第27話 敏馬の社
質素な色合いながらも、歴史を感じさせる社だった。
急な勾配の石段を上った先にある、静謐な空間。樹木によって外界から遮断されたここは、巨大な幹線道路に面しているとは思えぬほどだ。
等々の情報を、手にしたスマートフォンで調べ終えたヴァラーハミヒラは顔を上げた。
「いやはや、便利じゃのう。これは」
ポケットへとスマートフォンを仕舞い込む。
しかし不思議なものだ。魔法文明を持たぬ地球人が、精霊を祀っているとは。
彼の目には見えていた。非常に強力な精霊の気配が複数、神社の敷地内に存在していることを。
にもかかわらず、地球人には精霊が認識できていないらしい。これほどにはっきりした存在感を放っているというのに。奇妙だが、それがふたつの世界の差異なのだろう。あるいは認識できないから、物理法則を測定する際、観測を擾乱されないのかもしれぬ。とすれば精霊を見ることが出来ないのもひとつの才能だな。
ヴァラーハミヒラは考える。
祀られている精霊の側も、人間には興味がないらしい。どうも、あちらからも見えていない節がある。ヴァラーハミヒラが呼び掛ければ応えるのだが。
それはつまり、地球人には精霊を利用できないがヴァラーハミヒラは精霊から助力を引き出すことができる。ということだ。
しかも十分な規模の神殿が目の前にある。大魔術を用いる際に、祭壇を拵える手間が必要ないとは。この規模の施設が、この世界には無数に存在しているという。ありがたい。とはいえ実際に利用できるかどうかは確かめた方がよかろう。
彼は任務を果たすべく、社殿の前に立った。地球侵攻に先立つ偵察こそが彼の役目である。その中には、地球における魔法の挙動についての確認も含まれる。
賽銭箱へと五円玉を投じる。鈴を鳴らし、二礼二拍一礼。生粋の日本人でもなかなか難しい完成された動作を経て、精霊へと願いを奏上する。
はた目には、ごく普通の参拝にしか見えまい。されどその効果は覿面であった。
ぽつり。
空から降りだしたのは、雨滴。雲一つなかった空はにわかに曇りだし、そしてたちまちのうちに暗雲に包まれたではないか。
それはやがて勢いを増し、たちまちのうちに強烈な威力を発揮するまでになる。
水の精霊。現地人が
社の軒先へと入って雨から身を守り、満足気に成果を眺めるヴァラーハミヒラ。術の効力はすぐに失せるだろう。何せ供物が
―――雨が上がったら一旦家へ帰るか。いい加減腰が痛い。他人の肉体とは言え大事にせねば。まだまだ使うのだから。
この肉体の持ち主の意識は眠りについている。ヴァラーハミヒラが憑依を解いて自分の肉体に戻れば、その間のことはうすぼんやりとしか覚えてはいないだろう。便利な術だが狙った対象に憑依できぬのが欠点である。もしそれが可能ならば、こちらの世界の権力者への憑依を試みるだけで事は済むのだが。
と、そこで思い出した。通院の予定があることを。
不審に思われぬためにも、そして健康のためにも行っておくべきであろう。最初の日。あの親切な娘に道案内された病院へと。
ヴァラーハミヒラは、雨が上がるのを待った。
◇
「凄い回復力だな。もう歩けるようになるとは。素直に感心する」
「鍛えてるからね」
病院のロビーでのこと。遥香の言に、
わたしの、というか涼子の癌は結果であって原因ではない。わたしが死の危機に瀕していたから、運命を共有する涼子の肉体がつじつま合わせのために癌になったのだ。あちらの生命の危機が去れば、癌による生命の危険は去る。逆に涼子が生命の危機に晒されれば、わたし本来の肉体もまた別の原因で死が迫る、ということでもあるが。先日の心停止も、涼子が戦いに敗れたからこそそうなった。
今回の戦争、片が付けば長生きを志そう。もちろん、涼子とふたりで。わたしにも野望がある。それも一生を捧げるに足るものだ。他人からすれば大したものではないかもしれないが、わたしと一族にとっては重要だ。初代様。始祖ハイパティアの足跡を辿る、という。
アレクサンドリア図書館の名が地球にもあると知ったのは、涼子と知り合って数年経ってからのこと。テレビの歴史番組で名前が出たのを、涼子が教えてくれたのだ。それからはふたりしていろいろと調べた。古の大図書館が、地球にあったのかもしれない。いつしかその真相の解明こそが、わたしの生涯の目標になっていったといってもいい。本当だとすれば大変な歴史的発見だ。とは言え城の封じられた書庫の記録は膨大である。何年もかけてようやく手掛かりらしきものを見つけた矢先に、これだった。もう書庫を取り戻すことは叶わないだろう。それでも。いつか、アレクサンドリアの土を踏みたい。かの地に1600年ぶりに再建されたという、新アレクサンドリア図書館へ行ってみたい。
そのためにも、生き延びねば。
「あ。ふたりともここでしたか」
思索を中断したのは知っている声。振り返ってみれば、やってきたのは恵だった。わたしも手を振り返す。
「恵。はい」
買ってあった彼女のぶんの苺ミルク。紙パックのそれを、軽く投じようとして。
―――あ。
軌道がそれた。まずい。
わたしの失敗は、しかしフォローされた。より不味い形で。
床に落下するはずだった紙パックは、一旦静止した。空中に。かと思えばそれは再び飛翔。恵の手へときれいに収まる。
精霊が気を利かせた結果だった。
精霊は気まぐれだ。もし完全に無風、完全に同じ力でふたつのものを投じたとしても、常に結果は揺れ動く。精霊がいたずらをして片方を先に地面に落とすかもしれないし、極端な場合ならば両方が真上に飛んでいくことすらあり得る。だから別に、これ自体は不思議でも何でもない。わたしの世界で起きた事ならば。
「……」
しばし、茫然としていたわたしと恵。そして遥香。
「……見たか?」「……見ました」「……うん」
重苦しい空気。どう説明したものか。いや、説明するべきだろうか?分からない。精霊によく言い聞かせておくべきだった。こんなしくじりをするとは!
失敗をどうフォローするべきかで頭がいっぱいだったわたしは、気付かなかった。こちらを見る、もう一組の瞳が存在していたことを。
◇
―――なんだ。何が起きた!?
ヴァラーハミヒラは驚愕していた。自身を除くあらゆる者に対して無反応を決め込むこの世界の精霊が、自ら働く様子を目の当たりにしていたからである。
彼の視線の先。病院のロビー、ベンチに集っているのは3人の少女である。ひとりは先日の娘。残りのふたりは分からぬが、病室着のひとりは恐らく入院患者であろう。
あの三人のうちの誰に、精霊は反応したのか。分からぬ。分からなかったが、調べる必要がありそうだった。とは言えここは人が多すぎる。
ヴァラーハミヒラは、機を待った。
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