第捌話「大義賊ゴエモン」




「くそっ! また負けた! チクショー! あの鬼野郎!」


 オニヘイに敗北したコウは剣道場の硬い床の上に仰向けで大の字になって寝そべり、悔しさを爆発させていた。

 奉行所の一員となったコウはこの五日間、毎日オニヘイに試合を挑んでいるが、連敗記録を更新している。

 何故勝てないのか、何が足りないのか、それらを全く掴めずいることが歯痒く、悔しさは己と己を負かしたオニヘイに対する憤りへと変わっていた。

 コウは駄々をこねる子供の様に幾度も罵詈雑言を叫ぶが、しばらくすると気が済んだのか叫ぶのを止め、今度は天井をじっと見つめる。

 何の変哲もない板張りの天井を見つめる彼女の脳裏で、ふとオニヘイとの一戦が蘇った。


 一刀流同士の試合においては相手の動きと太刀筋の読み合いこそが勝敗を分ける。

 力も剣速もさして重要ではなく、だからこそコウは力や速さで劣っているとしても読み合いにおいて劣らぬはずはないと踏み、最初の一刀を囮にする剣術を以って自ら勝負を仕掛けた。

 しかし、オニヘイはコウの囮に見向きもしない様子でコウが仕掛けるのとほぼ同じタイミングで距離を詰め、コウの最初の一刀を防がずにのだった。

 それによりオニヘイは刀ごとコウの体勢を崩し、前のめりになったところを竹刀による容赦無い面打ちを叩き込んで、勝負は決した。

 その痛みは頭蓋から体を伝って足の爪先まで響き渡り、全身を走り抜ける激痛にコウは思わず悲鳴を上げた。どうやらオニヘイは相手に痛みを与える技術がピカイチの様で、態々試合でそれをするあたり見た目に反して陰険だなとコウは内心で批判した。

 そして、彼女にはそれ以上に許せない事があった。


 コウは己が他者と比べ、かなり傾いた人間であることを知っている。

 女でありながら剣客を志し、最初の師には反発して道場を飛び出し、遂には修行の旅へと出た。相当に跳ねっ返りだ。

 しかし幼少から毎日欠かさず剣を振り続けた甲斐あり、その腕は並の男なぞに引けを取らぬし、これまで誰もコウに勝てる者はなかった。

 だが、ここ数日でコウを負かす者が二人も現れた。常勝の彼女にとって信じられないことだった。

 一人は言わずもがな、奉行所筆頭のオニヘイ。

 下町の路地裏で初めて相対し、最初の仕合いではジッテブレードによるスタンがあったとはいえ、以降の試合でもコウは彼に一度も勝てていない。

 コウの背よりふた回り以上も大きく、筋骨隆々で日本人離れした体格を持ち、その外見に反して目にも留まらぬ素早さで動き、手を全て読み尽くしているかの様にコウの竹刀を悉く叩き落とす。名前が表す様に正しく鬼の如き強さだ。

 おまけに毎度コウが試行する戦術に対して、オニヘイは説教の様な言葉でたしなめる。


 ――妙な小細工使う為に手前てめえの剣を捨てんじゃねえよ、バカタレが。


 勝者たるオニヘイはそう吐き捨て、剣道場を後にした。オニヘイのその一言は的確だった。

 だからこそ、コウは負ける度にムキになっていた。


(知ったような口利きやがって……おめえはおれのおっかあかっての!)


 コウは、刀を交えただけで己のことを語るオニヘイが許せなかった。例えその言葉が真を捉えていたとしても、オニヘイが己を真に理解出来ているとは思えなかったからだ。

 きっと上っ面だけで語っているに違いない。偶々それが的を得ていただけ。負けず嫌いなコウはそう思わずにはいられなかったのだ。

 心中でオニヘイに悪態を吐きつつ、いつか泣かすことを心に決めると、コウは己を負かしたもう一人の強者のことを思い出す。


 もう一人は、その名どころか顔すらうろ覚えな翁。

 その剣筋は最も疾く、最も静かで、最も鋭い。『剣神』の一撃と例えるべきそれをコウは自らの体に受け、その感触をはっきりと覚えていた。

 そしてコウが意識を失う直前、翁は去り際に何か言葉を掛けていたのを思い出した。


(そういえば、あのジジィも「迷い」がどうとか言ってやがったな……どいつもこいつも人の事を知ってるみてえに語りやがって!)


