第陸話「交わる運命」




「……なぁ、おれはいつまでここに居りゃあいいんだ?」

「お前が素直に話すまでだ」

「だからさっきから言ってんじゃねえか。だとか、だとかは知らねえって」

「なら、お前の名前は?」

「……」


 同心の問いに女剣客はきゅっと口を噤んだ。

 自分の名は意地でも語りたくないらしい。


「話にならないな。そんなに名前を知られるのが嫌なのか? 名前が知られると都合の悪い事でもあるのか?」

「……おれは強えやつにしか名乗らねえ。おれの名を知りたきゃ、あの鬼面のお奉行様でも連れて来るこった」


 女剣客の返答から、同心は彼女が実力至上主義であることを理解した。

 故に、彼女を負かしたオニヘイを呼べば名前を知ることが出来るだろう。

 たかだか取調べに筆頭たるオニヘイを呼ぶなど通常なら憚られるところだが、このままでは埒があかない。そう思い至った同心は悩ましげな様子で腕を組み、唸りながら考え込んでいたが、やがて吹っ切る様に椅子から立ち上がった。


「分かった。筆頭を呼んで来るから、そうしたら名前を教えろ。いいな?」

「呼んで来たらな」


 同心は女剣客のその返事に対して数度頷き、取調室を後にする。結局効率を優先し、オニヘイに頼ることにしたのだ。

 女剣客はその様子を酷く退屈そうな表情で眺めていたが、扉が閉じられた途端、してやったり顔を浮かべた。

 彼女は、同心がオニヘイを呼ぶことを待っていたからだ。

 己から「斬れ」と訴えたにも関わらず奉行所がそれをしないということは、奉行所は己を殺すつもりがないと認識していた。また先程から質問攻めするだけで拷問にかける様子はなく、陵辱するつもりもないことも。

 つまり交渉次第では無傷で解放してもらえる可能性が高い。そう彼女は思い至ったのだ。

 そして交渉は同心より身分が上で決定権を持つ人間と行う必要がある。上の者の言であれば下の者は逆らえないからだ。

 出来れば没収された己の刀も回収したいが、とにかく今は自由の身になること、女剣客はそれを最優先としていた。


 だが、彼女がオニヘイに会いたがった理由はもう一つある。


 間も無くして取調室の扉が開かれ、これまで取調べを行なっていた同心に代わって、別室から呼ばれた二人の男、即ちオニヘイとチュースケが部屋に入った。

 二人はとても訝しげな表情で女剣客を眺め、また女剣客はオニヘイの姿を確認して口角を吊り上げた。


「……よお。元気そうだな」

「おう鬼面奉行! さっきはよくもやってくれたなぁ! だが次は負けねえぞ! 絶対ぜってえにおれが勝つからな! 首洗って待ってろよ!」


 開口一番、女剣客は獣の如く吠えた。

 これが言いたかったがために、彼女はオニヘイを取調室に呼んだのだ。

 先の一騎討ちによる己の敗北は、彼女にとって許容し難い結果だった。それは決して「負けたこと」に対してではなく、敗因をいまいち理解出来ていない事が理由だ。

 女剣客はオニヘイとの仕合をはっきりと覚えていた。中でも、最後の刀の打ち合い時に全身を刺し貫く様な激しい痛みに襲われ、それによって意識を手放したというその事実をよく覚えていた。

 それは江戸に辿り着く直前に己を負かした翁との仕合いの時と同様で、完全に見切ることの出来ない技が使われたという証拠であり、眼前の奉行がそれを扱えるということに他ならない。

 故にオニヘイに勝てなければ、あの翁に勝つことなど夢のまた夢。

 故にオニヘイと仕合わなければならない。そう思い至ったのである。

 そんな彼女の志など知らず、オニヘイは冷淡に言葉を返す。


「残念だが、このままだと手前てめえは地下牢送りだ。俺とやり合う機会は二度と来ねえ」

「ハッタリだな。そのつもりなら最初からやってるはずだ。でなけりゃおれから聞きてえ事があるってのに、拷問もしねえのはおかしい。本当はおめえらにそんなつもりなんて無えんだろ?」

