第弐拾話「虚光」


 ポッドより排出された人型は、コウと同じ顔を持つ女だった。

 コウがNPCである以上、当然複製体もあり得る話だ。寧ろNPC系のデザインは使い回しするのが一般的である為、同じ外見のNPCが存在してもおかしな事は何もない。

 しかしコウが特別な存在であり唯一無二だと思っていたが故に、同じ外見の個体を初めて目の当たりにしたオニヘイやチュースケは驚愕を隠せなかったのだ。

 尤も一番驚いているのは、他でもないコウ自身だろう。そう思い振り返ってコウの反応を確認したオニヘイだったが、どうにも彼女の様子がおかしい。

 というのも、コウの反応は少しばかり静か過ぎたのだ。開いた口が塞がらず言葉が出ないというのであれば納得するが、コウの性格からしてその様な驚き方はしないはずだ。

 ところが彼女はただ黙し、細めた瞳で自身と同じ顔を見つめている。

 まるで眼下の存在を見定めているかの如く、あるいはと照らし合わせているかの様に。

 そんなコウにオニヘイが言葉を掛けようとした、次の瞬間――。


「あ……ああ……ああああああああああああッ!?!?」


 突然コウは昨夜と同じ様に絶叫を上げ、間も無くして事切れる様に意識を失った。

 倒れ行くコウに気付いたオニヘイが彼女の身体を抱え上げ、遅れてそれに気付いたチュースケも急いで駆け寄る。

 コウの顔は安らかな眠りに落ちているかの様で、その寝顔は奇しくも鵺から排出された女と全く同じだった。


「コウ!? おいコウ!」

「オニヘイ! この感じ昨日と同じか!?」

「分からねえ! とにかく今はその女と鵺を拘束しろ! 手前てめえら動けるか!?」


 コウの安否も重要だが、昨夜と同じであれば一日経てば起きるはず。それなら今は寝かせておけばいい。

 彼女を介抱しつつオニヘイが先程行動不能になっていた同心達に呼び掛けると、何人かはアバターの機能が回復したらしく手を振りながらオニヘイ達の方へ駆け寄る。


「チュースケは女を拘束、他は全員鵺の拘束に回れ! 搭乗者が必要なら恐らく動けねえはずだが、念の為に身動き出来ねえ様に縛れ! 動けねえ連中は他の班に応援の連絡――」


 予想外の事態が続き、行動不能者も数名出ている為、オニヘイは迅速な撤退を第一とした。

 これ以上予想外な事が起これば、オニヘイ達の班のみで対処する事は難しいと考えたからだ。

 仮に鵺が再起動した場合、唯一鵺を力で抑える事が出来たヴァンガードは未だ倒れたままであり、且つ一太刀で致命の一撃を与えられたコウまでもが行動不能の現状では、鵺と戦闘など出来るはずもない。たちまち班は全滅する。

 よって鵺が動かない今こそが拘束の唯一の機会である。オニヘイのその判断は的確であった。

 もしこの判断に誤りがあるとすれば、それは「意識外からの攻撃」を予測していなかった点に尽きるだろう。

 人は目に見えるものから状況を理解し、それに対応する行動を取ることは出来るが、認識外のものあるいは場所からの干渉は回避する事が難しい。

 何故なら人はそれらを正しく予知出来ないからだ。状況分析からある程度の未来予測は出来るが、それも想像の域を脱しない。

 つまり未来予測をする暇など無い切迫した状況における「奇襲」は、殆どの場合成功してしまうという事だ。


 ――故に、オニヘイ達はこの直後、「空」という意識外の領域からやって来る存在に対応する事が出来なかった。


 オニヘイが各人に指示を出した直後の事だった。

 遥か上空より流星の如きが何の前触れもなく現れ、凄まじい速度でオニヘイ達の眼前へと飛来したのだ。

 その襲来にオニヘイが気付いたのは、光が眼前に落ちた瞬間だった。


「なっ、なん――ぬぅぉおおおッ!?」


 空からやって来た巨大な光は地面に激突した瞬間、耳を劈く破砕音と広範囲に渡る衝撃波を生じさせ、それをオニヘイ達に浴びせた。

 その衝撃波をまともに受けてしまったオニヘイ達のアバターは、その場から圧倒的な力で吹き飛ばされ、数十メートル離れた地面に体を打ち付けられた。

 完全なる不意打ちであり、尋常ならざる速度だった。眩い程に光り輝いているにも関わらず、それが目の前に来るまで全員が気付かない程の速さだ。

 当然、オニヘイを含めた皆が何が起こったのかを理解出来ていない。ともかく緊急事態である事は間違いないと判断し、すぐさまオニヘイは横たわる自身のアバターの状態を診断する。

