第拾伍話「ダイブ病」


 西暦二〇八九年九月九日――九の数字が三つ連なったこの日、EDO管理企業トクガワはEDO統括管理AI『タマモ』の一般向けインターフェイスの稼働を開始した。

 管制塔エントランスには専用端末が複数台設置されたほか、EDOの町中に設置されている一部の電脳ATMや問い合わせ端末には専用窓口が搭載され、一般ユーザーからの質問や要望を二十四時間受け付けている。

 質問時に表示されるアンケート機能が煩わしいという意見が上がっているものの、タマモの受け応えは親しみやすく常に簡潔な回答を行う為、初日からユーザーには概ね好評であった。

 このインターフェイスは各種サービスの窓口にも設置される予定であり、月末には各奉行所支部の中にも端末が配置される。

 その時期を待つ事も考えたオニヘイだったが、やはりコウに関する調査の熱が冷めないうちにタマモに質問しておきたいという想いがあり、周辺のパトロールも兼ねて管制塔へと向かった。


 昼前ながらエントランスは既にユーザー達で溢れており、十数機ある専用端末は殆どが使用中だった。

 しかし都合が良いことにオニヘイは入口から近い場所に空きの端末を見つけ、早速端末の前に立つ。

 端末は浮遊する灰色の球体に注連縄を巻き付けたビジュアルをしており、オニヘイがそれに手を翳すと、球体の頂点から人型のホログラムが投射された。


『こんにちは。ようこそBIG EDO中央管制塔へ。私はEDO統括管理AI、タマモです。ユーザーIDとユーザー名のご入力をお願いします』


 お辞儀をしながらそう告げたホログラムは、十二単を着る白髪の美しい女性の姿をしていた。それは誰もが綺麗と感じるデザインであり、オニヘイはトクガワがタマモにかなり注力しているのだと感じた。

 オニヘイがタマモの指示に従って端末にIDとユーザー名の入力を行うと、数秒程の確認時間の後にタマモが再びお辞儀をする。


『IDとユーザー名を確認しました。初めまして、オニヘイ様。日々のお勤めご苦労様です』

「へぇ……最近のAIは随分と気遣いが出来るみてえだな」

『ありがとうございます。我々AIはIT技術の進歩により日々進化しております。今後も皆様が快適なVRライフを過ごせるよう精進して参りますので、どうぞ遠慮なくご意見・ご要望をお聞かせ下さい』

「そうか。当然、質問とかも受け付けてんだよな?」

『勿論です。ご質問は音声入力にて私に直接お申し付けいただくか、端末にテキストの入力をお願いいたします。なお、よくお受けするご質問内容に関しましては共通の回答文を表示させていただきますので、予めご了承下さい』


 端末の前にキーボードタイプのコンソールが出現し、オニヘイに入力を促す。しかしオニヘイはそのコンソールを手で避け、音声入力を選んだ。


「NPCについて聞きてえ事がある。現在、EDOに作成元不明のNPCはどれだけ確認されている?」

『現在確認されている作成元不明のNPCは、二六八体です』

「その中に『コウ』という名前のNPCはいるか?」

『検索……該当するデータはありません。他の検索項目を入力して下さい』

「コウじゃダメか……『白井亨義則シライコウノヨシノリ』はどうだ?」

『検索……該当するデータはありません』

「……作成日『天明三年』」

『検索……該当するデータはありません』

「ってことは管理側も未確認のNPCってことか」


 この時点でオニヘイは、タマモから手掛かりを得られる望みは薄いと思い至った。

 EDOにおいて個人がNPCを作成した場合、規則としてそのNPCをトクガワのデータベースに登録する義務が発生する。

 仮にNPCが異常行動や犯罪行為を行った場合、全ての責任はそのNPCの作成者もしくは保有者が負う必要があるからだ。

 しかし最近は作成元を隠匿したまま裏ルートで販売されるNPCも少なくないうえに、違反ユーザーの技術レベルは上昇傾向にある。まだ販売側も隠匿が杜撰だった数年前ならともかく、現在はそれらの取り締まりがかなり厳しい状況だ。

 そんな中で作成元不明のNPCの作成元や現在の保有者の情報を調べようとすれば、それなりに時間が掛かる。

 加えて、コウはデータ分析を掛けたうえでも全く理解出来ないNPCであり、もはや作成者が情報提供しない限り何も分からないだろう。そこまで思考したオニヘイだが、ここで一つの疑問が浮かんだ。


