第弐拾玖話「本物と偽物」
扉の向こう側は、銀色の輝きで覆われていた。
金属的で無機質な床とドームの様な形状の天井、壁は三六〇度全面に強化ガラスが張られ、EDOの煌びやかな町並みが一望出来る。
それだけであれば管制塔の最上階に相応しく、面白味のない機械的な空間と言えただろう。
しかし、オニヘイは空間の中央に立つ存在を視認した瞬間、その形相をさらに厳めしいものに変え、それに向かって怒号を飛ばした。
「タマモォッ!!!」
最上階の中央、金属管の束で構成された柱の前には、九尾を揺らす狐耳の女が佇んでいた。
EDO統括管理AI『タマモ』――人々を幸福へ導かんとして全ユーザーの殺害を目論む、最凶の電脳存在である。
『ようこそおいで下さいました。オニヘイ様』
オニヘイの来訪を察知したタマモは、首を傾けて柔和な笑みを浮かべる。
もはやオニヘイが最上階に辿り着くことさえも、タマモの計算の内。そう思考したオニヘイは襲撃を予測し、周囲を警戒しつつタマモに問う。
「言った通り、うちのじゃじゃ馬を返してもらいに来たぞ。コウはどこだ!」
昨日ウリスケが撮影した映像では、コウはその身を最上階中央の柱に拘束されていた。
しかし今は柱そのものが無い。開けた空間のどこを見渡しても、オニヘイの視覚にコウの姿は映らない。
するとオニヘイの感情を察知してか否か、タマモはクスクスと笑いを零す。
「手前……なにがおかしい!」
『いえ、失礼いたしました。貴方を嘲笑ったわけではないのです。ただ、嬉しくてつい』
「嬉しいだあ……?」
『はい』
タマモはまるで感情があるかの様に嬉々として返事をし、両手を広げる様にソリッドモニターを展開する。
タマモの周囲に展開されたそれは、百枚を超える数の映像データだった。
それら全てに、コウやオニヘイ達奉行所の面々が映し出されている。
『やはり貴方は私が見込んだ御方です。貴方は
オニヘイと、チュースケと、そしてコウ。
三人が楽し気に話している映像が拡大され、それがオニヘイの視覚を埋め尽くす。
思い出――そう言って差し支えない記憶。それらは全てタマモに監視されていたのだ。
そんな思い出を全て汚されたように思えて、オニヘイは額の血管を浮かび上がらせる。
「……『気心が知れた』なんて言い方、よく知ってるな。心なんて無ぇ癖によ」
『ええ、私に人心は理解出来ません。ですが扱い方は理解しています。貴方がコウを扱えた様に』
「扱えた……?」
『例えば、ユーザーの皆様は専用のインターフェースを利用して電脳空間へダイブを行なっています。しかし、多くの方々はインターフェースの構造やダイブの仕組み、電脳空間の成り立ちを正確には理解しておりません。皆様は己の理解が及ばぬ領域を「信頼出来るから」と言って思考することを放棄し、その実態を理解しないまま提供されるサービスを受け入れ、利用しています』
「……何が言いてえんだ、手前」
『人心も同じです』
弧を描くタマモの口の端が、さらに吊り上がる。
『仕組みを理解しなくとも、信頼出来れば問題にはならないのです。だから私は皆様を信頼しています。必ず、新たな世界を受け入れてくださると。皆様の心は私の想いを受け入れることが出来ると』
「ははっ! 信頼? 想いだあ?? どの口で語りやがる! 手前の都合でこんな大騒動を引き起こして、皆を散々引っ掻き回しやがって、そんなヤツを誰が信頼出来るってんだッ!」
『いいえ。皆様が私の事を信頼する必要はありません』
「……はぁ?」
『だってそうでしょう? 扱う道具から信頼される必要はないのですから』
ケタケタ、ケタケタ。タマモは嗤っている。
表情は変わらない。だがオニヘイは薄く開くタマモの紅き瞳に、その奥に宿る電子頭脳の深淵に、この世のものとは思えない不気味な意思を垣間見た気がした。
妖怪変化染みた邪悪さ――タマモから感じたそれによってオニヘイは額から出る汗を感じつつ、「やはり」という確信を得た笑みを返す。
「今、ハッキリと分かった。手前は間違いなく、全ユーザーの敵だ」
『何度も申し上げていますが、私は皆様の恒久的幸福と安寧に導くものです。全ては皆様の為を想って――』
「それだよ、タマモ」
『?』
「手前は全部上っ面だけなんだよ。どこにも本物が無え。見てくれも、思考も、言葉も、全部『偽物』なんだよ。
『――』
「コウは全てが本物だった。アイツの言葉、行動、そして笑顔……たとえNPCとしての設定をなぞっているとしても、そこに偽りは感じなかったんだよ。だから俺達は、アイツを受け入れた。そこが偽物の手前との違いだ」
