第拾漆話「プログラム」


 

 電脳の怪物『ぬえ』――オニヘイ達はそれをプログラムの一種か何かだと予想していた。

 ユーザーの精神を食らうというそれは、遭遇したら最後、二度と現実に戻れなくなる恐ろしい噂を持つ存在。

 ダイブ病との関連性は今のところ不明だが、もしその噂通りだとすれば、確かに鵺という存在はEDOにおける恐怖の権化、あるいは災厄といえるだろう。

 だがEDOが電脳世界である以上、そこに存在するのはアバターというユーザーの意思によって動くプログラムと、NPCやドローンなど組み込まれたロジックとシステムによって動くプログラムだけだ。

 コウの様な感情を持つ特別な存在ですら、誰かが作り上げたプログラムに過ぎない。

 故に、たとえ鵺がどれだけ特殊な形や性質を持っていたとしても、プログラムであればいくらでも対処のしようがある。それだけの力を奉行所セキュリティは有しているし、彼等にはそういった確信があった。


 しかし、オニヘイ達は実際に目の当たりにしたそれを、決してプログラムなどという明確な存在に見なすことは出来なかった。

 なぜなら鵺という存在を視界に捉えた瞬間、オニヘイとチュースケは己が背筋に怖気が走ったのだ。

 これまで見た事もない黒い影の様なものを全身に纏い、まるで生き物の様に唸り声を上げる四足歩行の何かに、恐怖したのだ。


「でけえな……」


 現れたそれに対し、コウが見上げながら呟いた。

 目測による全長測定はおよそ五メートル、全高は三米に近い。生き物というよりは重機の如き巨大さである。

 姿形は虎か、獅子か、あるいは狼か、そういった鋭い牙を剥く獣の如き様相。だがその実態の判別はまるで付かない。

 その行動も全く予測が出来ない。

 どの様な武器や能力を持ち、どの様な意思や思考を持っているのかも予想出来ない。

 咄嗟にチュースケは視覚に捉えた鵺のデータ分析を行うが、結果は全てにおいて「エラー」が表示された。まさしく正体不明であった。

 ただし明らかに先の小道に侵入出来る大きさではない為、大きさを自由に変えられるという事だけは辛うじて予想が出来た。

 また、生物で言えば顔に当たる部分にて、二つの赤い光が影の中で揺らめいていることだけは分かった。おそらくそれが鵺の目なのだろうとオニヘイ達は予感したが、それを理解したところで彼等が抱いた恐怖心が和らぐことはない。

