電脳剣客カプリッチオ

天野維人

序曲 剣戟プレリュード

第零話「その女、迷いし刀」



 文化三年、 世は泰平――。


 戦国の世の終わりから既に二百年余りが経つ。

 さりとて江戸は大火に飲まれ、七千の町人が焼け死に絶えた。

 武家に百姓、奉行に人斬り、全てに隔てや偽りなく、その心は不安と畏れに満たされた。

 泰平でありしはずの世が動乱に満ちた日であった。




 これと刻を同じくして、町より三里離れた林の中、此処に二人の剣客が相対す。

 片や壮年の老剣客――鬼神が如き気迫と鋭眼持ちたる、壮烈なる翁なり。

 片や若年の女剣客――傾いた装いを纏う、荒武者が如き生娘なり。

 この巡り合わせは必然か、はたまた運命の戯れか、少なくとも予期せぬ遭遇であったことこれ間違いなし。

 されど互いの視線の交錯から抜刀まで、瞬き程の刻も要らず。

 鯉口で誘う所作さえ有らず、それがさも当たり前の様相であった。


 ――但し、その剣戟すらも瞬きの間の出来事に過ぎず。


 先手は女剣客の真剣による袈裟斬り。

 上段の構えから放たれたそれは女とは思えないほどに力強く、大木さえ両断する凄まじき一刀であった。

 並の剣客では鍔を競り合うことも敵わず、受ければ刀は砕かれたことだろう。

 これに対し翁は半歩ほど身を翻し、女剣客の一刀を紙一重で躱す。

 まるで初めから太刀筋が分かっていたかの如く、その動きは葉の上を伝い落ちる雫の様に滑らかであった。

 そして翁が返しの刃で下段から放った逆袈裟斬り――その太刀筋を女剣客は見ること能わず。


 翁の一閃は天翔ける隼を超え、音を置き去りにした。


 気が付けば、斜めに切り裂かれた女剣客の胴から赤い飛沫が舞っていた。

 女剣客は呆気にとられた顔のまま前のめりに倒れ伏す。

 己が斬られた事を理解したのは、伏した後であった。

 女剣客の頭に疑念が浮かぶ。

 これ程の太刀筋であれば、己の体は真っ二つに切り裂かれていた筈だと。

 命尽き、己の剣道は半ばで断たれた筈であったと。

 右下腹から左鎖骨まで駆ける傷を見れば、それはとても浅く、また致命たり得る傷ではなかった。

 さりとて体は動かず、意識は朦朧とし、女剣客は受けた太刀筋が己の体に死を錯覚させているのだと気付く。

 そして錯覚であれ、このままではいずれ己の命が尽きるということも。

 辛うじて動く頭を上に傾け、翁が握る刀を見れば、それは『竹光』であった。


 翁は比類なき強者であり、天上に立つ達人であった。




「お主の刀は強く、されど一筋の迷いあり。才はあれど、心なし。まこと惜しき刀よ」




 溢す様にそう呟いた翁は背を向け、その場を去っていく。

 女剣客、地を這ってその背を追う事すら叶わず、ただ敗北の悔恨に身を震わせ拳を握る。


 ――されど、折れぬ意志が口をついて出る。




「覚えてろッ! 次はッ、次は必ず……おれが勝つッッ!」




 不確かな意識の中で放たれた女剣客の叫びを聞き、翁は足を止める。

 翁は僅かに顔を傾け、その威勢の良さに口を歪めた。




「もしも生き永らえたならば、その時は再び相見えようぞ、迷いし刀よ。中西にてわしを尋ねるとよい。わしの名は――」




 翁は己の名を告げ、そして今度こそその場を後にする。

 女剣客はその名を胸に刻むと、意識を深い闇へと落とした。


 眩き光の向こうに歩む翁の背――それが女剣客が最後に目にしたものであった。






 卍






「……はッ!?」


 目を覚ました女剣客は勢いよく起き上がり、すぐさま辺りを見渡す。

 そこは何処かの道端だった。辺りには家屋が見えるので、江戸の町だろう。

 しかしそれは可笑しなことだ。なぜなら己は町から離れた林で翁と決闘して、そこで意識を失ったはずだ。

 誰かが運んだのだろうか、あるいはここは夢なのだろうか、それとも先の翁との決闘こそが夢だったのだろうか――数多の疑念が思い浮かぶ中、女剣客は急いで着物の前を開くと、胸に巻いたサラシは綺麗なままだが、右下腹から左鎖骨に掛けて刀傷があることに気付く。


