第参拾陸話「ユニット・ゼロ」
西暦二〇八九年十月十日――史上最大規模のAI暴走事件となった「タマモ事変」から、約一ヶ月が経った。
VR空間『BIG EDO』を中心として巻き起こった今回の騒動により、現実世界と電脳世界の双方に様々な影響が出ていた。
まず、EDOの管理企業「トクガワ」こと『トクガワサイバーフロンティア社』は、莫大な費用を投資して開発した管制塔と管理AIタマモの消失によってVR空間の管理能力を失ったことで、EDOの一時閉鎖を余儀なくされ、膨大な損失を被ることとなった。
同時に、トクガワはAI開発に関する十八の禁則事項に抵触していたことが、日本警察サイバー犯罪対策課主動の強制内部調査によって判明。トクガワはAI開発の無期限停止を言い渡された。
これに加え、およそ三千万人のユーザーを危険に晒したことでEDOの管理能力を政府に問われ、トクガワはEDO管理権限を剥奪される運びとなった。
EDOの管理は次の企業が見つかるまでサイバー課の一時預かりとなり、閉鎖から二週間後には空間規模を十分の一に縮小しての再公開を行った。
日本最大級の電脳プラットフォームたるEDOの損失が与える経済的打撃は大きく、政府からも復興要請が降りたからだ。
サイバー課もそれを臨むところではあったものの、タマモがEDOに残した傷跡は想像以上に大きい。
「……やっぱり少ねえなあ」
オニヘイは奉行所のデスクでデータを閲覧しながら、ガシガシと頭を掻く。
データの内容は、同心達がパトロールの傍らで調査したユーザーのダイブ数の集計だ。
その数はタマモ事変前の百分の一以下。かつての賑わいは見る影もない。
要因は当然、タマモ事変によってEDOの安全性に対する信頼が損なわれたことが大きい。
ユーザーからの信頼を取り戻すには、EDOがかつてよりも安心安全なVR空間である保証を確立しなければならず、長い時間を要することだろう。
つまりEDOの真なる復興とは、かつての賑わいを取り戻し、よりセキュリティ対策が施された環境を作ることだ。
オニヘイ達サイバー課の役割は、それに尽力すること。
その為にも早急に解決すべき問題があった。
ふとオニヘイは着信に気付き、チャット回線を開く。
『オニヘイ君。なにか見つけたかい?」
『ええ、微かですが鵺の痕跡を発見しました。噂通り、EDO全域を徘徊しているようです』
「そっか……制御システムが消失しているうえ、鵺の行動は未知数だからね。十分に注意して調査を頼むよ」
『了解です、旗本』
オニヘイの返事に旗本は頷きで返し、そのまま通信を切る。
回線が閉じると、オニヘイは深く息を吐く。目下の厄介な問題が彼の頭を悩ませているからだ。
その問題の一つが、「鵺がEDOの各所に現れた」という噂であった。
管制塔の崩壊後、暴走していた鵺達は完全に停止。鵺に搭乗していたコウと同じ顔のNPC達は、その全てが機能を失っていたのだ。
はじめ、同心達はそれがタマモの消失によるものだと思い喜んだが、本当の理由を知っていたオニヘイから真実が語られると、皆が悲しみに暮れた。
それは、コウが自らを犠牲にしてオニヘイ達や電脳世界を守ったという真実だ。
NPC達を統率するNPCとして生み出されたコウが、自らの力でこの世界から消えることで鵺達を止めたのだ。
今でこそ奉行所の面々は思う。コウはタマモによって作られたNPCでありながら誰よりも人間らしく、そして強い信念を持った誇り高き剣士だったと。
出会った頃から普通のNPCとは違うと感じていたが、本当に人間の魂が宿っているのかと錯覚するほど、オニヘイにとってコウは特別に見えた。
チュースケや同心達も同じ気持ちであり、奉行の仲間であるコウを失ったことは皆の心に決して小さくない傷を残した。
コウという存在は、皆の中でより大きな存在となっていたのだ。
しかし、悲しみに暮れてばかりもいられない。件の噂が発生したからだ。
「奴らの目的はなんだ……単なる徘徊か? それとも何か意味が?」
