5.国境

 テル・ルーメンが15歳になり成人を迎えると、同時に総主教は彼に大主教の位階を与えた。

 もちろん、反発はかなりのものがあったのだが、彼女は『総主教付き』という異例の役職まで作り、引き続き彼を手元で育てていくことを宣言した。


「テル・ルーメンはわが教団になくてはならない人物です。すぐに、皆も納得するでしょう」


 言い切る彼女に渋い顔をしつつも、彼女の付き人のような仕事ならそう支障もでないと判断されて、それは許諾された。

 涼しい顔をしたまま、軽く頭を下げたルーメンだったが、総主教からその話を聞かされた折には1度断っていた。

 普通に神官見習いとして地方からやっていくつもりだと。

 彼女は笑ってそれをばっさりと否定した。


 ――人付き合いが下手なあなたが地方でやっていくのは無理。実力があるのは確かなのだから、しばらく私を助けてちょうだい。


 そんな風に言われてしまえば、恩ある彼女に従わない訳にもいかない。

 彼女の思惑としては実力を皆に解らせた上で、数年で大都市の教会を任せようとしているらしかった。


「それから中央に戻ってきてもらって、その後はずっと私の右腕としていてもらうわ」


 にこにこと冗談とも本気ともつかぬことを言ってのける。

 彼女の右腕としてやってきたのは、フェエルという現在40後半に差し掛かろうかという真面目な男だ。茶がかった金髪に鳶色の瞳。テル・ルーメンのことも幼い頃から傍で見て、必要であれば指導してきた。好き嫌いは別として、一番公平に彼を評価しているのも彼だった。

 地味で目立ちはしないが、裏方に徹して陰ながら総主教を支える彼のことを、ルーメンも評価していた。


「フェエルがいるのですから、これ以上右腕を増やすことはありませんよ」

「まあ。『神眼を与えられし神の愛し子』は神に仕える一信徒など歯牙にもかけないのですね」

「猊下」


 冷たく窘めると、彼女は子供のようにぺろりと舌を出して肩を竦めた。

 ずっと気を張っているのだ。我が子のように育てた自分に気を許して、普通の人のように振舞いたいというのも分かる。

 それが、周囲の目にどう映るのかということも。

 ルーメンはそっと息を吐き出すと、軽く頭を振った。


「そんなことを仰るのはここだけにして頂きたい」

「ええ。解っています。ルーメン。いつも、ありがとう」

「めっそうもございません。今までも……これからも、恐らくそれが私の仕事なのでしょう」


 小さく微笑んだ総主教の奥に寂しさが忍び込んだのが見えた。



 ◇ ◆ ◇



 テル・ルーメンが『総主教付き』の肩書を持つと同時に『神眼』を使う仕事が増えた。今までは未成年だから極力表に出さないようにしていたのだとフェエルが説明する。

 審問会が開かれるような案件で派手にやれと言われた時は、彼に対する印象を改めさせられた。

 壇上で黙秘を貫く人間を冷静に覗き込み、産まれから昨夜飲んだ酒の種類まで淀みなく。刻一刻と変わる顔色を見ていれば、ルーメンの口から紡がれる情報が間違いではないと誰もが信じることが出来た。

 総主教の意向もあったのかもしれないが、それはてきめんに彼の名と実力を周囲に知らしめることとなった。


 好意とは少し違ったが、憧憬や畏敬――あるいは畏怖――の眼差しを向けられ始めたのだ。嫌がらせや敵意は相変わらずあったものの、以前ほど直接的に叩きつけられることは減っていた。

 教団内で少し動きやすくなると、フェエルは総主教補佐の仕事をルーメンに割り振るようになった。

 そっと総主教の指示かと彼が聞いてみても、フェエルは鼻で笑うだけ。確固たる信念で彼女に仕えている彼は読み辛い。とうとう、その真意はルーメンには解らないままだった。




「北の国境の町ゲローが襲撃されたと、国の方から癒し手の要請がありました」


 ある年の夏、硬い声で総主教が告げる。

 国の北、少し東寄りにあるその町は静かな田舎町だ。最近は国境付近での小競り合いも減ってきて、和平交渉でも……と噂されていた矢先の出来事。あちらの意志の表れなのか、野盗の仕業なのか、微妙なところだった。

