第33話 剣と魔法

知らない天井だった。

丁寧な職人の仕事なのだろう。板張り。日本家屋の典型的な構造である。いつ眠ったんだっけ……

ヒルダわたしは跳ね起きた。

室内を見回す。寝かされていたのは高級な布団。畳敷きの床。障子越しに朝日が差し込んでくる。

茫然としているわたしの後ろで、ふすまが開いた。

「あ。起きたんですね。先輩―――じゃなかった。ヒルデガルドさん。……でいいんですよね?」

和服の恵に対して、わたしは頷いていた。


  ◇


異世界人が、きれいな箸遣いで和食を平らげている。

その光景を、ぼおっと遥香は眺めていた。

ここは恵の家。摩耶山の麓にある日本家屋である。敷地面積は大変大きく、格式と財力を感じさせた。恵に言わせると「戦後に建てたんで、そんなに古くないですよ」だそうだが。

昨夜、力尽きたを抱えた二人は大変だった。とりあえずその場を避難客のふりをして逃げ出し、病院までヒルデガルドを戻そうとしたところひと悶着起きたのだ。病院に電話したところ「蛭田さんなら病室にいますよ?」と返されてわけがわからなくなったのである。あまりに奇怪な状況に、ひとまず恵の家で一夜を過ごしたのだった。

そして今。三人そろって和室での食事である。料理人が作ったという朝食は膳で出された。献立はご飯。鮭の切り身。味噌汁。カブの漬物。海苔。などなど。大変美味なのは幸いである。

「……こうして見ていると、涼子だな」「先輩ですね」

ヒルデガルドと名乗る異世界人は、どう見ても涼子だった。その動作から何からそっくりなのである。体を交換云々以前の問題だ。昨夜の件がなければ担がれてんじゃないかと思う。

「…うん?まあな。こちらにいる時は常に涼子の振る舞いを心がけておる」

「……その顔でその喋り方も違和感があるな」

「じゃ、いつも通りの喋り方しよっか?」

「やめてくれ、本当に涼子と区別がつかない」

頭がおかしくなりそうだった。

「そもそもなんで病院にあなたがいることになっているんだ?」

「ああ。抜けだしたら心配されるだろうから、少しばかり病室に術をかけておいた。わたしがきちんとそこにいる、と勘違いさせるものだ。まあ大したものではない。強い確信を持っていれば破れる程度だよ」

事も無げに言うヒルデガルド。何でもありか。

「このようなこともできるぞ」

取り出されたのはスマートフォン。昨日ヴァラーハミヒラの包丁を受け止めて出来た損傷を、ヒルデガルドはやさしくなでる。

手が離れたとき、それは完全に復元していた。修理リペアの魔法であるが、もちろん遥香や恵には分からなかった。

「―――デタラメにもほどがある」

「我々から見れば、そなたらの方がデタラメだがな」

心底そう思う、という顔をするヒルデガルド。精密機器の大量生産を実現した地球の文明は、自分たちには手の届かないものなのだ、と。

「スマートフォンをそんな簡単に修理できるのに、電子機器も作れないのか?」

「すでに完成した構造を復元するのはさほど難しくない。問題は一から作る場合であるな。

ふむ。単純なもので説明しよう。例えば活版印刷はわたしの世界にもあるが、印刷してはい終わり、ではない。出来た印刷物を確認する必要がある。それも人間が。なぜなら、必ずどこかが間違うからだ」

あらゆる印刷物は精霊のいたずらから逃れることはできない。何も印刷されていないページがあるだけならいい方で、字がどこかで反転していたり、あるいは文章がどこかで入れ替わっていたり、下手をすると全く異なる文章が生成されていたりするのだ。だから本はヒルデガルドの世界では高価である。印刷した後、手書きで修正していく職人がいるからだった。

印刷でこの有り様だから、工場を建ててオートメーション化など夢のまた夢なのだとか。そもそもそれら機械化の前提である物理学自体、精霊のいたずらのせいで発見できないらしい。

