第玖話「挑戦状」


 EDOは下町ダウンタウンの北西地区。

 オニヘイ達は昨日大義賊ゴエモンが目撃された現場を訪れていた。

 エンブレムが投影された鉄塔の周囲には野次馬が群がり、付近の街道はガードドローンによる通行規制が敷かれている。

 オニヘイとチュースケ、そしてコウの三人はそれらをかき分けて先に到着していた同心達のもとまで辿り着き、彼等の案内で鉄塔の頂上付近まで上がると、すぐさま調査班の同心達と共に現場の調査を開始した。


「よし手前てめえら! 星は三年前の奴と違い、明確な犯罪者だ! EDO銀行から盗みを働いた以上、絶対に逃す訳にはいかねえ! 痕跡はシステムスキャンだけに頼らず、自分の目も使って探せ! いいな!!」

『応ッ!』


 オニヘイの言葉で同心達の動きのキレが増す。同心達曰く、彼の一喝には人を鼓舞する力があるのだという。

 尤もコウにはその感覚が分からない為、同心達の統率には感心したものの、調査作業に関しては至極退屈そうに眺めていた。

 そんなコウを見かねたのか、監督補佐役のチュースケが彼女に声を掛ける。


「よう、暇そうだな。何か聞きてーこととかあるか?」

「チュースケ。別に聞きてえことは……いや、ゴエモン。ゴエモンのことだ。今回のじゃなくて、前のゴエモンはどうなったんだ? 死んだのか?」


 コウの素朴な疑問にチュースケは少し考え込むような仕草を取り、数秒間を置いてから答えた。


「……そうだな。ある意味死んだのかもしれねーな」

「ある意味? どういうことだよ」

「三年前、奴は突然EDOに現れ、そして突然現れなくなったんだよ。二ヶ月間で計七回現れたが、結局奉行所は奴を捕まえることが出来ず、その行方は誰も知らねえ。それから昨日まで全く姿を現さなかったんだから、死んでいたも同然ってわけよ。尤も、今回現れたゴエモンは別人だけどよ」

「ってことは、前のゴエモンは生きてるかもしれねえってことか。そいつを探して直接聞いた方が早いんじゃねえか?」

「いや、三年も姿を消していた奴が、今更のこのこ出て来るはずはねーよ。それに……いや、なんでもない」


 何かを言い淀んだチュースケの様子にコウは疑問を抱いたが、それを問う前に調査を行なっている同心の一人から声が上がった。


「筆頭! 星がばら撒いたらしきクレジットデータを見つけました!」

「よくやった! そのまま鑑識に回せ。データに星の識別反応が残留している可能性がある。それと念の為に言っとくが、クレジットは全て銀行のモンだ。手前らネコババはするなよ!」

『……応ッ!』

「ちょっと待てその間はなんだ手前ら! 本当に許さねえからな!? まったく……チュースケ!」

「なんだ?」

「今朝話した通り今日は本部に行く予定があるんで、二時間程監督を任せる。電話には出られるようにしておくから、何か問題があればすぐ連絡してくれ」

「了解だ。行ってこい」

「コウ! 手前は大人しくしてろよ」

「心配すんなよ、ガキじゃあるめえし」


「大して変わらんだろう」という本心は言葉にせず、オニヘイはチュースケに監督を任せると、コンソールを起動させていくつか操作を行う。

 するとオニヘイの身体が瞬く間に白い光で包まれ、彼のアバターを構成するデータが分解を始めた。

 間も無くして量子レベルまで分解されたオニヘイのアバターはデータベースに転送され、彼の意識はVR空間から浮上ダイブアウトした。

 人一人が光に包まれて突然蒸発するという不可思議な光景を目の当たりにしたコウは、大きく目を見開いたものの声を上げることはなく、なにやら思考を巡らせた後に納得した様子で数度頷いた。


「……やっぱり夢だな、こりゃ」

「なんか言ったかコウ?」

「いんや別になにも。それよりよ、さっきのゴエモンの話の続きなんだが、もう戻って来ねえってのはどういうことなんだ?」


 コウの問いにチュースケは再び考え込む仕草を取り、口元を僅かに綻ばせた。


「言葉の通りだぜ。このEDOって町は犯罪者を尽く排斥する町でな、大抵の場合はアカウントの一定期間停止……って言ってもお前には分からねーか。まぁ打首以外はだいたい島流しにするんだよ」

