6.フォルティス

 身につけている鎧には大小沢山の傷。よく見ると返り血なのか、赤黒い点もあちこちについている。兜はどうしたのか見当たらなく、その顔にも点々と血飛沫が飛んでいた。傍まで行くとすえた臭いが鼻を突く。今回の動員で来た人物でないことだけは分かった。


「どうされました? 誰かに、伝令ですか」


 違うだろうなと思いながら、ルーメンはそこそこ長身の自分よりもまだ背の高い、がっちりとしたその騎士を見上げた。

 幾分年も上だろうと当たりを付けていると、呆然としていたその顔のまま彼はゆっくりと視線を下ろす。ブルーの瞳がルーメンを捉えると揺れた。


「……妻、と……子供、が」


 それだけ聞いただけで大体の事情を察する。

 小競り合いのある最前線から知らせを受けて戻ってきたに違いない。まさか戦線から離れている町が焼き落とされているとは誰も思いもしないだろう。


「ご無事な方は隣町におりますよ。確かめられましたか?」

「いなかった」


 男は小さく首を振った。


「……重傷者はあの、」

「いなかった!」


 男の握られた拳が震える。


「家は焼け落ちてて、形ある死体はここにあると……だがっ」


 ぐるりと首を巡らせて怒りにも似た表情を浮かべ、男は喉の奥から絞り出すように声を発した。


「どれが、誰か、さえ」


 怒り、後悔……怒り、怒り、哀しみ……


「……奥様とお子様の名前と年齢を、教えていただけますか?」

「……は?」

「お探しできるかもしれません」

「生きて、いると?」


 ほんのひとかけらの希望にすがるように、男はルーメンの両腕を掴んだ。


「いいえ。残念ですが、その可能性はほとんどないでしょう」


 かっと彼の顔が紅潮し、怒りの形相を作り上げると同時にその両手にも力が入る。ぎりぎりと歯を食いしばる音が響いた。


「ですが、この中にいらっしゃるのなら、見つけられるかもしれません」


 ふっと両手の力が抜け、一瞬の間きょとんとした顔が、次には盛大に顰められる。


「たわ言を……からかっているのか? それとも、慰めになるとでも?」

「できないことは口にしません。ご覧になった方が早いですかね」


 ルーメンは男から離れると近くの死体に被されていた布を捲った。

 しゃがみこみ、その瞳を光らせて顔も判別できぬ死体を『視る』。


「『アレクセイ・ヘルマー』、男、54歳」


 ルーメンが顔を上げると、ぽかんとした顔が見下ろしていた。


「すみません。何か書くものをお持ちではありませんか? 折角なので記録しておかないと……」

「……は? あ……いや……」


 彼はぱたぱたと自分の身体を触ると、申し訳なさそうに首を振った。


「では、ナイフか何かは」


 これはすぐに差し出された。酷い様子なのにナイフは綺麗に手入れされている。

 それに少し微笑んで、ルーメンは躊躇なく自分の指先にナイフを滑らせた。


「……なっ……!」


 充分に血が出るのを確認すると、彼は被されていた布に今視たものを書きつけていった。


「何してるんだ!」

「え? すみません。折角綺麗に手入れされていたのに、汚してしまいましたね……」

「はぁ? そうじゃない! 書く物くらい、その辺に落ちている炭の欠片でも!」


 男はまだ血の滴っているルーメンの手をひったくるように掴むと、どこから出したのか真っ白いハンカチを巻き付け縛り上げた。


「ああ……それでは汚してしまいます。すみません。なるほど。思いつきませんでした」

「ハンカチなど汚れる為にあるものだ」


 憮然と言い放つが、そのまっさらな生地は一度も使われたことがないようだった。結び目の端に刺繍が施されている。


 ――ソリス


「……貴男のお名前ですか?」

「……ああ……いや、妻、の。娘はニテンス。20歳と2歳だ」

「解りました。お探ししておきますので、貴男は少しお休みになった方がよろしいでしょう」


 よく眠れていないのだろう。男の目元には疲れが張り付いていた。


「いや、俺は……」

「お2人が見つかった後、まだやることがあるのですから、休める時には休んだ方がいいのではありませんか。私も1度治療してもらいに戻ります。早い方がハンカチの汚れも落ちやすいでしょうから……一緒に戻りましょう」

