第参話「ロールプレイ」


 VR空間に初めてダイブするユーザーは、アカウント開設直後にプリセットデータを用いて自らの分身アバターの外見を作成し、その後販売されている装飾データ等を使用して自身が理想とするものに近付けていく、という流れがアバター作成の基本である。

 プリセットでもある程度自由な造形は可能だが、大半のユーザー、特にダイブ期間が長いユーザーやロールプレイ重視のユーザーほど、装飾データ購入の為の金銭に糸目をつけない傾向にある。「基本プレイ無料」を謳い文句とした従量課金ゲームが流行った時代で言うところの『課金ユーザー』というやつである。

 そして、自分達の前方にて仁王立ちする女剣士姿のアバターのユーザーも、これらと同じ類なのだろう。

 オニヘイはその様な想像をしつつ、女剣士が右手に握る刀をゆっくりと傾ける怪しげな動きをしていることに気付く。


「動くな! 手前てめえはサイバー刑法第九条に違反している! 即刻武装を解除しろッ!」


 オニヘイは大声で牽制を飛ばし、チュースケと共に素早くジッテブレードと拳銃を構える。女剣士の動きが攻撃を行う体制への移行に見えたのだ。

 すると銃口を向けられた女剣士は険しい表情を浮かべ、しかしどこか呆れた様子で肩を落として溜息を吐いた。


「やたら上物そうな羽織に右手の……さてはおめえら、奉行所のモンか? 鉄砲なんか持ち出しやがって……幕府の犬っころは刀どころか武士道も捨てちまったのか? あぁ?」


 女剣士は刀の峰で自らの肩をトン、トン、と叩き、まるで挑発するかの様に細い眉を吊り上げる。

 その様な単純な挑発に乗るほどオニヘイもチュースケも単純な性格ではないものの、女剣士の言動とその振舞いには少々驚いた。だ。

 雅な和装に華やかな洋装を混ぜた様なかぶいた服装は、各部の装飾造形が一般的な市販データには無い程に細かく、特注作成されたデータであることが分かる。

 また手にしている一本の刀、その白刃は電子光を反射して眩い煌きを生み出し、刃の表面には本物の業物の如き波紋が浮かんでいる。それはVRゲームで使用される武器アイテムなどでは、再現出来ないデータ量であることの証明だ。

 さらに顔の造形は非常に美麗であり、うら若き少女とも言うべき可憐な雰囲気に加え、健康的ながら雪花の如く白き肌は輝いて見える。造形愛の表れと言えるだろう。

 しかし外見とは対照的に、口調や所作はまるで時代劇に登場しそうな荒くれ武士の様で、不正ユーザーを処罰するセキュリティの前ですらその態度を全く崩そうとしない。「知ったことか」といった風にもうかがえる。


 さしずめ『江戸時代の女剣客』と例えるべきキャラクターを、外見だけでなく内面まで徹底して演じているのだ。


 若い女性型のアバターにも関わらず口調は男のものであり、所謂『ネカマ』の可能性はあるが、たとえそうであったとしても普通のユーザーであればセキュリティに対してそのような挑発的な態度を取ることはない。

 女剣客の一通りの分析を目視で行ったオニヘイは、再度地面に伏している男性ユーザーに目を向ける。外傷エフェクトが表示されたまま、その場から動く様子はない。


「……そこに倒れているユーザーは、お前がやったのか?」

「ゆぅざぁ? ……あぁ、の事か? 斬られる前に斬って捨てた、ただそんだけだ」

「否定はしねえんだな」


 足元の男性ユーザーを指差し、女剣客はひどく冷めた眼差しを向ける。

 状況からして倒れている男性ユーザーが誰かに斬られたことは分かっていたが、やはり斬ったのはその横に立つ彼女で間違いない、とオニヘイは理解した。


「ったりめえだ、おれはおれの『強さ』を隠すつもりはねえ。しっかしよぉ、背中から斬りかかるなんざ武士の風上にも置けねえな。それに太刀筋なんざ二流どころか三流……よくこれで人斬りなんか出来たもんだ」

「……ちょっと待て、最初に仕掛けたのはそこの男か? なら手前は、それを返り討ちにしたってことか?」

「だぁ~からよぉ、はなからそう言ってるじゃねえか! こんな弱え奴にわざわざ挑むかよ……っていうか、この町にゃこんな剣士崩れしかいねえのか? 武士ですら一人も見ねえしよぉ、どうなってんだこの町は? 本当に江戸かよ」


