第拾捌話「先導者」




「全員集まったな。それじゃ会議を始めよう」


 オニヘイ達が鵺と遭遇した翌日の昼、場所は奉行所内の大会議室。

 本来は大きな捜査でのみ使用されるその部屋には、オニヘイ、チュースケの二人と鵺捜索隊の班長達が集まっていた。

 進行は捜査指揮を執っているチュースケが担い、今回オニヘイはその補足役として反対側の席に座っている。


「まず現時点での捜査状況だが、鵺に関する確実な情報はあまり得られていない。昨日俺とオニヘイ、コウの三人が奴と交戦した際に撮った映像を見て分かる通り、巨大な獣の様なシルエットは分かるものの、全身が黒い影に覆われていてその全貌は把握出来なかった」


 チュースケは会議室正面のボードにホログラムスクリーンを投射し、自身が撮影した鵺との交戦映像を流す。

 暗い小道から這い出る様に現れた電脳の怪物は不快な咆哮を轟かせ、猛獣の如くオニヘイ達に襲い掛かる光景がその場に居る皆の目に映った。

 映像越しでも分かる恐怖の具象の姿が、その場に居合わせた者達全員の背筋に悪寒を走らせる。

 一度相対したオニヘイとチュースケですら、あの強烈な印象と得体の知れない恐ろしさを思い出して身震いする。


「目測と映像記録から測定した奴の全長は、現実基準で五・六メートル、尻尾を含めるとその三倍以上。全高は三・二米だ。小型の象か重機ぐらいの大きさがある。その突進力はオニヘイが能力命令を発動した上で防御に徹して、漸く抑えられる威力だ。おそらく並みのアバターじゃ束になっても抑えられねえ」

「突進も相当な威力だが、厄介なのは奴の蛇の尻尾だ。身体の二倍以上の長さ故に射程が広く、俊敏でその刺突は高い威力を誇る。一般ユーザーのアバターの耐久力程度なら一撃でデータが破壊されるぞ」

「そんな恐ろしいやつを、筆頭達は三人でいったいどうやって……?」

「どうやら閃光弾とジッテブレードの麻痺機能が苦手らしくてな、奴の行動を一時的に阻害する事が出来た。それと、コウの刀が奴に与えたダメージが決定的だった。捕縛は失敗したものの、おかげで撃退に成功し、俺達は無事だった」

「そう、、な……」


 ふとオニヘイとチュースケは鵺の逃走の際、コウに起きた出来事を思い出す。

 コウの一刀で鵺は頭部にダメージを負い、それにより鵺はすぐさま逃走を図った。鵺の様子からしてそれは深刻なダメージだったのだろう。

 これを追撃しようとしたコウだったが、背後から鵺に斬りかかる寸前にコウは突然頭を抱えて苦しみ出し、悲鳴を上げ、そして意識を失った。

 どうやらオニヘイと一騎討ちをした時の様に気絶したらしいが、あの時と違って彼女に何が起きたのかオニヘイ達には未だに分かっておらず、そして一晩明けた今尚、彼女の意識は戻っていない。

 コウは自室で眠り続けている。


「コウのやつ、大丈夫なんですか?」

「NPCについてこう言うのもおかしな話だが、命に別状はねえみてーだ。もし何らかの理由でデータが破壊されてエラーを起こしたのなら、コウはこの世界から消滅しているはずだからな」

「寝息を立てていたところを見るに、休息状態に入ってるんじゃねえかと思う。まぁNPCが寝るっつうのもおかしな話だけどな」


 肩を竦めながら発したオニヘイの一言で皆が小さく笑い、場の空気が少し緩んだ。

 NPCというプログラムの一種とはいえ、コウの人間らしい仕草や竹を割った様な快活な性格、そして綺麗な少女の外見とは真逆の剣客という設定、それらに同心達は好感を抱いていた。加えて彼女は先の事件でも、奉行所に多大な貢献を果たしている。

