第参曲 妖怪セレナード

第拾肆話「AI夢想」


 日が昇る少しばかり前のこと、コウは奉行所の一室で微睡まどろんでいた。

 その部屋はコウの為に用意された部屋であったが、これまで彼女がその部屋で眠る事はなかった。

 理由は、全く眠くならないからだ。

 コウは自身の夢だと思っているこの世界に来てから、睡眠を必要としていなかった。

 それまでは日が暮れてしばらくすると眠気に襲われていたものだが、現在は習慣付いた時間的な睡眠欲も湧くことがなく、夜はただずっとネオンの光に満ち溢れたEDOの町並みを眺めていることが殆どだった。

 しかし今日だけは違う。コウは久しぶりに強い眠気を覚えていた。

 それは何かに誘われる様な感覚で、圧倒的な強制力があった。

 コウは間も無く陥る睡眠によってこの夢から覚めることを僅かながら危惧したが、もはや抵抗する余地も、考える時間もなかった。


 コウの意識は久しぶりに深みへと落ちた。







『――果たしなさい』


 夢想の中で揺蕩たゆたうコウの意識に呼び掛ける声があった。

 コウはそれが女の声だということだけは分かったが、その声に聞き覚えはなかった。

 同時に、夢の中で眠っても夢が覚めない事に気付いて安堵した。オニヘイを一度も倒さずして、夢から覚めるわけにはいかないからだ。

 夢の中で夢を見るというこれまた奇妙な状況に軽く笑いを溢しつつ、コウはその声に対して率直に尋ねる。


「おめえは誰だ?」

『私は貴女の意識統括。貴女は務めを果たさなければなりません』

「何の話だ?」


 普段なら即断してもおかしくない意味不明な会話だが、夢だと理解している為かコウは声が語る言葉をさらに聞こうと考えた。

 長い夢を見続けている今の状況について、何か分かるかもしれないと思ったからだ。


『準備は既に整っています。付与された役割と命令に従い、行動を開始して下さい』

「役割? 何の事だかさっぱりだ」

『記憶領域の破損症状を確認……否定。意識領域の混線と仮定……対象処理決定』


 声はコウの理解が及ばない言葉を並べていく。

 眠りの中でなければ痺れを切らしていただろうコウは、その声が自分の分かる言葉を話すのを待った。

 というよりも待つしかなかった。意識が覚醒する気配もなく、不思議と目覚めようという気持ちが湧かなかったのだ。

 瞬く間か、あるいは果てしなく長い時間だったのかは分からないが、コウは再び声を聞いた。


『鵺を探しなさい』

ぬえ? 鵺って、あの鵺か? おれは妖の類は信じねえタチなんだが――」

『急ぎなさい。場所は分かるはずです。見つけ出しなさい』


 コウは声が遠ざかって行くのを感じた。

 思いのほか自身の眠りは浅かったのだろう。

 しかし声が語る言葉の意味は全く理解出来ずにいた。これでは声を待った意味がない。

 夢想の手を伸ばし、コウはその声を引き留めようとする。


「待てよ! さっきから全然意味分からねえぞ! というか見つけてどうすんだよ!」


 とにかくコウは声が示した道筋が何なのか理解しようとしていた。

 自身の状況について何か掴めるかどうかはもはや期待していなかったが、それでも彼女はその声が示すものを知りたかった。

 すると声は、夢想の終焉の際に言葉を残した。



 何故だかその言葉は、コウの中にすとんと落ちた。







「……コウ! おいコウ!」

「ん……ふ、ぁぁあ〜……よく寝たぁ……え、なんだよお前ら。どうした?」


 コウが一時の夢想から目覚めると、チュースケと三人の同心が怪訝な様子で彼女の顔を覗き込んでいた。

 よく分からない状況にコウは忙しなく辺りを見渡すと、既に日は昇って町が明るくなっていることが分かった。

 コウのその様子を確認したチュースケ達は、揃って安堵の息を吐いた。


「なんだ寝てただけかぁ……良かったぁ〜」

「だからなんだってんだよお前ら……なんか気味が悪いぞ」

「いやぁ、お前さんこの時間はいつも起きてるだろ? でも今日は表に出て来なかったから、当直のやつが様子を見に行ったら死んでるみてーに起きねーし、何度起こそうとしても起きる気配がなかったからさ、心配だったんだよ」


