第拾陸話「鵺」



 

「猿の顔、狸の体、虎の手足、そして尾が蛇の化物、あるいは妖怪。古くはテイルズ・オブ・ヘイケにも登場し、毎夜黒煙と不吉な声で天皇を苦しめた。『掴み所がなく、得体の知れない人物』を喩える際にも使われたと……へえ」

「チュースケ、なに読んでんだ?」


 ソバ屋の四人掛け席にて、コンソールを操りながら熱心に電子資料を見つめるチュースケに対し、隣に座って天麩羅蕎麦を食べていたコウが何気なく尋ねた。

 するとチュースケは画面を回転させ、その資料をコウに見せる。


「鵺に関する資料だ。と言っても姿形や特徴には諸説あるし、雷獣っていう別の妖怪だったって説もあるらしいけどな。要はよく分からねーやつなんだよ」

「鵺ねえ……おれぁ魑魅魍魎の類は信じねえタチなんだが、京の都でも物怪や妖を見たって噂はたまに聞いたことがあったな。江戸じゃそういったもんは滅法見なくなったって聞いたが……鵺か」

「何か思い当たる事でもあるのか?」

「……いや、なんでもねえ」


 そう言ってコウは視線を逸らし、そのまま食事を再開する。

 この時、コウの脳裏には先日見た夢が過っていた。

 本来ならば尽く忘却してしまうはずの夢の内容、そしてあの時耳にした声と言葉が、コウの記憶にはっきりと残っていたのだ。

 そこではっきりと聞いた「ヌエ」という言葉。彼女の知識において、妖怪『鵺』以外にその言葉に該当するものは存在しない。

 しかし夢の内容を語ったところで、所詮夢は夢。加えて今の自身の状況が夢としか思えないというのに、さらにその中で見た夢の話などもはや信憑性のかけらも無い。

 話を聞いた誰かが信じるかどうかではなく、既に彼女自身が己の見た夢を信じていないのだ。

 そんなものを語っても何も意味はない。そう思ったコウは、己の口を語ることではなく食べることに集中させた。


「そうか……なぁ、オニヘイはどう思う?」


 チュースケは向かい側でひたすら狐蕎麦をすすり続けるオニヘイに声を掛ける。

 オニヘイは現実で食事中の為に仮ダイブアウトをしているが、最初から会話は聞いていたらしく、何かを飲み込む音を立ててからチュースケの問いに答える。


「正直、伝承よりIT方面から調べた方が有力な情報が得られると思うぞ。そもそも伝承の鵺と電脳世界の鵺の姿や特徴が同じとも限らねえし、名前だけを借りた全く別物って可能性もある。むしろそう考えるのが自然だ」

「そうかもしれねーけどよ、鵺って名前が付けられている以上はそれを模している可能性もあるだろ? なら、念の為に鵺の特徴を掴んでおくのは無駄じゃねーはずだ」

「どうだかな。BIG EDOの世界観設定からして、SF系アクションゲームの殺戮マシン型エネミーみてえなやつが出て来たとしても、俺は違和感ねえぞ」

「あー、そういうパターンもあるか……」


 サイバーシティ『BIG EDO』は、文字通り江戸の町並みに近未来の技術や外観を混ぜたサイバー和パンクの世界だ。

 木造建築の中に近代的なビルは乱立しているし、空にはそこら中に車が飛んでいる。夜はネオンサインやビル灯りに照らされ、昼の様に明るい。

 世界観を遵守するなら、この様な町には妖怪や怪物よりも機械兵器の方がよく似合うだろう。

 故にオニヘイは、EDOの鵺という存在を元来のものと同じにするのは早計だと思ったのだ。

 その意見にはチュースケも一理あるとして呑み込み、少し名残惜しそうにしながら鵺に関する資料をストレージに仕舞った。


「ところで、鵺の捜査状況はどんな感じだ?」

「未だ有力な情報は掴めていない。捜査を始めてからもう三日、そろそろ何か掴めても良いと思うんだけどな……」

「一言にEDOといえど、虱潰しに捜索してりゃ相応の時間が掛かる。だが巡回に加えて聞き込みや監視もやってんだから、何も出て来ねえってことはねえはずだ。それこそ噂話の一つや二つは出て来るだろ」


 電脳の怪物『鵺』の捜査開始から既に三日が経過している。

 今回の捜査指揮はチュースケが担当し、ローテーションに組み込まれた同心達と数人の岡っ引きアルバイト達による町の巡回に加え、一般ユーザー達への聞き込み調査、さらには監視ドローンを使用した捜索まで行われている。

 本来なら奉行所の方針ではない捜査にこれだけの人員やシステムの使用は難しいはずだったが、オニヘイが旗本に相談した結果、その計らいにより一週間の期間限定捜査という形でドローンの使用などが許されたのだ。

