第34話 地球人
どこまでも続く、白だった。
窓の外は濃密な霧に隠された世界。ただでさえ陰鬱な気分だというのに、それを促進するかのようだ。とは言えこれは恵みでもある。少なくとも、隠れている自分たちにとっては。
イーディアは窓を閉じた。
小さな山荘である。中二階のスペースと合わせても数人が寝起きするのがやっとだろう。板張りの床の端、土間との境にある囲炉裏では、
ここに腰を落ち着けてからしばらくたつ。先の合戦に敗退してから、友軍とは接触できていない。生き残った者も散り散りとなったであろう。戦争に負けたのだ。今頃は、魔法王の軍勢が我が物顔で王都を闊歩しているに違いない。父の仇も討てなかった。悔しかったが、もはやイーディアにはどうしようもない。頼みの綱の王女殿下も……
思い悩むイーディア。その耳に、物音が入った。
剣の柄に手をかけ、扉まで近づく。
「―――俺だ」
聞こえてきたのは男の声。
「合言葉を言え」
「―――聞いてないぞ」
「いいや。あるはずだ」
緊張が高まって行く。
「―――知らない。分からない」
その言葉に、イーディアはふっと肩の力を抜いた。
「合格だ。入れ」
正しい合言葉を答えて入ってきたのは毛皮を羽織った男。ネズミだった。更にもう一名を見ると、イーディアは顔を綻ばせる。
「おお。無事だったか、セラ」
「はい。ネズミさんのおかげで、どうにか」
びしょ濡れの二人が入ると、イーディアは扉を閉じた。濃霧で濡れた着衣はすぐさま干され、代わって毛布が体を包む。
「それで、姫様は?」
問うセラに、イーディアは中二階を示した。
「眠っておられる。まだお体が万全ではない」
「そうですか……」
火を囲んだ一同は、しばしの間無言になった。
やがて口を開いたのは、イーディア。
「それで、王都はどうだった?」
「思ったよりは酷くない。アルフラガヌスの野郎、略奪を許したのは1日だけ。それも火付けは禁止、書物や芸術品の略奪、建造物の破壊も厳禁ときた。住人の殺傷もやむを得ない場合を除いては禁止だとさ。まあこういっちゃあなんだが良心的だな」
「そうか。そこは救いだな……」
戦争では将兵に与える褒章として、占領地での略奪が許可される。もちろん無期限ではない。それでは後々の支配に悪影響を及ぼすため、期間は大幅に区切られるのが常だった。略奪される側としては気休めにもならないが。
「ただ、なんというかピリピリしてるな。連中、戦が終わったってのに妙に勤勉だ。まだこの後の戦いに備えてるみたいな感じか。訓練を欠かしてないし、損壊した甲冑の再生も急ピッチで行われている」
「ふむ。それは奇妙だな。もちろん、まだ制圧していない地域を警戒するのは理解できる行動だが。それにしても」
と。そこで、衣擦れの音。中二階からだった。
「奴らは……攻め込むつもりだ」
「姫様?」
目をやれば、身を起こしたヒルデガルドの姿があった。かなり回復したとはいえ、まだ休養に努めるべきだというのに。
「攻め込むとは……いずこに?」
「そなたらも伝説は知っておろう。
……古の大図書館だ」
「―――姫様!!」
セラの叫びは、まるで悲鳴のようだった。それを手で制するヒルデガルド。
「いいの。セラ。秘密を明かす時が来た。
イーディアよ。約束したな?わたしの秘密をもう一つ教えると。
ネズミも聞くのだ。もはや事態は我が国だけの問題ではない」
ヒルデガルドとセラ。この二人が何の話をしているのか、イーディアには分からなかった。古の大図書館?アレクサンドリア図書館の場所は伝わっていないのではないか。その場所がどこなのか特定されたとして、船で行き来できるどこかであろうというのが主流の説のはず。魔法王はそこに攻め込むというのか?
「二人とも、よく聞け。古の大図書館があった場所。アレクサンドリアは、この世界には存在しない。こことは違う世界。地球と呼ばれる世界にあるのだ」
一瞬、何を言われているか分からなかった。隣のネズミも同じ心持ちだろう。この世には存在しないだと?
