第弐曲 義賊ノクターン
第漆話「金色の雨」
サイバーと和が入り混じる電脳世界『BIG EDO』には、夜の帳が下りていた。
公共的電脳空間であるEDOは管理サーバーが日本に存在する為、日本時間を基準として
しかし夜とは言っても町は現実の主要都市の如く灯りに溢れ、路地裏を除けばどこもネオンの眩い明かりに満ちているので、ユーザーのダイブ率は昼以上に高い。
そして夜のEDOはこれまた現実の都市の如く、若いユーザーが多い。そもそもVR空間の使用者層比率は若年層が過半数を占めているのだが、夜間の使用率は八割を超える。
故に、夜のEDOで大きな話題が生まれたとすれば、SNSを経て瞬く間に全国に広まることだろう。
そんなあくる日の夜であった。
『はーはっはっはっはっはっ!』
拡声器によって拡散された快活な男の高笑いが、EDOの夜空に轟いた。
その笑い声を耳にしたユーザー達が一様に空を見上げると、そこには電脳天河を流星の如く駆ける人影があった。
背に凧カイトを装着したそれはジェット噴射で高速滑空し、やがて人影は鉄塔の頂上へと辿り着く。
瞬間、鉄塔の天辺に巨大なホログラムが展開された。ソリッドビジョンで映し出されたそれは、各面に「五エ門」という文字の六角形エンブレムを表している。
『大義賊ゴエモン、ここに見参! 今宵の天気は星空のち金の雨! さぁさ存分に浴びやがれぇい!』
ゴエモンと名乗る声がそう宣言した次の瞬間、EDOは
金の雫はオブジェクト化されたクレジットであった。ユーザー達の頭上には多量の小判が降り注ぎ、気持ちの良い金属音を響かせながら地面に転がる。
人々は喜びの声を上げながら地面に這い蹲ってそれらを拾うか、あるいは金の雨が降り注ぐ光景や鉄塔に出現したエンブレムを撮影した。
そして撮影されたそれらはすぐさまユーザー達によってSNSで拡散されていく。これにより金色の雨とゴエモンは一躍話題となった。
これが突如としてEDOに現れ、世間を騒がせた『大義賊ゴエモン』の最初の事件である。
卍
「オニヘーイ! オニヘイはいるかー! オニヘーイ!!」
BIG EDOは城下セントラル東に位置する奉行所支部にて、剛毅で一際元気の良い女性の声が轟いた。
その外見は腰に二刀を携え、和と洋が混在する傾いた格好をした剣客だ。
女剣客の声は所内全体に響き渡り、十数あるうちの一つの部屋から大柄な男性ユーザーが勢い良く扉を開けて飛び出した。
その形相には鬼の如き憤怒が現れ、周囲の者達はたじろいでいる。
「うるせえぞコウ! ちっとは静かに出来ねえのか
「へっ、黙らせたけりゃ力尽くでやってみな!」
「上等だ! 手前なんざ二秒で伸してやるよ!」
「言うじゃねえかこの鬼野郎! 今日こそぶっ倒してやらあ!」
オニヘイとコウは顔を突き合わせ、いがみ合う様にして奥の扉から裏手の剣道場へ出て行った。
その光景を見ていた同心達が口々に話す。
「やれやれ、あの二人またやってるよ」
「あれが来てからもう五日か。毎日あんな感じなのか」
「見た目は可愛いけど、あれの相手する筆頭は大変だな。にしてもあれ、ほんと人と変わらないな」
「最近のAIってすげーんだな。でもどうせ外見可愛くしたなら、性格も可愛くすればいいのに」
「それな。なんであんなじゃじゃ馬娘にしたんだか。一般向けならクーリングオフ待ったなし」
「はは、違いねえ」
所内は五日前から奉行所に入った女剣客・コウの話題で持ちきりだった。
それもそのはずで、事前の報せも無く急遽奉行所に所属となった『NPC』が、あろうことか筆頭たるオニヘイに毎日突っ掛かる異様な存在であったからだ。その話し方やユーザーに対する態度・反応は普通のAIのそれではない事を、同心達は感じ取っていた。
しかしオニヘイがコウを御している為か、初めこそその存在を訝しんだものの、五日も経てば皆がオニヘイ達のやり取りをどこか生暖かい目で見守る様になった。同心達は適応能力が高く、またお気楽な連中ばかりであった。
そんな彼等は笑い合いながらいつもの如く奉行所の玄関広場に整列する。普段ならばオニヘイの朝礼の言葉を待つのだが、今朝に限ってはチュースケが代理で立っていた。
