第4話 魔王来臨
陣幕の内を、星天が照らしていた。
絶景である。陽光の途絶えた夜半、星々が織りなすのは上等な絹のごとき光の帯だ。仮にいつまでも空を見上げていたとしても、飽きることはあるまい。
にもかかわらず、陣の人間たちにその光景を楽しむ余裕はいささかもなかった。
重苦しい雰囲気の中。場の支配者たる男の表情は、険しさと困惑、そして若干の感動が入り混じった、複雑なものであった。
―――まさか、たった一人にしてやられるとは。
昼間の攻撃。万全を期して、完全装備の騎士十二人を送り込んだというのに。そのことごとくが斬られた。完成された舞のような。それでいて冷徹に計算し尽くされた、恐るべき剣。惚れ惚れするような手際だった。三合持ちこたえた者はおらず、ついには敵手に傷ひとつつけることはかなわなかった。敗れた者たちはいずれも選び抜かれた精鋭だったというのに。
あれを討つには四十八人の騎士が必要だ。少なくない犠牲者も。支払えないコストという訳ではない。されど決して安い代償とは言えないだろう。
思案する。
あの城に残存する甲冑は一領。あの白銀の騎士が最後の戦力なのだ。それは、敵があそこから離れられぬことを意味する。この巨大二足歩行兵器の整備には大掛かりな施設と、有能な親方に率いられた工房衆が必要だ。それも、一領につき百人。城に張り付いて守らねば継戦能力は失われる。
決めた。
あの城は無視する。最低限の戦力だけを残して動きを封じ、敵の首都へと攻め上るのだ。かの地に眠る古代の遺産。古の賢者が書き残したという禁呪の数々を手に入れるためにも、このような場所で立ち止まるわけにはいかぬ。
奴らは時間をかけて日干しとしてくれよう。いや。なんならあの騎士。白銀の甲冑の操縦者は召し抱えてもよいかもしれぬ。所領安堵だけではない。加増してやってもよい。四十五年生きてきて、まさが自軍が完膚なきまでに叩き潰される様に感動する日が来ようとは。思いもよらない経験だった。これだから人生というものは面白い。
相手は老練な古強者だろうか。あるいは気鋭の若武者かもしれぬ。楽しみになってきた。
この地を去る前に、挨拶のひとつもしていってやろうではないか。
男は―――無慈悲にして偉大なる支配者、魔法王アルフラガヌスは、星空を見上げた。
◇
癌で死亡する場合、数日前から終日眠っているような状態になる。声かけに対する反応も次第になくっていくのだった。適切な緩和ケアによって痛みや呼吸苦などの身体的苦痛を十分とっているかぎり、良い気分でいられる場合がほとんどである。
だから、その患者。まだ高校生だという少女も、ただ眠っているように見えた。
彼女を担当する看護師は、淡々と仕事をこなしていった。気の毒に思う気持ちはないではない。まだ若いのに。とはいえ、慣れとは恐ろしいもので、その感情は限りなく平坦なものだった。いちいち患者の死を気にするような精神性ではこの仕事はやっていけない。
だから、この看護師の感情が激しく揺り動かされた理由は、少女が死に向かっているからではなかった。
衣擦れの音。それも自分以外の。患者さんの体が動いた?
そちらへ視線を向けた看護師は、見た。今日を越えられないだろうと医師に宣告されていた患者。艶やかな長髪を持ち、やつれていてなお衰えない美貌の彼女が、ごく自然に上体を起こし、こちらへ顔を向けたのを。
「おはよう……ございます。あの。今は、何日の何時ですか?」
◇
「ご回復、お喜び申し上げます」
一通り
体が治った。驚異的な回復力を見せ、自力で食事を平らげられるようになった、とヒルダより聞いて、わたしはびっくり仰天した。完治した訳ではない。されどここ数日は身動きひとつできなかったのだ。寝たきりである。おそらく、敵を撃退した―――死の運命を追い払ったから、今日病死するはずが延期されたのだろう。いや、もう昨日の予定か。
一通りのことを話した後、ヒルダはわたしを送り返した。肉体の交換を拒否したのだ。セラと同じ事を言って。こちらとしても異存はない。わたしが戦って勝てば勝つほど生存率が上がることが実証されたのだから。しばらくこの体で健康を楽しむとしよう。過労死しないかだけが心配である。
「じゃあ、今度こそ本当に寝るね…」
くてん。
毛布を頭からかぶり陽光を遮断。そのまま睡魔が襲ってくる。
わたしは、再度眠りに就いた。
いや。就こうとして、遮られた。突如扉を叩く音。
入室の許可を与えると、息を切らせた若者は告げた。
「敵陣より使者が参りました」
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