「……どんな世界なんだか」

「一言で言い表すなら剣と魔法ソーズ&ソーサリー。だな。ああ、あともあるぞ」

「あるのか!?」

「十二メートルで百トンほどの二足歩行兵器だ。涼子はこれの達人でな。わたしなど及びもつかないほどだ。何しろ初陣で、練達の騎士12人を撫で斬りにしたくらいだからな」

「……」

黙り込む地球人勢。恵は口に出さなかったが、遥香には何を考えているか分かった。「あいつならやりかねん」であろう。基本的には同意見である。

「……ちょっと待て。その大きさでその質量だと、足が地面にめり込まないか?よく歩けるな」

「めり込むのはめり込むが、重量軽減の呪がかかっている。それほど酷いことにはならぬよ」

「……質量まで制御できるのか」

「その通り」

「それにしても、歩兵にいいようにやられそうなものだが。昨日みたいなことができるんだろう?」

「不可能だ。わたしたちは精霊の力を借りて魔術を行使するが、この二足歩行兵器。直訳すると甲冑というのだが、これは強力な精霊の依り代なのだ。生半可な魔法はそもそも抵抗されてしまうし、物理的手段で破壊しようとしても飛び道具は矢除けの加護と呼ばれる魔法で無効化されてしまう。となると残る手段は接近戦だけだが、泥人形―――昨日のあれだ―――の数体程度では太刀打ちできぬ。甲冑は基本的に甲冑でなければ倒せないのが、こちらの戦争だ。

涼子が向こうで戦っているのも、まさしく剣の達人だからだ」

「そう。それだ。聞こうと思っていたのは。

そもそもどういう経緯であなた―――ヒルデガルドさん?と涼子は知り合ったんだ?」

「ヒルダ、でよい。親しい者は皆、わたしをそう呼ぶ。

まあ根本のところはこの名前よ」

「名前?」

「ヒルダと蛭田ひるだ。似たものは同じものなのだ。魔術の世界では。IPアドレスが同一だったら同じものと扱うであろう?

幼少期、異世界の者と言葉を交わすことを試みたわたしは、彼女とつながった。年齢。性別。姿も似ているし、何よりも名前が同じだったことが決定的だったのだろう。まあそれからは毎日おしゃべりしたり、時折肉体を交換して互いの世界を見て回ったり」

ヒルデガルド―――ヒルダは語った。涼子との日々を。半生を共にしたふたりの生涯を。今に至る経緯を。

遥香と恵は、黙ってそれを聞いていた。

「……それで、涼子は戦争しているのか」

「うむ。結果としては負けたが、彼女はよくやってくれたと思っている。敵に一矢は報いた。死ぬはずが、少なくともまだ生きている。

だが、話はここで終わらぬ」

「昨日の男か」

「ああ。奴の名はヴァラーハミヒラ。魔法王アルフラガヌスの懐刀よ。それがこちらの世界にいたということは、生半可な用件ではあるまい。奴の言動を踏まえて考えれば、その目的は恐らく。

―――だ」

沈黙が訪れた。次に言葉が発されたのは、食事も大分進んだ頃のこと。

絞り出すような声で、遥香は尋ねた。

「……確かに魔法は驚異だ。だが、それを言うならこの世界の兵器も強力だぞ。仮に矢除けの加護?がミサイルや核兵器にも効いたとして、それ以外の兵員は銃で撃ち殺せるんだろう?」

「そのはずだ。魔法でこちらの人々を傷つけられる以上、逆も可能と考えるのが妥当だろう」

「それに、聞いた限りではそちらは工業が発達していないようだ。その甲冑、どれだけ生産できる?あの泥の巨人のような労働力があるから、単純な人力というわけじゃないんだろうが」

「そうだな。甲冑1領で、大体建造するのに1年かかる。優れた親方に率いられた工房衆100人が付きっきりでな。そして建造が終われば、工房衆がそのまま甲冑の整備に携わる。だからそんなにたくさんは建造できない」