 気恥ずかしくて誰も言葉にはしなかったが、もはや彼女は奉行所の仲間と言っても過言ではないと皆が思い始めているのだ。

 そんな彼女が、もしかしたらデータの海に消えてしまうかもしれない。突然EDOに現れたあの時と同じ様に、突然自分達の元から去ってしまうかもしれない。

 オニヘイに抱えられて奉行所に運び込まれたコウを見た時、そんな心配を同心達は抱いたのだ。

 しかしそれは杞憂なのだと分かって、彼等は胸を撫で下ろした。そしてオニヘイも同様に彼女の事を案じていた。

 だがそれはコウという不思議な存在に対する好奇心故なのか、もしくは生意気な妹分を見守りたいという庇護欲にも似た感情が生まれているのか、あるいは別の感情故なのかは、オニヘイ自身にもはっきりと理解出来ていなかった。

 いつの間にか脳内を侵すコウの存在に気付いたオニヘイは、それを払拭するかの如くかぶりを振った。


「コウの事はとりあえず置いておけ。今は鵺についてだ。奴の存在が単なる噂ではなく本物だと分かった以上、奉行所はこれを必ず捕縛、あるいは破壊しなけりゃならねえ。俺達は無事だったが、あの噂がもし本当だとすりゃあ、さらに被害者が出る可能性が高い」

「ダイブ病……電脳世界のプログラムが人体に影響を与えるなんてこと、本当にあり得るんですか?」


 ダイブ病発症者に共通する事実として、公式に通知されているものは「VR空間への長期間ダイブ」があったが、オニヘイ達は先日別の共通点を見つけた。

 それこそが電脳の怪物『鵺』である。

 ダイブ病を発症したネズミ、そして辻斬り事件の犯人が呟いた「怪物」や「黒い獣」といった単語は、EDOにおいて件の鵺を指す言葉だ。

 本人達に真相を確認出来ない以上は憶測でしかないものの、彼等は事件を起こす前に鵺に接触した、あるいは何かしらの影響を受け、結果譫言の様にそれらを呟きはじめた。その様にオニヘイ達は想像したのだ。

 根拠としては、ネズミ達の状況が鵺の噂として最も代表的な「遭遇したら最後、二度と現実に戻れなくなる」に即していることだ。

 確証や論理的証拠こそ得られていないものの、鵺を直接目の当たりにしたオニヘイ達は、自分達が抱いた想像を確信に近いものに変じていた。

 そして確証を得るため、様々な視点からチュースケが仮説を立てていく。


「電脳ドラッグの応用と仮定すれば、あり得ねー話じゃねえと思う。例えば一時的にハイになるタイプの電脳ドラッグはダイブ機器を通して使用者に特殊な信号を送り、感覚神経の神経伝達をごく僅かに加速させる。逆にリラックス効果を生み出すドラッグには、神経伝達を遅くする信号が含まれている。これを応用して感覚を鈍化させる信号をユーザーに送ることが出来れば……」

「ユーザーはダイブ病――精神乖離症候群になる、ですか。なるほど……しかしその仮説が正しいとすれば、違法電脳ドラッグの開発者を探した方が確実なのでは?」

「いや、電脳ドラッグってのは販売と収納の関係上、錠剤程の大きさでしか製造されねえ。消費アイテムは一つ一つのデータ容量が多すぎると売れねーからな。で、そういった小さなプログラムじゃ人間の神経系に作用出来るのは長くても一時間程度だ」