 やはり夢ではない。そして、血は既に止まっている。

 即ち林で誰かに助けられたあと、その誰かは親切にも女剣客を町まで運び、そして道端に放ったということだ。

 浅い傷だったとはいえ塞がっていることを鑑みるに、数日は経っているのだろう。

 恐らく傷が治ったところで道に放り出したのだろうが、ぞんざいな扱いではあるとはいえ見返りを求めない酔狂な者が居たらしい。

 女剣客は見ず知らずのその何者かと、己のしぶとさに感謝し、天を仰いだ。


「いよっしゃぁああああああああッッ!!!」

 

 道行く人の訝しげな視線も憚らず、女剣客は天に両拳を突き上げながら叫び、そして笑った。

 彼女は嬉しかったのだ。自らの人生は終わっておらず、未だ剣の道を歩めることが。

 そして、あの翁と再び刀を交えられることが。


 あの翁は間違いなく剣の達人であった。その名も以前に江戸で聞いたことがある程だ。

 この町が江戸の城下であるとすれば、さほど時間もかからずに再び相見えることが出来るだろう。


 しかし、今のまま決闘したところではまた負けることは確実だ。

 己は気は長い方ではないが、彼我の力を理解せず無謀に挑むほどうつけでもない。

 技量、気迫、速さ、いずれも足りていない。

 それに翁が語った言葉も気になる。「迷いし刀」と翁は確かに言葉にした。

 それについて心当たりがないこともないが、確証もなければそれを解決するための見当も付かない。


 とりあえず今は己に足りないものを満たすべきだろうし、果し合いはそれからだ。

 そう思い至った女剣客は、再び翁と相見えるその時に胸を躍らせながら、修行することを決意した。


 一頻り笑った後、ふと女剣客の腹の虫が喚き出す。

 剣の事も大事だが、まずは腹ごしらえだ。このままでは腹と背がくっつくかもしれない。

 再び辺りを見渡して飯屋を探すと、そこで彼女はあることに気付いた。


「なんだぁ? あの妙な格好は……」


 道行く町人の格好が、皆なのだ。


 着物を身に着けてはいるのだが、腕や脚や腰になにやら光を発する装飾を付けていたり、鉄で出来た奇妙な被り物をしていたり、果ては髪の色が黒や白ではなかったりするのだ。

 それも一人や二人ではない。

 己も着物と南蛮の衣服を組み合わせて、そこそこ傾いた格好をしているが、それに引けを取らない格好だと女剣客が思う程、これまで江戸では全く見たことがない恰好だったのだ。


 もしや江戸の町ではないのではと一瞬思ったが、これほど栄えた町を江戸以外には知らず、あるとすれば京の都しかない。

 しかし江戸から三里ばかりの林に居た以上、今現在己の居る場所が京の都であることはまずあり得ない。

 故にこの町は江戸の城下だ。きっと町人達の奇天烈な格好は、近頃の町の流行なのだろう。

 その様に結論付けた女剣客は深く考えることは止め、再び飯屋を探すことにした。


 だがどうやら辺りは民家ばかりの様で、店らしきものは一つも見当たらない。


「仕方ねぇ、一つ向こうの通りに行ってみっか」


 女剣客は道を抜けた先にある通りの方が人が多いことに気付き、恐らくそこが大通りであろうと予想すると、すぐさま駆け出した。

 育ちの盛り故、一刻も早く飯を食らいたくて仕方なかったのだ。

 まばらに行き交う人の波を器用に掻き分け、女剣客は道を歩み進めていく。

 次第に速まる健脚は、まるでその先に飯屋があることを確信しているかの様だ。

 

 ――ところが、道を抜けて大通りに出た彼女は、予想に反してさらに驚くべきものを目にすることとなる。


「な、な、な――」


 大通りに出れば、当然人の波と江戸の城下が広がり、そして幕府を治める天下の江戸城が見えるはずだった。

 それはこの町が江戸であることの証明であり、彼女はそれが自身の目に映ることを期待していた。


 だが、彼女が目にしたものはそれとは全く異なるものであった。


「なぁんじゃあこりゃああああああああああああああッッッ!?!?!?」


 女の絶叫が大通りに轟く。


 江戸城があるべきそこには、天を衝く程に高く聳え立つ金属的な何かがあった。

 恐らく建造物だろうが、その様なものは見たことも聞いたこともない。

 加えて、空には透明な道の様なものがいくつも浮かび、その上を鉄の駕籠らしきものが凄まじい速さで駆け巡っている。

 大通りには何頭もの鉄の馬が走り、家屋や商店には光輝く看板や装飾が施されている。

 そして人々はその様な珍妙奇天烈な町で、それが当たり前の如く何事もない様子で過ごしている。


 彼女の目に映ったそれらは、決して彼女が知る江戸の町ではなかった。






 そしてこの町――正しくはこの「世界」――が数百年後の未来で流行しているVRMMO世界、サイバーシティ『BIG EDO』であることを彼女が知るのは、これより三日後のことである。






 序曲 剣戟プレリュード 完

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