「よし、皆集まってるな。筆頭様は今日もあんな感じなんで、今朝は俺が朝礼会を仕切るぞ。本日もいつも通りパトロールなわけだが、先日捕まえた『辻斬り』の様な犯罪ユーザーがまた現れないとも限らん。各自ジッテブレードとスタン銃を携帯し、二人または三人一組で行動するように。連絡事項は以上、それじゃ今日も頑張って行こう。解散!」
『応ッ!』
同心達はチュースケの号令に応え、すぐさま奉行所を後にする。
チュースケはそれを見送り、自身もパトロールの準備をしつつオニヘイの様子を確認しようとしたその時、剣道場の方からコウの悲鳴が轟いた。
どうやら試合は決着したらしく、間も無くしてオニヘイだけが道場の扉を開けて戻って来る。
オニヘイは酷く疲弊している様子だ。
「はぁー……」
「おうオニヘイ、朝からおつかれさん。奴さんどんな感じだ?」
「……最初にやり合った時から『加速』に対応してたんで、反応速度は中々だ。太刀筋もかなりの使い手をトレースしてんのか、相当のモンだ。だが、性格は愚直な癖に相手の裏をかきたくて仕方ねえ様で、逆に軌道が分かりやすい」
「成程な。しかしコウにもAIとしての学習機能があるなら、そのうち色々創意工夫してくるんじゃねーか?」
「その時はまた考える。しばらくはあのよく分からねえNPCを監視する必要があるからな、そう簡単には勝たせねえよ」
「監視なぁ……それにしても正体不明のNPCを俺達で預かれとは、旗本も随分と無茶な事を仰る」
チュースケのその言葉をきっかけに、オニヘイ達の脳裏には五日前の事、取調べ室でコウと話す少し前の事が浮かぶ。
「俺達があれを監視、ですか?」
『うん。身元不明NPCの管理についてはトクガワの方も判断が難しいみたいで、こういう案件については回答が返って来た試しがないからね』
コンソールの画面に映し出された丁髷頭の中年男――旗本が、いつもの柔和な笑みを少し困らせ顔に変えて答えた。
しかしオニヘイ達は旗本の回答を聞いて顔を見合わせる。以前にも似た事案があったとは想像していなかったからだ。
「過去にもあったんですか? こういう事案」
『稀だけどね。でも大抵の場合はソバ屋の受付インターフェイスみたいな普通のプログラムで、今回みたいな高度AIと大量のデータを備えたタイプは初めてだね。いつもならそのまま廃棄だけど、だいぶ特別みたいだから、しばらく様子を見た方がいいんじゃないかなって思うよ』
「と言われましても、あのAIはかなり曲者ですよ。こちらの指示に素直に従うかどうか」
『そこは君達の交渉術を信頼しているよ。相手が人間らしい程効果的な筈だよ』
「まぁ人間らしいっちゃ人間らしいですけどね、ただし三〇〇年くらい前の人間ですけど」
明らかに江戸時代の女剣客の設定を持つAIに対して現代人の説得や交渉が通じるかどうかは定かではないが、言葉が通じるのであれば問題ないと旗本は判断したのだろう。
少々楽観的過ぎる旗本に内心で呆れつつ、オニヘイは更なる問題点を指摘する。
「それに仮にこちらの指示に従ってくれるとして、誰が面倒見るんです? 今後、あのNPCに伸されていた真犯人みたいなのが複数現れるとしたら、面倒見てる暇なんてないですよ」
事件の犯人はまさしく噂の『辻斬り』であったのだが、その辻斬りは現時点でNPCと判断された女剣客・コウではなく、それに伸されていた男性ユーザーこそが辻斬りであると後の取調べで判明した。
辻斬りの特徴で当時コウが被っていた笠は男性ユーザーから奪ったものであり、また男性ユーザーは「キック機能を持つ特殊な刀」を持っていたこと以外は、まったく普通の一般ユーザーだったのだ。
刀の出元については分析しても詳しい事が全く分っていない。入手の経緯についても「気が付いたらアイテムストレージに入っていた」という非常に曖昧な証言であった。
そして、もしも同じ様に違法アイテムを配布している何者かがいるとすれば、今後も同様の事件が発生し、その対処に追われる未来がオニヘイ達には目に見えていた。
そんな懸念を知ってか知らずか、旗本は柔和な笑みを浮かべる。
