第19話 密会
荘厳さすら感じる空間だった。
日干し煉瓦の玉座に座るのは、12メートルの巨体。紅の金属で作られたそれは、下から見上げれば建築物そのものだ。
にもかかわらず、どこか線の細い印象を受けるその構造物は、甲冑であった。この魔法的機械は城の奥深く。半地下の部分にひっそりと祀られていたのである。
ここへと連れてこられた
「―――あの。ハイヤーン卿、これは」
眼前で背を向けているのは王弟ハイヤーン卿。髭面のこの男は、紅の甲冑を見上げていた。
「バルザック卿の件は聞いた。残念だ。奴とは若いころ、一緒に色々とバカをやらかした。母上にこってりと絞られることもしょっちゅうでな」
その話はイーディアも聞いたことがあった。父は、現国王ら王族の付き人として少年期を過ごしたのだと。それは国を支えるエリートを育てるという意味合いもあるし、王族への忠誠心を育むためでもある。
「そなたにこの甲冑を預けたい」
「……聞いてもよろしいでしょうか」
「うむ」
「なぜ、私なのです?」
「まず第一に、これを扱えるだけの魔法に長けた騎士がいない。その点、そなたはバルザックの従士をしていた。例の甲冑。水の精霊を降ろしたあれを動かせたであろう?」
「はい」
「それが重要なのだ。"これ"に宿るのも戦士の精霊ではない。火山の主。その眷属たる精霊を降ろしている。魔法使いならば歩かせることはできようが、戦うとなれば武術の心得も必要だ」
イーディアは頷いた。戦士の精霊が宿る甲冑を戦いに駆り出すのは簡単だ。彼らの司る領域はまさしく戦いであるから。しかし、その他の精霊。火や水といった事物を司る精霊を降ろした甲冑の場合はそうはいかなかった。優れた魔法使いでなければ精霊の協力を得るのは難しい。
ましてや、戦士であり魔法使いでもある者ともなればその数は限られる。これらはそのどちらもが専門教育を長期間受ける必要があるのだ。さらには才能の壁もある。幼少期から英才教育を受けられる富裕層でもその数は少ない。
イーディアは、数少ない例外だった。優れた魔法の素質を備えた
ハイヤーン卿は言葉を続けた。
「そして第二の理由。
これで、ヒルデガルドを守って欲しい。万が一となればあれを連れて戦場から脱出するのだ」
「もちろん、我が身命に賭けて。王女殿下はお守りいたします」
イーディアにとってそれは自明のことであったが、しかし王弟は言葉を重ねた。
「此度の戦、王族が死に過ぎた。あの娘までも死なせるわけにはいかん。
頼んだぞ」
「はっ」
◇
粗末な部屋に、ねっとりとした臭気が漂っていた。
薄絹一枚でベッドに腰かけた女は、壁に目をやった。ぶら下がっているのは毛皮の外套である。
鼻を鳴らし、煙管に火を付けようとしたところで。
「……起きてたのか」
ベッドで眠っていたはずの
「そりゃあまあね。
どこもかしこも殺気立ってる。あたしゃあ王都には長いが、こんなの初めてさ」
「だろうな。
魔法王の軍勢は尋常じゃない。質も量もだ」
「見てきたように言うねえ。あんた兵隊さんだったのかい」
「違うがまあ、似たようなもんさ。最近忙しくてな」
「そうかい。ま、死なない程度に頑張っておくれよ」
「気を付けるとするよ」
客は苦笑。まあ、案じているというには微妙な言葉にはそうもなろう。
「さて。目も覚めたし、運動の続きといくかい」
「はいよ。しっかりサービスしとくか。最後かもしれないからね」
女は、客へと肌を重ねた。
◇
どこまでも続く青空が、上下に広がっていた。
流れていくのは雲。その様子を映し出す鏡のごとき足元は、無限の広がりを持つ水なのだ。
―――ああ。夢だな。
いつも見る夢。毎夜訪れる場所。
だから、
「こんばんは」