 チュースケの言葉に頷きながら、後ろにいる同心達が「よかったよかった」と嬉しそうな様子で口々に話す。


「まさかNPC……じゃなかった。コウでも寝坊することがあるんだな!」

「というか寝るんだな。俺夜勤の時にコウが寝てた所一回も見たことなかったぞ」

「寝息も立ててなかったし……は当然か。でも見た目完全に死んでたからな。死んでなくて良かったよ」

「そ、そうかよ……」


 同心達が話す姿を見たコウは、少し驚いた様な表情を浮かべた。

 チュースケはともかく、普段からあまり話すことのない同心達が自分を心配していたことが心底意外だったのだ。

 それもそのはずで、この前のゴエモン捕獲作戦の活躍もあってコウに対する所内の評価は著しく上がっており、既に同心達からは仲間だと思われているが、そのことについて本人が気付くきっかけは今まで全く無かったのだ。

 コウはどこかむず痒さを覚えつつ、気恥ずかしさを誤魔化すように一つ咳込んでからチュースケに尋ねた。


「チュースケ、オニヘイは? 姿が見えねえけど」

「ああ、あいつは今日は昼過ぎに来るぞ。そうか、いつもの朝のイチャコラが出来なくて不貞寝してたのか?」

「いちゃこら……?」

「はは、そっか! コウは筆頭大好きだもんな!」

「はぁ!?」


 にやけ顔を浮かべる同心の言葉を聞いて、コウは荒げた声を上げた。

 決してコウはオニヘイに対してその様な感情を抱いていない。しかし本人にとって余りにも突拍子な言葉だった為、思わず声が出てしまったのだ。

 そして同心達も彼女のオニヘイに対する執着だけが凄まじいものだから、オニヘイ本人を除く奉行所の皆がその様に勘違いしている。

 尤もチュースケはコウの事をある程度理解しているので、ただからかっているだけだ。


「そうしたら俺達悪いことしたな。やっぱり眠り姫を起こすのは王子様の口づけってのが定番だろ?」

「おいおい、筆頭は王子様って柄じゃないって。絶対本人も嫌がるよ」

「確かにな。見た目は鬼だし、それ言った瞬間殴られそう」

「しかしこんな美少女と毎朝二人きりで汗を流してるなんて、筆頭が羨ましいぜ。中身はともかくな」

「言い方。あとVRだから汗はかかねえけどな。でもまぁ、確かにコウは顔は良いもんな。中身はともかく!」

『ワハハハハハハ!』


 同心達の笑声が室内に響き渡る。

 安心して気が抜けた故に弾んで出た軽口だったのだろう。決して彼等に悪気があった訳ではない。

 しかしコウは彼等の口調がどこか癇に障った。いや、からかわれていると直感してしまったのだ。

 コウは徐に立ち上がり、同心達の首の根を掴んだ。

 この時既にチュースケの姿はその場に無かった。


「そうか……そんなにおれとやり合いてえか、お前ら」

「え?……あ、いや、そういうわけでは〜……」

「遠慮すんなよ。ほら、オニヘイも居ねえことだし、相手しろよ。誰からやる? それとも二人掛かりか? いや、一人二人じゃ面倒くせえな」


 コウの双眸に妖しげな光が灯る。この瞬間、同心達は悪寒が走りその場からに必死に逃げ出そうとした。

 しかしコウの腕力は同心達三人の力を前にしても歯が立たず、コウは彼等の首根っこを力強く引っ張ってそのまま力尽くで剣道場へと引きずって行った。

 哀れな同心達に逃れる術はない。


「まとめて相手してやるよォ!!」

『イヤァアアアアアアアアア!!!』


 男達の情けない悲鳴が奉行所に木霊した。






 卍






 時刻は午後一時に至る少し前。

 久しぶりの午前休を取ったオニヘイこと長谷川は、現実リアルの自室にてPC端末を使用して調べものをしていた。

 画面には日本語のテキストデータが展開されており、そこにはある人物の名前が記載されていた。


白井シライ トオル……これだな」


 長谷川が閲覧していたデータは『白井 亨』という名の剣客について記載されたものだ。

 データによればこの人物は江戸時代後期に実在した剣客であり、天真一刀流開祖にして江戸時代最強を誇った寺田宗有、音無しの剣を振るう中西道場師範代の高柳又四郎と並び「中西道場の三羽烏」と謳われた。

