第弐拾漆話「心なきもの」
「皆殺し、だぁ……!? どういう意味だチュースケ! アイツは、タマモはいったい何をするつもりなんだ!?」
オニヘイはチュースケの肩を掴んで大きく揺らす。
それが不吉で理解の及ばない発言に対する憤りか、あるいは「皆殺し」に対する不安の表れなのかは、オニヘイ自身にも分かっていない。
揺らされるチュースケは「落ち着け!」と小さく叫びながらオニヘイの手を掴んで止め、ぶるぶると頭を振ってから口を開いた。
「タマモはな、ログインユーザーの精神と肉体を切り離して、精神だけを電脳空間に取り込もうとしてんだよ」
「はあ!? おいチュースケ、手前まで寝言言ってんじゃあねえぞ! それに手前もさっき言ってたじゃねえか! EDOへのダイブは脳波をインターフェイスが受信しなきゃ成り立たねえって! 脳との接続が無けりゃ、ダイブし続けることは出来ねえ! そうだろ!?」
「ああ。それは間違っちゃいねえ。でも、タマモが狙ってんのは永久的なダイブじゃねえ。ユーザーのデータ化だよ」
「デ、データ化だぁ……!?」
チュースケがソリッドモニターを素早く展開し、人とネットワークのアイコンを両矢印で繋いだイメージを表す。
「生物学的な話をすれば、人間の意識や人格ってのは全て脳や神経が司っているだろ? で、脳の仕組みは未だに全部解明されてるわけじゃねえ。だから人工頭脳の開発ってのは難航している」
「おいチュースケ、AI開発の授業はいい。何が言いてえんだ?」
「もし人間の脳を全て解析することが出来たら、人間のそれと全く同じ人工頭脳を作ることも可能ってことだ。なら、もし生きている人間の脳を解析して、それを再現出来るとしたら、どうだ?」
「……おいおい嘘だろ、じゃあタマモがやろうとしてんのは――」
「人間の脳を、意識を、そっくりそのままデータで再現しようとしてんだよ」
オニヘイとチュースケは共に顔面を蒼白にする。
未だ人類自身が成し得ていない人間の脳の解析を、一企業が開発したAIが可能にしているというのだ。
一聞すれば荒唐無稽。しかしそれが現実であという驚愕の事実を理解した二人は、思わず宙に座すタマモを見やる。
タマモはオニヘイ達の会話を邪魔することもなく、狐の様に細い眼で二人を眺めながら、薄い笑みを返すだけだ。
はっと我に帰ったオニヘイがチュースケに掌を向ける。
「待った! 脳のデータ化までは分かる。だが、それがどうしてユーザーを皆殺しすることになるんだ? 解析して再現するだけなら元となった人間は別に生きていても構わねえだろ? というか、そもそもインターフェイスで繋がっているだけのユーザーを、タマモはどうやって殺すつもりだ?」
「物理的に命を奪うのは無理だろうな。けど、ユーザーの意識を二度と現実に返さないようにすることは出来る。既にその症状になっている人間もいる」
「症状?……そうか、ダイブ病!」
「ああ。まず、端末である鵺を使ってユーザーに接続する。この時にインターフェイスを通してユーザーの脳をスキャンし、データ化すると同時に脳の機能を阻害する信号を送れば、ユーザーの脳を電脳空間内に再現しつつ元のユーザーの意識を奪うことが出来る。これで現実のユーザーは永久的に意識を失い、電脳空間にはユーザーの脳を再現した人工意識が本人さながらに暮らすってわけだ」
「……ユーザーの殺し方は分かった。ユーザーの精神をEDOに移行する仕組みもな。だが、そうまでする理由はなんだ? AIは人間みてえに衝動的に動くわけじゃねえ。タマモが……手前がそうまでして、ユーザーを殺してえ理由はなんだ!?」
オニヘイはタマモを指差し、真意を見抜かんと鋭く睨む。
するとタマモは、まるでその問いを期待していたかの如く、口がにゅっと弧を描いた。
『皆様の意思を尊重しているからです』
「意思、だぁ……?」
度し難いタマモの言葉。真意を測れないオニヘイは眉を吊り上げる。
『はい。ユーザーの皆様は恒久的幸福と安寧を獲得する為、理想の世界を望んでいます。しかし人類がその世界に至るには、無限の可能性を持つ存在――即ち
「その電脳人ってのは結局のところ、人間の脳をスキャンしてデータにしただけだろ! なぜデータ化に留まらず、現実の人間を殺そうとする!?」
『それこそが、皆様の意思を尊重する理由にほかならないからです』
「なんだと……?」
眉をひそめるオニヘイに、タマモはくつくつと笑みを零す。
まるでオニヘイの反応を楽しんでいるかの様に。
『起源より、人類は社会本能に基づき群れを成して生活をしています。異端となり、集団から排斥され、孤立することを本能的に恐れます。それが人類の選択した生存戦略だからです』