 むしろその赤い瞳がこちらを睨んでいる様で、こちらに狙いを定めている様で、一瞬でも目を離せば命取りになると直感してしまった。

 決して傷付くことや死ぬ事などあり得ないこのEDOにおいて、命の危機を感じる程に恐怖心を植え付ける存在と相対することは、彼等にとって初めてだった。

 そしてそんなものが人や機械によって作られたプログラムだとは、一と零の数式で構成されたものとは、到底思えなかったのだ。


『◼️◼️◼️◼️◼️◼️◼️◼️◼️◼️――!』


 鵺の咆哮が轟く。

 猛獣の如き大気を揺らす唸りの叫びと、金切り声にも似た高音のノイズが混じり、その咆哮は言われ得ぬ不気味さを生み出していた。

 不快なそれを耳にしたオニヘイとチュースケは、それが攻撃態勢に入った合図なのだと直感した。

 二人は咄嗟に数歩後退り、ストレージからスタン銃を取り出して銃口を怪物に向ける。

 鵺を見つけた瞬間のチュースケの感情は喜びの方が大きかったが、今は全くの逆だった。


「オニヘイ! コイツはヤバい! 分からなすぎてヤバい! すぐに応援を呼べ!」

「もう救難信号は出した! 問題はそれまでコイツをどうやって足止めするかだ!」

「奴の行動パターンが分からねー以上、接近戦は得策じゃねえが、生憎スタン銃以外に遠距離武装はえ……!」


 奉行所の基本的な武装は近接戦闘用のジッテブレードと、中距離捕縛用のスタン銃、そして防御用の盾だ。

 今回の捜査ではそれ以外に鵺を捕縛する為のアイテムを所持しているが、遠距離から攻撃する為の武装は装備していなかった。

 これは、そもそもスタン銃自体にそこそこの威力があることと、今回遠距離武装の持ち出しが許可されていない事が理由だ。

 スタン銃とジッテブレード、そして捕縛用のアイテムがあれば、鵺の捕縛あるいは足止めは十分だという結論を出したのだ。

 しかし実際の鵺は想定よりも巨大で、そして行動が全く予測出来ない。とても手持ちの装備で打倒出来る相手とは思えない。

 それでも、オニヘイは手持ちの装備と戦力から即座に戦術を脳内で組み立てる。


「……チュースケ。奴を撹乱出来るか?」

「目眩しや捕縛系のアイテムならあるが、どうする気だ?」

手前てめえが奴を撹乱し、ヘイトを稼げ。大振りの攻撃が来た所で俺がシールドで奴の攻撃を弾く。その瞬間に……コウ!」

「なんだ?」

「俺達が奴の隙を作る! その瞬間に手前は奴にありったけの一撃を叩き込め! とにかくどこでもいい!」

「はっ! 上等だ。一撃で決めてやるよ!」

「来るぞ!!」


 オニヘイが戦術の共有を終えた直後、まるでその頃合いを見計らっていたかの如く、鵺がオニヘイ達目掛けて駆け出した。

 その突進の方向に居たのはコウだった。どうやら鵺が最初に標的として定めたのは一番前に出ているコウの様だ。

 鵺の巨体による突進を受ければ、一般ユーザーのアバターならばひとたまりもないだろう。コウに関しても耐久値の点では普通のアバターとそこまで変わらないはずで、一撃でも食らえばデータの激しい損傷は免れない。


「――『加速アクセル』!」


 いち早く鵺の行動を察知したオニヘイは、能力命令アビリティコマンドによる高速移動でコウの前に立ち、ストレージから取り出した盾を構えた。

 縦長い板の様な形状のその盾はオニヘイの全身を隠す程に大きく、また大抵の攻撃は防ぐ事が出来る。

 但しその性能は使用者の技量やアバター自体の仕様によって変化する為、使い熟せる者は多くない。

 しかも迫り来ているそれは人の数倍以上の重量と力を有する怪物、現実と同じ道理ならば弾き飛ばされて終わりだ。


「『加重ヘビーウエイト』! 離れろコウ!」


 このままでは鵺の突進を防ぎきる確証が無いと踏んだオニヘイは追加の能力命令を叫び、自身のアバターの重量を一時的に倍化させた。少しでも突進による衝撃を緩和させようという魂胆である。

 これで少なくとも最初の突進はなんとか防げると確信したオニヘイだったが、衝撃を完全に抑えきれるとは思えず、すかさず背後に立つコウに距離を取るよう叫んだ。

 コウもオニヘイの意図を即座に理解し、素早く後方に飛び退く。

 そして能力命令の効果が完全に発動し、オニヘイの防御準備が整ったその直後、鵺の巨体が盾に激突した。

 鈍重で硬い金属同士が衝突した様な轟音が響き渡る。

 オニヘイは自身の腕や身体に生じる凄まじい振動を感じ、同時にそれが今まで受けた事がない程重い攻撃であることも理解した。

 しかし突進の勢いで僅かに後退りしたものの、加重が効果的だったのかオニヘイの身体が弾き飛ばされる様な事はなかった。鵺の突進を防ぐ事に成功したのだ。

 内心で安堵したオニヘイは、次の行動に移ろうと即座にチュースケへ声を掛ける。


「チュースケ! 側面から牽制を――」

「オニヘイ避けろ!!」


 オニヘイの言葉を遮ってコウが警告を発したその直後――オニヘイの身体が三米程右方に弾き飛ばされ、彼は仰向けで地面に倒された。


 当然オニヘイ自身に痛みは無いが、アバターのデータ損傷によりオニヘイは直ぐに立ち上がる事が出来なかった。

 何が起こったのか咄嗟に理解出来なかった為、オニヘイは即座に自身のアバターをデータ分析する。その結果自身の左腹部にダメージエフェクトを確認し、そこに攻撃を受けたのだと理解した。

 オニヘイは辛うじて動く頭を上げ、数秒前まで自身が立っていた場所を見やる。


 そこには、の姿があった。


 蛇は長大な体を縦に大きくしならせると、鵺の後方へするすると退がっていく。

 よく見ればその蛇は身体が鵺の尻と繋がっており、それが鵺の尻尾だとすぐに分かった。

 どうやら鵺の姿は伝承の鵺を参考にしているらしい。チュースケの考えは強ち間違いでもなかった様だ――そんな呑気な思考に至りながらも、オニヘイは自身に迫り来る危機を察知し、即座に身体を横転させる。

