31.ユエ
ルーメンは土産の縫いぐるみの両目に小さな細工を施していた。衝撃を与えられると同等の力を返す程度の可愛いものだが、あの家の者に贈り物だと託したのなら、きっと細かく調べられるだろう。少しでも彼女とのやり取りから気を逸らしていて欲しかった。
従者を一人伴い玄関でベルを鳴らすと、執事が出迎えてくれた。彼はいつでも余裕がある。誰に対しても気負うということがない。
応接室に通されるとすでに若奥様が待っていた。
「随分急ではないですか」
険の篭った声は、それでも少し疲れが見える。
「急を要すると思ったのです。あの日から彼女の様子がおかしいと、もっと早くに知らせてくれれば。これは私達の範疇かもしれないのですから」
恐らく、どこが悪いのか彼女にも分かっていないのだろう。彼女は黙り込むと唇を噛んだ。
「そちらでも、判らないかもしれませんわ」
「そうですね。ですが、診てみないことには。会わせてもらえますね?」
渋々と頷く彼女に、ルーメンは縫いぐるみを差し出す。
「お見舞いにと持ってきたのですが、預かっておいて下さい。私から渡しても受け取ってもらえないかもしれませんので」
彼女は訝しげな顔をしながら、それを受け取った。
少女の部屋の前まで案内されると、青年がそこに待っていた。特に何を言う訳でもなかったが、不信感が顔に表れている。
「しばらく、私達だけにして下さい。こちらにも公に出来ないこともありますので」
「信用しろと?」
「先日、不手際があったのなら、こちらで誠意を見せるのが当然です。彼も連れて入りますし、おかしなことはしないと誓います」
伴っていた従者は元々村の者だ。教会の方で雇って雑用をしてもらったりしている。執事の彼は解っているようで、若奥様と青年に目配せをしていた。
了解を得たところで中に入り、従者に合図して内鍵をかけさせる。うとうとしていたらしい彼女は、ルーメンに気が付くと病人とは思えない素早さで起き上がった。
思ったよりは衰弱していなくてほっとする。
従者はその場に待機で、自分はベッドサイドに椅子を移動させて盗聴防止の魔道具を発動させた。誰にも邪魔されたくなかった。
怯える彼女を落ち着かせて、説得を試みる。下手に出すぎても威圧的でも彼女は覗かせてくれないだろう。こちらの手の内を少し見せながら彼女が納得できそうなバランスを探る。
どうにか了承を得ると、彼女はとたんにちょっとわくわくとし始めた。警戒が無くなったわけではないが、それを好奇心が上回っている。
「この瞳に見つめられるのに、ワクワクしている人を初めて見ました。自虐癖でもありますか?」
なんだかおかしくなって小さく笑ってしまう。彼女の顔を両手で固定し、その瞳を覗き込む。拒否感がない。するりと入り込む。
熱のせいだけではない、少しうっとりとした表情になって彼女は「自分でこれを見たことは無いの?」と聞いた。
「自分で? そんな恐ろしいことはしませんよ」
考えたこともなかった。皆が皆怯える『神眼』。自分を視たらどんな醜いものが見えるだろうか。
「恐いの? 凄く、綺麗だよ?」
「……綺麗?」
そんなことは誰にも言われたことがない。綺麗? 紋が? 発動の時に仄かに光るのは知っている……けれど……
きゅっと彼のどこかが音を立てたような気がした。そのまま、彼女に捕らわれてしまいそうな気分になる。
慌てて雑念を追い払う。今は、集中しなければ、と。動揺してしまった腹いせのように、小さな願望が思わず口を突いて出る。
「そんなことを言うのなら、私の実験の被験者になってもらいましょうかね?」
「じっ、実験って?! お、お断りします!」
覗かれるのにこれ程抵抗がないのなら、どこまで見せてくれるのか、知りたい気持ちが無いわけではない。主導権を取り返して、ほっとする。
「余計なことは言わぬが花、ですよ。ほら、集中して下さい。きちんと同調しきれないではありませんか。祝詞を聞きたくないのでしょう?」
『宣誓』の時は心の枷を外すために初めに祝詞を唱えていた。だが、彼女のように協力的ならその必要もない。
彼女の不満気な思いも、すぐに溶けていった。
先日のように深くまで繋がって、ルーメンはそこから徐々に自分を引き揚げる。視たい好奇心はあったが、流石に我慢した。引き揚げきると子守唄を口ずさむ。あとはゆっくり眠れば大丈夫のはずだった。
彼女との繋がりが切れてしまうのが少しだけ寂しくて、嫌がらせをしたくなる。
彼女が眠りきる前に魔道具を止め、従者に合図を出した。彼がドアを開ける。人の気配がする。
「あなたに、主の祝福がありますように」
ルーメンは彼女の額に口づけを落とす。『祝福』は主教以上であれば誰でもできる。請われて高額な報酬と引き換えにすることもある。だから、別に病人の快癒を祈ってしても、おかしくはないはずだ。
それが、異教徒の目にどう映るのかは、ルーメンの知ったことではない。
振り返ったルーメンの目に飛び込んできた青年の顔が、めいっぱい引きつっていた。
◇ ◆ ◇
ユエは不思議な娘だった。見た目や行動は少し幼くも見えるが、時々ルーメンにぶつける感情は彼よりも大人びていた。
何より『神眼』に覗かれ、嫌な思いもしただろうにそれを気にする風でもなく、視られている事を逆に利用して接してくるやり方は、ルーメンでさえ面食らった。
いっそ無かったらと思ったこともある紋を綺麗だと言い、ルーメンのことを呆れてはいても嫌ってはいない。加護の力もひっくるめて彼を受け入れてくれる彼女と、もっといたいと思うのも、仕方のないことだったのかもしれない。
欲しいとまでは言わない。けれど、せめて傍にいて知りたいという心はいや増していった。
それは屋敷の青年にも言えた。
自分のことを知られたくないという警戒から、ユエを近づけさせたくないという警戒に変わるのに時間はかからなかった。
彼が屋敷を出られなかったのも、彼が知られたくないと思っている秘密も、恐らくその出自に関係している。
そして、屋敷から出られるようになったことと、彼女を手放したくない気持ちが増したことは、彼女の加護に関係している。
彼等は一対だ。
惹かれあいながらも、なかなか踏み込めないふたりの間にある秘密を見届けたい。
彼の知る孤独はどこかルーメンの知るそれに似ていた。
だから、彼はルーメンを警戒するのだ。ユエがそれを埋めると知っているから。
彼等の邪魔をするつもりは、ルーメンには無かった。自分ではユエに何も与えることはできない。
ただ、許されるなら、自分の見た物が幻ではないのだと、あの薄青い光の中で見た光景は、確かにどこかにあるものなのだと、いつか彼女を通して確かめたかった。
罪は消えない。
それでも。それを背負っていても。
懐かしいあの場所を想いながら、この世で罪と共に歩んでいくことを赦してほしいと――
彼の願いは、叶う。
ほんの少しだけ未来で。
※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※
(そして物語は主人公を変えて――「蒼き月夜に来たる」へと)
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