エピローグ

「ユエちゃん、帰って来てるって知ってました?」


 さらさらと慣れた様子で書類を書き上げていくジョットが、顔を上げずにそう言った。

 ユエは青年と一緒にパエニンスラに出て暮らしているはずだった。初めは二月ふたつきに1度くらい彼の検診を兼ねて帰って来ていたのだが、1年もすると半年に1度のペースになって、もう5年になるだろうか。

 前回から考えると少し早い、かも? と、ルーメンは少し首を傾げる。


「お知らせは来ていませんが、そういうこともあるでしょう」


 ユエは帰省が決まると孤児院に手紙を出していた。その度、マーテルが律儀にルーメンに知らせるのだが、今回、彼は何も聞いていない。


「それが、どうも体調悪いみたいで。ガルダ君が連れ帰ってきたって……」

「ガルダさんが……」


 ルーメンは眉をひそめた。

 ガルダは監獄半島の火山に住んでいる『ぬし』だ。火の力に長けた鳥の形の生き物。伝説ではこの辺り一帯を統べ、怒らせると火山を噴火させるという。

 『鬼神』と呼ばれた冒険者と砂漠の湖で再会した時、彼が連れていた少年、それがガルダだった。

 突っ込みどころは色々あるのだが、彼(?)は冒険者とユエに懐いていて、素知らぬ顔で村人たちに混じっているのを時々見掛けたりもする。

 彼が連れ帰ってきたというのなら、船で来たのではない。飛んできたのだ。


「特に妙な病が流行っているわけではなさそうですが……」

「お屋敷の奥様に診てもらってるみたいですけどね。お見舞い、行きますか?」


 書類と共にペンを渡されて、ルーメンは所定の位置にサインをする。


「ジョットさんは行くおつもりで?」


 彼はうんと頷いた。


「ガルダ君が連れ帰って来たってことは、ちょっと急を要するってことだろうから……普通の病気ならあっちの病院の方が大きいんだし、ということは、彼女の体質・・の問題なのかなって」


 ユエにはこの世界で多かれ少なかれ誰もが持っている魔力がない。普通に暮らしていくにはそれほど問題ないのだが、登録制の魔道具が使えなかったり、何かで魔力に晒されると体調を崩すのだ。ちょうど『宣誓』を手順通りに終わらせなかった時のように。


「……でしたら、お節介かもしれませんが……何か力になれるかもしれせんね」


 お屋敷との関係は以前よりは良好だった。見舞いくらいならさせてくれるだろうとルーメンも頷いた。




 午後から2人でお屋敷を訪ねると、微妙な雰囲気が漂っていた。いつも落ち着き払っている執事まで、どこか気もそぞろだった。


「ビヒトさん? ユエはそんなに悪いのですか?」

「いえ……病気ではないのですが……少し厄介な感じで」

「病気ではない? では、やはり魔力関係の方ですか?」


 執事は頷くと、小さく嘆息した。


「カエル様も今の仕事が片付き次第、戻ってくると思うのですが……お2人の意見も対立しているようで」

「……意見?」


 ルーメンが訝しげに眉を寄せると、執事はふふと笑った。


「まあ、どうぞ本人に聞いて下さい」

「……本人に聞いても?」

「ええ。困ったことに気力だけは、あるようですので」


 以前に入ったユエの部屋ではなく、恐らく青年が使っていた部屋なのだろう。風呂もトイレも完備されたところに通される。

 ユエは蒼い顔をしてベッドに横になっていた。


「ユエちゃん、大丈夫?」


 ジョットの呼びかけに視線を寄越すと、彼女は弱々しく笑った。


「もー、ほんと、二日酔いのジョットさんの気持ち解りすぎて辛い」

「何の話?! 二日酔いじゃないよね?」


 えへへ、とユエは笑ってルーメンに視線を移した。


「神官サマなら、すぐわかるんじゃない?」

「辛そうな割にお幸せそうだな、ということくらいしか視えませんよ」

「じゃあ、視て。誰に、何度言われても、なんだか信じられないの」


 青年がいたら、多分止められただろう。けれどルーメンは躊躇わなかった。布団を剥いで彼女の全身に視線を走らせる。

 視えたものに、屋敷の微妙な雰囲気を理解した。


「おめでとう、ございます?」

「なんで、疑問系? ちゃんと、お祝いして?」

「え? 何?」


 ジョットはまだ理解が追いつかないようだ。


「ご懐妊ですよ」

「え!? 赤ちゃん?! えっと、あー……悪阻!」

「そうなの。フツーの悪阻に魔力酔いが重なって、サイアク……初めのうちはずっとほろ酔いみたいで良かったんだけど……」


 はふ、と彼女は息を吐いた。


「……彼は、もしかして」

「そーーーなのっ! やっぱ、神官サマには解るんだね。『ユエか子供かどちらかなら、ユエを取る』って。まだお腹も目立たないうちに起き上がれなくなるなんて、この先は無理だって」


