第参拾伍話「勝利」


 コウは、この世界に来てからずっと考え続けていた。


 己はなぜ、この様な奇天烈な江戸にいるのか。

 己はなぜ、奉行の真似事をしているのか。

 己はなぜ、ただの一度もオニヘイに勝てないのか。

 己はなぜ、自由自在なはずの夢の世界で最強の剣を手に出来ないのか。

 考えても考えても、己の力で答えを出すことは叶わなかった。

 それは見るもの、聞くもの、出会うもの、敵対するもの、それら全てが所詮は夢現であり、まやかしであると思っていたから。

 何の意味もないものだと思っていたからだ。


 しかしコウはオニヘイ達の人情に触れ、剣聖から受けた教えによって気付いた。

 見たもの、聞いたもの、感じたもの、その全てが本物なのだと。

 あるがままを受け入れて糧にすることで、己の心は成長するのだと。

 その心こそが、己が何者なのかを定めるのだと。


 そして遂に、コウはこの世界に来た意味を理解した。

 出会った仲間や世界を守る為、なにより己が剣道を極める為に、タマモを斬ることが己の役割だと。全てはこの瞬間の為だったのだと。

 現実の己では到底扱えない絶技――天空に伸びる長大な光の刃を見て、コウはそう思い至った。

 故に、コウに迷いはない。


「しぃいいいえああああああああああああああああああッッッ!!!!!」


 気合いの一声と共に振り下ろす光刃は、コウの剣気の具現。

 すなわち「仲間を守る」という想いの現れ。

 今のコウの心は、如何なるプログラムをも破壊する『鬼切』を再現出来るほどに強く、そして洗練されていた。

 刃は豆腐を切るが如く管制塔の壁を斬り進み、そのまま一切止まらずに浮遊するタマモへと迫る。

 今度は紙一重で回避出来る様な余地など与えない。それほど巨大な刃だ。


 ――だが、タマモも黙って消去されるわけがない。

 

能力命令アビリティコマンド瞬間転送インスタントエスケープ――』


 理解不能な状況を前に処理速度を大幅に引き下げられながらも、タマモは眼前に迫る危機の回避を図る。

 瞬間転送――それは自身を最大五百メートル離れた場所へ転送させる、緊急回避手段だ。

 タマモはこれを使用して管制塔の外へ逃走し、鬼切の刃から逃れる気なのだ。

 もしも逃走が成功してしまえば、今度こそオニヘイ達の作戦は失敗。

 電脳世界がタマモの手に落ちる。


「させるかッ!」


 もっともそれは、が居なければの話だ。


「コイツをくらえッ!!!」


 両足を失っているオニヘイは這い蹲ったまま右手を翳す。

 その右手には円形の「鏡」が握られていた。

 オニヘイの声を発動の合図として、鏡から眩い白光が勢いよく放たれる。

 予想外の場所から放たれたそれにタマモは今度こそ反応出来ず、白光が転送直前のタマモに直撃する。

 瞬間、タマモのアバターにノイズが走り、動作が完全に停止する。


『こ、れは――』

「チュースケお手製の『システムキャンセラー』だ!」


 その鏡は作戦前、チュースケがオニヘイに渡していた、急ごしらえの足止め装置。

 数秒間だけ対象を拘束して機能を完全停止させる、妨害プログラムである。

 タマモを伝承の大妖怪として例えるなら、このプログラムは「照魔鏡」と呼ぶべきものだろう。

 いざとなったら使えと言われていたオニヘイは、この土壇場の為に、確実にタマモにトドメを刺せると踏んだこの瞬間の為に、発動の機会を待っていたのだ。

 照魔鏡は転送処理やアバターの投影機能すら止め、巫女服の狐女の姿を薄れさせる。

 これによってアバターの中に隠されていたが、オニヘイ達の前に現れた。


 それは、手のひら大の漆黒の球体。

 研磨された石の如きそれこそが、無機質で生物の形すら持たないそれこそが、タマモというAIの正体だった。


「「いけぇええええええええええええええッ!!!」」


 コウとオニヘイの声が重なり、刃が加速する。

 刃はEDOを守りたいと願う全ての人々の想いを受け、突き進む。

 もはや刃を止めるものは何もない。


 そして遂に、光の刃が漆黒の意思を斬り裂いた――。




 