『それなら尚更良いじゃないか! そのNPCは刀を持っていればセキュリティと同じ様にユーザーをスタンさせられるから犯人確保も出来るし、逆にNPCならユーザーと違って四六時中EDOに居るわけだから、オニヘイ君達が居ない間に起きた事件の情報収集も出来る。よく考えると奉行所仕事にはうってつけだね!』
「それが出来たとしても、流石に誰かに監視されることをあれが許容するかどうか」
『そこは多少強引でも大丈夫だよ、いくら人間らしくても所詮はプログラムだからね。ペットを飼う時だって、命令を聞かないなら聞くように調教するし。プログラムだからこの場合は調整かな』
旗本の言うことも一理あるだろうが、オニヘイは何故だかそれが上手くいかない予感がしていた。
実際に女剣客と相対し、明らかに挑戦的で奔放そうな厄介な雰囲気を察知していたからだろうか。
いずれにしてもそれらは一個人の感想に過ぎず、妥協するほかないのだとオニヘイは悟った。
「……はぁ、分かりました。ひとまずこちらで様子を見ますが、手に余る場合は相談させて下さい」
『ありがとう。世話役を担当する人には特別手当を出す様にするからね。それと報告は週一程度でいいから、忘れずよろしくね。それじゃ』
そこで旗本との通信は終了した。
詳細な部分を省いたが、経緯としてはこの様なやりとりがオニヘイとコウとの話の前に行われ、オニヘイはコウを奉行所に縛り付ける為に「一日一回自身と勝負する権利」を提案したのであった。
尤も、オニヘイはその提案をすぐさま後悔することとなった。
先日の旗本との会話を思い出し、オニヘイは思わず頭を抱えた。
「おかげで毎日あれの相手をせにゃならねえ。いや、勝負してやるのは別に構わねえんだ。電脳空間とはいえ現実に近い感覚でかなり人間に近い動きをするやつと勝負出来るってのは、俺にとっても有意義だからな。ただな……」
「朝っぱらからあの喧しさはなぁ」
「あいつは鶏か? 毎朝毎朝叫ばなきゃならねえ習性でもあるのか? 旗本の言う通り調教すりゃ止めんのか? それとも徹底的に叩きのめさねえとダメか? なぁどう思う?」
「うん、とりあえず落ち着け。顔がいつも以上に鬼っぽいぞ。まああれだ、奴さんも人間と同じ様に学習するってんなら、座禅でも組ませてみたらどうだ? 少しは落ち着く様になるかもしれねーぞ、なんてな」
冗談混じりにそう言ってカラカラと笑うチュースケに相反して、オニヘイは真剣な面持ちで深く頷いた。
「一理あるな」
「え、マジか」
「手前が言ったことだろうが」
「いや、冗談半分で言ったんだよ。いくら人間っぽいとはいえプログラムだぜ? 流石にAIが禅の心を学べるとは思えねーんだけど。というかそれIT革命どころじゃねーだろ」
「この際何でもやらせるさ。それで大人しくなるならな」
もはや出来る対策は何でも講じたい、そんな気概がオニヘイの顔に表れていた。尤も付き合いの長いチュースケ以外が見れば憤怒する鬼のそれにしか見えない訳だが、オニヘイ自身はただ真剣な為それに気付いていない。
間も無くして考える鬼は肩からすっと力を抜き、いつもの仏頂面に戻った。
「まぁその話はまた後だ。それより同心達に連絡事項があるんだが、あいつらもう行っちまったか?」
「そうなのか? すまねえ、ついさっきパトロールに出ちまった」
「なら全体連絡網にこいつを流しておいてくれ」
オニヘイはコンソールを開き、メールボックスから取り出した一件のメールをチュースケに転送する。
送られたメールをチュースケが確認すると、彼は両の目を大きく見開いた。その顔には驚愕が表われている。
「おい、こいつってまさか……」
「ああ。奴さん、三年ぶりに現れやがった」
メールには一つのフォトデータが添付されていた。
それはネットニュースの一面をキャプチャしたもの。
「大義賊、再び!」の大見出しと共に掲載されたメイン写真の中には、鉄塔の頂上に巨大な六角形エンブレムが投影され、空から金色の雨が降り注ぐ絢爛な光景があった。
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