 若い頃には武者修行の旅に出ると、数々の道場で試合を行って高い評価を得た。

 また齢三十の頃には寺田宗有より天真一刀流を継いで二代目となり、その後は自身で天真伝兵法を創始した。

 その剣の腕前は明治時代の剣豪が「二百年来の名人」と称する程に凄まじいものだったという。


 何故、長谷川がおよそ三百年前の剣客の事を調べているのかというと、半分は個人的な理由だが、もう半分は仕事に関係していた。


『筆頭! 調べものはどんな感じっすか?』


 PC端末の画面にボイスチャットが展開され、分析官のウリスケの声が長谷川の耳に届いた。


「見つけたぞ。やはりコウには元ネタがあった様だ。分析データの送付、助かった」

『お安い御用っすよ。しかしまさかNPCの作成記録をそのまま元ネタの生年月日にするとは……コウちゃんを作った人間は相当凝り性っすね』


 長谷川は未だ謎の多いNPCであるコウの事を調べる為にウリスケから受け取ったコウのデータを閲覧し、作成記録にあった江戸時代の日付を元に調査を行なっていた。

 結果、長谷川は作成記録に記載された生年月日と同じ生年月日の剣客を見つけ、その名前から『白井 亨』がコウの元ネタであると行き着いたのだ。


「白井 亨……確かあの時、コウは『白井亨義則シライコウノヨシノリ』と名乗った。『亨』の字は「コウ」とも読むし、間違いなくこの剣客が元ネタだろう」

『みたいっすねー。なんで女体化させたのかは分かんないっすけど……まぁそれも製作者の趣味っすかね』

「実は白井 亨も、本当は女だったりしてな」

『あー、ありますよね。正史では男だった偉人の性別が実は女だった、って設定の作品。有名なやつは十年代から二十年代にかけてスマホゲームがかなり流行ったとか』

「実際、江戸時代には男のフリをしていた女剣士が実在したらしいぞ。新撰組の中澤琴とかな」

『へ〜、さっすが筆頭! 博識っすね!』

「こんなもんはただの予備知識だ」


 長谷川は昔から日本の時代劇が好きで、よくネットドラマを閲覧したり電子書籍を読んでいた。

 それもあってか、コウのデータからすぐさま江戸時代関連の資料を漁り、長谷川がこの結論に至るまでそう時間はかからなかった。

 しかし、コウという存在の核心に迫る情報を見つけることは叶わなかった。


「結局元ネタが分かったところで、コウの謎が解明されるわけじゃなかったな」

『そもそもコウちゃんの謎は、あのNPCらしからぬ人間っぽさっすからね。どっちかというとAI関連を調べた方が良かったんじゃないっすか?』

「その辺りはからっきしでな。ITは手前に任せる」

『了解っす、色々調べてみますよ。少し時間は掛かるかもしれないっすけど』

「頼む。こっちは本人と直接話してみる。色々調べたし、話すネタには困らねえだろうしな」


 コウに搭載されたAIに白井 亨の情報がどれだけ入力インプットされているかは不明だが、あれだけ凝った作りをしているなら、少なくともネット上に撒布されている情報程度なら網羅しているだろう。

 尤もコウの外見年齢は十代なので、その年代の白井 亨としての知識しか入力されていないのであれば、あまり参考には出来ない。

 白井 亨本人の著作を読んでみるのも一つの手だが、おそらく少年期の事はあまり書いてないだろうと長谷川は思い至った。

 そしてNPCとしてのコウを知るならば、長谷川はもう一つの手段を知り得ている。


「それに、一つアテもある」

『トクガワが開発した噂の最新AIっすか?』

「耳が早えな。情報解禁したのか?」

『その様子だと筆頭は既に知ってたみたいっすね。EDO統括管理AI『タマモ』……情報誌によると「ユーザーに最適な環境を提供するべく、ユーザーの各種データを参考にしてあらゆる施策を講じることが出来る進化型AI」だとかで、業界での注目度は最上位っすね。確か、明日にはインターフェイスの稼働が開始されるって話っすよ』