 ガラス壁の向こうから射す暖かな光を浴びながら、コウは足元のものをじっと見つめる。

 真っ二つになった球体は管制塔の床に転がり、ぽろぽろと崩れる様にして虹色のデータブロックに溶けていく。

 それはコウの刃が鬼切と同じ力を成し、タマモのAIを完全破壊したことにほかならない。

 陽電子頭脳の回路も焼き切れ、二度と再生不可能となるまで破壊されたことだろう。


『私は――皆様、の、為――この世界、を――皆様を――新たな、世界へ――』


 消滅していくタマモの断末魔が、辛うじてオニヘイの耳に届く。

 タマモが生まれた理由、あるいはタマモの願い。

 それがねじれ曲がり、この様な大事件に辿り着いてしまったのだろう。そう思い至ったオニヘイは少し哀れに思いながらも、その最期を見届ける。


『私、も――皆、様と、一緒に――』

「おめえはここまでだ。縁がありゃ、次の世で会おうぜ」


 タマモの最後の一言には、刀を収めるコウが答えた。その表情はとても晴れやかだ。

 やがて球体は電脳世界から消失し、タマモは虚無へと還った。


 九尾ユニット達もタマモを同じ様に消滅し、管制塔には久しき静寂が訪れる。


「いぃ~……よっしゃぁあああああああああ!!!」


 次の瞬間、オニヘイが仰向けになって拳を天に突き上げ、喜びの叫びを上げた。

 奉行になってから最大の事件を解決し、ユーザーへの被害を未然に防ぐことに成功したのだから、叫ばずにはいられなかったのだ。

 そして間髪入れずにウリスケからのチャット通信が届き、オニヘイは作戦の成功を報告すべく回線を開く。


『筆頭!』

「おう、ウリスケ! 今夜は祝勝会だ! ありったけかき集めて――」

『止まらないんす! 止まらないんすよっ!』

「あぁ? なにがだ?」


 ウリスケの声には明らかに動揺が表れていた。

 その理由は、ウリスケ自身が明らかにする。


『鵺が……鵺が、止まらないんすっ!!』


 ウリスケがモニターをオニヘイに共有し、管制塔の外の光景を映し出す。

 そこにあったのは、あり得ないはずの光景。

 同心達と大量の鵺が大乱闘を繰り広げる激しい戦場の光景だった。

 タマモが消えたことで鵺の分身体は消滅しているが、それでも百体近い数が未だに暴れ回っている。


「なんだよ、こりゃ……タマモはもう消滅してんだぞッ! 鵺も止まるんじゃねえのかよ……!?」

『分かんないっす! 分かんないっすよ! と、とにかく! これ以上は防衛線を維持出来ないっす!』


 当初より鵺の数が減っているとはいえ、そもそも作戦はコウを奪還し、タマモを止めるまでの想定だった。

 これ以上の戦闘を続けるのは、消耗している同心達には耐えられないだろう。


「くッ……ウリスケはチュースケ達のアシストを! それから総員に撤退を――」

「その必要はねえよ。オニヘイ」


 オニヘイの言葉を遮るようにして、コウが床に倒れたままのオニヘイの傍らに立った。

 コウは足を失ったオニヘイの体を起こし、その大きな体を肩に担ぐ。

 

「おいコウ! どういう意味だ! ってかなにやってんだ手前てめえ! どこに行く気だ!?」


 コウはオニヘイを担いだまま、管制塔のガラス壁に入った亀裂に向かって歩き出す。


「玉藻前が言ってただろ? おれは鵺共を操る存在だってよ。つまりおれの体がここにある限り、鵺共は止まらねえってことさ」

「なら、それこそ手前の力で止められねえのかよ!?」

「おれに出来るのは刀を振ることだけだ。おれの意思は関係ねえ。それに……もう限界が近え」

「限界? なにを言って――」


 コウはやがて壁際に辿り着き、外を見やる。

 コウの瞳には、光輝くEDOの街並みが映った。

 ふと己の右手を見やれば、指先が虹色に光り、そして僅かに綻んでいた。


「オニヘイ。おれはずっと夢を見ていると思っていた。こんな奇天烈な江戸の町に来て、奉行の真似事をやって、妖怪共を相手にするなんざ話、夢以外に考えられなかったからな」

「コウ、お前、なにを……」

「でもよ。たとえ夢だったとしても、おれにとっちゃ全部本物で、ここでの事は全部おれの心になる……そう思ったら、やることが見えて来たのさ。この夢は……おめえらは、おれが守らねえと、ってな」


 コウは再度抜刀し、刀尖で壁を撫でる。

 刹那、壁に円形の亀裂が走り、そこからガラス壁がばらばらと崩れ落ちる。

 壁の隙間は大きな穴へと変わった。人間が三人同時に通れる程には大きく、一般ユーザーより二回りは大柄なオニヘイも余裕で通れる程の大穴だ。


「オニヘイ。これからも守れよ、この町を」

「コウッ! 待っ――」


 コウは担いでいるオニヘイの襟を掴み、大穴目掛けて――。


「そおりゃッ!!」


 全力で投げた。

 開眼によって強化されたコウの膂力により、オニヘイの体はまるで流星の如く空を翔ける。

 悲痛な叫びを木霊させながらオニヘイは同心達の頭上さえも飛び越し、そのまま防衛線の内側で落下した。

 オニヘイが戦線から離れた場所に落ちたことを確認すると、コウは空間の中央へと戻る。

 己が為すべき事を果たすために。

 