「それなら、大きさを考えなければそういったプログラムを作る事が出来る、という事ですか?」

「ああ。ただし中小企業規模の技術力とインフラがないとまず作れない。仮に作れたとしても、俺達セキュリティや管理側の監視の目を掻い潜る必要がある」

「個人規模で出来る事ではありませんね……」


 一般に流通している電脳ドラッグの一つや二つならともかく、人の精神を破壊する程の信号を生み出すプログラムの開発には、相応の時間と技術力を要する。

 加えて電脳ドラッグの製作は全てセキュリティとトクガワの認可が必要であり、それが無い電脳ドラッグは全て違法電脳ドラッグに分類される。

 違法電脳ドラッグの製造販売及び所持は犯罪、故にセキュリティの監視の目も逃れる技術も必要なのだ。加えてこれら全てを個人のみで出来る者はまず存在しない。


「仮にどこかの企業がそういったものを作っているとして、その理由や狙いが全く不明だ。ユーザーをダイブ病にして何の得がある?」

「実はその企業はダイブ病のワクチンを持っていて、ダイブ病を蔓延させてそれを独占販売して儲けよう、という魂胆だったり?」

「昔のSF映画みてーだな。しかし仮にそうだとしたら、あの鵺の存在に説明がつかねーな。何故あんな獣の形態にする必要がある? ユーザーの神経に障害を与えるなら、もっと良い方法があるはずだ。例えばどこか高いビルに信号を拡散させる装置を設置して、対象範囲に居るユーザー全てに対して影響を与える、とかな」

「確かに、あんな怪物の形にする必要はないですよね。何かああいった姿のプログラムを使わなければならない理由があるんですかね。正直その理由がどんなものか想像も出来ませんけど……」

「それこそ作った人間、あるいは動かしている人間にしか分からねーだろうな。位置を固定せず、高速移動や隠密、そしてユーザーへの攻撃も可能とするプログラムの必要性か……さっぱり分からねーな」


 仮説を元に展開された議論が白熱する。

 しかしこの会議に必要な会話は、その説明のつかない存在である鵺をどうやって捕縛するかであって、鵺の様な謎のプログラムを使う理由探しではない。

 本来の議題と着地点を見失っているチュースケ達の会話をオニヘイは手を翳して中断させ、会議の軌道修正を図る。


「とにかく、鵺の捕縛が最優先だ。昨夜の件を旗本に相談したところ、遠距離武装と五機のヴァンガードの出動許可をもらった。これで鵺との戦闘はかなり有利になるはずだ」

「おお! ヴァンガード! 我等が鉄人!」

「これで勝つる!!」


『ヴァンガード』はトクガワが奉行所に提供している、全長三・五米の鉄人型防衛プログラムだ。

 強固なプロテクトで覆われた銀発色の体を持ち、並大抵の障害は全て弾き返す事が出来る。

 その頑強さを以ってして背後のユーザー達を守りながら目的地へと導く姿から「先導者ヴァンガード」という名前が付けられた。

 制圧対象を捕捉すると、接近戦を起点にした制圧行動を開始する。まさに奉行所最強の制圧兵器だ。


「問題は奴の居場所を特定する手段なんだが……チュースケ、監視ドローンの映像分析はどうなった?」

「ウリスケから送ってもらったデータを確認したが、この三日間で鵺らしきプログラムの姿は見つけられなかった。あの闇に紛れる様な姿からして、日中はどこかに潜んでいるのかもしれねーな」

「となると、奴が現れるとしたら夜間か。遭遇場所によってはかなり視界が悪くなるし、サーチライトの準備もしておくべきだな……よし」


 オニヘイは鵺の捜索状況と今後執るべき捜索方針を把握し、それを全員に向かって宣言する。


「各班ヴァンガードを一機所持し、ドローンの監視カメラを確認しながら捜索を行え。おそらく日中は出て来ねえと思うが、昼間でもしっかり目を光らせておいてくれ」

「筆頭。もしもどこかの班が遭遇した場合、ヴァンガードがあっても一班だけじゃあの怪物に対抗するのは難しいと思います」

「そうだな……それなら、今後は六人一班体制に変更する。班内では定期的に連絡を取り合って互いにカバー出来るようにしろ。それと遭遇したら必ず全隊への応援要請を忘れるな」

