第伍話「NPC」
「――いいか、初めからもう一度聞くぞ。名前は?」
「幕府の犬共に名乗る名は
「ユーザーIDは?」
「知らね」
「……住所は?」
「根無し草の風来坊だ」
「住所不定ってことだな。職業は?」
「流浪人って言っただろ。決まった仕事は無え。用心棒の真似事ならたまにやるけどな」
「無職だな。EDOにはいつからダイブしている?」
「だから、だいぶってなんだよ。知らねえよ」
「……EDOに来たのはいつだ?」
「今朝来たばかりだ。やっぱこの町は『江戸』なんだな。にしても、しばらく来ねえうちに江戸は随分とからくりが増えたな。流行ってんのか?」
「質問をしているのはこちらだ。あの路地で何をしていた?」
「うろついてただけだ。そうしたらあのド三流が後ろから斬りかかって来たんで、逆に斬り返してやった」
「武器……刀はどこで入手した?」
「昔やり合った侍くずれからぶん取った」
「そのアバターのカスタマイズは自分でやったのか?」
「あのよぉ……おれぁ南蛮の言葉は分からねえって言っただろ? あばたーだの、かすたまいずだの、聞いたことねえし知らねえよ」
心の底から理解出来ないといった様子の女剣客の返答に、取調べ担当の同心は本日何度目かの溜息を吐いた。
刻はオニヘイと女剣客の一騎討ちからおよそ二時間が経った頃。
場所は奉行所城下セントラル東支部の一室。四方を複数の
しかし同心の努力むなしく、その成果は芳しくない。
自身の名前を除き、女剣客は初心者ユーザーでさえも知っていそうな情報を「知らない」と答え、そんな訳はないと同心が糾弾しても「知らない」「聞いたことない」の一点張りであったのだ。加えて女剣客としてのロールプレイを全く崩さず、とにかく女剣客の『設定』を話すばかりであった。
まさに鋼の如き精神とロールプレイの徹底具合により、いくら問い詰めて暖簾に腕押しといった状態だ。
そんな取調べの様子をオニヘイとチュースケは遠隔カメラを通して、隣の部屋で観察・分析を行っていた。
「……どう思う?」
「イカれてる、としか思えねーな。普通のユーザーじゃねえってのは確かだ。だろ?」
「ああ。気絶してもダイブアウトしねえなんて、明らかにおかしい」
オニヘイは退屈そうな表情の女剣客をカメラ越しにじっと見つめ、ふと一騎討ちの結末を想い出す。
オニヘイと女剣客の一騎討ちは、オニヘイのジッテブレードから放たれた
もしもこれが現実で起きた事象であれば、今現在の様にそのまま取調べ室へと連行し、根掘り葉掘り話を聞くことだろう。
しかしVR世界におけるユーザーの意識喪失はシステム上『強制浮上』へと直結し、女剣客はあの時点でBIG EDOからダイブアウトするはずだった。
この際、アバターはBIG EDOが設置している公共データベースへと転送され、公共データベースに入った時点でアバターのデータ分析が行われるので、これによりユーザーの身元も割れる。オニヘイ達はこれを期待した。
だが実際には女剣客のアバターがオニヘイの手元からいつまで経っても消えず、終いには彼の腕の中で可愛らしい寝顔を作り、寝息まで立てる始末だったのである。
もはやいくつもの精密なカスタマイズを見た所為か、アバターが寝息を立てるということについてはあまり驚かなかったが、強制浮上を行わないというEDOのシステムすら覆した点については、流石のオニヘイも動揺を隠せなかった。
「おかしいのはそれだけじゃねーだろ。あのロールプレイの徹底ぶり……というか、自分がまるでそういう人間として生きてきたみたいな、
「アバターの出来も相まってな。にしてものめり込み過ぎだし、あれは異常だ」
アバターが転送されないと分かったオニヘイは咄嗟の判断ですぐさま女剣客を拘束したが、これは彼の英断であると言える。
何故なら女剣客は十分ほどで目を覚ましたからだ。
そして目覚めた彼女あるいは彼は一時自身の状況に動揺する様子を示したものの、程なくして状況を理解したらしく、激しい怒りを顕わにして叫んだ。
――とっとと斬りやがれ幕府のくされ犬共! お