「幼少期、城の地下でわたしは、始祖ハイパティアの残した呪文書を発見した。世界と世界の間を越境する禁呪の数々。伝承にある、ハイパティアの故郷へ赴くための術だ。
わたしはそのうちの一つを実践した。あちらの世界の人間と言葉を交わす術。更には、その人間と肉体を交換する術を。以来、10年あまりにわたってその人物の協力を得て、あちらの世界を探索してきたのだ」
「……では、秘密とは、そのことなのですか?」
「いや。これはただの前振りだ。そなたらには十分、衝撃的な事であろうがな」
ヒルデガルドは苦笑しつつ、言葉を続けた。それこそ衝撃的な一言を。
「わたしは、ヒルデガルドではない。彼女と肉体を交換した地球人だ」
場の人間すべてが、絶句した。
「ヒルダの代理としてではない。わたし個人として。一人の地球人としてお願いする。二人とも、わたしに力を貸してくれ」
イーディアは、ネズミと顔を見合わせた。
◇
「そんな。信じられませぬ。あなたが殿下ではないなど」
イーディアには理解できなかった。威厳。気品。知識。王族の証たる短剣を所持していたし、何より多くの人々が。王弟殿下でさえもが、この人物を第四王女として扱っていたではないか。
なのに。
―――私の、殿下が。ヒルデガルド王女ではない、とは。
異世界人を名乗る女は、苦笑しながら言葉を続けた。
「そなたら二人と会った時、わたしたちは既に入れ替わっていた。
わたしの名前は
まあ、見抜けなかったのは無理もない。この10年、たびたびヒルダとは体を交換してきたが、ばれないように万全の準備を怠らなかった。彼女の振る舞いをさせたら、わたしの右に出る者はおらぬよ」
頭が理解を拒絶していた。だが同時に、納得もする。
異世界の剣士。それも、世界のほぼ頂点に位置するというその発言には万の言葉より説得力があった。何しろ、ヒルデガルド。いや、蛭田涼子は、実際に何十という騎士を斬り殺してきたのだから。
とはいえ、やはり容易には信じがたい話ではある。
「殿下。いや殿下じゃないのか。その話、何か証になるものはありますか。いや、疑うわけじゃないんですがこう、商売柄」
ネズミの発言に、涼子は屈託のない笑みを浮かべた。
「そうだな。霊視してみるがいい。わたしはどう見える?」
顔を見合わせるネズミとイーディア。困惑しながらも、二人は言われた通りにした。
「「……!?」」
結果は、信じがたいものだった。涼子が座っている場所。そこに誰もいない、などとは。
「地球には精霊はいない。いや、これは正確な表現ではないな。いるにはいるが、地球人は魔法を使えない。精霊を見ることができないからだ。だが一方で、いかなる精霊も地球人を見ることはできない。魔法使いの手助けがなければ、という条件はつくが。だから、あちらの世界に魔法文明が花開くことはなかった。代わりに、精霊のいたずらも存在せぬ。
あらゆる物理量は極めて正確に測定され、それに基づいたテクノロジーが―――科学技術が発達している。
だから。魔法的感覚で地球人を見ると、こうなる」
説明の間にも、姿が浮かび上がる涼子。
「わたしの友人に言わせれば、どうも世界観。すなわちどのように世界を捉えているかがそのまま精霊の有無に関係してくる、とのことだったが。
まあ、だから慣れればこういう真似もできるわけだ。わたしにとっては精霊のいない世界も、いる世界も等しく現実なのだから。
分かっただろう。地球は異質な世界だ。だが、利用できる。土地があり、人が住み、こちらにはない特異な技術体系で繁栄している。侵略するだけの価値がある。
魔法王アルフラガヌスは、そこに手を伸ばそうとしているのだ。
わたしは地球に住まう人間の一人として、阻止せねばならぬ」
そうして、異世界人は話を終えた。
「……あー。ちょっと話がデカすぎて受け入れられないとこはあるんですがね……」
沈黙を破って発言したのはネズミだった。彼は、傍らのセラへ顔を向ける。
「知ってたのか、お嬢ちゃん」
「お嬢ちゃん、ではありません。ですがまあ、知っていました。そもそも私はリョウコ様のお世話を、姫様より仰せつかっておりますので」
「そりゃそうだよなあ。
……いろいろ聞きたいことは山ほどありますが、まあそれはそれとして。
お手伝いしますよ。俺は役に立ちますぜ」
「よろしく頼む」
ネズミへと鷹揚に頷く涼子。
続いて発言したのはイーディアだった。
「一つだけ、聞かせてください。ヒルダリョウコ」
「うむ。なんなりと答えよう」
「……私に言った言葉は、まだ有効ですか?
共に、魔法王の軍勢を打ち破ろうと。わたしに仕えよ、とのお言葉は」
「あれはわたしの本心だ。それだけは、嘘偽りないと誓おう」
「ならば、私は貴女に剣を捧げましょう。あの時私に手を差し伸べてくれたのは、ヒルデガルド殿下ではない。貴女なのですから」
忠実なる騎士は、ひざまずくと剣を差し出した。
主君は、それを受け取った。
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