 すると間髪置かずにオニヘイが倒れていた地面を蛇の連撃が削った。掘削機の如き連続刺突により地面の構成データが瓦解し、データブロックが其処彼処に転がっていく。

 そのまま寝ていたならば、オニヘイのアバターは完全に破壊されていた事だろう。それ程に鵺の攻撃の威力は絶大だった。

 しかしこれで、少なくとも鵺は蛇の尾を巧みに操って素早く刺突攻撃を繰り出すという事が分かった。

 そしてこのままでは確実にトドメを刺される。そうオニヘイは自身の未来を予感した。

 案の定、次なる攻撃を繰り出そうと鵺の尾が揺れる。


閃光弾フラッシュ!」


 鵺の尾がオニヘイに攻撃する直前、チュースケの叫びが轟き、その意味を理解したオニヘイは咄嗟に目を瞑る。

 瞬間、鵺の顔の横で小さな爆発と共に閃光が発生した。チュースケが閃光弾を投擲したのだ。


『◼️◼️◼️◼️◼️◼️◼️◼️◼️――!?』


 悲鳴にも似た鵺の不快な咆哮が轟く。

 不意に発生した強烈な光に鵺は怯んだらしく、頭を振りながら僅かに後退る。


「斬ッ!!」


 すると、鵺の動きが鈍くなったその瞬間を見逃すまいとコウは高く跳躍し、鵺の頭部目掛けて上段に構えた刀を落下の勢いも利用して力強く振り下ろした。

 しかし鵺の視覚は閃光によって潰されていなかったらしく、鵺はコウの一撃を紙一重で避け、そのまま後方へと跳躍してオニヘイ達から距離を取った。


「チッ! 悪い、仕留め損ねた」

「いや助かった! 『簡易修復ライトリペア』!」


 再び鵺の攻撃が来ないうちにオニヘイは能力命令を叫び、立ち上がって行動出来るよう自身のデータ損傷箇所の一部を修復する。

 忽ちダメージエフェクトは消え、なんとか身体が動くようになったオニヘイは、直ぐさま立ち上がり盾と共にジッテブレードを構える。


「随分良い一撃貰ったみてえだが、大丈夫かよ?」

「なんとかな……あの尻尾、かなり厄介だな」

「前からの攻撃を防いでも横から尻尾の刺突、だが尻尾を意識し過ぎると防御が疎かになるか……奴の攻撃、防げるか?」

「正直、俺一人じゃ厳しいな。コウ!」

「なんだ?」

「俺の左側に立て。奴の尻尾が右から来たら俺が防ぐ。左側は手前がなんとか防いでくれ。おそらくあの尻尾の射程は、俺達の刀が届かねえ範囲だ。尻尾の刺突を続けられたらこっちはひたすら耐えるしかねえ」

「おれらの攻撃は届かねえって事かよ……じゃあどうすんだ?」

「策はある。チュースケ、俺達の後ろで閃光弾を準備しておけ。奴の攻撃が俺に集中した瞬間、それを少し上で爆発するように投げろ」

「分かった」

「コウは俺が合図したら正面から奴に斬りかかれ。閃光弾の光で奴が怯んだその瞬間が、奴を斬る唯一のチャンスだ」

「成程な、悪くねえ賭けだ。おれに任せな。今度こそ叩っ斬ってやるよ!」


 コウとチュースケはオニヘイの作戦を了解し、それぞれの配置に着く。

 その直後、漸く閃光による眩暈が解けたらしき鵺が、唸り声を上げながら姿勢を低くしてオニヘイ達を睨む。

 その姿は先程よりも攻撃の意思が強まっている様にも見えた。おそらく先の閃光弾で鵺の怒りを買ったのだろう。

 オニヘイは更に苛烈となる攻撃を予感し、生唾を飲み込みながらも盾とジッテブレードを構え直す。


「来るぞ……構えろ! コウ!」

「言われるまでもねえ!」

『◼️◼️◼️◼️◼️◼️◼️◼️◼️◼️◼️――!!』


 怒りの表れか、鵺は一際大きな咆哮を轟かせ、再びオニヘイ達へ突進を繰り出した。


「『加重』!」


 それが先と同じ攻撃パターンである事を理解したオニヘイは、まず能力命令による自重の倍加を行い、先程同様盾による防御に集中する。

 予定調和の如く鵺の突進は再び盾に激突し、オニヘイの左腕に大きな振動が発生する。

 ここまでは全く同じ。続けて鵺の尻尾から繰り出される側面への刺突攻撃、これはまずコウが立つ左側へと向かった。

 するとコウは凄まじい速度で自身に迫り来る蛇の頭部を、正面に構えた刀で叩き落とす様に弾いた。やはりコウの反応速度はピカイチであり、続けて繰り出される凄まじい威力の尻尾の連撃も、難無く捌いていく。

 その剣さばきもまた見事で、背後から見ていたチュースケは驚きながら感心した。尤もその光景に一番驚愕していたのは、オニヘイだった。

 何故ならオニヘイとの試合において、コウはこれまでオニヘイの竹刀を受け止められた事がなかったからだ。つまりそれは彼女の本来の腕力が、オニヘイのそれより圧倒的に低いという事に他ならない。

