最終話「その女、迷わぬ刀」
「うっ……んん……」
眩い陽射しに瞼をくすぐられたコウは、ゆっくりと目を開ける。
次に感じたのは土と草の根の匂い、それから頬に当たるひんやりとした土の感触。
己が地面に横たわっていることが分かると、コウはむくりと起き上がった。
「ここは……?」
辺りを見渡したコウはそこが林の中であることを理解する。
どこか懐かしく、そして見覚えのある景色――ふと記憶が呼び起こされたコウは、そこがかつて剣神たる「翁」と果し合い、そして敗れた場所であることを思い出した。
即ち、ここはあの奇天烈な江戸ではなく、己がよく知る世だ。
文化三年の江戸だ。
コウは咄嗟に、翁に斬られたはずの己の体を見やるが、体には傷一つない。
しかし斬られた感覚は確かに残っており、それが剣気による斬撃だとコウはすぐに気付いた。
それによって本当に斬られたと錯覚したコウは意識を失い、今まで眠っていたのだ。
「戻って来た、のか……?」
コウは頭の奥から掻き出す様にして、記憶を辿る。
刹那、コウの脳裏には巨大な光刃を振り下ろして巨大な塔を崩壊させる光景が浮かんだ。
そこでコウはようやく、己の力であの奇天烈な世界――夢の世界から帰還したのだと理解した。
「……やっぱり、あれは夢だったんだな」
本当の意味で己が見ていたものを理解し、コウは少し寂しさを覚えた。
夢であることは最初から分かっていたことだったが、それでもあの奇天烈な江戸での戦いや、オニヘイ達に出会ったことが全て夢だったと思うと、どこか侘しいものがあったのだ。
それにろくな挨拶も出来ず、オニヘイ達とは管制塔での戦いっきり。
もう二度と会うことはないのだろうと、コウはそんな気がしていた。
いや――コウは寂しさを覚えるのは違うと思い直す。
なぜなら己が見てきたものは、夢ではあっても決して偽物ではないからだ。
不思議な世界でコウが経験した戦いとその記憶は水泡の様には消えず、力強い樹の根の如く己の記憶と心に残り、これからの己を形作るものだ。
ならばそれは己の中で生きるもの。たとえ夢だろうと、現実でのそれと全く変わらないのだ。
だからコウは天を見上げて、ニヤリと笑みを浮かべる。
己が為すべき事は既に決まっているからだ。
「オニヘイ。いつか、おめえなんか目じゃねえ剣士になってやる。だから、おめえも達者でやれよ」
コウが至るべき場所、歩むべき剣道、それは彼女の中で定まっている。
もはやその手で握る刀に迷いはない。切先がブレることはない。
早速コウは心の帯を締め直し、己がすべき事を始める。
それは「周囲の地面を見つめること」だった。
一見、不可解な行動にも思えるが、その行動には意味がある。
「足跡は……あった」
コウが地面に見つけたのは人の足跡。
その足跡こそ、コウを負かした翁が残したものだ。
「まだ新しいな……おれが寝てたのは、数刻ってところか」
コウは、意識を失う直前に聞いた翁の言葉を思い出していた。
――もしも生き永らえたならば、その時は再び相見えようぞ、迷いし刀よ。中西にてわしを尋ねるとよい。
「中西……中西道場か」
その時は気にしていなかったが、よくよく思い出せば「中西道場」は江戸で最も有名な道場であることをコウは思い出した。
すなわち、あの翁の実力は折り紙付き。ならば尋ねるほかない。
己が剣士としてあの剣聖の域に到達するためには、強者の下で学ぶことが一番だからだ。
我流で剣を磨いてきた今までのコウなら、誰かに師事することは願い下げだっただろう。
だが今は違う。
「行ってみるか」
コウは立ち上がって江戸の方角を見やり、林の中の山道を歩いていく。
しばらく歩くと林を抜け、コウは江戸の町を一望する場所へ辿り着いた。
コウの目には、よく見慣れた江戸の町並みと、その中央に座す立派な城が映った。
「先の立ち回り、見事であった」
「お、おう。いや、はい。えっと、ありがたき……ありがたき……? えっと……」
「ははは。慣れぬ言葉など使わずともよい」
中西道場の一室にてコウと相対する翁が、剛毅に笑いながらそう告げた。
はじめ、道場に辿り着いたコウは門下生達に絡まれて、門前払いを食らいそうになった。
コウにとって「女だから」という理由で道場を断られたことなぞ、これまで数知れず。そんな見る目のない道場はこちらから願い下げと、今までのコウなら早々に帰っただろう。
しかし、今回ばかりは意地でも入らねばならない。あの翁がいるからだ。
コウが刀を抜かずに少し実力を示してみると、たちまち門下生達が「道場破りだ!」と湧いて出た。
これも修行とコウは嬉々としてそれらの相手を始めるが、間もなくすると道場の奥からあの老剣士がやって来て門下生達を止めた。
その老剣士こそ、コウが探していた翁であった。