 達人は刀を交えるだけで相手のことを理解すると聞くが、コウはそれを眉唾物だと思っている。人の本質や抱えている想いなど、それらが剣の振りだけで分かるはずはないと思っている。

 いや、そう思わずにいられないのだ。そうでなければ己が未熟なことを思い知らされるようで、否定しなければそれが出来ない弱者だと認めるようで。

 コウはその思考を拭うが如く首を横に振り、すぐさま翁について思い返す。

 微かな記憶が正しければ翁は江戸に居るらしいが、名前が思い出せなければ探しようもない。

 それに仕合った証たる体の傷も消え失せてしまっているので、翁と相対したのは夢だったのではとコウは考えたが、その考えは変わり果てた江戸と自身の現状を鑑みて改めた。


 今の状況こそが夢であると。


 江戸は下町こそ似たところがあるが、都心部に近付くにつれて奇妙な絡繰が増え、そして江戸城があった場所には金属の巨大な何かが聳え立っている。

 オニヘイに尋ねてみればそれは家屋と同じ建築物だというが、山並みに巨大なそれをたかだか数年で建てられるとは想像し難い。

 それに加え、よくよく考えてみれば達人ともいうべき翁相手ならともかく、たかが奉行所の人間に何度も負けるなど夢でなければあり得ない。

 他にも傷は恐ろしいほど早く治るし、体は常に快調。飯を食っても何故か厠に行く気にならない。

 人間に必要な要素がいくつか欠けているのだ。


 故にこれは夢。そうコウは自らに言い聞かせ、納得した。


 そして夢ならば己の自由に出来るはずだと思ったコウはこの数日色々と試行していたが、先のオニヘイとの試合の様に全く上手くいかなかった。

 夢は夢でも悪夢なのだと思い直したところであった。悪夢と分かれば、常人なら直ぐに覚めたいと思うことだろう。

 しかしコウはその真逆だった。


「――上等じゃねえか! てめえの夢ごときに負けてたまるかよ! やってやる……何回負けようと、勝つまで挑んであの鬼野郎をぶっ倒す! 爺ィも見つけ出してぶっ倒す! それまで目ぇ覚めんじゃねえぞ、おれ!」


 コウは自らの夢すら利用して、剣の道を極めようとしている。

 誰よりも負けず嫌いで、勝利に貪欲で、そして何者にも臆さない女、それがコウという剣客なのである。

 決意を新たにしたコウは仰向けの状態から腕と背筋を使って跳ね起き、オニヘイ達が待つ部屋に続く扉へと駆け出す。

 コウは初日に「負けたら奉行所の一員として働く」という約束をオニヘイと交わしており、これを果たす為だ。じゃじゃ馬娘でも、義理を通す気概は持ち合わせているのである。

 決して「岡っ引きをやって江戸中を駆けていれば強者と出会えるかも」などとは期待していないだろう。

「あわよくば出会ったそれと果たし合いをしたい」などとも思っていないはずだ。

 ただ、その顔には獣の如く獰猛な笑みが浮かんでいた。






 卍






「オニヘーイ! お、チュースケも一緒か。今日はなにすんだー? 見回りか? 廻船問屋かいせんどんやの取締りか? それとも切支丹きりしたん探しでもするか?」


 オニヘイに容赦無く伸されたにも拘らず、意気揚々とした様子のコウが剣道場の扉を抜けて奉行所の玄関前までやって来る。

 玄関ではオニヘイとチュースケが何やら立ち話をしており、コウに気付いたオニヘイはそちらに目をやるやいなや深い溜息を吐いた。相手をするのが至極面倒なのだろう。

 なにせ奉行所は厄介な案件を抱えたばかりだ。


「……なぁチュースケ。こいつにも話しといた方がいいか?」

「隠して面倒臭えことになるより、最初から話しといた方がいいんじゃねーか? 場合によっちゃ役に立つかもしれねーし」

「どうだかな……」

「あん? なにかあんのか? こちとら負けた身だ。癪だが、岡っ引きとしてお前に従ってやるから、遠慮なく話せよ」

「……」


 何故こいつはこんなに上から目線なのか。

 そんな思考がオニヘイの脳裏には浮かび、表情から彼の怒りを察知したチュースケがジェスチャーで宥めると、オニヘイは短く息を吐いてからコンソールを起動した。


「これを見ろ」


 オニヘイはコンソールを操作し、ソリッドモニターを複数展開する。

 半透明の画面に表示されたのは、いくつかの文章やEDOの町並みを写した写真、そして特徴的なエンブレムの画像だ。

 それら、特にエンブレムの写真を目にしたコウは首を傾げる。


「五エ門? 五エ門ってのは、あの石川五右衛門のことか? 釜茹でされて死んだ、あの伝説の義賊の?」

手前てめえが言ってんのは原典の話だ。こいつは謂わば二代目……いや、三代目だな」

「へえ、五右衛門の名は世襲するもんだったのか。にしても、相変わらずこのってやつは凄えな! 何もねえところから絵やら文字やらが浮かんで来やがる。いったいどんな絡繰だ?」