「なるほどな。

どれだけ強いのかは分からんが、そういう条件下でたった1国が地球侵略なんてできるのか?」

「なんとも言えぬ」

皆が黙った。分からないことが多すぎる。そもそもヒルダの故郷が侵略されたこと自体が地球侵略の布石だったのか。情報が少なすぎる。

皆が黙り込み、しばしの間、食事に専念した。


  ◇


「あと、地球侵略ということは、こちらに直接来ることも可能なのか?」

朝食が終わりに近づいたころ、再び遥香が口を開いた。ヒルダわたしは頷いて答える。

「うむ。ふたつの世界を物理的に行き来するための門を開く術法も書庫にあった。敵も手に入れているだろう」

伝説にはこうある。ハイパティアは故郷を懐かしみ、その様子を探る術や故郷に戻るための術を編み出したという。それと、書庫にあった異世界を探索する魔術が同じものだと数年もの間気付かなかったのは我が身の不覚であった。何しろハイパティアが異世界から来たなど、わたしには思いもよらなかったのだから。

なお、伝承の続きにはこうある。女王が故郷に戻ってしまうのではと恐れた人々を見かねたハイパティアは、自ら術を封印したと。何人たりとも触れることあたわずと定めたのだ。そして現代。1600年の時を経て、封印をわたしが解くに至る。

箸をすすめる中、やがて口を開いたのは恵。

「あの。魔法については分かりました。世界を移動する事が可能なのも。それが偶発的に起きうることも」

「うむ」

「じゃあ。じゃあ、太古の昔、そちらから地球へ来た人もいるんでしょうか」

「……可能性はある。としか言えぬ。そなたの祖先がそうであった可能性も」

「そうですか…」

恵は語った。彼女の祖先は、かつて殷王朝に味方した仙人たちに端を発するのだと。殷が滅ぶときに日本まで逃れて帰化した一派こそが一族の歴史の始まりなのだと。彼女の家に伝わるのは表向きには武術だが、その実仙人との戦いを想定した仙術なのだと。

本当だとすれば三千年前のこと。なんと壮大な話か。

「それだけの歳月の隔たりか。我々の術との間にどれ程の違いがあるか、確認してみたいものだ」

「あ、ごめんなさい。一応門外不出の術なので……状況が状況なんで見せてもいいとは思うんですけど、その前に大婆おおばばさまの許可貰ってこなきゃ」

「ほう。一族の大事だ。存分に話し合われるがよい」

「はい」

「だがまあ、現時点で分かることはあるな」

割って入ったのは遥香。

「魔法は遺伝によるもんじゃない。それはほぼ確かだ。近親婚を繰り返してた訳じゃないんだろう?恵」

「え。はい。普通に地球の人と結婚してるはずです」

「三千年ともなれば何百世代だ?遺伝子は一世代に、両親それぞれのものが半分ずつしか受け継がれない。それもどこがどうなるかはその時々だ。魔法の遺伝子があったとして、とっくの昔に埋もれてしまっているはずだ」

「ほう?ならばそなたは、魔法が何によって受け継がれると思う?」

これは仮説だが、と前置きし、遥香はささやいた。

「ミームだ。恵の場合、幼少期から魔法があるという環境そのものが彼女を魔法使いにしたんじゃないか?」

ミーム。リチャード・ドーキンスが提唱した脳から脳へと伝わる文化の単位のことだ。

「ふむ。なるほど興味深い。どう世界を捉えているか。世界観がそのまま、世界の形を決めるのだな」

「この考えを推し進めると、ヒルダや恵が地球で魔法を使えて、私が魔法を使えない理由も見えてくる。物理法則は世界ごとに異なるんじゃない。個々人で適用されている物理法則の系が違うんじゃないか?」