翁もまたコウのことに気付き、そのまま道場の奥へ通して、一室で面と向かって話をすることとなった。
「お主、名はなんという?」
「
「今一度名乗ろう。わしの名は
「天神翁……天神一刀流?」
「ほう。わしが開いた流派を知っておったか。なかなか耳聡いようだ」
「そうか……やっぱりあんたが……」
コウは確信した。
天神一刀流――それは夢の世界で剣聖が見せた絶技であり、コウはやがてそれを会得すると告げられた剣だ。
開いたのが目の前の天神翁であるならば、己のすべき事は決まった様なものだ。
だがその前に、コウには知りたいことがあった。
翁もそれを悟ったのか、瞳を鋭くする。
「――して、お主がここを尋ねたのは、わしに用があるからであろう? ただ話をするためだけにわしを尋ねたわけではあるまい」
「あんたに……あなたに聞きたいことがある」
「申してみよ」
「『
「!」
コウの問いに翁は大きく目を見開いた。その言葉が出るとは思わなかったからだ。
同時に、翁は若き可能性の塊を前にして、にやりと口を歪める。
「……お主、あれだけの短き間にそこまで辿り着くか」
「いや……正直おれには、それが何なのか全くわかってねえんだ。ただ夢の中で、剣聖と呼ぶべきお人から聞いた。『己が心を見つめ、ひたすらに心技体を磨けば、剣道を究めることが出来る』と。だがおれは、そのやり方をなにも知らねえ」
「成程……今は光明を見出したのみか。そして、お主はそれを掴みたいと」
「ああ。いつか、剣の究極へと至りたい。オニヘイや、剣聖……そして、あなたも超えて」
その言葉を発したコウの目は、確固たる決意の光に満ちていた。
翁は「自分も超える」と豪語する眼前の若き剣に対し、嫌悪などの悪感情は抱かなかった。
むしろ歓喜と興奮に満たされ、そして翁は理解した。
この刀は、既に『迷わぬ刀』だと――。
「お主には類い稀なる才がある。だが、お主はこれまで邪道を歩み、邪念の剣を振るってきた。それがお主の五体に染み付いておる」
「邪道、邪念……」
「宿願成就の為に剣を振るうは大いに結構。お主にも果たすべきものがあろう。しかしそれに振り回されていては、見性悟道は程遠い」
翁に核心を突かれ、コウは視線を落とす。
これまでの己を見つめ直すと、確かに己は真の剣道を歩んでいなかったと。
だが、それは今までの白井 亨だ。これからは違う。
「……おれは、どうすればいい?」
「見性悟道とは仏道に由来するもの。すなわちそれに準ずることが、手始めにお主がすべきことだ」
「と、言うと?」
「肉食を断ち、清水を浴び、稽古にて心身を追い込む……言うは
そう言って翁は立ち上がり、
見えるのは道場の稽古場。
「来るがよい。わしに習うつもりがあればな」
「!」
驚いた様子のコウを一瞥し、翁は稽古場へ向かって廊下を歩き出す。
それは翁がコウに期待を寄せていることにほかならない。己の剣を教えることを望んでさえいるのだから。
そしてコウもまた、それを望んでいた。
「もちろんだ……そのために来たんだからよ!」
コウは嬉々として翁の後を追う。
その声に翁もまた、口元をほころばせた。
こうしてコウは、中西道場へ入門。天神翁こと寺田 宗有を師事することとなった。
後の天神一刀流二代目、誕生の瞬間である。
「別の世界?」
コウが天神翁の下で修行を始めてから数日が経った頃。
毎朝
天神翁に斬られた後に見た夢だっため、もしや翁ならばなにか知っているかと思い、その夢についてコウは翁に尋ねてみたのだ。
問われた翁は初めこそどういう意味かと幾許か考えたが、彼の中には思い当たるものがあった。
それが「別の世界」という答えだった。
稽古場の縁側にてくつろぐ翁は、続けて言った。
「うむ。わしも何度か見たことがあるでな。もっとも、わしが見たのはその様な奇天烈な江戸ではなかったがの」
「
「お主が夢の中で見たのは、わしらの江戸とは別の世の江戸。お主の意識が夢想の海の中で時空と次元を超え、意識だけが別の世の江戸にいるお主へと辿り着いたのだ。わしはこれを『漂流』と呼んでおる」
「よく分からねえなあ……あれは夢であって、でも夢じゃねえってことか?」
「今はそれぐらいの理解でよい。大事なのはお主がそこで何を成して、何を得たかだ」
「おれは――」
コウの脳裏では、あの江戸で過ごした記憶が呼び起こされる。
ひょんなことから奉行をやる羽目になって、皆で協力して大泥棒を捕まえて、町を脅かす鵺や玉藻前の相手をして、そして最後には江戸を救った。
その傍らにはいつも、オニヘイやチュースケ達ら奉行の仲間がいた。
「……仲間を得たよ。決して夢とは思えねえほど、楽しい奴らだった」
「どうやら、お主はあちらの江戸に未練があるらしい。だがその未練は決して悪しきものではない。むしろ、より高みを目指す為には必要だ」
