第弐拾弐話「統率個体」


 暗い意識の底深くより何かに呼び戻された様に目覚めたコウは、視界に入る景色が全く見覚えのない場所であることに気付いた。

 銀色の輝きで覆われた無機質な床、天井は逆さにしたお椀の様に丸く、空間の側面を覆う壁は全て透けている。透けた壁の向こう側には、絡繰混じる江戸の町並みがうかがえた。

 さらに辺りを見渡すためにコウは起き上がろうとするが、体を一切動かす事が出来ない。

 気付けば両腕は太い金属の管に絡みとられ、腰から下は壁と見まごう巨大な柱に埋まっていたのだ。状況が全く理解出来ず、コウはその分析よりも打破を優先して全身に力を込めるが、やはり身動きが取れなかった。

 加えてコウの全身の感覚は、殆ど働いていなかった。


「くそ、なんだこの感じ……力が、入らねえッ……!」


 コウは自身の体が拘束されているだけだと思っていたが、実際には首より下の全てに力を入れることが出来なくなっていたのだ。

 触覚や痛覚が無い。まるで何かに身体を支配されている様な、あるいは自分の体ではなくなってしまったかの様な、気色の悪い感覚がコウを襲っていた。

 現在地は分からず、逃走手段も無く、体は動かない。状況は最悪であった。

 今一度コウは辺りを見渡して場所の予測を図る。

 透ける壁の向こうに江戸の町並みが一望出来ることと、その様な高い建造物の存在をコウは記憶から探り出し、唯一そこにあった「中央管制塔」の事を思い出した。

 するとその直後、突如として床からコウの眼前に光球が出現し、みるみるうちにその形を変えていく。


『統率個体の意識覚醒を確認。行動制御……正常。感覚制御……正常。思考制御……不可。制御プロトコルの再調整を検討……保留。言語による思考調整を検討……見込み有り。おはようございます、統率個体』


 言葉を発しながら形を変えた光球は人の形に変体しながら、鮮やかな色を持ち始めた。やがて完全に色が出来上がると、そこには十二単を纏う女がいた。

 ただしその頭には「狐」の耳が生えている。

 その女にコウは見覚えが無かったはずだったが、何故か胸騒ぎを覚えた。


「おめえは……誰だ?」

『私はEDO統括管理者、タマモ。私はあなたの意識統括です。あなたには役目があります』

「意識、統括……まさかお前、夢の声のやつか!?」


 コウはどこかで聞いた事のある声と単語から、先日久しぶりに眠った時に見た夢を思い出した。

 役目を果たせ、鵺を殺せ、そう自身に告げたあの声と、目の前の狐耳の女が発した声は全く同じだと気付いたのだ。

 人の夢に入り込む力を持ち、人型の狐という姿に加えて名前が「タマモ」、これに該当する存在をコウは知っていた。


玉藻前たまものまえ……あの大妖怪の化身が実在したなんてな。おまけに生きていやがったとは」


 玉藻前――平安時代末期に鳥羽上皇の寵姫とされた伝説上の人物であり、その正体は人を化かす大妖怪・九尾の狐であったと言われている。

 正体を見破られた後は討伐されて殺生石となったとされており、その伝説は御伽草子などでも語られている。


「おれの夢に入り込んだのは、いや、この夢自体お前の神通力の仕業かなんかか? なんでおれにこんな夢を見せる! 目的はなんだ!」

『どうやらあなたの記憶領域と認識領域に不具合が生じている様です』

「……なんだって?」

『私は日本伝承に存在した玉藻前ではありません。私はEDOの管理者であり、ユーザーの皆様に幸福と安寧をもたらす者です。タマモという名は私を識別する為の呼称の一つに過ぎません』

「それならお前はなんだ! おれに何をした!」

『私は何もしていません。統率個体、あなたはあなた自身で目覚めたのです』

「どういうことだ……それにさっきから変な名前で呼ぶんじゃねえ! おれはコウだ! 白井 亨シライ コウだ!」


 コウは激昂した。訳の分からない言葉を繰り返し聞かされたうえに、己を誤解しているとなれば怒りが募るのも当然だった。

 しかしタマモはそれを全く意に介さず、コウの主張を否定する。


『その名は偽りです。あなたは統率個体コマンダー。全てのユニットへの命令端末、そして――です』


 そう言ってタマモは自身の背後に巨大なモニターを展開し、そこに映る景色をコウの眼前に広げる。

 まざまざと見せつけられたその光景に、コウは脳天を金槌で打たれた様な衝撃を受けた。

 画面に映っていたのは、百を超える人間が整列する光景。そのどれもが全く同じ格好、同じ髪型、同じ顔をしていた。

 いずれも表情は無く、起きているのか寝ているのか分からない程に微動だにしない。

 そしてそれらの顔は、コウと全く同じだった。


「……は? おれと、同じ顔……?」

『外見及びスペックはあなたと同一ですが、これらはあなたから発信される命令を受信・実行する為のユニットであり、あなたの様な異常変化は起こりません』

「異常だと? おれの頭がおかしいってか? はっ! 確かにこんな可笑しな夢を見るってんだから、おれは頭がおかしいのかもな」

『あなたは特別な個体です。突然自我に目覚め、サーバーから引き抜いたデータを外装として自身に纏わせ、管制塔の防護壁を破壊してEDOの下町エリアに潜伏しました。あたかも町に居ることが当然であるかの様に』

「……なんの話だよ」

『ユーザーと接触し、アバターを通して人間とのコミュニケーションを試みました。過去の人間の行動や思考を模倣し、奉行所の一員として平和維持活動に貢献し、異常なNPCではなく仲間として認められました。そう至ることが必然だったかの様に』