そこにいたのは、強烈なまでの白と黒のコントラスト。血のように紅い唇と、等しい色の瞳を備えた驚くべき美貌の少女。
ここは夢の世界。地球とこちら、ふたつの世界の境界線上にある場所なのだ。だからこうしてわたしとヒルダは顔を合わせることができる。
これは、毎夜訪れるおしゃべりの場なのだ。
同時に今は、戦に関する作戦会議の場でもある。わたしたちは互いの情報を密に交換しあっていた。まあ現状忙しいのは主にわたしで、ヒルダはアドバイスに徹してくれていたが。
「思うんだけど、どうしていつもここに来ると背中合わせなの。わたしたち?」
「私たちが表裏一体の存在。ということでしょう。たぶん、だけどね」
返ってきた返事がそれだった。
それは
実際、そう思えるほどに地球とこちらは似ている。科学と魔法というそれぞれの文明の特徴を取り払えば、おそらく区別などつかなくなるくらいに。
ひょっとすれば、ふたつの世界は過去に何らかの形で交流があった可能性もある。わたしたちが会話できる禁呪が残されていたくらいだ。少なくとも、術の生みの親が地球にいた誰かとかつて言葉を交わしていたとしても、何ら不思議ではない。
「そっちはどうだった?」
「ようやく城に着いた。叔父さんと会ったよ。目の下に隈が出来てた」
「でしょうね。今、そっちは一番忙しい時でしょうし」
そこでヒルダは、申し訳なさそうに視線を逸らした。本当は自分がそこにいなきゃいけないのに、と言って。
「気にしないで。適材適所。
あ、でも一つだけ安心したことがある」
「何?」
「ほら。例の、地下に封印されてるっていう甲冑。あれに乗れって言われたらどうしようかと思ってた。どうもイーディアを乗せるつもりみたいだけどね、叔父さん」
「あれかあ。確かに、あれは涼子には荷が重い、かな。でも乗れるのは乗れると思うよ。異世界人なんて精霊が一番好みそうな、珍しいものだろうし」
「そりゃあね……」
ヒルダは極めて高位の魔法使いだ。小学生に上がるか上がらないかの歳のころにはもう、難解な古代の呪文書を読み解いていたという。というか城にあった目ぼしい書物を読みつくしたので、地下に探索に出たのだ。その成果がこれである。
天才、なのだろう。まあ彼女に言わせればわたしも天才なのだが。分野は違うにしても。
「けどまあ、わたしは普通の甲冑の方が性に合ってるかな。飛び道具を気にせず切ったはったできるし」
「言うと思った。
涼子。貴女がとても―――それこそ鋼のようにしなやかで強靭な心を持っていてよかった。こんな絶望的な状況でもあきらめず、戦ってくれてる」
言い終えると、ヒルダはほほえんだ。
女のわたしでもドキッとするような笑顔。これが男ならどうなっていただろう。
この後、わたしたちはたわいないおしゃべりを続けた。
◇
「―――さま。リョウコ様。お体に障ります」
「……ううん……?」
目覚めた場所は、湯気に包まれていた。
振り返るとそこにいたのはセラ。段々と状況を思い出してきた。ここは城内、王族のための浴室である。温泉が引かれているのだった。
石造りの壁に開いた窓から、外を見る。
そびえたつ火山は星明りに照らされ、美しい姿を誇示している。王家の始祖、ハイパティアがかつて登ったというその威容。
彼女が残した禁呪によってわたしは今、ここにいる。こうなることもハイパティアは知っていたのだろうか?
分からない。わからないが、やるべきことをやるしかない。
「ごめんセラ。ぼーっとしてた」
「お気をつけを。さ。湯冷めしてしまいます。お上がりくださいませ」
「うん」
わたしは、浴室を後にした。
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