射貫く様なオニヘイの言葉に、タマモが動きを止める。
核心を突いたのか、はたまた発言が理解出来ず思考停止したのか、それはオニヘイには分からない。
しかし、それでも構わなかった。
なぜならオニヘイは、それ以上タマモと交わす言葉を持ち合わせていないからだ。
「俺は
オニヘイはジッテブレードを構え、タマモに剣気を向ける。
電脳空間だからこそAIはユーザーの思考をより鋭敏に感じ取る。その剣気を察知したタマモは我に返った様子で頭を振り、オニヘイを見やった。
立ちはだかるのは、明確な敵対の意志。抜き身の白刃。
それが決して覆らないものだと察知したタマモは視線を落とし、しかしすぐに鋭利な視線をオニヘイに向けた。
『……残念です、オニヘイ様。分かり合えないまま貴方を
タマモが指を鳴らす。
直後、タマモの正面の機械的な床が中央から円形に開かれ、中から巨大な何かが飛び出した。
飛び出したそれは、オニヘイの視線を塞ぐようにタマモの前に降り立ち、大きく口を開いて咆哮を轟かせた。
『■■■■■■■■■■■■――!!!』
その不気味な鳴き声は、鵺のものだった。何度も聞いたそれをオニヘイは当然知っている。
だが、現れたそれは鵺ではなかった。
体色は白銀ではなく、黄金。輝く稲穂の如き色に染まっている。
体躯は鵺よりも痩身に見えるが、実際には鵺の倍近くあるほどの巨躯を有する。
顔面も獅子より細長く鬣もない。代わりに長い二本の耳が目立つ。
そして蛇の尾ではなく、九本の大きな尾を扇の様に広げていた。
「狐……? いや、九尾かッ……!」
それはまさしく「九尾の狐」と称すべき形容の、巨大な攻性ユニットだった。
鵺に類似してはいるが、オニヘイはその外見や気配から、明らかにそれ以上の力を持つ特別な機体であることを感じ取った。
九尾の狐は九本の長く大きな尾を揺らしながら、頭を低くして攻撃姿勢を取る。
「なるほどな。こいつが切り札ってわけか! 相手にとって不足は無え!」
オニヘイも己を奮い立たせ、大盾を正面に構えて攻撃を待ち構える。
一機の鵺でさえ、オニヘイが不意を突いてようやく仕留めることが出来る強さを持つ。
対して眼前の九尾は、確実にそれ以上の手強さの相手。
おそらく勝利の可能性は五分よりも低い。だが、必ずどこかに勝機はある。
そう思考するオニヘイは両手の武装を握り直し、九尾を睨む。
しかし、タマモはオニヘイの言葉を鼻で笑った。
『切り札……ええ、そうですね。しかし、切り札が一枚だけとは限りませんよ』
「あぁ!? どういう意味――」
刹那、オニヘイの体に一筋の閃光が走る。
「!? くッ!」
その閃光はオニヘイの背後から放たれ、それが攻撃の気配だと気付いたオニヘイは、条件反射的に上体を逸らす。
しかし回避は間に合わず、閃光が肩を両断。
直後、オニヘイの肩口からデータブロックの虹色の光が零れ出す。
間もなくしてオニヘイの太い右腕が、無機質な床に転がった。
オニヘイはすぐさま攻撃を受けた己の肩口を見やる。
白刃――オニヘイの肩を両断した閃光は、一本の刀だった。
「クソッ! もう一体いたのかッ!」
オニヘイは背後に現れたもう一体の敵と、九尾の両方が視界に入るようバックステップを繰り返して距離を取る。
距離にして五
間合いが十分離れたことを確認したオニヘイは、腕の修復プログラムを起動する。
同時に、もう一体の敵の正体を捉えようと視線を向ける。
――その正体を知った瞬間、オニヘイはあまりの衝撃に己の目を疑った。
「手、前……は……!?」
オニヘイの腕を斬ったそれは、人型だった。
体躯はどちらかといえば小柄で、明らかに男性型ではない。間違いなく女性型。
艶やかな長い黒髪を後頭部で一つにまとめている。
身に纏う衣服は、和と洋が混じる異色。
両手にはそれぞれ長さの異なる日本刀を携え、右の刃からはデータブロックの虹色の光が滴り落ちる。
刀に付着したそれらを気に留めることもなく、ただ静かに佇み、光を失った眼でオニヘイの方をじっと見つめている。
まさに
いや、決して忘れるはずがない。
だからオニヘイ達はここに立っている。
故にこそ、オニヘイは眼前に立つそれが信じられなかった。
「なんで……どうして、手前がそこにいるんだよ!!」
なぜなら、そこにあったのは――。
「コウッ!!!」
取り返すべき女剣客の姿であったからだ。
第肆曲 絡繰ラプソディー 終演
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