「どういう意味だ?」
「お主に別の世界へ行く方法を教えよう」
翁の言葉に、コウの顔は驚愕と歓喜の両方を表した。
「もう一度、行けるのか!? あの江戸に!」
「お主が辿り着いた江戸に行けるとは限らん。だが、お主の見性悟道を助けることにはなろう。まずはそこで座禅せよ」
「座禅……こうか?」
翁がその場で座禅を組み、続いてコウも翁の座禅を見様見真似で組む。
「ここからは言葉を発するな。わしの声を聞け。まずは、目を閉じよ」
翁の言葉に従い、コウは沈黙したままゆっくりと目を閉じる。
「息を深く吸い、深く吐け。呼吸を整え、心を整えるのだ」
言われるがままコウは深呼吸を始め、期待に踊らせていた心を静かに落ち着かせていく。
「やがて感覚が研ぎ澄まされ、お主の意識は深層へと向かう」
コウは翁の言葉通り、己の視覚以外の感覚が鋭敏になっていくのを感じる。
普段は意識することのない風のそよぎや木々のせせらぎが聞こえ、それらによってコウの心はさらに澄んでいく。
そして、段々とコウの意識は夢想の海へと落ちていく。
「光を見つけよ。お主を導く光を」
その言葉を最後に、コウの耳には如何なる音も届かなくなる。
匂いも感じなくなり、コウは間もなくして外界から意識を隔絶した。
気が付くとコウは、暗闇の中を歩いていた。
己が意識の深層に居ると悟ったコウは、さらに意識を集中させる。
すると、どこからか眩い光がコウの前に現れた。
コウは翁の言葉を思い出し、光源に向かって駆け出す。
傍まで近付くと、コウはその光に暖かさと懐かしさの様なものを感じ、この光こそ己を導くものだと確信する。
コウは光の中へ迷わず進み、全身が眩い光に包まれる。
まるでその先にあるものが分かっているかの如く、コウは前へ進むことを迷わない。
歩み続けるコウの意識は、別の世界へと旅立った。
やがてコウは光を抜ける。
視界が開け、周りの景色と共に眼前に立つ何者かの姿が目に映る。
そこに居たのは鬼面の奉行の姿だった。
見慣れた鬼奉行を前に、コウは思わず笑みを浮かべて言った。
「――よお。達者でやってたかよ、オニヘイ」
卍
サイバーシティ『BIG EDO』は
その影で、オニヘイは突入の準備をする。
「いいか、今回のホシはサイバー犯罪の常習犯共だ。戦闘能力は低いが、逃げ足はピカイチだ。油断すんじゃあねえぞ」
オニヘイは後ろに並び立つ突入前の奉行達に念を押す。オニヘイが注意するほどに厄介な相手であるということだ。
しかし、オニヘイの隣に立つ女剣客は腕を組んでそれを笑い飛ばす。
「安心しろよオニヘイ。逃げ足が早えだけならゴエモンの方が手強いだろ。ゴエモンを捕まえたこのおれに任せな!」
『ゴエモンを捕らえたのはチュースケ様です。あなたではありませんよ、コウ』
すると女剣客の顔の横にソリッドモニターが現れ、そこに映った女剣客と同じ顔のNPCが咎めた。
「あぁん!? おれが斬ったおかげで捕まえられたんだろうが!」
『あなたはただ刀を振っていただけです。捕まえたのではありません』
「んだと~!?」
同じ顔の二人が喧嘩を始めると、オニヘイは「またか」と呆れながらそれを止める。
「手前ら喧しいぞ! コウ! ゼロ! こんな時まで喧嘩してんじゃねえ!」
オニヘイの一声でコウは舌打ちをして黙り、ゼロは即座に沈黙する。
「ったく……同じ体に意識が二つとか、ホントどうなってんだ?」
「あー、師匠が言うには……なんだっけな。たしか、おれの意識だけがここに来て、もう一人のおれに漂流してる、とかなんとか」
「なるほど。分からん」
「心配すんな! おれにも分かってねえから!」
あまりにも能天気なコウに、オニヘイは思わず溜息を吐く。
しかしその様子は日常茶飯事の様で、
それを見たオニヘイは、突入前だというのに騒がしいのはいかがなものかと思いつつ、この空気を心地よいと感じていた。
だが仕事は仕事。オニヘイは咳払いし、今一度檄を飛ばす。
「手前ら! 犯罪者は一人残さずお縄にする! それが俺達奉行所だ! 気合い入れていくぞッ!!」
『応ッ!!』
「先陣は任せろ!」
「あっ、コウ手前ッ! 一人で先走んじゃねえ! ったく……俺達も続くぞ!」
オニヘイと同心達はコウを先頭にして民家の扉を突き破り、屋内へと突入する。
突然の襲撃に狼狽えるモヒカン頭とサイバーバイザーの犯罪者達に、コウとオニヘイは言い放った。
「「御用改めだオラァッ!!!」」
――これは、異なる世界で生まれた者たちが交わる数奇な物語。
最強を目指す女剣客と世界を守る奉行達が奏でる、電脳の
電脳剣客カプリッチオ 完
電脳剣客カプリッチオ 天野維人 @herbert_a3
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