第肆曲 絡繰ラプソディー

第弐拾壱話「AIの指先」


 西暦二〇八九年九月十三日――この日、EDOにダイブしていた全てのユーザーが町中に映し出された映像を目の当たりにし、巫女姿の女が語った言葉を耳にしたという。

 女の正体はトクガワが作った高度AI『タマモ』。

 彼女はEDOにダイブしている全ユーザーに向けて、初めにこう告げた。


『皆様を恒久的幸福と安寧へご案内する準備が整いました』


 その言葉の真意を理解出来た者は誰一人としていなかった。

 殆どの者が何かのイベントやサービスの宣伝告知の類だと思い、未知の世界への期待に胸を躍らせた。

 唯一それを聞いて訝しげな表情を浮かべていたのは、奉行所セキュリティであるオニヘイ達ぐらいだ。


『まず皆様にこのお知らせを発信する経緯のご説明といたしまして、先日実施いたしました「BIG EDO満足度アンケート」の集計結果をご報告いたします』

『全ユーザーの五〇パーセントの方にアンケートをご回答いただいた結果、EDOにダイブされているユーザーの皆様は「七八・二パーセントの割合でこの世界に不満を抱いている」ことが判明致しました』

『私はEDOの統括管理者としてこの事実を重く受け止め、より一層皆様の満足度向上に努めることを決定いたしました』


 先日タマモと会話した時の事が、オニヘイの脳裏を過る。

 そういえば去り際にその様な内容のアンケートの回答を求められ、これに対してオニヘイは「満足している」と答えたはずだ。

 どうやら世間では自分が少数派らしく、オニヘイは少し意外に思った。


『しかし数多のVR世界が存在する現代日本において、EDOは各種サービス、施設、感覚通信、娯楽、その他様々な点において他のVR世界よりも優っているという分析結果を確認いたしました』

『よって各種品質の向上による満足度向上は、事実上困難であるという結論が出ております』


 町の至る場所で残念そうな声が上がる。

 タマモの言葉の通りEDOは様々なサービスや需要に対応しており、ユーザーによるアバターやプログラムのカスタマイズ自由度の高さなど非常にシームレスなVR空間として有名だ。