 しかし限られた期間での捜査故、既に残り期間が半分となっている現状にチュースケは焦りを覚えていた。

 そして、これに対して冷静かつ的確な助言をしてやる事が、今回の自身の役割だとオニヘイは自覚している。


「そうだよな……あと一日だけ今の方針で続けてみよう」

「おう。午後は俺達も捜査に加わるか。ウリスケに頼んで監視ドローンの映像分析をやってもらってもいい。それとも手前も分析側に回るか、チュースケ?」

「いや、今の俺はここで走り回る方が性に合ってる。アバターもアップデートしたから色々試してえ事もあるしな。でもウリスケには映像分析をやってもらおう」

「超級ハッカーの腕は鈍ってないってか。ところでそのアップデート、合法だろうな?」

「安心しろよ。サイバー刑法には違反してねーから」

「……頼むから、俺に手前を逮捕させるなよ?」

「分かってる分かってる」


 いつもの調子でケラケラと笑うチュースケを見て、オニヘイは呆れつつも僅かに笑みをこぼした。

 ネズミの事もあり、この数日チュースケは平静を装いながらも口数は減って、どこか思い詰めた様子だった。

 あまり思い詰めているようなら休ませることも考えたオニヘイだったが、今の会話で寧ろ動かないと悪化するだろうと思い直す。

 くつくつと笑う二人の男達、少々怪しげにも見えるその光景を前にして、コウが徐に声を掛けた。


「前から気になってたんだけどよ」

「なんだ」

「お前ら、どうやって蕎麦啜りながら喋ってんだ?」

「「へ?」」


 コウの質問にオニヘイ達は揃って素っ頓狂な声を上げた。彼女が抱いた疑問は、VRの仕様故に生じたものだった。

 オニヘイが現実で昼食を取っている最中、オニヘイのアバターは待機状態へと移行し、その表示としてアバターはひたすら蕎麦を食べ続ける動きをする。

 しかしダイブアウト中でも機器を通せばEDO内の他ユーザーと音声によるやり取りが可能な為、側からその様を見れば「喋りながらずっと蕎麦を啜っている」姿にしか見えないのだ。

 一般ユーザーなら別に気にも止めない光景だが、コウは彼等とは違う。

 一時的にダイブアウトをしているオニヘイは映像が見えない為に質問の意味が全く分からなかったが、ほどなくしてチュースケはその意味が理解出来たのか、吹き出しながら「なるほど」と呟いた。


「なんだよ。何かおかしいか?」

「いや失敬……えっとな、最近EDOで流行ってんだよ。『蕎麦啜り喋り』」

「え、流行り? これ流行ってんのか? 普段と全く同じ様に喋るとか正直気色悪ぃぐらいなんだが」

「おい。それは今俺に言ってんのか? なぁ」

「ってか、オニヘイみてえな鬼だから出来んだろ? こんな芸当。そこらの町人にゃそう出来ねえだろ。本当に流行ってんのか?」

「もちろんだ! EDOにいる人間は老若男女皆出来るぜ。EDOっ子の嗜みってヤツよ!」

「嘘だろおい!? 頭おかしいな江戸っ子!!」


 チュースケのその虚言があまりにも衝撃的だったのか、コウはその場で勢い良く立ち上がって叫んでいた。

 その光景を見た、あるいは叫びを耳にした周囲のユーザー達が口々に話し、ソバ屋の至る場所で響めきが起こっている。


「その通り嘘だよこのアホンダラ! おいチュースケ! 面倒臭えからこいつに適当な事吹き込むな!」


 コウに続いてオニヘイも勢い良く立ち上がり、すかさず放たれた彼の怒号が場の空気を破壊した。

 チュースケのそれ以上の「ホラ」を止めようと思い至ったのか、いつの間にかオニヘイはEDOに戻って来ていたのだ。

 そしてコウはオニヘイの罵倒よりもチュースケに騙された事の方が気に食わないらしく、怒りの矛先は真っ先にチュースケへと向けられた。


「なんだよ嘘かよチュースケ!」

「ぶははははは! コウのっ! 驚いたっ! 顔っ! ク、クッソ面白えな!」

「なっ……謀ったなこの元盗人野郎! 表出ろや!」

「やめんかバカタレ共が!!」


 ここ数日の反動なのか、はたまた不安の裏返しなのか、チュースケのテンションはいつも以上に高まっていた。

 しかしその所為で起きている面倒事を看過出来る程、オニヘイは優しくない。

 今にも殴り掛かろうとしているコウと腹を抱えて笑うチュースケの脳天に、オニヘイは鉄拳を落とした。

 頭部への不意の衝撃に二人は「おごぉ!?」というなんとも情けない悲鳴を上げ、揃ってテーブルに突っ伏す。

 当然チュースケの方は衝撃こそあったものの痛みは一切無く、けろっとした顔で直ぐに体を起こした。その一方でコウは相当痛かったらしく、目尻には涙を浮かべている。


「痛ってぇ〜……おい! 頭かち割れたらどうすんだこの鬼野郎!」

「喧嘩両成敗だ。それと場所と立場を考えろ。チュースケ、はしゃぎ過ぎだ。自重しろ」

「……ああ、すまん」

「悪いと思ってんなら罰をくれてやる。見回りが終わったらコウと試合してやれ。コウもそれまで我慢しろ、いいな?」

「はっ! 上等だ! 絶対ぇ泣かしてやるから後で覚えてろよチュースケ!」

「あ〜……へいへい」


 チュースケは先の己の行動を後悔したが、もはや後の祭りであった。

 まるでチンピラの如き台詞を吐き捨てたコウは再び勢い良く立ち上がり、そのままソバ屋から出て行った。店の前で待つつもりなのだろう。

 見回りが終わった後、自分はオニヘイに代わってコウと試合する羽目になる。出来ればそれまでに彼女が今の事を忘れているといいな――そんな淡い期待を抱きながらチュースケも彼女に続いて席を立ち、ソバ屋を後にするのだった。