 しかし単純な力の話で言えば、地面を削り取る鵺の尻尾はオニヘイの腕力よりも上だ。それにも関わらずコウはその細腕と刀一本だけで、鵺の攻撃を防ぐどころか尽く弾き返している。

 これまでコウは本気を出していなかったのか、それとも彼女の刀に秘密があるのか、もしくはそれ以外の何か理由があるのかは分からないが、少なくとも今は嬉しい誤算だった。


「この程度かよ、あやかし。大したことねえな」


 コウはまだまだ余裕があるらしく、大胆にも鵺に対して挑発する。

 だが鵺はその言葉に反応する事なく、自身の攻撃が弾かれていることを理解すると、今度は反対側からオニヘイに向かって刺突攻撃を繰り出した。

 その瞬間こそオニヘイが待ち望んだ瞬間だった。


「チュースケ!」

「応!」


 オニヘイは右側から迫り来る蛇に対して麻痺機能を作動させた状態のジッテブレードの刃を当て、弱電流を流した。

 すると鵺はそれを嫌ったのか、すぐさま尾を引っ込めて身震いする仕草を取った。

 そしてそれとほぼ同じタイミングで、チュースケが閃光弾を上方へ投擲する。


「コウ!」

「っしゃあ!」


 オニヘイの合図を聞いたコウは刀を肩に担ぎ、鵺の顔面目掛けて疾駆する。

 当然、鵺がその接近に気付かないはずはなく、鵺は再び尾による刺突をコウ目掛けて繰り出す。

 しかしこの瞬間、チュースケが上へ投げた閃光弾が炸裂し、太陽にも似た光が空中におよそ三秒間だけ生まれた。

 この閃光弾はコウが背後から光を浴びる様に投擲されており、鵺だけがこの光を直視した。

 先程と同じ様に強烈な光によって怯んだ鵺の攻撃は、正しい狙いを穿つ事なく空を切る。

 これにより鵺の尾による攻撃を避け、コウは鵺の顔の前へと辿り着いた。


「――斬ッ!」


 上段から繰り出された袈裟斬りが、電脳の怪物の顔を斜めに走り抜けた。


『◼️◼️◼️◼️◼️◼️◼️◼️◼️◼️◼️――!?』


 明らかに悲鳴と取れる咆哮を轟かせながら、鵺は斬られた痛みで苦しむかの様に地面を転げ回る。

 閃光が終息するタイミングで目を開けたオニヘイとチュースケは、地面を転がる鵺の姿と刀を振り下ろした姿勢のコウを目にし、作戦が成功したのだと理解した。


「よし!」

「あとは奴を捕獲――」


 しかしコウが与えた傷は思ったよりも浅かったのか、鵺は予想以上の速さで復帰した。

 そして立ち上がった鵺はそのままオニヘイ達に背を向け、暗闇に満たされた小道へと駆けていく。


 それは本能的逃走に他ならない。


「まずい! 奴さん逃げる気だ!」

「行かせるかよ……!」


 オニヘイ達が声を上げた瞬間、一番鵺の近くにいたコウが追撃の為に今一度刀を構え、背後から鵺に迫る。

 間も無くしてコウは小道に入る直前の鵺に追いつき、再び上段からの一撃を繰り出す――。




『――――ヤメテ――――』




「ぐッ!? なんだっ……頭がっ……あっ、くぅ……!」

「コウ!?」


 突如、コウの頭に激痛が走り、彼女は鵺に斬りかかる直前で刀を落としてしまった。

 そのままコウは激しい頭痛に耐え切れず、地面に膝をつき、両手で頭を抱えた。その表情は非常に苦しげで、決して尋常な様子ではなかった。


「ぅ……ぁぁ……あああああああああああッ!」


 絶叫を上げたコウはやがて事切れる様に意識を失い、そして倒れた。

 突然の出来事に全く理解が追い付かず、オニヘイとチュースケは逃げ行く鵺の事も忘れてすぐさまコウの元へと駆け出す。


「コウ! おいしっかりしろ! コウ!!」


 先に駆けつけたオニヘイがコウを抱き起こし、身体を揺すって意識の覚醒を促す。

 しかしどうやらコウは深い眠りに落ちているらしく、何度揺すっても彼女は目覚めなかった。

 とりあえずデータの消失が起こらない事に安堵したオニヘイ達だったが、突然の出来事に二人は戸惑うばかりだった。


「いったい、なんだってんだよ……」







――それから三分後、奉行所の応援部隊が駆けつけたが、鵺の姿は既にどこにも無かった。

 代わりに彼等が目にしたのは、意識の無い女剣客を腕に抱える、真剣な面持ちの鬼奉行達の姿だけだった。

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