 コウは表示されたソリッドモニターに手をかざし、指先で触れようとして通り抜ける。

 それが面白いらしく、コウは何度も腕を振ってソリッドモニターに腕を貫通させたり、手の平で画面を歪ませたりしている。

 その様が鬱陶しかったのか、オニヘイはさらにコンソールを操作してソリッドモニターを全て壁の方に移動させ、壁一面にモニターを投影した。

 この一連の流れに対してもコウは非常に楽しそうな様子で燥いでいるが、オニヘイは遂にコウの一挙手一投足を気にしないことにしたらしく、そのまま話を続ける。


「こいつの名前は『大義賊ゴエモン』。昨日下町の北西地区に突然現れ、鉄塔の頂上に自らの名を誂えたエンブレムを投影し、そして金色の雨を降らせた」

「金色の雨?」

「空から大判小判が大量に降って来る、と言ったら想像出来るか?」

「へぇ、そいつは凄え。お恵みの雨ってやつだな。ってことはおれが聞いた昔話と同じで、こいつも義賊ってことか」


 コウが語る『石川五右衛門』は伝承によれば江戸時代より少し前の時代に登場した盗賊であり、都心部を中心に盛大に暴れ回り、最後は釜茹での刑に処されたとされている。

 オニヘイが表した資料はその人物をモデルにしたEDOのユーザーの情報であり、そしてこの『大義賊ゴエモン』は本家本元と同じく犯罪者であった。

 ただし普通の犯罪者ではない。


「こいつは三年前にも何度かEDOに現れ、その度に今回の様な金色の雨を降らせて大量の金を町人ユーザー達にばら撒いた。当時奴さんの目的はてんで分からなかったが、後からその金が悪徳金融会社や違法ドラッグ販売企業のネット銀行から流失したものだったことが分かり、自他共に認める『大義賊』として町の話題となった」

「つまり一度は姿を消したその大義賊が、また現れたってことか」

「いや、が現れたのは今回が初めてだ」

「あん? どういうことだよ?」

「三年前に現れたゴエモンは、謂わば二代目。本家本元五右衛門を真似て義賊行為を行った盗人だ。だが今回現れたゴエモンは、三年前の奴とは違う」


 オニヘイはコンソールを操作し、複数展開されている画面のうちの一つを拡大する。

 それは動画ファイルの再生画面で、画面にはEDOの夜景とその中央に五エ門エンブレムを写したサムネイルが表示されていた。

 オニヘイが更にコンソールを操作すると、すぐさま動画の再生が始まり、夜のEDOに金色の雨が降り注ぐ映像が流れだす。それは昨日の事件を誰かが撮影したものだった。

 初めはユーザー達のどよめきだけが聞こえたが、間も無くして拡声器を通した何者かの声がスピーカーから発せられる。


『大義賊ゴエモン、ここに見参! 今宵の天気は星空のち金色の雨! さぁさ存分に浴びやがぁれぇい!』


 件の義賊のものらしき男の声が町に響き渡り、その直後にオニヘイは動画を止めた。


「これが今回のゴエモンだ。で、こっちが三年前のゴエモンだ。よく聞け」


 今度は別の動画ファイルを拡大する。これまた同じ様なサムネイルが表示されているが、その日付はのものだ。

 オニヘイが動画の再生を始めると、先程の動画と同じ様にEDOの夜景と金色の雨が降り注ぐ映像が始まり、ユーザー達のどよめきがスピーカーから発せられる。

 そしてこれまた同じ様に、間も無くしてスピーカーから拡声器を通した様な男の声が響き渡る。


『大義賊ゴエモン、ここに見参! 今宵の天気は星空のち金の雨! さぁさ存分に浴びやがれぇい!』


 三年前の動画から発せられたゴエモンの声、それは一般人が聞けば今回現れたそれと全く同じものに聞こえただろう。

 しかしこれを聞いたコウは首を傾げ、すぐさま抱いた疑問を言葉にした。


「声違くねえか?」

「そうだ。拡声器の所為で分かりにくいが、今回のゴエモンは若干声が上擦っている。慣れてねえ証拠だ。それに三年前のゴエモンは「金の雨」と言ったが、今回のゴエモンは「金色の雨」と言った。金色の雨って言葉はマスコミやメディアが勝手に使っていたもので、ゴエモン本人は必ず「金の雨」という言葉を使っていた」

「つまり今回のゴエモンは、三年前の奴とは別人ってことか?」

「本当に前のゴエモンから世襲したのか、あるいはその物真似なのかは分からねえが、三年前のゴエモンとは別人ってのは確かだ。それに明らかな違いがある。三年前のゴエモンは必ず悪党から盗み、弱き人々に銭を配る『義賊』だった。奴には奴なりの矜持があった。だが――」


 オニヘイは続けてコンソールを操作し、新たな画面を表示する。

 それは電脳瓦版の事件紙面に掲載された内容であり、その日付はゴエモンが現れた日の前日、つまり一昨日発生した事件の内容だった。

 その見出しには「EDO中央銀行、二六〇〇万クレジット消失!」という文章が記載されていた。


「こいつはそれを捨てた、ただのクズだ」

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