「つい先程まではな。だが気が変わった。俺達は手前を牢にぶち込むことにした。縛ったまま鎖に繋ぎ、二度と日の光を浴びることは無え。暗くてじめじめした場所で、手前はただ死ぬのを待つだけだ」


 目を細めて淡々と語ったオニヘイの言葉を聞き、途端に女剣客の額に汗が浮かぶ。

 これまで意味不明な質問以外は適当にはぐらかしていたが、ここに来てそのツケが回って来たのだと女剣客は悟った。

 このままでは、己はこの先暗い牢で一生を過ごし、男達に弄ばれながら死んで行く。剣に生きる道は閉ざされ、人知れず無様な最期を迎えるのだ。

 最悪の結末を想像し、俯き気味となった女剣客の顔色が徐々に悪くなっていく。


「だが、条件付きで手前を自由にしてやる」

「条件……?」

「ああ。その前にいくつか質問に答えろ」


 顔を上げた女剣客の表情の機微を確認し、オニヘイは一呼吸置いて言葉を続けた。


「手前の……手前が生きる目的は何だ?」

「んなこと聞いてどうする」

「いいから答えろ。答えなけりゃ、真っ直ぐ牢に入れるだけだ」

「……おれの生きる道は剣の道だ。おれは剣を極め、を手に入れる。邪魔するやつ、立ちはだかるやつは全て叩き斬ってきた。誰にも笑わせねえし、文句も言わせねえ。そしていつか、おれはあのジジィを……いや、まずはお前に勝つ!」

「剣を極める為には、町人も殺すのか?」

「はぁ? おれをただの人斬りと一緒にすんじゃねえよ。おれが斬るのは、おれより強えと思ったやつと、向こうから斬りかかって来たやつだけだ」

「……成程な」


 女剣客の返答を聞いたオニヘイはどこか納得した様子で数度頷き、そのまま女剣客の背後に回った。

 そしてコンソールを開いていくつか操作を行うと、女剣客の拘束が解除される。

 床に拘束具が落ちる鈍い音が響き渡り、女剣客は己の体が久しぶりに自由になったことを理解した。


「……自由にしていいのかよ?」

「どうせ俺達の許可が無けりゃ、この部屋からは出られねえしな。それに、手前とは対等に話すべきだと思ってな」

「そうかよ。で、おれを自由にする条件ってのはなんだ?」


 女剣客の問いに対し、オニヘイは徐に人差し指を立てながら答える。


「一つ、この町に居る限り殺しを禁ずる。ただし仕掛けられた時は別だ。これが守れねえなら、手前は牢送りだ」

「……わかった。殺しはやらねえ」

「一つ、この町に居る限り盗みを禁ずる。まぁこれは問題無えと思うが、一応な」

「盗みはやらねえよ」

「一つ、この町に居る限り許可無き果たし合いを禁ずる。果たし合いは必ず俺の立会いの下で行う。これが守れねえなら刀は返せねえ」

「喧嘩にもいちいちお許しが要るのかよ……ま、おれの目当ては今のところお前しか居ねえから、お前以下の相手に用は無えよ。っていうか、これいつまで続くんだ?」

「最後に一つ、手前は奉行所に入れ」

「あーはいはい、わかったわかった……って、はぁ!?」


 平然と告げられたオニヘイの言葉は女剣客を驚愕させ、思わずその場で立ち上がらせた。

 下手人の扱いから一転、奉行人になる事を命じられれば当然の反応と言える。

 それに女剣客には、オニヘイの意図が全く理解出来なかった。

 なぜ己の様な風来坊の人斬りを、それも名前すら知らない浪人を奉行所に勧誘しているのか。

 オニヘイの発言が非常に不可解に思え、そして同時に何を考えているのか知りたくて仕方なくなった。


「二時間前に手前が伸した下手人、あれは近ごろ巷を騒がせていた辻斬りだった。これまでEDOは窃盗や詐欺はあれど、暴力沙汰はてんで無かった。そもそもだったんだよ。だが、何故かそれが出て来る様になっちまった」

