第22話 間欠泉
谷間の大きく広がっている部分。温水の小川が流れ、植物が生い茂り、そしてそこかしこから蒸気が漂う比較的平坦な地形に、魔法王アルフラガヌスはいた。
彼がいる物見台は、複数の巨大な岩人形が運ぶ輿である。非常に高い視界と機動力を発揮できて都合がよい。もちろん魔法的防御は万全で、生半可な呪いの類は通用しなかった。周囲には32領の甲冑。大小の泥人形や粘土人形、岩人形が多数。兵員。
優れた指揮官ほど予備兵力を手放したがらない。戦場には予期せぬトラブルが付き物だ。それに対処するには自由に使える戦力が必要だった。
その意味では、これほどの兵力であっても魔法王にとって十分とは言い難かった。結局のところ、この険しい山岳地帯。すなわち地獄谷周辺への偵察は十分に進まないまま戦闘に踏み切ったからである。山の精霊には邪魔をせぬと約束こそさせたが、それ以上の協力を引き出すことはできなかった。近隣の主である火山の精霊を抑えねば不可能であろうが、それは魔法王の名を持つアルフラガヌスですら難儀する事業となるに違いない。強大な精霊と交渉しうることこそがこの世界における王の資質である。古のハイパティアは至難ともいえるそれを成し遂げたからこそ異邦人でありながら王となれたのだ。
敵は劣勢。故に必ずあるはずである。この、本隊への襲撃が。どの方向からかは分からぬ。それに対処するための予備兵力。後方からも、この最後になるであろう決戦に備えて戦力の抽出を図ったが間に合わなかった。手持ちでやりくりするしかない。
アルフラガヌスが待つもの。
それは、予想以上に近くよりやってきた。
◇
魔法王を守護する軍勢の一員。防衛網の右翼に配された兵士は、前方を注視していた。
鳴り響いているのは絶え間ない轟音。勇壮なる軍楽隊の楽曲と相まってこの世のものとも思えぬそれは、何千トンという質量が上げる断末魔なのだ。
今のところ音源が近づいてくる様子はない。すなわち味方が押している、ということである。そのことに安堵する一方、彼の仕事がおろそかになっていたとしても止むを得ないことだったろう。
されど。その代償は大きかった。
最初聞こえてきたのは、足音。小さかったそれは、たちまちのうちに巨大になり、そして飛び出した。
右手の斜面を駆け下りて来るのは漆黒の巨体。いや、そいつだけではない。幾つもの建築物のごとき巨体が、多数の泥人形どもを引き連れて姿を現したのである。彼らは兵士など顧みずに一直線に進んでいく。その先にあるのは物見台。あいつら、魔法王陛下を殺る気だ!!
兵士が茫然としている間に、すべては動き始めていた。
後方で轟音。目をやれば味方の甲冑が次々と敵に向かっていくではないか。最初の1領が、漆黒の甲冑に向けて盾を突き出した。対する漆黒の甲冑はマントをなびかせながら増速。極端な前傾姿勢のまま突進したそいつは、携えていた
一閃。
切断された右腕が宙を舞う。腕を失った敵手を無視して漆黒の甲冑は前進。最初の甲冑は後続の餌食だ。
2領目の直前で漆黒の甲冑は跳躍。その勢いすべてを乗せられた両手剣は、盾で受け止めた2領目をよろめかせた。のみならず、跳ね返った両手剣は持ち主ごと独楽のように回転し、そして敵手の胴体を見事両断したのである。
途切れることなく連なった動きは百トンの甲冑とは思えぬ軽やかさ。
この段階でようやく、護衛の泥人形たちが動き出した。殺到する8メートルの巨体はまるで藁束のように
もちろん、生身の兵士に何かできる状況ではない。退避しなければ。いや、上官はどこだ!?