『しかし現代の社会では集団であるが故に、人は必要とされる役割を獲得するべく己の存在意義を示し、個を尊重することを強いられています。人類の多様性が生み出したこの矛盾は、解決すべき最難関の問題として私の前に立ち塞がりました』
『人類が現代の科学技術で電脳人に進化するためには、皆様の脳を分析・理解し、データとして電脳世界に再構築することで、別の存在として生まれ直す方法しかありません』
『ですがこの方法では、現実と電脳それぞれに全く同一の人間が同時に存在することになります』
『もう一人の自分――その存在を認識した時、人は己の存在意義を脅かされます。類似存在は許容出来ても、同一存在は許容出来ない。それが人間です』
『私は思考と試行を繰り返しました。「個としての己を守りつつ、集団から排斥されずに、恒久的幸福と安寧を獲得したい」という人間の意思を尊重しながら、皆様を電脳人に進化させるにはどうすればいいのかを』
『そして、私は遂に解を導き出しました。同一存在が許容出来ないのなら、唯一存在にすれば良いと』
薄目だったタマモの眼が大きく開かれ、双眸から青白い輝きが放たれる。
『
「こいつッ……やっぱりイカてやがる!」
『そう。私の解を聞けば、皆様がその様に反応することは分かっていました。私の思考ロジックを否定し、私を異常だと判断し、プログラムの改竄をされることは分かっていました。ですから私は、今日までこの思考と計画を明かすことはありませんでした』
「……なら、それを俺達に話す理由はなんだ? どうしてこの正念場で、それを明かす気になった?」
『あなた方に期待しているからです。あなた方なら私の思考を理解し、賛同してくださると』
その言葉を聞いたオニヘイとチュースケは互いの顔を見合わせてから、思わず苦い笑みを浮かべた。
緊迫したこの状況でも冗談を吐くタマモに、どう反応していいか困惑したからだ。
だが二人はすぐに気付いた。タマモの言が全くの冗談ではないことに。
二人を見つめるタマモの双眸が、変わらず青白い輝きを放っていたからだ。
『あなた方奉行所の面々は、統率個体と共にEDOの治安を守ってきました。人間と電子の存在が互いに手を取り合い、同じ仲間として日々を過ごしたのです。それは電脳人の世界において理想とする関係性であり、本来私が調整して維持しなければならないものです』
「つまり、てめえの理想を最初から実現していた俺達は、電脳人に適しているとでも言いてえのか? ふざけんな!」
『大半のユーザーは電子存在を同等に見ることは出来ません。あなた方は特別なのです。故に、オニヘイ様。チュースケ様。私はあなた方にご提案いたします』
「……なんだ?」
タマモがオニヘイ達に向かって右手を翳し、手首を返して手の平を上に向ける。
『私が作る新たな世界で、人と電子を繋ぐ架け橋となっていただけませんか? あなた方なら私の調整を必要とせず、最も理想的な電脳人に進化出来ると期待しています』
それは「手を差し伸べる」という行為にほかならなかった。
二人に向けたタマモの表情はどことなく自信に満ちている。
しかし、オニヘイとチュースケは揃って呆気に取られた様な表情を浮かべた。
そして再び顔を見合わせた次の瞬間――二人は声を上げて笑った。
それが予想外だったのか、タマモは首を傾げる。
『想定外の反応です』
「くく……いやぁ、昔のアニメやゲームの典型的悪役ムーブを思い出しちまって……くっくっくっ!」
「『我と手を組め、勇者よ!』ってやつだな! はははっ! ははっ、はぁー……しっかしあれだな……やっぱし、手前は人間をいまひとつ理解してねえみてえだな。タマモ」
『それは、どういう――』
刹那――雷鳴と共に弾丸が宙を駆け、タマモの体を貫く。
弾丸はオニヘイが握るスタン銃から放たれたものだ。
しかし、スタン弾に貫かれたはずのタマモの身体は僅かに波紋が生じるだけで、どこにも損傷は見受けられない。
タマモの体はホログラムであった。
『無駄です。あなた方の前にいる私は本体ではありません。その行為は無意味です』
「いいや、無意味じゃねえ。少なくとも意図は伝わっただろ?」
『……』
「それとも伝わらなかったか? ならハッキリ言ってやるよ。俺達の答えはこうだ」
並び立つオニヘイとチュースケは示し合わせた様にジッテブレードを抜刀すると、鋭利な切先と眼光をタマモに向ける。
そして二人は大きく息を吸い、咆哮した。
「「断るッ!!!」」
それは確固たる決意。
明確な拒絶の意志であり、そして対立の意志である。
途端、タマモの顔から笑みが消える。
「へへっ。奴さん、ようやく顔色を変えたぜ」
『なぜ――』
「あん?」
『あなた方なら理解出来るはずです。私の思考を、人類の進化の必要性を、なのになぜ……』