 女剣客は訝しげな表情を浮かべて首を傾げる。

 後半の言葉の真意はオニヘイ達には図りかねたが、もしも前半の言い分が事実だとすれば、正当防衛ということになる。

 しかし、それは彼女が最初から『対抗する手段』を有していたことに外ならず、それこそが右手に持つ刀に違いないとオニヘイは予想した。

 オニヘイは一歩後ろに居るチュースケに目配せする。するとチュースケはそれに対して二度頷き、その意図を理解してオニヘイは女剣客に向き直る。


「手前にはいくつか訊きてえ事がある。このまま奉行所まで来てもらうぞ。抵抗しなけりゃ手荒な真似はしねえから、大人しくその刀を捨てろ」

「刀を捨てろだぁ? はっ! ふざけたことぬかすんじゃねえよ。刀はおれの魂だ。そいつをてめえから捨てるってこったぁ、腹ぁ斬るも同じだ。おれから刀を取り上げたきゃよぉ……


 その視線は正しく刃の如く鋭利であり、歪む口許と合わせて獰猛な獣の如き表情が、女剣客の顔に浮かんでいた。

 そしてその言動と態度はもはやロールプレイの域を超えている。

 任意同行と武装解除を求められ、それを拒否するなどまず普通のユーザーではない。違反ユーザーや犯罪ユーザーの行動と同じだ。

 加えてその理由が「刀を捨てるのが嫌だから」など、明らかに異常だ。

 このユーザーは病的なまでに、自らが理想とする女剣客ロールプレイを押し通そうとしているのだ。これに対してオニヘイは言葉での説得が不可能であると瞬時に悟った。


「そうか、なら仕方ねえ。力尽くで拘束させてもらう」




 ――御用だ! 御用だ!




 オニヘイの言葉の直後、オニヘイとチュースケの背後の路地と女剣客の後方の道を塞ぐようにして、それぞれ十数人の白い羽織姿の武装集団が現れた。

 それらはチュースケの直属の部下である同心達であり、犯罪ユーザーを制圧する為の実力行使部隊である。チュースケの招集によって呼び寄せられた同心達が漸く現場に辿り着いたのだ。

 彼等のセキュリティ権限は与力ほど高くはないが、限定的にユーザーを鎮圧する行為が許されている。彼等の手にオニヘイと同じく拳銃とジッテブレードが握られているのがその証だ。

 そして通路は前後を完全に塞がれ、女剣客に逃げ場は無くなったと言えるだろう。


 しかしそんな危機的状況においてもなお、女剣客は同心達で出来た白い壁を見て笑みを浮かべている。


「おうおうおうおう、随分と頭数揃えてきたみてえじゃねえか。それじゃあ早速……!!!」


 気迫に満ちた大喝が闘いの幕を斬り落とし、女剣客は頭に被っていた笠を上空へ投げる。それと同時に彼女は身を翻し、オニヘイ達に背を向けた。

 そして次の瞬間――女剣客はオニヘイとは反対側に立つ同心達の、目と鼻の先まで肉薄していた。

 およそ五メートルはあった同心達との距離を瞬きの間に詰めていたのだ。


「な――!?」

「おらよッ!」


 突如として眼前まで迫った女剣客に同心達は呆気に取られ、彼等は一瞬己がするべきことを忘れた。

 女剣客はその一瞬を見逃さず、先頭中央に立つ同心の腹を正面から力強く蹴り飛ばし、背後の同心諸共ドミノ倒しの如く押し倒す。

 同僚達がわけも分からず倒れていくなか、呆気に取られていた先頭左右に立つ同心二人は漸く何が起こったのか理解し、遅れてジッテブレードを振り上げる。

 しかし既にそれらも見越していた女剣客は、右手に握る刀で左から右に素早く一閃――その切先で同心の手首を軽く撫でた。

 すると同心の手から振り上げていたジッテブレードが零れ落ち、気が付けば空の右手を女剣客の頭上目掛けて振り下ろしていた。女剣客の一刀が同心の腕の伝達回路を切断し、彼の握力を消失させたのである。

 当然女剣客の脳天には何も振り下ろされず、自らの身に起こったそれを理解出来ぬままその同心は女剣客に胸ぐらを掴まれ、そして凄まじい腕力と右足を軸にした捻りによって背後へと投げ飛ばされる。

 これにより、女剣客の背後にはジッテブレードを振り上げるもう一人の同心がいたが、突如として飛来する同僚に咄嗟の対応が出来ず、そのまま同心は為す術無く圧し潰された。


 一連の流れは非常に鮮やかであり、全て計算されているか、あるいはそういった行動に慣れている様であった。


 ここまで僅か十秒にも満たない。犯罪ユーザー鎮圧を行うはずの同心達が一人のユーザーによって尽く地面に倒されたのである。

 そして女剣客は、一般ユーザーには出来ない「他ユーザーに危害を加える」をオニヘイ達の目の前で成し遂げてしまった。これで彼女あるいは彼が不正ユーザーであり、犯罪ユーザーであることは確定的に明らかとなった。