指示を仰ごうとした段階で、空が陰った。振り向いた兵士が見上げた先にあったのは、くるくると回りながら落下してくる巨大な腕。先ほど切断された甲冑のそれは、今になってようやく大地へと戻ってきたのである。そう。兵士のいる場所へと。
逃げる暇などない。
兵士は、絶叫した。
◇
「―――邪魔だ!!」
全身のバネをフルに使って振るわれた
これで6領。
悪くない。槍や斧は性に合わぬからと城の武器庫を漁った結果、出てきたのがこの
とは言え状況はあまりよろしくない。敵は多数の甲冑や衝角。こちらの手勢も懸命に戦ってはいるが、数の差はいかんともしがたかった。このままではアルフラガヌスに逃げられてしまう。
だから、少しばかりズルをさせてもらうとしよう。剣を振り上げる。敵は十分に引き付けたはずだ。条件は整った。
聞こえぬと承知で叫ぶ。
「イーディアよ。行け!!」
半身となる。後方に対して道を開ける。
疾走してきたのは、マントをなびかせた紅の甲冑。展開された覗き窓より、白髪と尖り耳を持った少女の顔が一瞬だけ見えた。彼女が見据えるのはただ一点。敵将のみ。
だからイーディアは、立ちはだかる敵勢を無視した。ここまでで蓄えた慣性と全身の筋肉筒のすべてを解放し、それでも足りない分を精霊に頼ったのである。
瞬間。甲冑が、爆発した。
巨大なエネルギーが噴出し、その威力に押し出されていく百トンの巨体。それは、弧を描きながら飛んでいった。
◇
―――なんだ。あれはなんだ!?甲冑が空を飛ぶなど!
サモスのコノンは驚愕していた。どのような魔法のわざがあれば、百トンの質量をああも軽やかに飛翔させられるというのか。
分かるのはただ一つ。対処せねばならぬということだけ。
だから彼は、手にした槍を逆手に構えた。鈍色の甲冑を自在に操り、投擲に備えたのである。
―――大丈夫。敵は山なりに墜ちてくるだけではないか。大きく跳躍する加護なのだろう。となれば矢除けの加護は持たぬはず。
そこまでを瞬時に判断。狙いを定める。踏み込む。槍を投じる。
我ながら惚れ惚れするような照準だった。攻撃は敵を貫くだろう。
そのはずだった。敵が避けなければ。
敵の甲冑が再び爆発。いや、強烈な蒸気を吹き出した。その反動は紅の巨体の進路を変え、見事槍を回避してのけたのである。
噴射をクッションとした紅の甲冑は前方に軟着陸。勢いのまま走り、力を貯め、そして再び跳躍した。コノンを飛び越えていく巨体。
―――しまった!!
あちらには魔法王陛下が。慌てて追いかけてももう遅い。どうすればよい!?
◇
イーディアは、上空にいた。
通常の甲冑よりも広い視界。スリットの入った装甲を展開した窓からは地上の景色がよく見える。広がる草地。何千という敵兵。大小さまざまな投射兵器。塔のごとき巨大二足歩行兵器。すべてが高速で流れて行く。鳥のように風に乗っているのではない。強烈な蒸気圧の爆発によって押し出されているのだ。気持ち良い。風圧で目を開けているのも辛いのが難点だが。
甲冑に宿る間欠泉の精霊。その霊力の発露だった。全身をめぐる冷却水を爆発的に噴射するのである。ずっと飛び続けることはできぬ。大幅に跳躍の飛距離を伸ばすのみ。それで十分だった。敵勢を飛び越えるには。
前方を見据える。複数の岩人形に運ばれる物見台が見えた。そこに座する一人の男も。奴こそが魔法王アルフラガヌスに違いない。
着地する。窓を閉じる。残り十歩の距離を詰める。魔法王がこちらを見た。飛んできた矢弾を装甲が弾く。問題ない。あとほんのひと動作で全てが終わる。
巨大な槍が、振りかぶられた。
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