第17話 守護者の末裔

大軍の運用とは、一言で言ってしまえば悪夢である。指揮系統も規模も言語も文化も装備も、そして訓練内容に至るまで何もかも異なる多数の領主の軍をひとつにまとめあげねばならない。それも、コンピュータも通信機も存在しない中で、となればそれは大事業に他ならなかった。

そんな状況下、八万もの軍勢を、多数の規格化されていない(しかも通信機器を一切持たない!)巨大人型兵器を統率のとれた状態で、敵に向けて。となればこれはもはや偉業の域にある。

だから、魔法王アルフラガヌスの軍事的能力は疑いようもなかった。

大軍を動かせる者は、それだけで強いのだ。この世界においても孫氏の兵法は通用した。

流水騎士団を破った魔法王の軍勢が、王都にむけて進軍を開始した。という報告を受け取った髭面の男は、頭を抱えたくなった。部下の手前やらないが。

日が射し込む執務室。石造りのそこで、男は部下の報告を聞いていた。

「魔法王の軍勢は、大河を越えて現在は大森林を行軍中とのこと。この分では地獄谷までさほど時間をかけず到達するでしょう。防御に適した地形はあそこが最後です。突破されれば王都の防御は著しく困難になるかと」

「分かっている。

しかしそうか。バルザックは死んだか」

「はい。最後まで果敢に戦い、敵勢に大きな損害を与えたと」

秘書の報告に男は、しばしの間目を閉じた。静かな時間が流れていく。

やがて彼は目を見開くと、口を開いた。

「ほかに報告は?」

「1件。これは朗報です」

「ほう。珍しいな。何があった?」

「はい。ネズミが先ほど帰還しました」

「何?あいつがか」

「ええ。ヒルデガルド殿下が今、こちらに向かっておられるそうで。その先ぶれとして帰還したそうです」

「そうか。しかしあいつを送り込んでおいて何だが、よくぞ生きて帰ってきてくれた」

「生きて帰った、どころの騒ぎじゃあありませぬ。なんでも、敵の甲冑を奪ってきたとかなんとか」

「……そうか。甲冑を見て腰を抜かしてた娘がなあ。12人斬りだけでも驚いたというのに。ヒルダに甲冑の操り方を教えたのは私だが、あの娘の隠れた才能までは見抜けなかった」

「控え目に言って人間業ではありませぬな」

「初代様は武で名を馳せた方ではなかったんだがなあ。誰の血が出たのか」

「心強い限りです。

―――お伺いしても?」

「なんだ」

「何故、あの状況下でヒルデガルド殿下の救出を試みになられたので?困難なのは解っていたはずでは」

「……あの娘は特に仲が良かった、てのはある。私は子宝に恵まれなかったしな」

そして髭面の男は、誰にも言うなよ、と釘を指してから、静かに答えた。

「…陛下がお隠れになられた」

「……なんと」

「最初の合戦からこっち、行方知れずだったが、先日確認が取れた。山間の部族に匿われていたそうだが、傷が悪化してな」

「……」

「この戦、どう転ぶかはまだ分からん。しかし現状王位に着けるだけの力を持っていて、なおかつ生死がはっきりしている王族はあの娘だけだ。死なせるわけにはいかん」

髭面の男。すなわちヒルダの叔父にして国王アレクサンドルの弟たる王族、古の大図書館を守護する者の末。ハイヤーン卿は命じた。

「ヒルダを丁重に迎え入れろ」

「はっ」


  ◇


大図書館。

古に存在していたというこの施設が、一体どこにあったのかの記録は残されていない。ただ、その最後の館長が女性であったこと。幾多の蔵書とともに彼女が逃れてきた地は、人の住めぬ過酷な火山地帯だったこと。館長の名をハイパティアと言ったこと。それらが伝わっている。

その地は、常に火山灰によって空が覆われ、日も差さぬ有様だったという。火山から流れ出す溶岩は頻繁に地形を変え、大地の震えは止まることなく、まるでこの世の地獄のような様相だったとも。

ハイパティアは、火山に住まう精霊と交渉し、その猛威を鎮めることに成功した。不毛の大地が人の住める領域へと姿を変えた瞬間だった。

最初に訪れたのは、鳥。彼らが糞とともに残していった種子から草が生え、虫が育まれ、やがて獣が住まうようになった。

遅れて、人間がやってきた。周辺諸族に圧迫された幾つもの部族が移住してきたのである。彼らは火山の麓に住まうハイパティアを巫女として崇め、彼女の下で結束した。それはやがて勢力を増し、国と呼べるまでに大きくなった。

諸部族に請われ、ハイパティアは女王の座に就いた。知識を尊んだ彼女は命じた。知を蓄えよ。子々孫々のためにあらゆる知識を書き残せ、と。

故に、この国は"図書館の国"と呼ばれるようになった。パイパティアの子孫たち。代々の王は、誇りを持って自らを"古の大図書館を守護する者の末"と名乗るようになったのである。

ヒルダの故郷だった。

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