第8話 紅蓮の旗
広大なスペースだった。
地形を生かして改造された砦。その一角で、縦に掘られた四角い穴の淵には何体もの甲冑が腰かけ、脇の架台にかけられているのは巨大なマント。将来的には屋根を据え付け、排水のための設備も備えられるだろう。ここは急造の整備場なのだ。
ここだけではない。万が一の際に全滅を避けるため、砦内部にはこのような整備場が何か所もある。どころか、この砦以外にも複数の砦が建造中だった。それらが完成し、有機的に相互支援が可能になれば、包囲網は完璧なものとなろう。アリの這い出る隙間すらなくなるのだ。
昼間は活気にあふれていたであろう空間はしかし、静まり返っていた。浮遊する
今。それらの合間を縫って進む、小動物の姿があった。
いわゆる野鼠である。より正確に言えば、その姿へと変じた"ネズミ"だった。ややこしい。
―――しかし不用心だねえ。
周囲を見回しながら、ネズミは思う。
外周の結界以外にも防御の魔法や歩哨による警戒はあったが、もともと盗賊だったネズミにとってはたやすく突破できる程度のものばかりだった。この程度の障害恐れるに足りない。その自信が仇となって、今の主に捕縛されるハメとなったのだが。まあ宮仕えもいいものだ。牢獄でクサい飯を食うよりはよほど。
それに、スリルを味わえる。あのお姫様の計画を聞いた時にはとんでもないなと思ったものだが。この分なら愉快なことになりそうではないか。
敵の甲冑を奪って、王都の援軍に駆け付けるなどとは。
他の人間が言い出したなら正気を疑うところだが―――奪えたとして逃げ切れるはずがない―――ヒルデガルド王女殿下の腕前ならば不可能ではなかろう。先日の戦いはネズミも見ていた。城に到着した時にはすでに、敵の攻撃は始まっていたのだ。すわ任務失敗か!?と、隠れて見ていた彼の目の前で、敵の騎士たちはたちまちのうちに撫で斬りとされてしまった。貴重な経験をした。あの戦いを目にすることができたとは。
ネズミは、あの王女殿下の腕前に惚れ込んでいたのだった。
さて。一通り確認したが大丈夫そうだ。戻らねば。
―――うん?
振り返ったネズミの鼻先。そこに、何やら湿っぽいものがぶつかる。やわらかい。なんじゃこりゃ?
数歩後退した彼が目にしたものとは―――
「にゃあ」
山猫だった。デカい。ネズミの視点からだと見上げるような巨体である。
そいつと、鼻先同士をぶつけていたのだ。とネズミは悟った。
「みゃ」
猫ぱんち。
強烈な打撃を受けたネズミは吹っ飛んだ。
人間からすれば微笑ましい光景であろうが、しかし野鼠に変身した今のネズミからすればヘヴィ級ボクサーのボディブローに匹敵する破壊力である。思わぬ伏兵だ。
ふらつきながらも起き上がったネズミへと、山猫は飛び掛かった。
◇
「何奴だ!!」
物陰より様子を伺っていた
手勢へ合図すると、抜剣。整備場へと飛び込む。
すれ違いざまに歩哨を切り捨て、走る。前方から走ってくるのはネズミだった。人間の姿で、頭に山猫が噛り付き、そして後方からは十名近い兵士が追いすがっている。
「すまん、しくじった!」
「構わんさ」
ネズミとすれ違う。敵へ突っ込む。相手の剣を受け流し、刃を一閃。鮮血が舞う。次の敵。二人同時に来た。追いついた手勢が片方に切りかかる。それを横目に敵手の短槍を掴み、更にはそいつの手首を切断する。生じた隙。喉へ一撃する。どう、と斃れる死体。
わたしが剣を振るうたび、首が飛び、血しぶきが上がり、臓物が飛び散った。その様はまるで、紅い旗が舞っているかのよう。血がもたらす興奮。高ぶる神経。それをどこかで冷静に見つめている自分自身が不思議に思える。
たちまちのうちに、わたしたちは敵勢を排除した。
「皆、無事か?」
わたしの問いに、皆が大丈夫と答える。ひどい傷を負ったものはいないようだ。いや、ネズミは相変わらず頭を山猫に
「ひでえ目に遭ったぜ」
「なあに。名誉の負傷だ」
軽口を投げ合うわたしたち。
とは言えのんびりとはしていられない。聞こえてくるのは多数の足音。急がねば。甲冑を奪い、そして脱出するのだ。
刃を収めると、居並ぶ甲冑を物色。―――あれにしよう。
目に入ったのは、黒く染め上げられた巨体だった。
「ひめ―――いや、お頭、お早く」
姫様、と言いかけた部下へと頷く。剣を預けたわたしは甲冑の太ももによじ登り、装甲の隙間を手探りで探った。―――これだ。
発見したレバーを引くと、漆黒の巨体が動いた。
ぷしゅ、と蒸気を吹き出し、歯車音をさせながら、ゆっくりと開いていく甲冑。その胸部から面当てまでの部分にできた隙間へと、わたしは身を滑り込ませる。
中にあったのは、まるで人型のハンモック。そう思わせる複合的な革帯である。全方向から吊るされたそれに背中から飛び込み、そしてまずぶら下がっている足甲に足を通す。体の前面のベルトを素早く締め、首を首当てにしっかり合わせる。最後に手甲をはめ、そして付属するグリップを握り締めて、準備は完了だった。
わたしの全身は、甲冑内部。その操縦槽に吊るされている形となる。いかなる姿勢になってもショックを吸収できるようにとの仕掛けなのだ。
右手でレバーを操作。操縦槽の扉が閉まっていく。前方のスリット以外のすべての光が途切れる。そこまで確認し、わたしは大きく息を吸い込んだ。
同時。
―――BBBBBBUUUUOOOOOOOOOOOOOOOO!!
呼気。
足元に位置するふいごが動き出す。外気を吸い込む。濾過機を通して活力が全身へと供給される。筋肉筒が活性化。はずみ車が回りだし、ギヤと鋼線が動力を伝達し始めた。
心地よい、振動。甲冑に生命が宿ったのだ。
そこへ、自らの意思を割り込ませる。甲冑に宿る精霊と繋がり、そして一体となる。体が拡大していく。まるで自分自身が12メートルの巨体になったかのような錯覚。
わたしは、左腕を伸ばした。漆黒の甲冑はその動作を忠実に拡大し、そして再現する。
強烈な一撃は、隣の甲冑に激突。突き飛ばした。
地滑り。12メートルの巨体が倒れていくさまは、まるでそのようにも見えた。
轟音。
うつ伏せとなった巨体。もはや乗り込むことは不可能だろう。
周囲を物色する。
「お頭!!」
聞こえてきた声の方へ向き直れば、架台にかけられたマントと、そして安置された剣を指す手勢の姿が。よくやった。
立ち上がる。足が地面にめり込み、百トンの質量が周囲を震わせた。高さに眩暈がする。高所恐怖症の気はないはずなのだが。暗いせいか。視界が常よりなお悪い。慎重に旋回。柔らかい地面に四苦八苦しながら、剣を手に取った。
それを腰の固定具に取り付け、次いでマントを掴む。これを身に着けるには時間がかかった。ひとまずは手で保持し、肩に引っかけるしかあるまい。
と。そこで、整備場の入り口が騒がしくなった。目をやれば、突入してくるのは何体もの巨大な泥人形たち。わたしを排除するつもりか。
よかろう。相手をしてやろう。
わたしは、ほほえんだ。
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