女の時点で、コノンにとってそうなることは明らかだった。やむを得ぬだろう。

「ああそれと。

アルフラガヌスに伝えよ。、と」

奇妙な言い回しで締めくくると、王女はその場より立ち去っていく。

コノンも馬首を巡らせると、供のものたちへ告げた。

「―――行こう」


  ◇


緊張した。

涼子わたしにとって、軍使と話すなどもちろん生まれて初めての経験だった。ヒルダと入れ替わる関係上、王族の作法は一通り、かつて老侍従に習いはしたが。王女にふさわしい威厳を発揮できただろうか?正直言って自信がなかった。

今は亡き彼女の言葉を思い出す。

「時には冷徹に。あるいは粗野に振る舞う必要もあるでしょう。それこそ、相手を虫けらのように見下すことすら。あなたは王女なのですから。

けれど、それは実際に貴女が"そう"であるわけではありませんよ。粗野に振る舞うことと、実際に粗野であることとの間には埋めることのできない隔たりがあるのです。自分を客観的に、どうみられるかを考えることが、大事なのですよ」

―――ここには。この国には、大切な思い出が多すぎる。

守らねば。

誓いを新たにすると、わたしは私室へ戻った。

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