「江戸も随分と腑抜けた町になったな。で、その話とおれが奉行所に入ることに何の関係が?」

「この町にゃ、ああいった手合いの相手が出来るユーザー……人間が少ねえんだ。集団戦法ならともかく、個人で戦い慣れてるやつは俺と部下数人程度だ。奉行所には戦力の増強が必要だ。その意味では、手前が適任ってわけだ」

「おれに『岡っ引き』になれってのか? ふざけんな、あの程度の雑魚なんざ興味無えんだよ」

「だが手前は『強さ』には興味がある。そうだろ?」

「……なにが言いてえ」


 オニヘイは女剣客の正面に立ち、頭二つ分以上違う背丈から彼女の訝しげな表情を見下ろす。


「手前が目指す最強像が何かは知らねえが、俺は何人もの強者を知っている。その何れもが、ただ強者との戦いで強くなったわけじゃねえ」

「そりゃ……いったいどういう事だ」

「知りたけりゃ俺達について来い。ま、来ねえなら地下牢暮らしだけどよ」

「……」

「それに、奉行所に居りゃ俺がいつでも相手をしてやるよ。と言っても仕事があるし、いつでもEDOここに居るわけじゃねえから、一日一回が限度だろうけどな。そうだ、俺に勝てるまで奉行所に居るってのはどうだ?」

「おいオニヘイ……!」

「大丈夫だ、心配無えよ」


 オニヘイの提案をその背後に居たチュースケが咎めた。どうやらオニヘイが事前に確認した提案とは異なるものだった様だ。

 しかし、彼の言葉は女剣客の琴線に触れていた。

 オニヘイの提案に女剣客がすぐさま食いつく。


「言うじゃねえか。おれじゃあ、お前には勝てねえってのか?」

「ああ。少なくとも、今の手前じゃあな」

「上等じゃねえか……なってやるよ、お前らの手足に! お前が語る強さとやらを知って、お前に勝って、おれは更に強くなって、堂々とここを出て行ってやるよ!」


 女剣客はオニヘイの双眸を真っ直ぐ見据え、己が決意を猛々しく吠える。

 鬼気迫る様で、どこか愉しげに口角をつり上げたその表情は、決して数式や論理に支配されたものが生み出したとは思えない程に、非常に人間染みていた。

 だがその反応はオニヘイの狙い通りでもあった。オニヘイは女剣客の決意を聞き、こちらも歪めた口元に高揚感を表す。


「決まりだな。俺の名前は鬼平オニヘイ長谷川鬼平信定ハセガワオニヘイノブサダだ」

「はっ、顔どころか名前まで鬼かよ……白井亨義則シライコウノヨシノリだ。コウでいい」

「これから宜しくな。コウ」


 互いにそれぞれの名を確認すると、オニヘイが女剣客・コウの腹の前辺りに右手の平を差し出した。


「……なんだこの手」

「握手だ握手。知らねえのか? ああ、そういやこれが日本に広まったのは幕末――」

「お、おお! あああれだろ!? 南蛮の挨拶だろ!? んだよ最近の奉行所は歌舞いてやがんなぁ!」


 コウは少し慌てた様子で、誤魔化すように差し出されたオニヘイの手を素早く握った。

 そこで両者が抱いた想いは、それぞれ全く異なるものであった。

 一方は、目の前の存在を己が成長の糧とし、強者を超えるという未来へ至る決意。

 一方は、目の前の存在に「人間」としての価値を見出さんとする、未知への期待。

 しかしそこに貴賎はなく、立場の違いも関係無く、二人の間には確かに対等な繋がりが生まれていた。


 かくして、女剣客と鬼奉行の運命はサイバーシティ『BIG EDO』にて、輪縄の結び目の如く固く交わったのである。






「ところで、握り飯でも持ってねえか? この町に来てから何も口にしてなくてよ、腹減っちまって」

「……ソバ屋でも行くか?」

「良いな蕎麦! 行こう! すぐ行こう! 当然オニヘイの奢りでな! な!」

「お、おう……」


(……なあチュースケ。電脳フードって一食いくらだ?)

(さぁ……まぁ、少なくとも現実リアルよりは安いだろ。ちなみに俺の分も奢ってくれるよな?)

(巫山戯ふざけろ)


 このあと、三人で滅茶苦茶ソバ食べた。






 第壱曲 辻斬エチュード 終演

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