 近場の者達には即時招集がかかり、遠くのものには緊急通達が出される。

 癒し手はそう多くない。その多くが女性であることも鑑みて、男性神官とのペアで現地に向かうことが推奨された。


「ルーメン」


 慌ただしく周囲が動く中、フェエルがルーメンに声を掛けた。


「猊下も現地視察の名目で彼の地に赴くことになった」


 教団が国に恩を売り、人々に深く入り込むチャンスだ。最も効果的な配役をしたのだろう。ルーメンは頷く。


「お前も行け。私が残る。命に代えてもお守りしろ」


 短く伝えると彼は驚くルーメンに背を向けた。


「お、お待ちください。私は外に出たことも……」

「『総主教付き』なのだ。一緒に行くのは当然だ。それとも、出自や身の上に甘えるのか?」


 言葉に詰まるルーメンにもう一度歩み寄ると、フェエルは彼にしか見えないように、にやりと笑った。


「外を見て来い。何があっても『ここ』に残るよりはいいはずだ」


 ぽん、と肩に手を乗せ、今度こそ早足で彼は歩み去る。通りかかる若い神官に指示を出し、差し出される書類を受け取って流し見すると廊下に消えていった。

 彼は知っているのか。男の誘いも断らないことを。女の誘いも男の誘いも好きで受けている訳ではないことを。

 総主教も補佐もいなくなれば、その間自分にそういう誘いも、小さな――あるいはあからさまな――嫌がらせも増えるのは確実だ。それを、見越して?

 ルーメンは小さく自分を抱きしめた。


 成人を迎えてから数年。自分自身を癒すことに慣れてくると、痛みに鈍くなっていることに気が付いた。いつでも治せると思うからか……それとも先だって痛みのありそうな場所に麻酔のような効果をかけてしまうのか。書類で指を切って血を流していても気付かなかったりする。

 痛みを感じないことは都合が良かった。それが、少しずつ心を削っていたのだとしても。


 フェエルは手を差し出したりはしない。彼は総主教を補佐するのが仕事。彼女が拾った出来のいいペットを、彼女が望まなければ叱る気も躾ける気も、可愛がる気だってない。そういう距離感でやってきたはずだった。

 彼は視え辛い。彼が残るのは他の思惑があるからかもしれない。

 ルーメンは小さく頭を振ると視察の準備に取り掛かるのだった。




 ゲローに着くと焦げ臭い臭いが辺り一面に充満していた。建物は半分以上が焼け落ちていて、広場に集められた死体も人の輪郭が見て取れればいい方だった。これで何体目か。被された布を捲って、ルーメンは溜息を落とす。

 上半身しか形を留めていない。運んでいる間に崩れてしまったのかもしれない。

 賊は皆が寝静まった頃町に入り込み、人々を襲った後火を点けて回ったようだ。あちこちで魔力の抜けきった焔石ほむらいしが見つかっていた。


 運よく生き残った者は隣町に避難している。数は少ないが貴重な証言者たちだ。その者達によると、町を襲ったのは盗賊のような一団で、あれよという間に町は火に包まれ、彼らは南西の方に去っていったのだと。

 目につく金品だけを速やかに回収していくなど、盗賊にしては鮮やか過ぎる。けれど、それ以上の証拠もなかった。


 どこから手をつけるべきなのかとルーメンは立ち上がった。

 生存者の捜索と警護は国の騎士団が仕切っていた。負傷者は無事だった建物を利用した簡易の治療場所で重症者と軽傷者に分けられ、軽症の者は隣町に護送されていく。重症の者も、ある程度治療を施したら同じように運ばれた。

 総主教は到着と同時に死者を悼む祈祷をし、遺体を集めた広場で合同の葬式を行った。

 数が多いのと、身元の確認が困難だったからだ。彼女は一通りの儀式を終え、現在隣町の教会に身を寄せている。この町の教会は跡形もなかった。


 自分も何か少しでも力になればと戻って来てみたものの、癒しを行えることを隠しているルーメンにはあまりできることがなかった。

 悲しみに暮れる遺族にかける慰めの言葉も彼にはよくわからなくて、説法のようになってしまう。受け入れてくれる人も居れば、反発する人も居た。


 ルーメンは何気なく広場を見渡す。

 家族や知人を探す人なのだろう、ぽつぽつと布を捲っては口元を押さえ打ち震えている者がいる。中のひとり、騎士鎧を着込んで呆然と立ち尽くす大柄な男に目が留まった。

 作業をしている騎士は鎧を身につけていない。興味惹かれて、ルーメンはその男に近付いた。

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