女剣客の言葉にオニヘイを含めたその場に居た全員が唖然とし、そして呆れた溜息を吐いた。「時代劇の見過ぎだ」と。
そもそもEDOにおいて、プライベート空間外でのハラスメント行為は禁止されている。
尤もアバター自体に違法カスタマイズを施していれば、他の一般ユーザーに危害を加えるのと同様にそれも可能となるかもしれないが、言わずもがなサイバーセキュリティはその様な犯罪行為は行わない。
それにしても、アバターに関する女剣客の受け答えは非常に不可解だとオニヘイは感じた。
「名前やユーザーIDを隠してえのは分かるが、『アバター』という単語すら知らねえ素振りをしてんのはどういうことだ?「アバターのカスタマイズについて知らねえ」と答えるなら分かるが、EDOにダイブしている以上それ自体を知らねえなんて言い訳が通らねえことは、奴さんも分かってるはずだ」
EDOにダイブしている時点でユーザーは最初のアカウント開設なりチュートリアルなりで、アバターに関する知識をある程度獲得せざるを得ないはずだ。それを逃れてEDOにダイブすることなどあり得ない。
仮にそれらを経ていなかったとしても、アバターに関する知識は現代社会において一般常識に分類されるほど誰もが知り得ている情報であり、今時子供でも知っている知識だ。
それにも関わらずアバター自体を知らないと宣う女剣客の意図がオニヘイ達には理解出来ず、初めはそれもロールプレイの一環だと思い、直接取調べを行っている同心を通してロールプレイを止めるよう強く命令した。
しかし今度はあろうことか、女剣客は「ロールプレイとはなにか」と真顔で問うたのだった。
その後、何度もそれについて言及しても女剣客は全く折れず、その徹底具合にオニヘイ達は脱帽した。
結局ロールプレイ状態のまま女剣客の取調べを続け、結果として現在の状況に至っている。
「本当に知らねえってわけはねえはずだし、ロールプレイを徹底してんだろうな。強情とかってレベルじゃねーなこりゃ」
「ロールプレイをしなければならねえ理由でもあんのか? いや、なにか違う気がするな。もっと根本的な……そういや、分析結果はどうした」
「奴さん、データ量が半端ねえらしくてな。分析にもかなり時間が掛かってるらしい」
「もう一時間だろ? 尋常じゃねえな……」
公共データベースに転送されなかったため、オニヘイ達は自前のスキャナーで女剣客のアバター情報をスキャンし、取調べを行っている間に取得した情報の分析を行っていた。
通常のアバターの情報量であれば五分も掛からずにアカウント情報を取り出し、ユーザーのIDや本名や所在地などを割り出すことが出来るのだが、件の女剣客のカスタマイズはやはり高度かつ緻密なものらしく、分析作業開始から既に一時間が経過していた。
本人から情報が聞き出せない以上、分析結果を参照するほかない。そしてアバター自体に刻まれた情報であれば、それは嘘偽りないものだ。
故にオニヘイ達はこれを待つほかないのである。
「そうは言ってもたかだかアバター一体分のデータ量だ、たかが知れてる。そろろろ終わるんじゃねーか?」
そんなチュースケの予想を準えた様に、オニヘイ達の共有チャットにコールが掛かる。
コール元は女剣客のデータ分析を行っている同心からであった。二人は顔を見合わせ、同時に応答する。
「どうした、ウリスケ。分析が終わったのか?」
『筆頭! 筆頭補佐! お待たせしたっす! 分析完了しました!』
チュースケの直属の部下の一人である同心のウリスケは、元気の良い声で自らの仕事の完了を報告した。
尤も彼は今現在VR空間におらず、分析の為に現実で仕事を行っている。故のチャット通信であった。
「噂をすればってやつだな。それじゃ結果を報告してくれ」
『うっす! 先に分析データを転送するんで、受信確認お願いします』
オニヘイ達はすぐさまストレージを開き、メッセージボックスに届いているメールの添付ファイルを展開した。
それは分析結果を記載した書類データであり、その頁数はおよそ五百を超えていた。