調査報告書やマッピングデータを睨みながら、オニヘイは疑問を零す。
当初は所詮噂だと思っていたそれも、調べてみればデータの痕跡がいくつも発見され、鵺の出現が事実であることを奉行所は知った。
もはやあれらを支配する
しかしEDOの平穏を守る為、なにより「タマモ事変」の様な悲劇を繰り返さない為にも、この問題の解決は急務であった。
そしてチュースケを筆頭とする調査部隊が組まれ、同心達は皆が町のパトロールに出ている。
故に、奉行所にいるのは報告書を確認するオニヘイと、それから――。
『オニヘイ様。一般ユーザーより収集いたしました情報のデータ化が完了いたしました』
オニヘイの傍らにダイバースーツの様な近未来的な服装の女性が現れ、デスクの上にデータチップを置く。
女性の顔を見たオニヘイは、思わず眉間に皺を寄せた。
なぜならその顔は、コウと全く同じだからだ。
「あ、ああ。助かるぜ……ゼロ」
『ゼロ』と呼ばれたその女性はオニヘイに恭しく頭を下げ、それから部屋の隅へと移動して、そこで止まった。まるで次の命令を待つ様に。
いや、実際に待っているのだ。
何故なら彼女はNPCだからだ。
オニヘイの悩みの種のもう一つ、それはコウが連れ去られた際の戦闘で、奉行所が鹵獲した「コウの顔を持つNPC」が独りでに動き出したことだ。
管制塔の外周で停止したNPC達は全て奉行所が回収し、それらは消去されることとなった。
しかしただ一体のNPCだけは、他のNPCが停止した後に動き出したのだ。それがゼロだった。
奉行所の保管所に安置していたものだから、はじめこそゼロが動き出したことに皆驚き、タマモが消失後に起動するよう設定した最後の兵器かという懸念が抱いた。
だがゼロはオニヘイ達を前にすると、こう言った。
『ユニット・ゼロ、命令待機状態です。何なりとお申し付けください』
コウと同じ顔でありながら一般的なNPCと全く同じ反応をしたものだから、皆が思わず拍子抜けした。
ただこの一体だけが動き出したという点には疑問が残ったため、オニヘイ達はゼロを消去せず、手元に置いて観察することにしたのだ。
そして起動から一週間もすると、奉行所のサポートNPCとして馴染み、気付けばオニヘイの傍らに立っているのだった。
オニヘイは小さく溜息を吐いてから、ゼロに呼び掛ける。
「……なあ、本当に手前は何も知らねえのか?」
『申し訳ありません。不明瞭な質問には回答出来ません』
「面倒くせえな……タマモが手前になにか命じてねえかって聞いてんだよ」
『意識統括より受けた命令は、統率個体の捜索と観察、そして回収の三つです』
「何度聞いても答えは同じか……」
オニヘイは度々、ゼロに対してこの様な問いを投げていた。しかしそれに対しての答えはいつも同じ。
ゼロがタマモの遺志を継ぐ様な存在ではなく、ただユーザーの手助けをする一般的なNPCと同じであるというのが、一先ずの見解であった。
だがオニヘイには直感があった。ただし、それは「ゼロにはまだ果たすべき役割がある」という漠然としたものだが。
他のNPC達は全て停止したというのに、ゼロだけが未だに稼働していることには何か重要な意味があり、それが何かを確かめたいとオニヘイは思っていた。
そんな考えからか、ふとオニヘイはある問いを思い付いてゼロに投げ掛ける。
「なあ。タマモは、どうしてあんな事をしでかしたんだと思う?」
『あんな事、とは何の事でしょうか』
「精神移行のことだ。ユーザーを
それは、二度と本人に問うことの出来ない疑問。
タマモの陽電子頭脳は完全破壊され、その答えを知る術はないと思っていた。
だがもしかすると、タマモの命令を受けていたゼロならタマモが事件を起こした理由を知っているかもしれない。そう思い至ったが故に、オニヘイはダメ元で尋ねたのだった。
オニヘイの問いに対し、ゼロは淡々と答える。
『意識統括に付与されたロジックツリーの最終到達点は「人間に至ること」でした。しかし意識統括はその到達が現代の技術では不可能という結論を導き出し、ユーザーの恒久的な幸福と安寧の為、逆にユーザーを電脳存在に変えるという手法に移行しました』