「気ぃ付けろ手前ら! やっこさん、戦い慣れしてやがる! 前衛は一斉に攻め立てろ! 後衛、射撃用意!」

『応ッ!』


 オニヘイの指示によりオニヘイ側に集まる同心の前衛三人がジッテブレードを構え、雄たけびを上げながら同時に女剣客へと殴りかかった。

 だがこれも予想済みか、女剣客はそれら全てを横なぎの一刀で弾く様に防ぐと、そのまま凄まじい膂力で同心達を押し返し、瞬時に前衛の体勢を崩壊させた。

 本来ならここで追撃するのが定石だが、前衛の体勢が崩れたことにより射線が開いた為、次の彼等の行動を察知した女剣客はすぐさま背後に飛んで距離を取る。

 そしてオニヘイもその機を逃さない。

 

えッ!」


 号令によって彼を含む後衛四人の拳銃から四発の弾丸が一斉に放たれ、触れれば即座に拘束プログラムが展開されるそれらが、甲高い発砲音と共に女剣客に襲い掛かる。

 しかし、またしても女剣客はこれに対応する。弾丸が放たれるよりも早く左手で脇差を抜いており、それと右手の刀を自身の正面で重ねて十字を作っていたのだ。

 女剣客は自身を確実に捉えている銃口だけに注視し、やがて放たれた弾丸のうち、頬、右肩、左足を掠める弾丸は全て無視し、胸部に向かっていた弾丸だけを僅かに傾けた脇差の刀身で見事に弾いた。

 弾丸と刀が衝突する甲高い音が一度だけ響き渡った。


「――なかなか悪くねえ攻めだ。鉄砲はやっぱり好かねえけど、やり方は好みだぜ、犬っころども」

「おいおい冗談だろ……手前、本当に人間か?」


 オニヘイは目の前で起こったそれに呆気に取られていた。電脳空間とはいえ、尋常ならざる反応速度だったからだ。

 確かに女剣客の戦闘センスや太刀筋は並外れたものではあるが、刀で銃弾を弾くなぞフィクションやゲームの中でのみ許される行為であり、BIG EDOの町中でその様な芸当が出来るのは、体感速度と反応速度を制御する不正プログラムを施したユーザーだけだ。

 そしてこの女剣客は、その様な高等なプログラム改変を可能とする技術力の高さと、ひたすら女剣客としての在り方を貫き通すという二面性を持った、かなり稀な不正ユーザーなのである。


「さぁて、次はこちらから行くぜ。斬られてえ奴から前に出な!」


 女剣客は脇差を鞘に収め、再び右手の一刀で構えを取る。基本スタンスは一刀流なのだろう。

 その剣幕には思わず同心達も息を呑み、前衛が一歩後退る。

 現実ではないので刀で斬られても当然死ぬことはないが、眼前の女剣客が放つ気迫はその事実を忘れさせ、あたかも本当に斬り殺されそうな錯覚を生み出すほどの雰囲気を醸し出していたのだ。

 これは前衛の同心達だけでなくオニヘイもその身にひしひしと感じており、しかしだからこそ、彼はさらに一歩前に出た。


「……手前ら下がれ。俺が相手をする」


 同心達はその言葉を聞くと、彼の為にすぐさま道を開ける。それは彼が奉行所中央支部の頼れる奉行リーダーであることは勿論、彼の実力が折り紙付きだからだ。

 皆が彼の鬼の如き厳めしい顔を怖れ、一般ユーザーより二回り以上大きな体躯を恐れ、そして剛力と丹力の中に慈愛を持つ気高い心を畏れる。

 豪胆無比、剛毅果断、鬼面仏心、言葉多様に称されるオニヘイには一つの通名がある。


『鬼奉行』――それがオニヘイの渾名であり、犯罪ユーザー達を畏怖させる名だ。


 大地を踏みしめるオニヘイの堂々たる姿は、女剣客にとってとても歯ごたえがありそうな相手に見えるだろう。その証拠に女剣客はオニヘイが歩み出たことに対して意外そうな表情を浮かべつつも、口許がさらに歪んでいる。


「オニヘイ」

「チュースケ、俺が時間を稼いでいる間に他の支部とおかみに応援要請を頼む」


 オニヘイの静かな呟きにチュースケは無言で頷き、さらに後方へ下がってコンソールの操作を始める。

 横目でそれを確認したオニヘイはすぐさま女剣客へと向き直ると、拳銃をストレージに収納し、代わりに二本目のジッテブレードを取り出した。

 それはオニヘイが真に戦闘態勢へと移行したことを示す。


「いきなり大将がお出ましかよ。楽しみは最後まで取っておきたかったんだけどな」

「安心しろ。ここで手前は打ち止めだ」

「言うじゃねえか奉行所……吐いた唾ぁ飲むんじゃねえぞッ!!」


 強者との闘いへの期待で歓喜に満ちる女剣客は、獣の如き咆哮を合図に己が白刃を振り上げる。

 女剣客と鬼奉行、その一騎討ちがここに相成った瞬間であった。

 

 しかし、これが後にBIG EDOで幾百と行われる『仕合い』の切っ掛けとなることを、この時の彼等は露程も知らない。

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