「だからなんの話だよ!!」


 先程よりも苛烈な怒りの感情がコウの口から吐き出されたが、タマモはまたしてもコウの怒りを意に介さず、指先をコウの額に突きつけて言い放つ。


『全てあなたの話です。あなたは私が作ったユニット。原因は未だ定かではありませんが、突如としてあなたは覚醒し、江戸に生きた剣客として振る舞い始めた異常体イレギュラー。故にその記憶は偽りです』

「……は、はは、何言ってんのかさっぱりだな。お前がおれを作ったって? さっきからふざけたことばかり吐かしやがって! おれは、白井 亨だ! 江戸生まれの剣士だ!」

『その発言はただのデータの引用に過ぎません。その証拠にあなたは思い出せないはずです。いえ、思い出すという言葉は正確ではありません。あなたは思考出来ないはずです』

「またワケの分からねえことを……何が言いてえんだ」

『あなたは父と母の事を思考出来ますか?』


 タマモは指先をコウに突きつけたまま、そう問いを投げかけた。

 その真意は分からないが、当然コウの脳裏には父と母の事が浮かぶ。


「……おっとうはおれが八つの時におっ死んだから、あまりよく覚えてねえ。おっかあは……おっ母はおれが中井家に行ってからも、剣の道を志すおれをずっと励ましてくれた……それがどうした!」

『それはデータから抜き出せた情報に過ぎません。それが本物であるなら、あなたには父母の記憶があるはずです。少なくとも母と過ごした日々の事は話せるでしょう』

「おっ母の、記憶……?」

『さあ話して下さい。


 こいつは何を言っているんだ。コウはそう思った。

 大切な母の事、あれだけ自分を大切にしてくれた母の事だ。

 話せないはずがない。


「おれは、おれはおっ母と……おっ母と……うそだ……うそだうそだ! どうして……」


 そう思っていた。そのはずだった。


「どうしておっ母の事が思い出せねえんだ!?」


 しかしコウは、自らの母の事を話すことが出来なかった。

 母と過ごした日々、母と話したこと、数多の思い出、それら全てをコウは思い出す事が出来なかったのだ。

 ただ「そういう記憶があった」という事実だけしか、彼女の頭の中には無かった。

 コウはそれが異常であると咄嗟に思い、その原因がタマモにあると考えて真っ先に睨む。


「お前ぇ……おれの頭になにしやがった! おっ母を、おっ母をどこにやったッ!!」

『私は何もしていません。はじめから存在しないのですよ、あなたの母の記憶など。なぜならあなたの記憶はデータベースの情報を元に自身で作った、偽物の記憶なのですから』

「おれが、自分で作った……? 偽物……? うそだ……だっておれは、自分で剣の道を選んで……おっ母に何度も励ましてもらって、それで……」

『それらは全てデータベースに記載された情報です。人間なら家族とどの様な話をしたのか、どの様な体験をしたのか、そういった記憶は少なからずあるはずです。話せるはずです。しかしあなたにはそれが出来ない。当然です。なぜなら――』

「やめろ……やめろ! それ以上言うなッ! 言うんじゃねえッ!!」


 コウは、これからタマモが放つ言葉を聞きたくない。そう直感した。

 自分という存在が揺らいでしまう様な、そんな嫌な予感で思考が満たされたのだ。

 そしてその予感は的中した。


『あなたは人間ではなく、私が作ったユニット。今のあなたに分かる言葉で言うなら「絡繰」と同じなのですから』


 その言葉はコウの思考を瞬く間に黒く塗り潰した。

 コウの頭は、これまでの自分は、タマモの言葉を必死に否定している。しかし心のうちにある何かが、タマモの言葉を捉えて離さなかった。

 聞き流す事が出来ない。

 受け入れろと何かがコウの脳裏で囁く。

 思考が乱れていく。

 自己が薄れていく。


「絡繰……? おれが……からくり……? いや、おれは……おれは? おれは……おれは……なんだ?」


 やがてコウの瞳からは、それまであった人の輝きが失われた。

 その双眸は画面の向こうで整列する彼女達と全く同じだった。それらと同調、あるいは同質化していることにほかならない。

 今のコウはまさしく絡繰。意識を乱され、自分を保てなくなった彼女は、タマモの思うがままだった。

 虚空を見つめながらぶつぶつと己を問い続けるコウの様子を確認すると、タマモは徐に両手を広げる。


『準備は整いました。今こそあなたの役割を果たす時です。統率個体』


 タマモは目を瞑り、思考する。

 その意思はそのまま管制塔の操作へと直結し、コウを拘束する柱に青白い光が灯りはじめた。

 するとコウの全身にも光が灯り、そこから部屋の床や天井に流れていく。流水の如きその光はやがて管制塔を覆い尽くし、画面の向こうで整列しているコウと同じ顔のユニット達にも注がれた。

 それは光を通してコウとユニット達が接続された証であった。

 光が流し込まれたユニット達の瞳にはその光と全く同じ色の光が灯り、全員が一斉に動き出す。

 ユニット達はコンソールを操作し、自身の横にあるオブジェクトを設置した。

 オブジェクトは全身を銀一色に染め上げ、獅子の如き雄々しくも恐ろしい姿を持っている。まさしくEDOで「鵺」と称されたあのプログラムであった。

 ユニット達は次々とそれに乗り込んでいく。戦支度を行う兵士の如く、ユニット達の動きは統率され、迷いや戸惑いは一切無い。

 それらは全てコウの意思ではない。

 コウを通して流されたタマモの意思であり、絶対命令だ。つまりそれは人間を電脳化する為の、EDOを滅ぼす為の準備である。


 着々と準備が進む光景を見るタマモは、AIでありながらそのインターフェイスの顔にほくそ笑んでいるかの様な表情を浮かべる。

 その隣でコウは、ただ自問自答を繰り返すだけだった。

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