「近頃の江戸おっそろしいな……ってことは、前のゴエモンは江戸から逃げたってことか?」

「そういうことだ。あれだけ世間を騒がせた大義賊、もし江戸に戻って来て当時の知り合いに見つかってみろ、その日のうちに御用だぜ」

「おまけに人情も無えのかよ……どうやら江戸が変わったのは、町並みだけじゃねえらしいな」


 そうボヤいたコウは江戸の町を見渡し、溜息を吐く。

 いくら夢の中とはいえ、己の知る江戸とはあまりにも変わってしまった人の在り方に呆れたのだ。

 今の町は彼女が知る江戸の町並みからもかけ離れており、せめて義理や人情の価値観だけはそのままであってほしいという願いも少なからずあったのだろう。

 しかし現実は非情である。いやコウにとっては夢なのだが。


「とにかく、前のゴエモンに期待するだけ無駄ってもんだ。仮に見つけたとして、本人に話が聞けるとも限らねーしな。俺達はこうやって地道に捜査して、一歩ずつ星に近付く。派手さは無えが、それが一番の近道なのさ」

「たしかに、奉行所の仕事ってのは思いのほか地味みてえだな。オニヘイもどこかに行っちまったし……おれの仕事は無さそうだ。下に降りてその辺り適当にぶらついてっから、なんかあったら呼べよ。じゃあな」

「ちょ、おいコウ!」


 コウは己に出来る仕事が無いと悟るや否や、枷となるオニヘイが不在であるのをいいことに、チュースケの制止も聞かず軽い足取りで鉄塔を降りて行った。

 チュースケはコウが野放しになることに僅かばかり不安を抱いたが、彼女の性格からするにオニヘイとの約束を違える事はないと踏み、己の仕事を優先した。

 彼女に振り回されるオニヘイの気持ちを初めて理解して苦い笑みを浮かべつつ、チュースケは同心達の作業監督を再開する。


「筆頭補佐!」


 すると、ほぼ同じタイミングで同心の一人がチュースケに声を掛けた。


「どうした? また何か見つけたか?」

「それが、こんな物がありまして……」


 同心はチュースケに掌サイズのオブジェクトを手渡す。

 それは一見カードの様な形状をしており、手に取ってその実態を理解したチュースケの表情が、意外なものを見た顔に変わった。


「こいつは……!」


 そのオブジェクトには「五エ門」のエンブレムが描かれていた。






 卍






「失礼します。お久しぶりです、松平警部。定期報告に参りました」

「やぁ長谷川君。いつもおつかれさま」


 EDOから浮上したオニヘイこと長谷川警部補は、警視庁サイバー犯罪対策課の課長室を訪れていた。

 基本的に彼の仕事場はVR空間内のため本来なら本庁に赴く必要はないわけだが、一ヶ月に一度だけ彼は課長室を訪れる。そこに座する彼の上司、EDOでは「旗本」と称される松平警部に現状の報告を行う為だ。

 電脳空間でも旗本に対しての報告は適度に行なっているが、特別な用事がなければ現実で顔も合わせない為、松平の計らいによりこの場が設けられているのだ。

 長谷川としては本庁に赴くこと自体に抵抗はない。だが直属の上司と顔を見合わせながら一対一で話をするということに対しては、若干の気まずさがあった。

 気心が知れているとはいえ、礼節を重んじる彼は尚更。故に長谷川は世間話などもせず、すぐさま仕事の報告に入る。


「既にお耳に届いているかと思いますが、EDOに再びゴエモンが現れました。現在奉行所はエンブレムが投影された鉄塔付近の調査を行なっています」

「懐かしいねえ。彼が現れなくなってもう三年も経ってたんだ。あの時は被害者が誰なのか全く分からなくて、結局悪徳企業がターゲットだと分かったのは、彼が姿を見せなくなってからだったね」

「ええ。しかし今回のゴエモンは違います。恐らく中身は違うユーザーなのでしょう。でなければあの様な、義賊としてのポリシーを捨てた行動はしないはずですから」

「そうだね。EDO中央銀行から盗んだと聞いた時はさすがに僕も驚いたけど、「金庫に彼のエンブレムが残っていた」なんて通報されれば、もはや疑う余地はないからね」


 電脳空間内に設立された銀行で管理されているクレジットは、硬貨や金塊の形状の物理データとして保管されている。

 これは質量を増加させる事で一度に運搬可能な量を制限し、仮に窃盗にあった場合には保持者の転送速度を下げる目論見がある。

 その為、EDO中央銀行には巨大な物理金庫が複数存在し、このうちの一つが今回のゴエモンのターゲットにされたのだ。

 しかしゴエモンは自らが名乗る通り義賊であったはずで、一般ユーザーの為のネット銀行からクレジットを盗むという行為は、これまで彼が行なってきた義賊的活動や行動理念に反していた。

 故に、オニヘイ達は今回現れたゴエモンを偽物と断定し、必ず逮捕する事を誓ったのだ。

 サイバーセキュリティの誇りにかけて。


「引き続き捜査の方はよろしく頼むよ。進展があったり、何か必要なものがあればすぐに連絡してね」

「承知しました」

「うん。そうだ、話は変わるんだけど、あの子どんな感じ?」

「あの子? ……あぁ、コウの事ですか。正直言って手を焼いていますよ。毎朝煩いですし、試合しなきゃ駄々こねますし、おまけに人を敬う気がまったくない。まるで子供です。本当にNPCなのか疑いたくなりますよ」


