第弐拾参話「奉行所」


 後に「タマモ事変」と称される全ユーザー電脳化宣言から、八時間が経過した。

 奉行所の面々はパトロールに出ている数名の同心達を除いて会議室に集合し、オニヘイと通信画面越しの旗本が主導となって事態収束の為の会議を行っている。


『皆も知っての通り、暴走AIタマモの目的はEDOにログインしているユーザーの精神をVR空間に縛り付ける事だ。君達のおかげで既に八割以上のユーザーがEDOから退避し、ダイブ自粛勧告を受け入れているよ』

「だが未だに一部の、メッセージが届かねえユーザーやダイブ自粛勧告を受け入れねえユーザーがいる。残り二日と十六時間で全てのユーザーを退避させる必要があるわけだが、残りのユーザー数はおよそ……正直言って、全員間に合うとは思えねえ」


 悩まし気に呟かれたオニヘイの状況報告を聞いて同心達がざわつく。

 かつてない非常事態に対する不安は皆が抱いていたが、それ以上にいつも堂々たる姿勢で奉行所の精神的支柱となっている鬼奉行が不安を抱いている姿に、一同は驚いたのだ。

 同心達は本当の意味で事態の重さを理解し、室内の空気が途端に重くなる。


「では、どうするんですか……?」


 その空気が耐えられなかったのか、あるいは打開策を期待してか、一人の同心が手を挙げて言った。

 それに対しオニヘイは閉口し、横目で旗本の画面を確認する。

 旗本はすぐにオニヘイの視線の意図に気付いて頷きでもって返すと、オニヘイは意を決した様に口を開いた。


「……一つだけ、この事態を打開する手がある」


 重々しく放たれたその言葉に同心達が沸き立つ。

 やはり我等が筆頭は流石だ。

 それでこそ鬼奉行だ。

 そう次々とオニヘイを囃し立て、褒め称える言葉が次々と飛び交う。

 しかしオニヘイは手を翳してそれを諫めた。


「聞け! この手は有効かもしれねえが、同時に危険を伴うものだ。それに成功する確証はねえ」

「危険、ですか?」


 首を傾げる同心の問いにオニヘイは再び閉口したが、ここまで来たからにはもう引き返せない――その様に思い直し、オニヘイはその打開策を一言で述べた。


「俺達でタマモを無力化する」


 先程よりも大きなどよめきが起きる。それは驚愕と高揚が入り混じったものだった。

 同心達はオニヘイが提示した打開策に期待を抱きつつも、それが自分達で実現可能かどうかは半信半疑なのだ。

 そしてやはり一人の同心が期待半分、疑念半分に疑問を呈した。


「そんな事が出来るんですか!?」

「今から説明する。まずはこれを見ろ」


 オニヘイはコンソールを操作し、巨大ソリッドモニターを展開する。

 画面に表示されたのは管制塔の全体像を映した内部構造図だ。同心達は大義賊ゴエモン捕獲作戦の折にも目にしていたので、それについて問う者はいなかった。

 ところが以前に彼等が見たものとは少々異なる点があり、それは管制塔の最上階にあたる場所で赤い点と青い点が一つずつ点滅していることだ。


「手前らも知っての通り、これは管制塔の見取り図だ。そして最上階の赤い点がタマモ、青い点が……コウだ」


 ――コウだって!?

 ――どうしてそんな所に!

 ――攫ったのはタマモだったのか!!


 どよめきと共に様々な憶測が飛び交い、三度みたび会議室が騒々しくなる。

 それもそのはずで、コウの行方を知っていた者はその居場所を突き止めたウリスケと彼から報告を受けたオニヘイ、チュースケ、旗本の四人だけだったからだ。

 すぐさまオニヘイが手を翳して三度目の喧騒も途端に収まった。


「ウリスケ達分析班が内部の撮影に成功し、コウがこの場所に捕らえられていることが判明した。捕らえられている理由だが、タマモが言っていた精神移行プログラム――即ち鵺に搭乗していたNPCとコウの構成データには、いくつもの類似点があった。この事からコウはタマモの計画の根幹を担っていると分析班は推測した」