 お腹の子の持つ魔力がユエにも影響している。確かに彼の言うことは一理あるのだ。


「その子が貴女に害をなすのなら、私もお勧めしません」


 ぎょっとしてジョットがルーメンを振り返った。


「害を成してる訳じゃないよ。この子はそうあるのが普通なんだから。ただちょっと、私の体質が合わなかっただけで……」

「今じゃなくとも。もう少し魔力に身体を慣らしてまた……」

「次なんてないかもしれないんだよ! 奇跡みたいなもんなんだよ。神様がくれたって言っても信じるよ!」


 ユエの決意は固い。元々彼女は言っていた。子はできないかもしれないと。似ていても自分たちは違う生き物なんだと。


「もー、みんながみんなやめた方がいいって言うんだもん。1番喜んでほしい人に喜んでもらえないとか、だんだん悲しくなってきて……」


 ぼろりとユエは涙を零した。

 一番、喜んでほしい人に……

 その言葉はルーメンの古い傷を貫いていく。


「せめて私くらいはちゃんと幸せだよって伝えてあげたくて。あなたのこと待ってるよって、大好きな人の子供だもん。ちゃんと産んでいっぱい抱き締めてあげたい。でも体調はどんどん悪くなるし、誰のせいでもないのにみんな自分が悪いみたいな顔をするし……」


 ルーメンは前総主教がやはり辛そうなのに幸せそうにしていた姿を思い出す。彼女も妊娠をひた隠しにされ、恐らく誰にも祝ってもらえていなかった。ルーメンも自分のことで精いっぱいで、妊娠それが喜ばしいものだとは思えなかった。

 彼女は『神の子』だと言うことで少しでも祝ってほしかったのだろうか。誰の子であったとしても、あの時のルーメンでは罪の意識の方が強くて、彼女が心の奥深くでどう思っているかにまで気持ちは回らなかった。

 今なら……今でも、罪の意識はある。

 けれど、産まれた子を抱きしめてみようとは思うかもしれない。上手く伝えられなくても、教えられなくても、最後にフェエルがしたように。


「ユエ、触れてもいいですか?」

「え? どこに? お腹?」


 ぐしぐしと涙を拭いながら、ユエはきょとんとルーメンを見上げた。


「心臓、と言いたいのですが、旦那様に張り倒されそうなので、背中側を」

「いいけど……」


 よいしょと緩慢に寝返りを打って、向けられた背中に服の裾から手を入れて直に触れる。


「えっ! ちょっ……」


 ジョットもドン引いていたけれど、直接触れなければ多分出来ないことだった。

 昔、フォルティスに魔力を分けたことを彼は思い出していた。夢中だったので、実はよく覚えていないが、与えられるならもらうことも出来るのではないか。そしてそれには全身を巡る血液が集まる心臓の近くの方が効率がいい。

 高鳴った心臓がルーメンにその位置を教えてくれた。


「何か変わったら、教えてください。何せ初めての試みですから」

「もぅ! 人を実験台にするのやめて下さい!」

「楽にして差し上げようとしてるのですよ」

「楽にって!」


 ルーメンはふふ、と笑った。


「以前にもこんな会話をしましたね」

「……あの時はほんとに怖かったんですから……あ……」

「ユエちゃん?」


 ジョットが心配そうに覗き込む。


「え……痛いの、ひいた……え。なんで? 何してるの?! 癒し、じゃない」

「魔力を頂いてみました。ちゃんともらえているようですね」


 ルーメンが手を離して服の裾を直すと、ユエが勢いよく起き上がって彼を向いた。


「どんな感じです?」

「……頭痛が無くなりました。気持ち悪いのも、ちょっと減りました。体のだるさも半分くらい……」

「普通の悪阻の方には効かないでしょうから、全部治すとはいきませんが、有効みたいですね。ユエがお嫌でなければ……カエルさんに叱られなければ、時々施して差し上げてもいいですよ。やはり実験はお嫌ですか?」


