第7話 潜入
月がひとつも出ていない夜だった。
草木は眠り、かすかに蟲の鳴き声が聞こえてくるのみ。
そこは、砦だった。建築途中。各所に土塁が積み上げられ、その合間に設けられた通路には時折段差が見られる。普段は板を渡して橋とし、いざ敵が攻め込んでくれば歩兵の侵入を阻止するのだ。12メートルの巨体ならばたやすく踏み越えられるが問題ない。そもそもが甲冑と歩兵を分断するための仕掛けだからである。
上を見上げれば、いくつかの巨大な構造物。木製の骨組みを組み合わせたそれは、地球の歴史に詳しいものが見れば「アルキメデスの兵器」と表現したかもしれない。いや、もっと身近なものに例えれば、それは重機を彷彿とさせる機械だった。てこ、ロープと滑車を組み合わせて人間や泥人形たちが操るそれは、あるいは鉤で甲冑を引っかけ、あるいは吊るされた鉄球を振り回して打撃を与え、あるいは鐘を打つように真横から丸太で攻撃する防御兵器なのだ。
巨大な金砕棒や大金槌を装備した甲冑は城攻めに最適の兵器だが、視界は最悪だ。そして狭い砦内は逃げ場がない。視野を補う歩兵なしで、上方や真横からの攻撃を受ければこの巨大二足歩行兵器であっても無事では済まなかった。
強敵を迎え撃つためのこの巨大な施設は、しかしまだ完成していなかった。急ピッチで建造は進んでいたが、各所に未完成の場所や死角が存在する。
今。ここへ侵入する者たちの姿があった。
◇
―――冷えるな。
砦内を守備する歩哨のひとりは、外套でも防げぬ冷気にぶるりと震えた。
どうやらお偉方は、敵を包囲して逃がさぬことに決めたらしい。長期戦ともなれば何年もかかることも珍しくないから、正直勘弁してほしかった。とはいえ主君には逆らえぬ。彼は魔法王陛下に仕える諸侯の配下―――のそのまた配下の家人の―――と続いたヒエラルキーの先。一番下っ端である。まあ上の金払いは悪くないし、戦に勝てばおこぼれに預かれる。今包囲している敵の騎士は凄い腕前だとの噂で持ち切りだが、それが戦いの趨勢に関わることはないだろう。勝ちは決まったようなものだ。こちらは圧倒的大軍であるから。
「しょんべん行ってくるわ」
同僚に一声かけ、外周に移動する。用を足して一息ついた彼は、ふと、砦の外。一定間隔で地面に挿し込まれた若枝が織りなす結界の向こう側からこちらを見る双眸を発見した。
―――狸?
地元でもよく見た動物である。鍋に入れると大変美味だった。故郷が懐かしい。最近は保存食ばかりで味気なかった。こいつを鍋にぶち込めばさぞやあったまるに違いない。いかん。出てきた唾を飲み込む。
狸は硬直している。臆病な動物なのだ。目が合うと動けなくなるのだった。
我知らず、足を踏み出す。そろり。そろりと接近。両手を構える。動くなよ。ようしいい子だ。そのまま。そのまま。
―――今だ!!
歩哨は、狸めがけて飛び掛かった。
大きく広げられた両腕が襲い掛かり、そして。
見事攻撃をすり抜けた狸は反転。脱兎のごとく距離を置いたかと思えば、こちらを振り返った。しくじった!これはもう一度試みても無理だろう。
失敗を素直に認めた歩哨は、立ち上がった。
いや。
立ち上がろうとして、後頭部に強烈な衝撃を受けた彼は、見た。こちらを見つめる狸が、その身を膨れ上がらせ、たちまちのうちに毛皮を羽織った男の姿に変じていく様子を。
迂闊にも結界の外に出てしまった彼は、そのまま息絶えた。
◇
―――この世界にも狸はいるんだよな……
狸から人間の姿に戻った"ネズミ"を見ての、
この男、かつては名うての大泥棒だったらしい。(ヒルダの)叔父に捕縛され、減刑と引き換えに密偵として働くことを誓ったとかなんとか。こやつが携えていた叔父からの手紙にはそこまでは書かれていなかった。ネズミの自己申告である。
まあ腕は確かだろう。警戒厳重な敵軍の包囲網を突破して我が城塞に潜入し、今また敵の歩哨を見事に誘い出した。始末したのはわたしだが。
凶器の
「それにしても見事に化けたな」
「大した芸じゃありませんぜ。俺程度の使い手は、探せばそれなりにいるでしょう。けど殿下の代わりが務まる者はおりませんよ。
さ、急ぎますぜ。気取られる」
この変化の魔法の名手に頷くと、茂みへ向けて手招き。
現れたのは数名の、目立たぬ服装をしたものたちであった。
協力して死体を隠すと、はぎ取った認識証の木札をネズミが首から下げる。
慎重に結界の内側へ入った彼は、地面に突き刺された若木の小枝を取り除いた。砦を守る結界に穴をあけたのだ。
これより、中でひと騒動起こさねばならぬ。この、元々は
わたしたちは結界を抜け、砦へと潜入した。
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