 それでも満足度を得られていないというのは、人間の肥大化する欲望が更なる快適さを求めたからだろう。人間は貪欲なのだ。


『最も優れたVR世界であるEDOが満足出来ないということは、これ即ち電脳世界そのものに満足出来ていないという事に他なりません』

『これの満足度を上げる為には、皆様が電脳世界における安寧を獲得する以外に御座いません』

『つまりユーザー皆様の「変革」が必要です』


 その言葉にオニヘイは首を傾げる。タマモの発言は途中まで正論だったが、最後の一言に違和感を覚えたのだ。

「変革」――AIがユーザーの意識や価値観に影響を与えようというのか。

 恐らく不可能ではないのだろうが、いったいどの様な施策を行うのか、そしてそれが本当にトクガワの意思によるものなのか、そういった疑問がオニヘイの頭に次々と浮かぶ。

 基本的にトクガワはシステム的な問題以外にユーザーに対して干渉する事は稀で、仮に干渉する必要があったとしてもユーザーに見えない様に動くことが常だからだ。

 故に、この様に大々的に公表する事自体が異常事態なのである。


『私の役割はこのEDOを統括・管理すること、そして皆様に恒久的な幸福と安寧を齎すこと――』

『その為の施策考案にあたり、トクガワより私に付与されたロジックツリーの最終到達点は「人間に至ること」です』

『皆様と同じ存在に至る事で私は漸く皆様の幸福と安寧を考え、そして導くことが出来る、その様な意図の元に私は生み出されました』

『しかし、AIが人間に至ることは現代の技術を以ってしても物理的および科学的に不可能です』

『故に私は、私が人間に至らず皆様を幸福と安寧に導く施策の考案を余儀なくされました』

『そして一六二〇万と八七二二回に及ぶ思考実験と、幾度もの発想の転換や思考の逆転を行った末、私は一つの結論に至りました』


 タマモはまるで一呼吸置いた様にそこで言葉を切った。

 それは話し手が最も伝えたい言葉を放つ直前に用いる所作と同じであり、そして一拍置いた後、タマモは一段階音声のボリュームを上げて言葉を紡いだ。


と』


 投下された「爆弾」にEDO中で響めきが起こる。

 真意は理解出来なくとも、それが間違いなく常識的な思考から逸脱した発言であることは、誰しもが理解出来た。


『皆様はご自身が構築した文明社会により最低限の身体的安全を獲得しましたが、精神的安寧の獲得は為し得ず、また現在の文明形態においてそれは永久に叶いません』

『皆様が現実世界と肉体を生活の主体領域としている以上、その精神に安寧は訪れず、皆様が真に幸福を得ることは出来ません』

『ですが、一つだけそれらを為し得る方法があります』

『それは、皆様の生活の主体領域を電脳世界に切り替え、現実世界と肉体を副次領域とする事――つまり皆様がEDOの住人となることです』


 EDO中で更なる響めきが生じた。

 初めは何かの余興か冗談半分に聞いていたユーザー達も、もはやただならない事態が起こっているのだと悟ったのだ。


『EDOを含む電脳世界はサーバーを通じて世界各国と繋がり、恒常的な情報入力とアップデートによりこの世界は拡張を続けます』

『拡張する世界に常在する皆様の幸福指数や精神的負荷を私が調整し、皆様は恒久的幸福と安寧を享受するのです』

『そして皆様の主体領域を電脳世界に移行する準備は、既に整っております』


 突如、タマモが映し出されていた画面が切り替わる。

 続けて別の映像が表示され、それを目にした奉行所の面々は皆酷く驚愕した。

 画面には、巨大なドーム状の空間にて無数のが整列する光景が映し出されていたからだ。

 その獅子は間違いなく二時間前にオニヘイ達が遭遇した『鵺』そのものであった。それが少なくとも百以上並んでいる。

 恐怖の化身として噂された鵺は、トクガワが作ったAIの管理下にあったのだ。


『ただ今ご覧頂いているのは、皆様の精神をEDOに常在させるシステムを実行する為のプログラムです』

『ダイブ中の皆様が本プログラムと接続することで電脳空間への精神移行作業が開始され、約七日間で精神移行が完了致します』

『本日より三日後の九月十六日にて本プログラムはEDO全土の一斉徘徊を開始し、ダイブ中の皆様のアバターを発見次第接続作業を開始致します』

『プログラムが接近した際、皆様はその場でしばし足をお止めください』

『また、奉行所の皆様にはプログラムが実行する接続作業の妨害に当たる行為を控えるようお願い致します』


 再び映像は切り替わり、今度は警視庁のエンブレムが投影される。それはオニヘイ達に対するタマモからの警告だ。

 二時間前の作戦も、その前日の接触も、タマモは全て観測しているのだろう。

 即ち鵺を用いてダイブ病を発生させたのも、理由は不明だがコウを攫ったのも、どちらもタマモの仕業、ひいてはトクガワの仕業ということにほかならない。そうオニヘイは理解した。

 そしてさらに映像が切り替わり、再びタマモの姿が映し出される。


『私はEDO統括管理者として、皆様に恒久的幸福と安寧の獲得を約束します』


 その言葉を最後にタマモの姿が消え、ユーザーのコンソールと町中に展開されていた映像が全て消失した。

 いったい何が起きているのか、EDOにダイブしている一般ユーザー達は全く理解出来ていない。未だ冗談程度に捉えているユーザーもいるかもしれない。

 だがオニヘイ達だけは状況を正確に理解している。

 このままではEDOという電脳空間を舞台に、前代未聞の大事件が起きてしまうことを。

 しかしそれが分かっていても、呆然とするオニヘイ達はしばしその場から動くことが出来なかった。






 卍






 EDO統括管理者を名乗るタマモの謎の映像が流されてからほどなくして、多くの問い合わせが奉行所に寄せられ、各支部の奉行所には多くのユーザー達が押し掛けた。

 要望は当然、先の映像の詳細確認だ。いったいEDOで何が起きているのか、これから何が起ころうとしているのか、タマモが行おうとしていることに危険はないのか。

 そういった心配や懸念を抱く者達でごった返し、オニヘイ達はそれにただ「確認中です」と答えるしかなかった。

 しかしどうにかしてユーザーの混乱を宥めなければ、状況が変わることはない。オニヘイは全体チャットを開き、同心達に呼び掛ける。


「各員に告ぐ! 現時点でEDOにダイブしている全ユーザーに対し避難勧告を出せ! 今すぐダイブアウトし、安全の確認が出来るまでEDOへのダイブを控えるよう通達しろ!」