 にっこり笑うルーメンにユエは片頬をぷっと膨らませて見せた。


「どんだけ恩を売るつもりなの? ってか、そのスキル何? 神官サマは大丈夫なの?」

「私にとってみれば微々たるものです。詠唱でも魔力を吸いあげられますが……そちらだとお腹の中の子の分まで奪ってしまうので危険でしょうから。子の成長と共に魔力は増えると思いますので、毎日施すのか、何日かおきにでいいのか、様子を見ながらやっていきましょう。奥様にも伝えておきますね」

「……僕、ちょっとついていけてないんだけど、魔力を吸いあげるってナニ? 聞いたことないよ?!」

「試したら出来たというだけの話ですよ。ああ、でもできればご内密に」


 くすくすと笑ってルーメンは人差し指を唇にそっと当てた。


「そんなの、話しても信じてもらえないですよ!」


 頭を抱えるジョットの髪を、ユエはちょっと笑いながらよしよしと撫でる。


「神官サマが非常識なのは今に始まったことじゃないですよ」

「ユエに言われたくありません」

「えー。私なんてフツーなのに」

「貴女がフツーなら、私もフツーですよ」


 ユエとジョットは示し合せたようにぶんぶんと首を振った。




 起き上がれるのが嬉しいからと、ユエは若奥様のいる執務室まで一緒にルーメンについてきた。

 歩きながら袖を引かれる。


「神官サマ、アリガトウ……」


 照れくさそうに、小さな声だったけれど、これ以上もない感謝が篭っていて、ルーメンは少し誇らしくなった。彼女には迷惑ばかりかけたから、これで少しは恩を返せるだろうかと。

 皆に祝福されながら、その小さな命が産まれてくるよう、手助けできることを。


「どういたしまして。恩を感じてくれるなら、ひとつ、お願いしてもいいですか?」

「え? ……神官サマのお願いは何か怖いんだよね……何ですか」

「いえ、他愛もないことです。その子が無事に産まれたら、私のことを『テル』と呼ばせてほしいのです」


 ユエは妙な顔をした。


「それだけ?」

「それだけです」

「呼び捨てで?」

「その辺はお任せしますが……あまり他人行儀でない感じだと嬉しいですね」


 ユエはしばらく黙り込んで足元に視線を落としていたが、先程よりも小さな声で「ごめんね」と囁いた。過去への後悔が滲む。


「うん。わかった。私はもう定着しちゃったから難しいけど、この子にはちゃんと呼ばせる」


 握り拳を作ってまで意気込む様子に、ルーメンは喉の奥で笑った。


「そこまで力まなくとも。これも、実験のひとつだと軽い気持ちでお願いします」

「『テル』だと、近所の小学生を呼んでる気分になるんだよね。でも字に起こしたら『照らす』とか『輝く』のイメージだから、テル・ルーメンってよくできた名前だなぁって思ってた。ルーメンは『光』なんでしょう? フォルティス大主教に聞きました」


 『ショウガクセイ』が小さな子供を指しているのはなんとなく察せられたけれど、ルーメンはその先の話に思わず彼女を見つめる。


「『テル』に、そんな意味が……?」

「あ、うちの国ではです。別の言葉だと『告げる』とか『話す』とか電話……は無いか。遠くの人と話すための機械の呼称だったりするんですけど。そっちの意味でも神官ならぴったりですかね」

「……『ルーメン』は前総主教猊下があだ名のように呼んでいたのが定着したものなのです。そうですか……どちらも……」


 偶然なのか。偶然なんだろう。

 それでも彼女がその名を選んだことにルーメンはどこか繋がりを探してしまう。

 中央との繋がりも完全には切れなかった。時々アスピスからSOSが飛んでくる。今は直接、通信具で。「使われるな」というのは協力しないということではない。そういうことが少しずつ解ってきて、今の形に落ち着いた。

 今歩んでいる道が正しいのかどうかは判らない。まだ探してる。まだ視えていない。視えることなど、一握りだ。

 多分、それは皆同じで――


 ここではないどこかで、誰かが静かに笑っているような気がした。




 ― 遠き神代の光・終 ―

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