「「なっが」」
『かいつまんで報告します。まずそのアバターっすけど、ユーザーIDやユーザー名を含むアカウントの情報が一切載ってなかったっす』
「ちょっと待て。アバターには一通りアカウントの情報が載ってるはずだろ。ちゃんと調べたのか? 何かプロテクトでも掛かってるんじゃねえか?」
『いえ、プロテクトの類は一切確認出来なかったっす。まぁアカウント情報はアバター売買の都合もあって、少し詳しいユーザーならいくらでも書き換えが出来るんすけど、アバターっていうのは制作記録だったり更新者の情報だったりが自動で記録される仕組みで、これに関してはシステム側以外書き換えたり出来ない情報なんすよ。で、作成記録を確認したところ、これがまた妙な日付で……』
「いつ作成と書いてあったんだ?」
『「天明三年」って書いてありました。意味分からなくて調べたんすけど、西暦で直すと「一七八三年」頃らしいっす』
「……江戸時代だな」
もしこの記載が事実だとすれば、この女剣客のアバターは現代からおよそ三〇〇年前に作成されたことになる。女剣客のロールプレイは、どうやらシステムをも凌駕したらしい。
そんな幻想的でどこか諦めた思考を抱くオニヘイは内心で自嘲しつつ、ウリスケの報告に耳を傾ける。
『流石に作成記録まで弄られてるのはおかしいなと思って、アバターを色々と調査したんすけど、どこにも弄った形跡がないんすよ』
「弄った形跡がない? いや、あのアバターは確実にカスタマイズされているだろ。この資料の通りデータ量も尋常じゃねえし」
『そのはずなんすけど、まるで最初からその形だったみたいな、どこにも後から手を加えた様な記録が無かったんす……で、俺、ふと思いつきました』
「何をだ?」
『これ、アバターじゃないんじゃないかって』
途端に声を顰めたウリスケの言葉に、オニヘイとチュースケは揃って頭に疑問符を浮かべた。
「どういうことだ?」
『俺個人の推測の域を出ませんし、突拍子もないことかもしれないっすけど、話していいすか?』
「構わねえ。
『……アバターじゃないんすよ、これ。一般ユーザーがアカウントを開設して作ったものではなくて、これを使用しているユーザーもいなくて……というか、そもそもユーザーが使うものでもないと思うんすよ』
「すまん、お前が言わんとしてることがさっぱり分からないんだが、つまりどういうことだ? 使用しているユーザーがいない?」
『言葉の通りっす。この……女剣客でしたっけ? これは女剣客の姿形をしたアバターじゃなくて、アバターではない別の何かなんすよ。もっと言うなら、ユーザーの意思や意識で動いてるものじゃないんすよ。全く違うものっす』
捕捉するようにウリスケが話を続けるも、オニヘイは首を傾げたままだった。言葉の意味は分かるが、その真意がいまいち理解出来ていないのだ。
しかし隣のチュースケは何かを閃いたらしく、大きく目を見開いている。
「ユーザーが動かしてねえってんなら、いったい誰が動かしてるってんだ?」
「いや、待った! オニヘイ、俺はウリスケが言わんとしてることがなんとなく分かったぜ。けどよ、そんなことがあり得るのか? 見た感じや発言なんか、まんま人間のそれだぜ? それにこの前、俺ぁ最新のやつと会話したんだけどよ、これほど人間染みてはいなかったと思うぜ。あり得るのか?」
『俺はその女剣客を直接見てもいないし話してもいないので、断言は出来ないんすけど、可能性は高いんじゃないかなぁと……』
「おいおいおい! 手前らだけで話を進めるんじゃねえよ。結局アイツはなんなんだよ?」
チュースケとウリスケの間に共通の認識が生まれた様だが、よく分からないまま話が進むことを恐れたオニヘイは二人の会話を遮り、改めて簡潔な説明を求めた。
これに対しウリスケは一呼吸置いてから、自らの意見をはっきりと言葉にした。
『「
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