「……コウは、タマモのNPCだったってことっすか?」

「分からねえ……だが映像を見る限りコウは拘束され、無力化されている様だった。恐らくタマモに従うことは、アイツの意思じゃねえはずだ。少なくとも俺はそう思っている」

「いくらNPCだからってあのコウが自分からタマモに従うなんて、俺らも考えられないですよ!」


 同心達は一様に頷く。

 この時、オニヘイはコウが同心達にとても信頼されていることを初めて知り、それと同時にどこかむず痒さを覚えた。


「タマモの計画の中核と予想されるコウを奪還出来れば、計画を潰せるはずだ。最悪潰せなくても遅延させることは出来る。トクガワのAI抑制パッチが完成する五日後まで時間を稼げれば、事態は収束するだろう」

『ただ問題となるのは、コウちゃんを奪還する方法なんだよね』

「作戦のことですか?」

『うーん、それもあるんだけど……どちらかというと君達の問題かなあ』

「俺達?」

「順を追って説明する。まずコウを奪還するには管制塔の最上階に向かうしかねえ。当然ここにはタマモが待ち構えているわけだが、もし鵺の大群が管制塔の防衛に出て来るとすりゃ、管制塔に入ることも容易じゃねえ」

「あれの大群を相手をしなきゃいけないってことっすか……」

「とはいえ、管制塔の前でならヴァンガードで鵺を打倒出来る。この支部は最大五〇体のヴァンガードの出動が可能だ。他の支部の力も借りることが出来れば、奴さんの防衛ラインを突破することは十分可能だろう」

「鉄人が使えるなら楽勝っすよ!」

「……管制塔に突入後、チュースケとウリスケが急ピッチで開発している拘束プログラムを使用してタマモを無力化、その隙にコウを奪還する。これが作戦の概要だ」

「筆頭補佐の姿が見えないと思ったら、そんなことしてたんですね。でも聞いた限り勝機は十分あるじゃないっすか! 俺達の何が問題なんです?」


 語られた作戦に勝機を見出した同心達はやる気を見せている。

 しかしそれに反してオニヘイと旗本の表情は浮かない。何故ならこの作戦には致命的な問題が存在しているからだ。


「タマモは鵺を使ってユーザーの精神をVR空間に移行すると言った。そして鵺はこれまで『ダイブ病』を引き起こしていたと噂されていた。つまり鵺との接触は、ダイブ病発症の恐れがあるということだ」

「で、でもそれはあくまでも噂ですよね? 本当にあの鵺がダイブ病を引き起こしているとは限らないんじゃ……」

『いや、鵺によってダイブ病が引き起こされている可能性は非常に高いよ。現に接触者が発症しているという報告があったからね。これまでのものは接触してから少なくとも七日以上を要していたけど、今回はどうなるか分からない。ただ触れるだけで精神をVR空間に移行されるかもしれないし、そうじゃないかもしれない』

「確実に言えることは、この作戦に参加する者にはその危険があるってことだ」


 いつの間にか室内はひどく静まり返っていた。

 ダイブ病の名と、その症状を知らぬ者はいない。鵺と戦闘することでそれを発症する危険性があると分かれば、皆が怖気づいてしまうのも当然であった。

 そして同心達が示した反応はオニヘイも予想していたことだった。

 オニヘイは一つ深呼吸すると、その瞳に確たる意思を宿して言った。


「作戦の全体指揮は旗本に担っていただく予定だ。コウの奪還は、俺がやる」

「筆頭! それは……!」

「分かっている。だが機動力や使える能力命令を考慮すると、俺が適任なんだよ。それに、俺は仲間を……コウを助けてえ」

「筆頭……」

「ただのプログラムになに言ってんだって思うだろ? 自分でもおかしいって思ってる。けどよ、俺はあいつを仲間だと思っちまった。あいつが特殊なNPCだからかもしれねえし、俺が一番あいつの近くに居たからかもしれねえ。けど俺にとって、あいつはもう奉行所の一員だ。誰がなんと言おうと、あいつは俺達の仲間なんだよ。EDOの平和を守り、ユーザーの安全を守り、そして仲間を守る。それが俺の志した奉行所セキュリティだ」


 それはオニヘイが皆の前で初めてする独白だった。

 おそらく同心達の想いも皆同じだと、オニヘイは信じている。

 ただ彼等は自らの命と少し特殊なプログラムの二つを天秤に掛けた時、オニヘイの様に「コウを助けるためなら自らの命も厭わない」という意志を即座に示す事が出来なかっただけなのだ。