「あんたは……」

「これは、失礼しました。オトゥシーク教団中央神殿より参りました、テル・ルーメンというものです」

「テル・ルーメン……お、俺はフォルティス。フォルティス・プレセンテ。帝国騎士団第8師団所属だ」

「プレセンテさんですね。8師団というと、やはり北の最前線ですか?」


 頷く男をルーメンは促して歩き出す。


「そうだ。1戦やり合った後に知らせを受けて……」


 足元に視線を落とした男はそれきり黙り込んだ。ルーメンも小さく頷き返しただけで、あとは治療所まで黙っていた。




 人でごった返している、治療所に併設された仮説の休憩所にフォルティスを押し込んで、ルーメンは治療所へと向かった。

 休憩所と言っても何もない。机も椅子も取り払った空間にそれぞれが毛布1枚を駆使して、座ったり横になったり、休まるのかどうかもわからない格好で自分のスペースを作っているだけだ。

 フォルティス・プレセンテのように町の外にいて災禍を免れた家族や、手伝いに駆り出されたボランティアが主に利用している。


「すみません。これも一緒に洗ってもらえますか?」


 治療所の傍の、地下水をくみ上げる手押しポンプの前でたらいに手を突っ込んでいた女性が、嫌そうに顔を上げた。汚れの酷いものは捨てているが、物資も有限ではないし、洗濯物は次から次とやってくるのだろう。


「大切そうな物だったので。テル・ルーメンにと教団関係者に預けてもらえれば、私の所に届きますので。お手を煩わせて申し訳ございません」

「あ……あ、いえ。大丈夫です。そのくらい、ちゃちゃっとやっちゃいますから!」


 にこりと微笑むルーメンを見て、女性は態度を変え頬を赤らめながらハンカチを受け取った。ついでに濡れたタオルもひとつ分けてもらう。

 彼女に背を向けてから、まだ血のにじむ指を反対の手で包み込んだ。とりあえず血が止まればそれでよかった。

 その足で休憩所まで取って返し、毛布を抱えたまま所在無げに佇んでいる大柄な鎧男に声を掛ける。


「とりあえず、お座りになったらいかがですか。このような場所では完全には休まらないとは思いますが」


 ぴくりと反応した男はルーメンを視認すると頭を掻きながら言う。


「……いや、他の騎士たちが働いているのに自分がここにいるというのが、落ち着かないというか……」

「貴男は遺族ではありませんか。こちらに配属された騎士たちは交代で休んでいます。貴男も休憩だと思えばよろしいのでは?」


 壁際の一角に誘導して、ともかくも座らせると、彼はルーメンの傷つけた指に視線を向けていた。


「治療してもらったのか?」

「はい。この通り、もう血は止まりました」

「癒し手はすごいんだな」

「そうですね」


 先程もらったタオルをルーメンが差し出すと、男はきょとんと見つめるだけで手を出そうとしない。


「戦場では男前でしょうが、こういう場所では少々嫌がられそうですよ」


 苦笑したルーメンがそれを顔に押し当ててやって、ようやく男は自分がどういう状態なのかを察したようだった。


「湯浴みさせてあげられればいいのですが。さすがにお湯をそちらに回す余裕はないようです」


 耳まで赤くして、男は自分の体臭を嗅いだ。


「色々麻痺しちまってる……井戸水でも被って……」


 立ち上がろうとした男をルーメンは留めた。


「身も心も疲れすぎているのです。先に少しでもお休みなさい」

「いや。数日寝ないことなど当たり前にある。俺は、騎士なのだから――」

「騎士の前にひとりの人間ですよ。人間である以上、休息は必要だと主も言っております」


 フォルティス・プレセンテは少しの間視線を彷徨わせて、それから自嘲気味に呟いた。


「どのみち、寝られんのだ……」


 ルーメンは2、3度瞬きすると、そういえば誰かの相手をする時、自分も碌に眠れないことを思い出した。種類は違うのだろうが、神経が高ぶっているということなのだろう。


「わかりました。では、子守唄を」

「は?」


 ルーメンは彼の首元に抱きつくようにして耳元に口を寄せた。他人にあまり知られたくないという思いから出た行為だったが、彼は先程よりも顔を赤くして大いに動揺した。


「お……おおお、おい?」


 ルーメンは構わずに彼の耳元で子守唄を歌いだす。彼だけが聞こえるくらいの音量で。深くは眠らせられないだろうが、仮眠なら十分なはずだった。


「そんな……こども、だま……し……」


 彼の頭はすぐにルーメンに預けられた。随分疲れていたのだろう。念の為にと1曲歌いきってから彼をその場に寝かせる。

 汚れた鎧の上から毛布を被せて、ルーメンはその場を後にした。 

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