第6話 鼠はどこからでも入り込む

「築城?」

起き出した涼子わたしを待っていたのは、そんな報告だった。

なんでも敵が本格的な陣地を構築し始めたとか。粘土人形や泥人形を大量動員し、城塞周辺の地形を大規模に改造し始めたのである。この魔法生物は、魔法使いにかかればたちまちのうちに大量生産できる。彼らが本気を出せば、すぐにでも実用に耐えうる砦を構築できるだろう。地球にこの技術があれば災害時に役立つだろうな、などと考えながら、わたしは周囲を見回した。

「連中、我々を閉じ込める気のようですな。姫様の武勇に恐れをなしたのでしょう」

工兵の長の発言に同意を返し、どうすべきか悩む。籠城戦となればこの城塞は何年も持ちこたえることができる。人間以外の労働力が豊富にあるから城の面積に比して人数は非常に少なく(あくまでも面積と比してである)、穀物や塩漬け肉などの食料の備蓄は十分だ。畜獣より乳や卵も得られるし、内部に引かれた堀の水からは鮮魚を獲れる他、畑や果樹すら存在し、生鮮食料品を一定量供給している。塩・酢・酒・木材・布・鉄・炭、火山灰(古代ローマンコンクリートの原料)、等の物資は十分に蓄えられていた。

だが、それは死を先伸ばしにするだけかもしれぬ。敵はこの城を無視して王都に攻め上るつもりに違いない。決戦となるだろう。それに友軍が敗退すれば、最終的にわたしたちも同じ運命を辿る。籠城とは援軍の宛がある時に行うべき戦術だからだ。

脱出し、友軍を援護しなければ。だが手が足りない。わたし一人なら、先日の様子からすれば包囲を突破はできるだろう。しかし、それでは城に取り残された人々を見捨てることとなった。

せめて、わたし以外の戦力があれば。

この場に集った、城塞の主だった者たち。彼らにもよい知恵はなかろう。いかにわたしでも、一人では敵軍を壊滅させることなどできない。現状では籠城以外の選択肢はないのだから。

と、そこで。口を開いたのは工房の長だった。

「要するに、奴らは姫様がここにおるから。おると攻めてこんのじゃろう?ならば簡単なことよ。姫様にはここにいてもらえばええ。偽物の姫様にな。奴らが攻め込んでくるのを防ぐ用さえ果たせれば、別に本物の姫様である必要はあるまい?」

「わたしに脱出しろ、と?」

「単純な計算ですじゃ。姫様がここにいれば、敵はこの城に戦力を割かざるを得ない。そこに姫様がいれば、外で何十という騎士をばったばったと斬り倒してくださる。これなら姫様の力を二倍にできまする」

まるで戦略兵器扱いだな。いや実際にそうか。優れた騎士は、この世界における戦の趨勢を左右するのだから。

「つまり、必要なのは姫様の案山子かかしだな」

誰かの呟きに皆が笑った。

「とはいえそうなれば、甲冑はもって行けないぞ。奴らに気取られる」

この策を実行するならば、隠密行動の必要があろう。あんな巨大なものが歩いていけば、目立ってしょうがない。幾ら何でも生身で友軍のもとに駆け付けたとて、役立てるとは思えなかった。

どこかで調達するあてが必要だろう。それに、密かに包囲を抜ける手段も。

問題は山積みだったが、何はともあれ他によい案もなかった。

「ひとまずこの方針で行くしよう。誰かが良い策を思いつけば、再度招集とする」

「「はっ」」

軍議は終わり、皆が散って行った。


  ◇


驚くほどに澄んだ水だった。

堀に流入した河川の水を、配管と水路を通して引き込んだ水場の一つ。三方向を切り立った石垣に囲まれ、大きく階段状に石が敷き詰められたその空間は、城主のための水浴び場であった。陽光をふんだんに吸収した石材と水面は、水浴びに適した水温を作り出している。

「ふう……」

気持ちいい。

涼子わたしは、半身を水に沈めながら思った。

身に着けているのは水浴び用のローブ一枚。傍に控えているのはセラだけだ。不用心にも見えようが、周辺には何体もの石像鬼ガーゴイルが設置されている。この怪物の形をした石像にはかりそめの生命が付与されており、許可を得ずに近づく者がいればたちまちのうちに動き出すのだった。

久しぶりの休息。とはいえ忙しいのは悪いことではなかった。余計なことを考えずにすむ。

幸か不幸か、地球でのわたしは最初から終末期医療を受けていた。苦痛を取り除くのが主である。対する抗がん剤治療は、それはそれは苦しいらしい。心が疲弊していくのだ、と、他の患者仲間から聞いた。それを思えばまだ気力が十分あるわたしは、恵まれているのだろう。

このまま眠ってしまいたいところだが、さすがにそういうわけにもいかない。風邪をひいてしまう。

「そろそろお時間です」

セラのひとことで我に返ると、わたしは立ち上がった。

いや。立ち上がろうとして、ふと水中に気になるものを発見した。動いている。生き物―――魚か?外から入ってきたか。それにしては大きい。いや。あの大きさでは水路の鉄格子を抜けられないのでは?

そこまで思考が連鎖反応する間に、セラが叫んだ。

「おさがりください!」

わたしが水場から飛び出すのと、石像鬼ガーゴイルどもが動き出すのは同時。

幾つもの水柱が立った。

暴れまわるそいつに、石像鬼ガーゴイルたちは苦戦しているようだった。跳ね飛ばされ、あるいは強打されながらも協力して陸へと引きずり上げる。

ようやく動きを封じられたそいつ。巨大な魚に見えたそれに、石像鬼ガーゴイルの一体が拾った石を振り上げた時。

「ひぃ!?と、止めてくれ!!参った、降参する!!」

驚くべきことに魚は、言葉をしゃべった。かと思えば、そいつは自らの皮を、抑えつける石像鬼ガーゴイルたちの間をすり抜けて、命からがら転がったではないか。

「―――やめよ」

気が付けばわたしは、追撃しようとする石像鬼ガーゴイルたちを止めていた。

「はぁ……し、死ぬかと思ったぜ……」

わたしたちの視線を受ける中。そいつは―――皮を脱ぎ捨てた裸身の男は、ニヤりと笑った。

「ヒルデガルド殿下とお見受けする。俺は"ネズミ"。貴女の叔父上より連絡役を命じられ、参上仕った」

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