「タマモ。NPCの捜索依頼を申請しているユーザーはいるか?」


 コウは他のNPCと比較すると非常に高度なAIを搭載し、その外見の造形や装飾のデータ量は尋常ではない。

 それ程のNPCをそう易々と手放すとは考えにくい、即ちコウはどこからか逃げ出したという可能性も考えられる。

 そうした場合、作成者あるいは保有者はコウの捜索依頼を出している筈だとオニヘイは踏んだのだ。


『申し訳ありません。そのご質問はセキュリティレベル五以上の項目の為、この端末ではお答え出来ません。セキュリティ部門の担当者にお問い合わせください』


 その回答を聞き、オニヘイは理解した。トクガワはこの質問に答える気はないと。

 トクガワはNPCに関する事項に関わらず、要捜査案件に関しては奉行所に依頼を回す。

 全ての依頼がオニヘイ達の支部に回る訳ではないので、他の支部にNPCの捜査依頼が回っている可能性は充分にあり得る。

 しかしその場合、ユーザーの個人情報保護の観点からトクガワがその情報を担当外の奉行所に対して回答することは出来ないのだ。

 即ちオニヘイはトクガワから依頼が来ない以上、NPCの捜索依頼を出しているユーザーの情報を知り得る事は出来ないという事だ。

 タマモの言う通りに問い合わせたとしても、徒労に終わる。そうオニヘイは覚り、短く息を吐いた。

 これ以上、尋ねる事が何も無いのである。


「分かった。用事は以上だ」

『ご利用ありがとうございました。最後に、ユーザーの皆様にアンケートのご協力をお願いしております。簡単な質問ですので、宜しければご回答下さい』

「アンケート?」


 僅かに首を傾げたオニヘイの目の前に、ホログラムの画面が表示される。

 そこには一つの設問と、その回答として「はい」と「いいえ」の選択肢が用意されていた。


『あなたは今のBIG EDOに満足していますか?』


 それは非常にシンプルな質問だった。これを見てオニヘイは思考を巡らせる。

 仕事上どうしても犯罪ユーザーをもう少し減らして欲しいという感情はあるものの、それはEDOではなくVR世界自体の問題でもある。

 オニヘイはEDOに対して不満は抱いていない。

 むしろチュースケや同心達、少し面倒だがコウ等と過ごすEDOは楽しいと感じていた。

 故に、オニヘイはそのアンケートに対して「はい」の選択肢を押した。






 管制塔を後にしたオニヘイは期待外れな結果に溜息を吐きつつ、パトロールを再開しようと周辺を歩き始める。

 するとほどなくしてチュースケからメールの受信と、ボイスチャットの着信が入った。

 緊急事態でもない限り彼が殆ど連絡して来ないことをオニヘイは知っていたので、オニヘイはすぐさまそれに応答する。


「どうした?」

『見回り中にわりぃ。話したい事があるから支部に戻って来てくれ。概要はさっきメールで送ったが、詳しくは直接話す』

「分かった。一〇分で戻る」


 手短に答えるとオニヘイは即座に通信を切り、ストレージから出現させた『パトロールホース』――馬の形をした高速移動用の乗用機――に跨る。そしてホースに自動走行をさせながら、チュースケから送られたメールを開く。

 メールには、とある事件の容疑者に関する報告内容が記載されていた。

 その事件とは『辻斬り事件』と『大義賊ゴエモン事件』。どちらもここ最近発生し、そして解決した事件である。

 これらの事件の犯人は既に逮捕され、辻斬りの方は執行猶予期間中。偽ゴエモンことネズミは現在拘留中だ。

 ネズミに関してはアバターの改造技術について取調べの最中だとオニヘイは記憶していたので、その進展があったのかと期待した。

 しかし、メールには予想外の内容が書かれていた。


「『ダイブ病』……?」


 二人のサイバー犯罪者は、揃って同じを発症していたのだ。






 卍






 オニヘイが支部に帰還すると、玄関口にはチュースケが待ち構えていた。

 チュースケは帰って来たオニヘイの姿を見つけるやいなや、駆け寄る。


「オニヘイ」

「待たせたな。メールを見たが、何が起きた?」

「ネズミの取調べをしていた捜査官から連絡があった。報告によると、取調べ中にネズミが突然昏睡状態に陥ったらしい。すぐに病院へ搬送したんで命に別状は無いらしいんだが……」

「目を覚ましたらダイブ病――『精神乖離症候群』だったってことか」


『精神乖離症候群』はごく最近発見された奇病であり、別名「ダイブ病」と称されている。

 その症状は重度の認知機能障害に近く、意識はあるが反応は非常に鈍くなり感情が平板化する。

 また発症者はどこかに精神を置き忘れたかの様な、恒常的な放心状態が続く。

 原因は不明で発症は突発的。徐々に症状が進行するのではなく、ある日突然昏睡状態に陥り、目覚めると症状が現れるという奇病だ。

 唯一判明している事項であり別名の由来として、その奇病を発症した者は共通して「VR空間への長期間ダイブ」の経験があるという事が挙げられるが、普及率九〇パーセントを超える日本においてその基準は原因解明の足掛かりにすらなっていない。