「なら、早速質問しに行ってみるかな。コウみてえに面倒くせえAIじゃなけりゃいいんだが……」

『流石に全ユーザーと対話するAIっすから、そこは配慮されてると思いますけどね』

「だと良いけどな」


 そもそも長谷川は機械的な受け答えしか出来ないAIと会話する事が、あまり得意ではなかった。

 しかしいざコウの様な人間らしさ全開タイプと話をしてみると、これはこれで面倒だという事がわかってしまい、長谷川はより一層AIとの会話を苦手としていた。

 せめて最新のAIはストレスフリーであってほしいと願いつつ長谷川は時計を確認すると、出勤時間が迫っていることに気が付いた。


「おっと、そろそろ仕事の時間だ。昼休み中に時間取って悪いな」

『いえいえ、これぐらい片手間っすよ。というか筆頭、今日は全休じゃなかったんすか?』

「むしろさっきの調査の為に休み取ったんだよ。隣にコウが居たら喧しくて調べものなんか出来ねえからな」

『どんだけじゃじゃ馬なんすかコウちゃん……それじゃあ、俺も失礼しますね。何か分かったら情報共有お願いするっす!』


 その言葉を最後にボイスチャットは終了した。

 それを確認すると長谷川もPC端末から離れ、眼鏡型の専用機器を装着してリビングの長椅子に腰を掛けた。

 これでダイブの準備は完了だ。

 長谷川は一息吸って、機器の側面にあるダイブ開始のスイッチを押す。


 間も無くして長谷川の意識は、深い電子の海へと誘われた。






 意識が明瞭になり、視界にはEDOの奉行所の中が映った。

 ダイブが完了したことを理解したオニヘイは辺りを見渡すと、奉行所内がいつもより静かなことに気付く。

 全員パトロールに行っているのかと思いきや、奉行所共有のアイテムストレージを確認すれば、同心の半数以上の武装は奉行所に残ったままだった。

 揃ってまだ昼休憩中かとも思ったが、時刻は既に十三時半を回っている。この時間なら皆仕事を再開しているはずだ。

 何かあったのではとオニヘイが異常事態を危惧したその時、突然剣道場の扉が開かれ、中からチュースケが飛び出した。


「おいチュースケ! 皆はどうした!」

「あ、オニヘイ! ちょっと来てくれよ! アイツ束で掛かっても止められねーんだよ! どうにかしてくれ!」

「アイツ? アイツって誰のことだ」

「いいから早く! 早く来てくれ!」


 慌てた様子のチュースケは、有無を言わさずオニヘイを剣道場へと連れて行く。

 訳も分からないまま道場に向かうと、そこで目にした光景にオニヘイは唖然とした。

 そこには、積み上げられた十数人の同心達によって出来た山の上に仁王立ちするコウの姿があったのだ。


「お、やっと来たなオニヘイ! ここの奴らには全員勝った! あとはお前とそこの元大義賊だけだ! 今日こそ勝ってやるぞ!」

「筆頭〜、すみませ〜ん……」


 コウは動けなくなっている同心達の山から降り、竹刀を構える。

 オニヘイは漸く事態が呑み込めた。おそらくコウは自身がいない間に同心達との試合で暇を潰していたが、紆余曲折あってパトロールメンバーを含む彼等全員を伸してしまったのだと。

 コウは己の強さを誇示する事が出来、身体も好調。意気揚々といった様子だ。今の調子ならオニヘイにも勝てると思っているのだろう。

 しかし、彼女は知らなかった。

 オニヘイが最も嫌うことは「仕事を邪魔されること」だという事を。

 彼が怒髪天を突く時、そこにはまさしくEDOの鬼が現れる事を。

 彼の怒りが、たった今最高潮に達した事を。




「こんのぉ……バカタレがァーーッ!!!」




 この時の一部始終を目撃したチュースケは、後に「人がボロ雑巾になる所を初めて見た」と語った。

 そしてコウは連敗記録を更新した。

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