 結果、アバターの両脚が機能不全を起こしていた。先の衝撃波の影響で破損したのだろう。

 オニヘイはなんとか動く上体だけを起こし、飛来した巨大な光の正体を目視で確認する。

 しかしそれは眩い光としか見えない。辛うじて四本の脚を持つ獣の様なシルエットだけは分かるが、それ以外は不明だ。


 ――いや、オニヘイはこの時、最も重要な事に気付いていた。


 それは、光がということだ。

 シルエットに準えるなら「咥えている」と言った方が正しいだろう。獣で言うところの口の辺りにコウは捕らわれていたのだ。


「コウ!!」


 オニヘイが意識を失っているコウに向かって叫ぶが、当然コウはそれに反応しない。

 獣のシルエットを持つ光は頭に当たる箇所を左右に動かしてぐるっと辺りを見渡すと、横たわる鵺の姿を捕捉した。

 すると光は鵺の尾の様な細長い光を「九本」伸ばし、その細い光で鵺の体を搦めとると、鵺の巨体を軽々と持ち上げる。

 そしてコウと鵺を掴んだその光はふと空を見上げ、巨大な光柱を天に伸ばしてそれに乗り込んだ。

 光は上方へと駆け上がり、降り立った時と同じ速さで空の彼方へ消えていった。

 目の前で起きたそれは余りにも突拍子で、オニヘイ達は呆然とする。

 唯一彼等が理解出来たのは、コウと鵺が謎の光に連れ去られたことと、自分達はそれをただ見ているしか出来なかったということだけだ。




 程なくして他の班の同心達が応援に駆けつけるも、現場に残されていたのは行動不能にされたオニヘイ達と鉄人、そして女剣客そっくりの顔を待つ何かの姿だけだった。






 卍






「旗本、トクガワとはまだ繋がらないんですか?」

『それがこちらから何度も掛けているんだけど、全然反応してくれなくてね。そろそろ直接本社に向かおうか考えているところだよ』

「お忙しいところすみませんが、お願いします。鵺だけでなくあの様なものがEDOに存在するなんて話は、一度も聞いた事がありません。間違いなく違法プログラムかバグの類です。一刻も早くあの光の所在を見つけ、そしてコウを、仲間を奪還しなければ……!」

『君の気持ちは勿論、事の重大さも十分分かっているよ。この後もう一度連絡を取れるか試してみて、それでも繋がらなかったら本社に向かうよ』

「よろしくお願いします」


 オニヘイの言葉にモニターの向こう側の旗本は柔和な笑みで返し、そのまま通信を終了する。

 面には出さなかったが、オニヘイはやりきれぬ思いと何も出来ないもどかしさに強い憤りを覚えており、気付けば自身のデスクを乱暴に殴っていた。


 鵺捕縛作戦が失敗し、コウが謎の光に連れ去られてから既に二時間が経過していた。

 行動可能になったオニヘイ達はすぐさま状況を旗本に報告し、現場に唯一残されていたコウと同じ顔を持つ女を回収して撤収した。

 現場付近の捜索を行わなかったのは、空に消えたあの光を追う為には闇雲に手掛かりを探すよりも鵺の中に居た女を調べる方が得策だと思い至ったからだ。

 そしてあの光の能力や行動を鑑みて、もはや奉行所だけで対処出来る案件ではないとオニヘイは判断した。早急にトクガワと連絡を取り、システム側から事態の解決を図るべきという方針を決定したのだ。

 それ程にあの光は驚異であり、不可解なのである。

 しかしオニヘイの予想通りというべきか、或いは期待外れと言うべきか、トクガワからのレスポンスは遅く未だ連絡が取れていないという非常に危うい状況だ。

 コウの安否もオニヘイの懸念の一つだが、あの巨大な光の動向も気掛かりだ。町中で暴れれば間違いなく大混乱が起きるだろう。

 鵺を回収した理由は、あの光を操る何者かが鵺を操っていた者と同一だからだと推測出来る。

 だがコウを連れ去った理由が分からない。分からないが、コウと鵺及びあの光との関係性を仄めかす唯一の証拠が、奉行所の手の中にあった。


 オニヘイは奉行所奥の一室、コウが寝床として使っていた部屋へ赴く。

 そこにはラバースーツの様な近未来的な格好をした、コウと同じ顔の女が仰向けで寝かされていた。その全身には拘束具が装着されており、部屋の四隅にはデータ解析様の装置が配置されている。