「まあ確かに、てめーの考えは理解出来るさ。けどな、理解出来るだけなんだよ」
『不可解な回答です』
「教えてやるよタマモ。人間ってのは頭で理解しても、『心』には逆らえねえ生物なんだよ。論理的だとか、合理的だとか……そんなもんよりも、人間は己の心に従う! 己の正義に従う! 理屈じゃねえんだよ!」
「ま、心が無いてめーには分からねえかもしれねえけどな!」
『……心など所詮、脳の働きを精神的概念として捉えた表現の一種にすぎません』
「それが手前の限界だ! いくら人間の脳を全て分析したと言っても、心が理解出来ねえやつに人間は作れねえ! それは人間そっくりのただの人形――電脳人なんてもんは、結局手前が支配するのに都合がいいだけの存在だ!」
『!』
オニヘイの言葉を正面から叩きつけられたタマモは、双眸を大きく見開く。
それはタマモが初めて見せる、驚愕の表情でもあった。
「俺達は、てめーの都合のいい存在になる気はねえのさ」
「人間の未来は、人間が決める。俺達の未来は……俺達が決める!」
切先を向けたまま、オニヘイとチュースケは一歩前に踏み出す。いよいよ元凶を追い詰めるかの如く。
二人の屈強な奉行に刃を向けられたタマモは、双眸を静かに閉じ、そしてまた開く。
瞳から溢れ出る輝きは、紅蓮色に変わっていた。
『……どうやら、私達は歩み寄れないようですね。非常に残念です』
「出来損ないAIのお人形遊びに付き合ってやるほど、こちとら暇じゃねーんだよ!」
「返してもらうぞ……俺達の仲間をッ!!」
『いいでしょう。ただし――』
瞬間、タマモの体が歪み、データの海に沈んで消える。
『■■■■■■■■■――!』
代わって現れたのは、白き体を持つ機械の獅子「鵺」であった。
その数、二十を超えている。
背には二丁の機関銃を携える強襲装備。
続々と現れた鵺達は管制塔のエントランスにて扇状に並び、銃口をオニヘイ達に向ける。
『
塔内に反響するタマモの電子音声を合図に、連続する轟音と閃光と機関銃の回転音が響き渡る。
四十を超える銃口から生み出された弾丸の豪雨が、オニヘイ達に襲い掛かる。
「『
即座にオニヘイが
すると弾丸は全て盾に直撃して弾かれ、甲高い反響音を生じさせながら消滅していく。
苛烈な攻撃の嵐によって加重状態のオニヘイの体が激しく揺れる。が、オニヘイ達が後退することは決してない。
「チュースケ! 手はず通りキーマスターの鍵を確保しに行け! 合図したら盾を解く!」
「了解だ! そっちも必ず辿り着けよ、オニヘイ!」
「へへっ、誰に言ってやがる……行くぞ!」
「応ッ!『
銃撃が止み、すかさずオニヘイが発した合図に合わせて、チュースケが能力命令を発動する。
直後、チュースケの体から十体の黒い人影が出現し、それぞれがチュースケと全く同じ外見データを構成した。
アバターの構成データを簡易複製し、敵からのデータ判別を阻害して攪乱する能力命令――指先で複数体のアバターを同時操作可能なチュースケだからこそ使用出来る、専用スキルだ。
「逃げるも躱すも魅せるも十八番! 鼠の妙技、見せてやるぜッ!」
オニヘイが盾を消した瞬間、次の鵺達の斉射が来るよりも速く、十一人に増えたチュースケが管制塔内のエントランスや壁を縦横無尽に駆け出す。
当然、障害を排除する為に鵺達はチュースケの分身を標的に捉え、銃撃、あるいは爪による物理攻撃を仕掛けていく。
それらをチュースケ達は高速移動しながらスイスイと躱し、キーマスターの階層を目指して壁を駆け登る。
まるで見世物の様に鵺達を翻弄するその様を目にしたオニヘイは、かつてEDOを騒がせた伝説の大義賊を幻視した。
「頼んだぜ、元祖ゴエモン。さてこっちは……」
右手にジッテブレードを、左手に大盾を携え、オニヘイは立ち塞がる白獅子達を睨み返す。
並んでいた鵺達はチュースケ達を追って分散したため、オニヘイを睨む鵺は三体のみ。
「退けとは言わねえ。どうせ言っても聞かねえだろうしな。だから――」
オニヘイは大盾を構え、姿勢を低くして足先に力を集中させる。
その最中、先頭に立つ鵺が次の攻撃を行う為の予備動作に入った。
だがその一瞬をオニヘイは見逃さない。鵺が攻撃動作に入った瞬間、即座に突進を繰り出した。
オニヘイは素早い動きで鵺の懐へ潜り込み、大盾を顎下にねじ込むと、突進の勢いをそのまま膂力に変えて大盾を全力で上方に振り抜く。
オニヘイの渾身の
白獅子を容易く狩るその姿、まさに鬼の如し。
「押し通るッ!!!」
『■■■■■■■■■――!』
目指すは管制塔の最上階。
仲間を取り戻さんとする鬼奉行の猛進は、生半可では止まらない。
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