「了解です」


 自身の言葉で班長達が頷く姿を確認したオニヘイは、そのまま席を立って彼等の正面に立つ。


「いいか、標的は何から何まで未知数だ。数値的な分析に頼らず、手前らの直感を信じろ。嫌な予感を覚えたら直ぐにその場から退避するか、ダイブアウトしろ」

『応!』

「各員、行動開始だ!」







 作戦会議を終え、いざオニヘイ達が鵺捜索の為に奉行所を出ようとした、その時だった。


「――よう。お前ら揃ってどこに行く気だ? 祭でもあんのか? おれも連れて行けよ」

「コウ!」


 玄関横の壁に、眠っているはずのコウが寄りかかっていたのだ。彼女はオニヘイ達に向かってひらひらと手を振っている。

 予想外のそれに驚きと嬉しさが入り混じるオニヘイとチュースケは、すぐさま彼女に駆け寄る。


「手前、もう大丈夫なのか?」

「ああ。ちょいと頭がぼっーとするが、それだけだ」

「心配したぜ……お前、もう半日以上寝てたんだぜ。覚えてるか?」

「みてえだな。んなことより、鵺を追うんだろ?」

「そうだ。これから奴の捜索に向かう」

「アテはあんのか?」

「……いや、奴の目撃情報は全く無えから、正直また虱潰しの捜索で少し億劫だ」

「ならよ……おれの勘をアテにしてみるか?」

「どういうことだ?」


 コウの発言の真意が全く理解できず、オニヘイは素直に質問を返した。

 すると、コウも少し首を傾げる様な仕草を表しつつ、その意図を明かす。


「なんとなくなんだがよ、分かるんだよ。アイツの居処が」

「なんだと?」

「正確な場所までは分からねえんだが、奴がどの方角に居るのかは、なんとなく分かる。今は……あっちだな」


 そう語ったコウは、気配を感じるという方角を指差す。その方角は下町の南西地区の方角であった。

 彼女の言う事が真実だとすれば、あの鵺が隠れ潜んでいる場所に時間もかけず辿り着く事が出来るという事だ。

 鵺と接触した事でコウが新たな能力を得たのか、あるいは鵺の気配だけが分かるようになったのかは不明だが、闇雲に探すよりは圧倒的に効率が良いとオニヘイは思い至った。

 しかしそれと同時に、オニヘイにはある懸念があった。

 それは昨日の鵺との交戦でコウが突然意識を失った事についてだ。今回も当然鵺との戦闘は免れず、コウはそれに参加したがるだろう。

 だが前回と同じ様にまた戦闘中に意識を失えば、今度は鵺の容赦ない攻撃で破壊されるかもしれない。

 手負いの獣、しかも電脳の怪物を相手にする以上、そういった危険が必ず付き纏うのだ。

 そして現状、コウが意識を失わないという保証はどこにもない。

 本人の意志以外には。


「手前、本当に平気か? また昨日みてえに作戦の途中で潰れたら承知しねえぞ」

「へっ! 少し寝惚け眼だからって、昨日みてえなヘマはしねえよ。次こそアイツを、鵺を仕留めてやるよ。いや、おれがアイツを仕留めなけりゃならねえんだ。な」


 そう意気込むコウの瞳には、確かに強い意志ともいうべき光が宿っていた。

 それは「次こそ仕留める」という気概。揺るがぬ決意にして、静かに燃え盛る蒼炎の如く。

 そんなものを幻視してしまえば、オニヘイがこれを止めることなど出来ようはずもない。


「……わかった。俺達を奴の居場所まで先導しろ。だが手前は病み上がりだ。決して無理はすんじゃねえぞ」

「おう。任せろよ」

「他の班は予定通り、各捜査ポイントに迎え。行くぞ手前ら!」

『応!』


 オニヘイの号令に呼応し、鵺捜査隊が奉行所を飛び出す。

 その後に続き、コウを先頭にしてオニヘイとチュースケも駆け出した。


 コウが導く先に待ち構えているであろう電脳の怪物との、再びの『殺し合い』を果たす為に。

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