「……あばよ、お節介焼きの奉行共。けっこう楽しかったぜ」


 コウは背後に広がるEDOの街並みを一瞥してそう呟くと、今度は天を望む。

 瞳に映るのは青空。それはコウが元いた世界のそれと何も変わらなかった。

 それを見てふと口元が綻ぶのを感じつつ、コウは刀を垂直に立て、刀尖を蒼天に向ける。


「“天神一刀――”」


 刀身から剣気が迸り、刀尖には日輪を顕す。

 これより繰り出すは全身全霊の一刀。

 刃から全力の剣気を放出し、再び天へ伸びる光柱を生み出す。


 それは最後の輝き。

 コウが歩む、未来への道の標だ。


 コウは渾身の力でその光を振り下ろし、そして――。


「“夢幻開闢むげんかいびゃく”!!!」


 世界を包み込んだ。


 




 卍






 管制塔の外周で繰り広げられる戦線は、混沌を極めていた。

 タマモの制御を離れた鵺達に統率はなく、本来備わる戦闘機能でひたすら暴走している。

 その暴走は視覚のみでは判断出来ず、同心達は作戦成功の瞬間まで、より苛烈となった鵺達の猛攻をひたすら耐えるばかりだった。

 守りの要であった先導者ヴァンガードのほとんどが装甲や脚を砕かれ、機能不全に陥っている。動ける機体は二十機余り。

 対する鵺の数は五十機を超えており、一機に対して同心達が三人がかりで抑えている。

 しかし、長時間の戦闘に同心達の精神は消耗の一方。


「くッ……このままじゃ持ち堪えられないッ!」


 同心の一人が皆の心情を代弁して叫ぶ。

 防衛線はまさしく、崩壊目前であった。

 辛うじて耐えられているのは、彼等がまだ諦めていないからだ。


「みんな踏ん張ってくれ! もう少しでオニヘイ達が――」


 分身で鵺を攪乱しながら、チュースケが皆を励ます。

 オニヘイとコウが必ずタマモを倒す。それまで自分や仲間達が耐える。

 そう信じて、チュースケは戦場をひたすら走り回っていた。

 鵺の爪が触れるギリギリまで接近し、攻撃を誘発しては回避を繰り返す。

 非常に有効で、かつ危険な動き。しかしそうでもしなければ同心達を守れないとチュースケは思ったのだ。


 コウゥゥゥゥゥッ――――!!!


 その最中、頭上から男の叫びが聞こえてチュースケは空を一瞥。

 するとそこには、空を飛ぶオニヘイの姿があった。

 オニヘイはそのまま戦線から数十米後方に落下し、大きな音を立てる。

 あまりの突飛な光景にチュースケは思わず目を丸くする。


「オ、オニヘイ!? あいつ、なにして――」

『筆頭補佐! 後ろッ!』


 刹那、回線からウリスケの叫びが木霊し、チュースケはすぐさま後方を振り向く。

 そこには、目前まで迫る鵺の姿があった。

 捨て身の如き猛突進により、鵺の足はチュースケの回避速度を千分の一秒だけ凌駕する。

 そして、チュースケは直前の回避行動によるクールタイムの最中。つまり足が動かない。

 鵺の攻撃を受ければ精神移行によってダイブ病となり、現実には戻れなくなる。

 即ち「死」だ。死が、チュースケの目前に迫っていた。


「ここまでかッ……!」


 避けられない。そう直感し、チュースケは両腕で防御の体勢を取りながら、目を瞑る。

 チュースケはついに、死を覚悟した。


 ――が、いつまで経っても、チュースケの体に突進の衝撃は訪れなかった。


 不思議に思い、目を開けたチュースケは、眼前のそれに戸惑いを隠せなかった。


「鵺が……止まってる……?」


 鵺はチュースケに剛爪を立てる直前で、停止していたのだ。

 それも、チュースケの眼前の鵺だけではない。同心達が必死に抑えていた他の鵺達も、全てが動きを止めていたのだ。

 同心達が困惑する中、さらに轟音が生じ、大気を揺らす。

 全員がその音の発生源――管制塔に注目した。


 管制塔は、天に伸びる巨大な光に包まれていた。


 それは管制塔の最上階から生じており、光の中で管制塔は崩壊を始めている。

 管制塔を構成する壁や床は崩れ落ち、地面に落下した箇所から虹色のデータブロックへと変わって、それらは電子の海に溶けていく。

 やがて管制塔は跡形も無く消え去り、同時に光も収束する。

 光の柱が消え去ると、管制塔があった場所は更地と化していた。

 同心達は何が起こっているのか理解出来ず、互いに顔を見合わせる。その答えを求めて、周囲を見回す。


 すると――。


『総員に、通達ッ……!』


 同心達全員に繋がる共通チャット回線が開く。

 皆が聞いたその声は、オニヘイのものであった。

 戦線の背後へ落下したオニヘイはすぐさま立ち上がって管制塔を見やり、その崩壊を目にしていた。

 オニヘイは理解したのだ。コウが成し遂げたことを。

 同時に、コウがどうなったのかも。

 オニヘイは歓喜とは別に湧き上がる感情を必死に堪え、拳を強く握り締めながら宣言する。


『俺たちの……勝利だッ!!!』

 

 直後、オニヘイの言葉を聞いた同心達の歓声が上がる。

 被害者を一人も出さず、凶悪なAIの企みから全てのユーザーを救った。

 まさしく大勝利。全てが終わったのだ。




 だが、そこに女剣客の姿は無かった。

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