第15話 戦争の足音
果てしない青空だった。
斜面でのんびり草を食むのは無数の畜獣。ふわふわの毛に身を包んだ彼らはこの世界独自の品種の羊である。
その番をしている羊飼いの女の子は、空を見上げた。
―――いい天気だなあ。戦争なんて嘘みたい。
そんなことを考えてもみるがしかし、それは現実なのだ。歳の離れた兄たちはご領主様に召集されて戦地に向かったし、村には行商人も来なくなって大変だ。仕事は母と自分が勤めないといけない。力仕事は泥人形たちがやってくれるけれど、彼らは頭があまりよろしくないから羊の番はできない。精霊は数字なんて気にしないのだ(気にする神霊もいるけどこちらは逆に四角四面で融通が効かない)。泥人形や粘土人形に頼んで羊の数が合わなくなったら大事である。
だから結局、こういう仕事は人間がするしかないのだった。
戦争が始まる前は、遊びに行くことも、巫女様から魔法や勉学を教えてもらうことも出来たのに。
「戦争なんて、きらい」
ふと出た呟き。
それに答えたのかどうかは分からないが、戦争は彼女の前に歩いてやって来た。それも物理的に。
畜獣たちがざわめきだしたのに、女の子は怪訝な顔となる。
「?」
次に来たのは、振動。それも一度ではない。断続的に繰り返されるそれは、徐々に大きくなっているではないか。
山頂付近の斜面へ目をやる。こんな日も高いのに悪霊でも出たのだろうか?ポケットに手を突っ込み、投石紐とまじないが刻まれた粘土の弾丸を取り出す。それを構えようとした次の瞬間。
斜面より顔を覗かせたものを見て、女の子はあんぐりと口をあけた。
ぬぅ。と出現したのは、兜。それもただの兜ではない。漆黒に彩られた、とてもとても大きな兜だ。牛くらいあるのではないか。
波が引くように羊たちが逃げていく。
呆然としている合間にも、そいつの全容は明らかになっていった。
肩口。胸板。腹部。剣を帯びた腰。頑強そうな脚部。なびかせている重厚なマント。
ただただ、でかかった。隣町の寺院よりなおも大きな鎧武者が、ゆっくりと歩いてくる。それもこちらに。
女の子も話には聞いたことがあった。だが現物を見るのは初めてだ。どんな人形よりも滑らかに動くそいつは、戦いのために生み出された破壊兵器である。
そう。武具なのだ。大変だ。とうとうこんなところまで、敵国の軍隊が攻めてきたんだ!
あまりのことに逃げるのも忘れていた女の子。その手前で、この巨大二足歩行兵器は足を止めた。
かと思えば、その前面。面覆いから胸部までの構造が開いていくではないか。
すべてを、女の子は呆然と見ていた。
できた隙間から身を乗り出してくる者の姿を目にして、女の子は息を呑んだ。何故ならば出て来た者が、あまりにも綺麗だったから。流れるような黒髪と、病的なまでに白い肌。血の色をした唇と、そして瞳を持った女は、口を開いた。
「驚かせてしまってすまぬ。ちと、道を訪ねたいのだが」
女の子は、がくがくと首を振った。それも全力で。
◇
「すみませんねぇ。騎士様に、こんなものしかお出しできませんで」
家の中。
わたしたちは、先ほど出会った女の子の家に御厄介になっていた。この中年の女性は彼女の母親である。もともとは道を尋ねるのと、そして補給を考えてのことだった。今、外では部下たちが井戸から水をくみ上げているところだ。甲冑は排熱を冷却水の蒸発、という形で逃がす。そのため時折水を補給してやる必要があるのだ。
わたしと他数名はこうして先に休憩させてもらっている。操縦者の頭数が足りないせいであった。通常、甲冑の行軍は正副二人の騎士と、そして、見習いに相当する従士がやはり二名。合計四名のローテーションで行われる。戦闘時の操縦は正副どちらかの騎士が担当するが、移動に関してはこの四名で分担しなければへばってしまう。それを、わたしともう一人。とりあえずの操縦ができる(整備作業のためだ)という理由で引っ張り出された工房衆の若者の二人だけで回しているのだから。城塞にいた騎士は本当に、ヒルダを除いて根こそぎ全滅していたのである。せめて後ひとり、騎士が欲しいところだった。
部屋の中を見回す。
枝葉を残した雑木を組み合わせた素朴な囲い。昔ながらの遊牧民の夏の家である。秋が来れば隙間風で凍えてしまうが問題ない。家畜とともに村ぐるみで、より低地へと移動するのだった。
部屋の中では誰も触っていない糸車が黙々と羊毛を紡いでいたし、機織り機は自分で布を織っている。外に作られた、これまた雑木を立てかけただけの囲いの中では羊がめぇめぇと鳴き、そして泥人形や粘土人形が働いていた。
そして、先ほど出会った羊飼いの女の子。
部屋の中でそわそわとしている彼女に苦笑する。
「そんなに、あれが気になるか?」
あれ。外で着座している漆黒の甲冑が、どうも彼女には気になるらしい。
娘の粗相を謝ろうとする母親を制する。
「構わない。見たものをあまり言いふらされるのは困るが、誰かに訊ねられたら正直に答えてよろしい。どうせあんな大きなものだ。嫌でも目立つ。その代わり、あまり詮索はしないでほしい」
「は、はい」
甲冑の肩口には紋章を削り落とした痕。代わりに、突貫作業ではあるが我が国の紋章がペイントされている。友軍に敵と間違われてはかなわない。このあたりは地球と変わらないだろう。まあ世界は違えど、同じ人間がやることである。
提供された薬草茶を飲み込む。岩塩の加えられたそれに、頭がすっきりとした。
「注水、終わりました」
「ご苦労。そなたたちも休め」
「はっ」
部下からの報告に頷く。彼らも長い移動で疲労が蓄積している。この機会に少しでも休ませておきたかった。セラへ、外の部下らにも飲み物を運ぶよう命じようとしたとき。
「あ……あの。騎士様」
「うん?」
「騎士様は、敵をやっつけて、くれますよね?兵隊に行ったお兄ちゃんたちはみんな、帰ってきますよね?」
「もちろんだとも。わたしはそのために戦っている。わたしたち、みんなが」
不安そうな女の子の頭を撫でてやる。やさしく。
「怖いか?」
「はい……この間も、近くで戦いがあった、って聞いたし……」
「なに?」
聞き捨てならない言葉に、わたしは身を乗り出した。もうここまで敵が迫っているとは。
「どういうことか。詳しく話してみなさい」
剣幕に驚いたか身をすくめた女の子の代わりに、母親が口を開いた。
「実は、流水騎士団の生き残りだ、という騎士様が先日、村はずれで倒れておりまして……」
わたしとセラは、顔を見合わせた。
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