「ほう。しかしわたしは普通に地球の機器を扱えるぞ?涼子も同様に魔法の品を使うことが出来る。これらは異なる物理法則の産物ではないか?」

「そこで人間原理の出番だ。人間はあらゆる物理法則の系で互換性がある。この仮定の下では、異なる物理法則下で作られたものも使えるはずだ。

―――そうか。魔法は精霊の力を借りると言っていたが、つまり精霊を見えるようにしてもらえば、地球人も魔法を使えるのか?」

「可能性はあるな。どれ」

立ち上がり、障子を開く。印を切り、山裾を下ってくる精霊に語り掛ける。ちょっとこっちに来てくれと。

つむじ風とともに出現したのは―――

「きゅい?」

鎌鼬である。六甲山系ではよく見かけられる霊獣だった。昨夜のような凶暴性はない。あれは精霊の攻撃衝動を増幅して目標にけしかけるという術の結果であって、普段の鎌鼬は人間を―――少なくともわたしを襲ったことなどない。そもそも彼らにも、魔法使いの手助けがなくば普通の地球人は見えない。明らかに魔法の影響下にある涼子は例外だが。彼女は地球でも意識すれば精霊が見えるという。簡単な魔法も使えるとか。

「そいつは昨夜の?」

「うむ。本来は大人しい霊獣だ。危険はない」

「触っても―――いいかな」

「優しく撫でてやっておくれ」

初めおずおずと。やがて繊細な掌が、鎌鼬の毛を撫でた。

気持ち良さそうにする霊獣。

やがて満足したか、鎌鼬は消えていった。実体を解いたのだ。

呆然と、掌を見つめる遥香。

「わたしたちの世界では、子供に初めての魔法を教えるのは親の役目だ。このような精霊との触れ合いを通じて、幼子は魔法を覚えていく。才能のある子なら、神殿に入るか魔法使いに弟子入りしてより高度な魔法を学ぶのだ」

「……そうか。ハイパティアは、こうやって魔法を身に付けたのか」

「恐らく、そうだろう。彼女が地球で生まれたのであれば、精霊を自力で見ることは叶わなかったはず」

「―――少なくとも、最初はそうだろう。だが後には違っていた可能性はある」

それは遥香が何かを閃いたときの顔だった。

彼女は続ける。

「魔法が。そして科学の本質がミームならば、異なるミームに接触することで物理法則の系を乗り換える事も出来るんじゃないかと思う」

「乗り換える…ですか?」

「ああ。

物理法則の系はひとつのパッケージだ。ふたつの法則のは存在しないだろう。だから、属している物理法則が変わるなら、まるごとのはずだ」

だからひとつの世界ではひとつの法則が支配的なわけだ。と遥香は続けた。

なるほど。おおむね同じミームならば同一の物理法則に一括されるわけだな。おおむねの範囲は恐ろしく広いだろうが。

「面白い仮説であるな」

「いつか、機会があったら論文にまとめて発表したいところだ」

「その時は、ここにいるみんなの連名ですか?」

「うむ。涼子も入れてやってくれ」

「そうしよう」

こうして、朝食の時間は終わった。


  ◇


凄まじい形相の遺体だった。

顔を隠していた布を取ったアルフラガヌスの目に入ったのは、腹心の部下の死相。いかな死に方をすればこのような有り様となるのか。分からなかったが、急を聞いて駆けつけた時には既にこの状態だった。

定期的に帰還するこの部下の報告全てを魔法王は聞いていたが、あちらの世界は安全なはずだった。ヴァラーハミヒラが憑依していたのは治安がよく、平和な地域の人間のはず。一体何が起きたというのか。

そこで。

信じがたいことが、起こった。死んでいたはずの老人が、動いたのである。

「……ぉ」

囁くような声を絞り出すと、今度こそヴァラーハミヒラは息絶えた。

「何たることか」

魔法王アルフラガヌスは一言一句たりとも聞き逃さなかった。この忠臣が末期に、無益な情報をもたらすはずもなかったからである。

事実、そうだった。それは、計画の危機を伝えるものだったのだから

「丁重に扱え」

遺体について指示すると、アルフラガヌスは部屋を去った。これから忙しくなる。計画を大幅に繰り上げねばならなくなったから。

地球侵攻の日は近い。

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