 分析班のウリスケのデータ分析を元に奉行所はコウをNPCやそれに準ずるものと断定したものの、彼女の行動や反応は明らかに普通のNPCのそれとはかけ離れている。

 本来ならば身元不明のプログラムは処分する決まりだが、余りにも特殊であったために奉行所は「監視」の方針を維持していた。


「ふふ、仲良くしているようでなによりだよ」

「冗談はよしてくださいよ本当に……ちなみにコウについて、トクガワからの回答はありましたか?」

「今のところは特に無いね。やっぱりあちらからの回答は期待出来ない様だよ。とりあえず今は奉行所に役立てるものとして管理するのがいいんじゃないかな」

「そうですか……承知しました」


 EDO管理企業のトクガワが沈黙している理由は不明だが、暗に管理を奉行所に任せたのかもしれない。

 無責任にも思えるが、使える駒が増えるのは悪いことではないので、コウが制御可能なうちは甘んじてその対応を受け入れよう。

 そう長谷川は思い至った。


「あ、もし時間があったら『タマモ』に聞いてみたらどうかな」

「タマモ?」

「トクガワが開発した上級AIで、今後EDOのシステム管理はタマモに移行していくって話だよ。既に管理の一部は任せているらしくて、来月には中央管制塔にインターフェイスが設置される様だから、その時には行ってみるといいよ」

「そんなものがいつの間に……」


 EDOの世界は年々拡大され、ユーザー数も増加の一途を辿っている。これのシステムを管理するには、流石に人の手だけでは追いつかないということなのだろう。

 トクガワの人間が多忙で質問に回答出来ないのであればAIに質問することも吝かではないと思いつつも、プログラムの扱いについてプログラムに尋ねるという奇妙な状況を想像して、長谷川は内心で自嘲した。


「僕も先日共有を受けたばかりの情報だからね。ちなみにこれ、公式発表されるまでは皆に話さないでね」

「情報規制ですね、承知しました」

「うん、よろしくね」


 結局、世間話をいくつか交えつつ長谷川は一通りの報告を終え、そろそろEDOに戻ることを告げると、松平が「最後に一つ」と呼び止めた。


「チュースケ君は元気?」

「チュースケですか? ええ、元気ですよ。軽口も変わらずで、いつも通りです。あいつがどうかしました?」

「ここのところ話せていなかったからね。彼がうちの課に配属されてもうすぐ三年が経つし、そろそろ今後の展望とか聞いておこうかなあ、と思ってね」

「ああ、もうそんなに経つんですね」


 チュースケは元々警視庁の人間ではなく、サイバー犯罪対策課に捜査協力を行なっていたハッカーだ。

 当初はアルバイトとして時折オニヘイ達と共に仕事をしていたが、三年程前に本人からの強い要望と資格が認められ、警視庁公認の課外捜査官となった。

 それが三年も続けば、何かしら希望することが出て来るかもしれないと松平は考えたのだろう。長谷川もそれは道理だと思い、納得した様に頷く。


「分かりました。旗本が話したがっていると本人に伝えておきます」

「うん。あとで僕からメールも送っておくから、その事だけ伝えてもらえらばいいよ。それに今はいっぱいいっぱいだろうし……」

「?」

「ああ、なんでも。こちらの話だよ」

「そうですか。それでは、私はこれで失礼します」

「ご苦労様。引き続きよろしくね」


 長谷川は姿勢を正して深く礼をすると、きびきびとした動きで課長室を後にしようとするが、その時ふと彼のケータイに着信が入る。

 相手を確認すれば、画面に表示されていたのは『チュースケ』の名前だった。それを視認した長谷川の表情が途端に険しくなる。

 恐らく緊急事態か、あるいは早急に共有したい話があるのだろう。

 どちらにしても早く確認すべきと思い至り、松平に了解を得てから長谷川はすぐさまそれに応答する。


「どうしたチュースケ。こっちは今から本庁を出るところだ」

『良かった。まだ旗本は近くにいるか? いるなら一緒に聞いてほしい』

「いるぞ。スピーカーに切り替える」


 長谷川はケータイを操作してスピーカーに切り替え、松平の机に置く。

 会話から松平も状況を理解したらしく、チュースケの話に耳を傾けた。


だ。今回のゴエモン、現場に犯罪予告を残していきやがった』


 チュースケのその報告を聞いた長谷川と松平は、目を見開いて互いの顔を見合わせる。

 それは大義賊ゴエモンから奉行所に対する「挑戦状」に他ならないからだ。

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