 同心達は俯き、視線を逸らす。オニヘイはそれを咎めることなく、一時瞼を伏せてから告げた。


「同心各員に告ぐ! 今回の作戦は志願者のみ参加し、それ以外の者は事態の収束までEDOへのダイブを禁ずる! 志願者は二日後の午前零時に本支部前にて整列せよ! 後程作戦の詳細は各員に通達する! 以上――解散!」


 堂々たるその宣言を最後にオニヘイはダイブアウトし、それを追うようにして旗本の通信も終了した。


 会議室に残された同心達は、しばらくその場から動くことが出来なかった。






 卍






 二日という日数は万人にとってそれほど長い時間ではないが、オニヘイにはこの五十二時間が非常に長く感じた。

 作戦実行日までに絶対必要なタマモ拘束プログラムの開発を監督しつつ、同心達がどれだけ集まるか常に気懸りであったからだ。

 オニヘイ達が立てた作戦はどれだけ人員が揃うかで成功率が変わる。故にオニヘイと旗本は他の支部への呼び掛けも行ったが、どこも反応は芳しくなかった。

 そもそも同心達の雇用形態はアルバイトに近いもので、オニヘイの様な本職が警察官である者達との意識に差があるのは明らかであった。

 それでも、EDOの平和を想う同心達を信じたい気持ちがある反面、その時が来るまでオニヘイの心が安らぐことは決してなかった。


 そしていよいよオニヘイが指定した時刻の数分前、奉行所の会議室にはオニヘイ、チュースケ、旗本を含む奉行所の幹部数人が集合していた。

 作戦の最終確認、集まった同心達の人数によってどの様に作戦展開するかをすり合わせる為だ。


「手前らには各部隊の指揮を執ってもらう。防衛ラインを崩した後は俺とチュースケで管制塔内部に侵入し、管制塔内のプロテクトは外部からウリスケがハッキング、内部からチュースケがアシストして崩す……ってな感じだが、チュースケ」

「なんでい?」

「手前、本当に大丈夫か? 直前まで拘束プログラムの調整してたんだろ? 無理する必要はねえんだぞ」

「ハハ、今更だぜオニヘイ。それに、俺以上に侵入が得意なヤツが他にいると?」

「そういう話じゃねえ。今回の作戦は下手すりゃ命懸けだ。チュースケだけじゃねえ、手前らにも言える事だ。降りるなら今のうちだぞ」


 最後の通告、あるいは覚悟を問うオニヘイのその言葉にチュースケ達は顔を見合わせ、そして声高に笑った。


「おい! 笑い事じゃねえんだぞ!」

「いやいや。そんな下らねえ問い、笑わずにいられるかってーの」

「なんだと?」

「オニヘイ。俺はゴエモン事件の時、コウに助けられた。コウが居なかったら、ネズミを捕まえられなかったかもしれない。あいつに正しい道を示せなかったかもしれない。だからコウには大きな借りがあるんだよ。それこそ自分てめえの命を張ってもいいぐらいのな」

「チュースケ」

「それにここにいる連中は、俺やオニヘイと同じ様にコウを仲間だと思っている。仲間を助けずして何が奉行だって話だよ。なあ?」


 チュースケが皆にそう投げ掛けると、一同は力強く頷いた。

 彼等の決意を聞いてオニヘイは目頭が熱くなる想いだったが、この時ばかりは涙の表現が無い自分の鬼面アバターに感謝した。


「覚悟は出来てる。さぁ、表に集まってるあいつ等の顔を見に行ってやろうぜ」

「……応! では旗本、行って参ります」

『うん。現実リアル側の指揮は任せて。本当は僕もそちらに行ってサポートしたいぐらいなんだけど……』

「貴方の立場は理解しています。こちらは任せて下さい」

『……頼んだよ』


 どこか悔しそうに、そして申し訳なさそうに言った旗本の言葉にオニヘイは頷きで返すと、チュースケ達を連れて奉行所の正面玄関へと向かう。


 そして玄関から外に出て奉行所前を一望した、その時――オニヘイは信じられない光景を目の当たりにしたのだった。

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