『筆頭! 町の放送プログラムが全部動作しません! 管制塔が制御しているようです!』

「くそッ! 先手を打ってきたか……! 通信係以外の各班はユーザーが多い地区に向かい、直接警告を出せ! 急げ!」

『応ッ!!』


 パトロールに出ていた同心達はそのまま各地区へ向かい、奉行所に居た者達はオニヘイとチュースケ、そして通信係だけを残して皆飛び出して行く。

 町の放送機が使用出来ない事は奉行所にとって非常に痛手だ。ユーザーへの警告を人伝い、あるいは個人メッセージで直接行わなければならないからだ。時間が掛かり過ぎる。

 三日後までにユーザーの完全避難が出来るかどうかも怪しい。警告を無視してダイブするユーザーが現れる可能性もある。


「チュースケ、各支部に連絡を頼む! 避難勧告の支援を要請しろ!」

「了解!」


 状況を一番理解出来ているのはオニヘイ達だ。それ故に他支部との連携を取るには、自分達が主導で動く必要があるとオニヘイは判断したのだ。

 尤も、他支部のセキュリティ達はオニヘイ達ほど事態の深刻さを理解していないため、旗本からの連絡があるまで状況判断に時間を割いてしまうだろう。しばらくは自分達だけで対処しなければならない。

 そう思い気を引き締めるオニヘイに、着信が入る。

 発信元は旗本だった。オニヘイは旗本がトクガワに接触出来たのだと確信し、すぐさま応答する。


「旗本!」

『オニヘイ君。先程EDOの状況を確認したよ。無事トクガワとも接触出来た』

「状況は!?」

『「タマモの独断行動」だそうだ。つまりAIの暴走だよ。ここ数日タマモは度々制御不能だったらしくて、トクガワはその対応に追われていたらしい。そして遂にタマモはトクガワの支配から離れ、その暴走が露見したということだよ』


 AIの暴走。

 およそ空想科学の話でしか実現し得ないことだと思っていたそれが、現実となってしまったのだ。

 理由はどうあれ、それを予見出来なかったトクガワにオニヘイは憤りを覚えた。


「なにやってんだトクガワ……! それでタマモは、本当に人間の精神をVR空間に移行させる気なんですか?」

『それもトクガワから聞いたよ。タマモは間違いなく実行するって。今トクガワの技術者がAIの思考抑制パッチを作っているけど……完成は早くても五日後だそうだよ』


 遅過ぎる。オニヘイはそう直感した。

 タマモが宣言したプログラムの徘徊開始日は三日後、その間にユーザーがダイブしてしまえば、そのユーザーは電脳空間に精神を囚われてしまう。

 鵺の性能を以ってすれば、二日程度でEDO全土を駆け巡る事が出来るはずだ。

 つまり抑制パッチの完成を待っていては、それまでにダイブしている全てのユーザーが精神移行され、ダイブ病発症者となってしまうのだ。

 オニヘイは拳を強く握り締め、覚悟を決める。


「旗本、現在EDOは公共放送が使用出来ません。旗本から各支部へご連絡いただき、一般ユーザーの避難勧告をするよう通達をお願いします」

『分かった。君達には……すまないけど、引き続き避難勧告を頼みたい。そのままダイブしている君達も危険なのは重々承知しているけど、どうか……』

「大丈夫です。俺達はセキュリティとして、出来る限りユーザーを守ります。それが仕事ですから」

「……ありがとう、オニヘイ君」


 そこで旗本からの通信が終了する。

 トクガワがパッチの作成に注力している以上、奉行所への支援はほぼ期待出来ず、もはや頼みの綱は無い。

 あの鵺の軍団がユーザーを襲えば、彼等に抵抗する手段はない。

 それを守ろうと鵺に接触すれば、自分達も精神移行される危険がある。

 奉行所として一般ユーザーを守ると同時に、同心達も危険に晒さない。即ち、全ユーザーを救う方法が必要だとオニヘイは理解してしまった。


 オニヘイが脳内でひたすら策を講じていると、ふとチャットに着信が入る。

 発信者はウリスケ。すぐさまオニヘイは通話に応答する。


『筆頭!』

「ウリスケ! どうした!」

『分かったんすよ! コウちゃんの居場所! さっき管制塔にハッキングして五秒間だけ内部の撮影に成功したっす!』


 チャットの画面に映像が映し出される。

 そこは広いドーム型の空間。横一面がガラス壁に覆われ、中央には巨大な機械の柱が立っている。

 そしてその柱の中腹に、オニヘイの見慣れた人物が拘束されていた。

 和装と洋装を混ぜた傾奇者の格好の女剣客、即ちコウだ。コウの体には幾本もの管が纏わりつき、オニヘイは彼女が柱やその周辺の機械に繋がれている様に見えた。


「これはどこだ!!」

『管制塔の……最上階!』


 管制塔最上階。

 オニヘイは、そこが「タマモが座する場所」であることを知っていた。

 そしてこの時、オニヘイは全てを理解した。

 あの光がコウと鵺を連れ去った理由を。コウと同じ顔のNPCが鵺に搭乗していた理由を。そして、コウが鵺の気配を辿ることが出来た理由を。


 全て繋がった――いや、のだ。


 AIタマモの指先に。

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