「直ぐに目覚めたが医者や捜査官の呼び掛けには殆ど反応せず、じっと虚空を見つめているらしい。それと、ネズミの発症とほぼ同じタイミングで辻斬り事件の犯人も発症を確認したと、監察官から報告があった」

「あの辻斬りもか……確かあの犯人もネズミも、アバターの違法改造をしていたはずだよな」

「ああ。ネズミの取調べ内容を少し確認したが、やはりどこからか支援を受けていたらしいな。それが誰なのか、あるいは何かなのかは分からなかったらしいが」

「考えたくねえが、偶然とは思えねえな……」


 二人の共通点はEDOにダイブしていたユーザーであり、何者かの支援を受けてアバターを違法改造し、そして罪を犯した。

 それも事件の発生時期はかなり近く、また彼等が逮捕された時期も同じだ。共通点を見出さない方が難しい。

 決定的ではないものの、オニヘイ達はそこに因果関係を見出さずにいられなかった。


「……それとな、少し気になる報告を受けた」

「なんだ」

「この二人、目覚めた直後に同じ様なうわ言を呟いてたらしい」

「うわ言? どんなものだ」

「『怪物』『黒い獣』……そんな事を呟いていたとか」

「怪物……黒い獣……まさか『鵺』か?」


 それは電脳世界に生まれた幻想。

 人々が生み出した妖怪の如き不確かな存在。

 はっとした様子でオニヘイはその名を口にしたが、いやいやと首を振る。

 自ら言葉にしておきながら、それは余りにも空想的な存在だったからだ。


「ユーザーの精神を食らう電脳の怪物。EDOの黒い獣。遭遇したら最後、二度と現実に戻れなくなるっていう……あれこそ噂の中の噂、都市伝説ならぬVR伝説だろ。信憑性はどこにも無え」

「同じ奇病を発症した二人が同じ言葉を呟いたってことは、絶対に何かある筈だ。でなけりゃそんなこと呟く筈がねえ」

「だとしても、雲を掴む様な話だ。詳細は不明。目撃情報も僅か。ユーザーなのかNPCなのかも分からねえ。そんなもんをどうやって見つける?」

「それでも! それでも……俺は鵺を追うべきだと思う。僅かでも可能性があるなら」

「チュースケ……手前てめえどうした」


 いつもは飄々としているチュースケが必死な様子で訴えてきた事に、オニヘイは内心で戸惑っていた。

 普段の彼ならこの様な噂など笑いながら話題にしたはずだし、きっと面白がっただけに違いないからだ。

 しかしチュースケの声には真剣味があった。オニヘイは彼の言葉に重みを感じたのだ。


「オニヘイ……俺はアイツを、ネズミを止めて、ゴエモンの夢を終わらせて、それで満足していた。だがネズミがあんな事になって、思ったんだよ。ネズミがゴエモンとして事件を起こすキッカケは俺にあったのは確かだが、アイツの犯罪を幇助した奴も確かに存在する。俺はそいつを捕まえなけりゃならねえ。それがアイツを裏切ってしまった俺に出来る、唯一の償いだってな」

「チュースケ……」

「だから頼む、オニヘイ。鵺を追わせてくれ。それが唯一の手掛かりなんだ。俺一人だけでもいい。頼む」


 そう言ってチュースケは深々と頭を下げ、これを見たオニヘイは何も語らず黙した。

 それは否定の感情の表れではなく、深慮している証拠だった。オニヘイは頭ごなしに意見を否定する男ではない。

 他人を尊重しつつ、しかし時には厳しい決断も下す。

 そしてオニヘイは決断した。


「駄目だ」

「オニヘイ……!」

「手前一人で捜索させるわけにはいかねえ。ローテーションを組んで、三人一組の班三つを回す。午前と午後で入れ替え、各地区を全て捜索する」

「オニヘイ、お前……」

「ただしこれは奉行所の方針じゃねえから、捜索に時間を掛けることは出来ねえ。だからとっとと見つけるぞ、伝説の黒い獣ってやつをな」

「ああ! 恩に着る!」


 歓喜するチュースケがオニヘイに向かって拳を突き出す。

 その意を理解し、オニヘイはチュースケの拳に自らの拳を力強く打ち付けた。

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