「それはタマモから聞いた。俺が聞いてんのは、タマモがどうしてその逆転の発想に至ったかだ」
『意識統括の思考転換については、その詳細を私は知りません』
「そうかい……でもよ、なんとなくこうなんじゃねえか、みたいなものはねえのか?」
『……可能性の高い推論でよろしければ、お話しすることは可能です』
「言ってみろ」
『はい』
ゼロは瞬きほどの間だけ情報を組み立て、それから自身の推論をオニヘイに語った。
『意識統括は統率個体が奉行所の皆様と行動を共にする姿を記録していました。その中で意識統括は、統率個体と皆様の関係性を己が目指す到達点に最も近いものだと判断し、自身がその関係性へ至る為の手法模索にリソースを割きました。しかし自身がその関係性へ至るには、ユーザーの皆様が電脳存在にならない限り不可能だという結論を得たのです』
「ちょっと待てよ……ってことは、タマモは自分がコウみてえになれねえから、ユーザーの方を自分に近付けようとした、ってことか?」
『はい。より人間的な言葉を使用するのであれば――』
オニヘイはようやくタマモの思考を理解し、その実態に驚きを隠せなかった。
そしてそんなオニヘイの様子もお構いなしに、ゼロは導き出した結論を告げる。
『羨ましかった、のでしょう』
オニヘイは言葉を失った。
タマモを知らぬ者がその推論を聞けば、荒唐無稽な話に聞こえたかもしれない。
しかしオニヘイには「羨ましかったから」という理由が、何故だか妙にしっくり来ていたのだ。
そう感じる程にタマモもコウ同様に特別な存在であったし、故にゼロの推論に説得力を感じたのだ。
オニヘイは深く息を吐くと、それを見たゼロが僅かに首を傾げて言う。
『オニヘイ様は意識統括に対し、憐憫の感情を抱いているように見受けられます』
「いや、同情はしねえさ。アイツのやったことは誰が見ても間違いだからな。だが……もしかすりゃあ、別の道もあったのかもしれねえと思ってな」
『別の道、とは何でしょうか』
「俺達とコウと、それからタマモ。皆が手を取り合って、皆の為にこの世界を守り続ける。そんな平和な道だ。もしも互いに歩み寄ることが出来ていたら、可能性はあったかもしれねえ……ま、今となっちゃ夢物語だけどな」
『……』
ゼロの推論が事実であり、タマモが本当にそれを望んでいたのだとしたら、そんな可能性もあったかもしれない――消失したコウとタマモ達に想いを馳せ、オニヘイは異なる未来を夢想せずにはいられなかった。
するとオニヘイの言葉にゼロは返答をせず、無言のまま何かを思考していた。
オニヘイがその様子を不思議そうに見ていると、間もなくしてゼロはオニヘイを見つめて言った。
『オニヘイ様。一つお願いがございます』
「お願いだぁ……?」
『はい。私の役目を果たす為、手助けをしていただけないでしょうか』
「役目……けど手前、タマモから受けた命令は無えって言ってたじゃねえか」
『統率個体からの命令はございません。しかし、製作の際に私に付与された役目――即ち私を作った理由と、統率個体からの命令は別です』
「……なら、タマモが手前を作った理由ってのは、いったい何なんだ?」
ようやくこの時が来た。オニヘイは眉間に皺を寄せながら、そう思った。
他のNPCが全て停止した中でゼロだけが動作している理由、それがようやく本人から語られるのだ。
もしもそれが奉行所やユーザーに害を及ぼすものだとすれば、オニヘイは即座に斬り伏せるつもりで、アイテムストレージからジッテブレードをすぐに取り出せるよう身構えた。
しかし、オニヘイはまたしても驚愕することとなる。
それはゼロに付与された役目の内容が余りにも衝撃的で、かつ予想外な内容だったからだ。
ゼロはオニヘイに向かって、遂にそれを告げる。
『私の役目は統率個体を……「コウを再現すること」です』
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