 そして部屋にはデータ記録係の同心とチュースケが居た。


「チュースケ」

「おおオニヘイ、連絡終わったのか。どうだった?」

「まだ連絡取れねえみてえだ。こっちは一刻を争うってのに……ウリスケから分析結果は届いたか?」

「それなら今届いたところだ。ただ内容確認はこちらですると言ったから、ウリスケチェックは通してない」

「展開してくれ」


 チュースケはコンソールを操作し、ウリスケから受信したテキストデータを数画面にわたって展開する。

 オニヘイはその中の作成情報の箇所を速読し、概要を理解した。


「やはりNPCか……だがコウと違って作成日と更新日がかなり最近だな」

「ってことは、少なくともコウみてーな異常なNPCじゃねえってことか」

「作成者名と更新者名の記載は英数字の羅列……この感じはユーザーのIDっぽくねえな。チュースケ、何の文字列か分かるか?」

「どれどれちょいと拝見……は? いやいや……嘘だろおい、何の冗談だよこいつは……?」


 オニヘイから受け取ったテキスト画面を確認し、記載されていた文字列を目にしたチュースケは、とても信じられないものを見た様な反応を示していた。

 尋常ならざるその反応の真意を、オニヘイはすぐさま問う。


「なんだ、何が分かった?」

「……いいかオニヘイ、落ち着いて聞いてくれ。このNPCの作成者名の表記は英字四桁で始まって、その後ろに数字が続いているんだが、これは企業や団体が使用出来る文字列だ。ユーザー個人のIDは必ず数字で始まる」

「ってことは、やはり個人の作成じゃなかったってことか。けどそれぐらいは予想していたはずだろ。何が気になってんだ?」

「問題は、記載されている英字四桁の後に続く数字が全て『零』ってことなんだよ。この表記は創世番号ジェネシスナンバーつって、これを使用出来るのはBIG EDOだけだ」

「はァ? ちょっと待てよ。じゃあなにか? このNPCを作って、最近までデータ更新を行なっていたのは……」


 オニヘイはこの時点で、チュースケが言わんとしていることを理解してしまった。

 それは決して容易に信じられる事ではないが、チュースケの口から語られるそれを耳にしてしまえば、オニヘイはそれを本気で疑わざるを得ない。

 誰もが信頼していた光が、実は虚ろなものだったという真実を。

 そして、チュースケは冷静にそれを言葉にする。


「トクガワだ」

「……確かなのか?」

「間違いねえ。ゴエモン時代にトクガワの防犯システムをハッキングした時に、作成者の表記を見た事があってな。それと全く同じだ」

「偽装じゃなく本物だとすりゃあ、鵺やあの光を操ってるのはトクガワって事になる。つまりトクガワは自分が管理してる電脳空間を自分で荒らしてるって事だ」

「そういう事になるな。けどいったい何の為に……」

「分からねえ。分からねえが……ますますトクガワから話を聞く必要があるな」


 もはや真実を確かめるべく、トクガワからの弁解を聞くほかない。

 しかしトクガワ自体がサイバー犯罪やダイブ病の原因だとすれば、それはトクガワが犯罪企業ということだ。

 つまり旗本はこれから容疑者へ連絡するか、直接本部へ赴くのだ。オニヘイは旗本に注意を促す為、執務室に戻ろうと襖に手を掛ける。


 その時だった。


「筆頭! 筆頭補佐!」


 なにやら慌てた様子の同心が部屋の襖を勢いよく開き、オニヘイ達に駆け寄る。


「おうどうしたァ」

「大変です! おかしな映像が流れてます!」

「おかしな映像だぁ? 手前らこんな時に遊んでんじゃあ――」

「違うんですって! 町中にモニターが投射されてて、其処彼処に映し出されているんですよ! しかも個人のコンソールにも表示されてて……こんなこと始めてですよ!」


 同心の言葉にオニヘイとチュースケは顔を見合わせ、その発言の真偽を確かめるべく同時にコンソールを開く。

 すると縦に並ぶメニュー画面の右側に、何の操作もせず動画画面が展開された。

 画面に映っていたのは、長い白髪の美しい女のバストアップを正面から映したもの。白と赤を基調とした巫女の様な衣服を纏っているが、オニヘイはその姿に見覚えがあった。


「……タマモか?」

「あの噂の、トクガワのAIか」

「ああ。だが、なんだか様子がおかしい」


 トクガワが開発した最新の進化型AIにして、EDOの統括管理を任されている存在。

 姿は以前話をした時と少々異なるが、外見のデザインは間違いなく件のタマモである。

 タマモは顔の上に僅かに笑みを作り出し、そして穏やかに言葉を紡ぎはじめた。


『EDOユーザーの皆様、こんばんは。私はEDO統括管理者のタマモです。本日は皆様に重大なお知らせが御座います』






 第参曲 妖怪セレナード 終演

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