 最後に残ったオニヘイは、外で待つ彼等を眺めながら深い溜息を吐いた。ただ、その心情は決して悪いものではなかった。

 オニヘイは先のコウとのやり取りに充実感の様なものを覚えていた。その感覚はおそらくチュースケにもあったのだろう。

 それはコウという不可思議な存在が、二人の中で大きくなっていることに他ならなかった。

 あの喧嘩っ早いじゃじゃ馬娘が、プログラムでしかないはずの女剣客が、側に居て当たり前の存在となりつつあるのだ。それをオニヘイは自覚し始めていた。

 先の騒がしさを煩わしく思いつつも、どこか心地の良さがあった事を思い出して、オニヘイは静かにほくそ笑んだ。


「……よし。そんじゃ妖怪探しに行くか」


 オニヘイの言葉にコウとチュースケは揃って頷き、三人はEDOの町を疾駆する。






 卍






 時刻は既に午後八時を回り、EDOには明るい夜が訪れていたが、鵺の捜索の進展は全くと言っていいほど無かった。

 唯一手に入れたのは一般ユーザーから「鵺という存在がいるという噂を聞いたことがある」という噂話以下の話を聞いただけ。

 捜索を行った下町南東部で、鵺と称される様な奇怪な存在を見つける事は出来なかった。

 捜査が思う様にいかず、チュースケはもどかしさを感じていたが、引き際は弁えていた。


「……今日はここまでか」

「そうだな。一度支部に戻って、他の捜査班と情報共有するぞ。他の班ならもしかしたら何か掴んでいるかもしれねえしな」

「だな。前向きに行こう。おいコウ! 戻るぞー!」


 撤退を決めたチュースケは、少し離れた場所で町を眺めているコウに声を掛ける。

 しかし声が届いていないのか、コウは全く反応を示さず、じっと町の何処かを眺め続けている。


「コウ? コーウ! 聞こえねーのかー? 聞こえたら返事しろー!」


 続けてチュースケが呼び掛けるも、やはり聞こえていないのかコウは全く反応を示さなかった。

 距離があるとはいえ、流石に張り上げた声が聞こえない程、コウとオニヘイ達が離れているわけでもない。

 何かあったのかと危惧したオニヘイとチュースケは仕方なくコウに駆け寄り、その肩に手を置いて確実に聞こえるよう声を掛ける。


「コウ! お前いったいどうした? 何が――」

「静かにしろ!」


 するとコウはすぐさまオニヘイ達の口を塞ぎ、沈黙するよう促した。

 しかし状況が分からないオニヘイとチュースケは、潜めた声でコウに尋ねる。


「おい、どうした? 緊急事態か?」

「……あそこの灯りが無え小道……

「小道……?」


 ゆっくりとコウが指差したその先には、ネオンサインにより夜でも常に明るいEDOには珍しく、全く光に照らされていない道があった。

 ビルとビルで挟まれたその間に出来た、決して広くない道。

 路地裏とも言うべきその道は、全てが暗闇に満たされている。一寸先も見えない。

 オニヘイとチュースケがその暗闇に視線を向け、そして彼等がその闇の先を注視しようとした、その時だった。


 ――突如として、耳を劈く獣の咆哮が轟いた。


 それはコウが指差した小道の奥から聞こえており、オニヘイ達はその小道から尋常ならざる気配を感じ取った。

 電脳空間にも関わらず、寒気すら覚える緊張が二人の体を縛り、刃物を突きつけられた時の様な恐怖心が、二人に襲いかかる。

 一体暗闇の奥に何が居るのか。得体の知れないそれは一体何なのか。

 正体を暴くべくさらに注視していると、オニヘイは暗闇の中で揺らめく「二つの赤い光」を見つけた。

 瞬間、オニヘイはその正体を直感した。


「……どうやら俺達は、当たりを引いたようだな」


 オニヘイの呟きを聞いたコウは腰に携える刀を素早く引き抜き、切尖をその影に向ける。

 コウは明確な敵意を表し、牽制しているのだ。

 そうしなければ、瞬く間に襲って来ると本能的に感じ取ったのだ。

 やがて暗闇からゆっくりと這い出た影の体が、電子の月明かりに照らされ、その姿が露わとなる。


「見つけたぞ……鵺!」


 獰猛な笑みを浮かべるチュースケのその言葉に呼応するかの如く、それは再び咆哮を轟かせ、大気を激しく揺らした。


 彼等の前に現れたのは、全身を黒い影で覆い尽くし、四足歩行の巨大な獣の姿を持つ『怪物』だった。

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