4.魔力
ここに連れられてきた時、金属の板を光らせたのが魔力だったと、その後すぐにテルは知らされた。
もしかしたら魔法が習得できるかもしれない。もう少し大きくなったら練習してみましょう。周りはそう言って幼いテルを囃し立てた。
実際は与えられる教典にのめり込み、そんなことは半分忘れかけていたのだ。
それを思い出したのは3人に犯され、体の奥の痛みと違和感をどうにかしなければと焦る気持ちからだった。夜の礼拝には何事もなかったように振舞い、自分には何のダメージも残さなかったのだと見せつけてやりたい。
その前に総主教やその側近にも気付かれたくはなかった。
心配をかけたくない、などという情は無い。彼女達でさえ信用に足ることはないのだから。笑顔の裏に見える感情は時に辛辣だった。
『見識』の加護は相手と見つめ合い、その瞳の奥から心の動きや記憶を覗き見ることが出来るものだ。主に犯罪者の手口を調べたり嘘がないか確認するときに用いられる。
視えるのは相手が質問に答えよう、あるいは嘘をつこうとそれを想起した時。もちろん加護の強さによって視える範囲は違う。
対してテル・ルーメンの持つ『神眼』は、相手を覗き込んだ瞬間に欲しい情報が得られるというもの。本人が好む好まざるに拘わらず、彼が視たいと思えば視えてしまうのだ。心の中をごっそりさらわれるのは、ある意味拷問よりも辛いらしい。
さらに、平時でも彼は見えているものの感情が読み取れた。顔が笑っていてもその奥で恨みの感情が渦巻いていたり、嫌そうに顔を顰めた者に照れを見たり……それを公にすることは無かったけれど、空気を読みすぎる対応が不信を招いていたのも確かだった。
テル・ルーメンは自室に誰も居ないことを確認すると、ずるずると座り込んで腹部に手を添えた。
――このまま、手を突っ込んで痛んでいる部分を千切り取れればいいのに。
投げやりにそう考えて手に力を加える。
ふいにその手が内臓まで入り込み、痛む部分を撫でた感覚がした。
ぎょっとして腹から手を離し、辺りを見渡す。もちろん誰もいる訳もなくひとりきり。ただ、痛みは軽くなり、手のひらはほんのり温かくなっているような気がした。
痛みが少し引いたからか、頭が冴えてくる。
癒しの力は魔力を変換したものだ。自分に魔法を使えるだけの才能と魔力の量があるのなら……もしかして。
魔力の量がいくら多くても魔法を使えない者は沢山いる。癒しへの変換はもっと稀のはずだった、けれど。
もう一度腹部に手を添え、意識をその奥へと滑り込ませる。少しずつだが、痛みは引いていった。
ここは神に感謝すべきところだろうか。そっと手のひらに視線を落とし口元を歪める。
いや。神などいない。いても、自分を助ける神ではないのだ。己を助けたのは己。
髪をかき上げて、テル・ルーメンは湯浴み場に向かった。
それからひとりの時に彼は少しずつ魔法の勉強を始めた。成り立ちから基礎、中級、上級、特殊魔法。有難いことに資料には事欠かない。日々の煩わしいことも、調べものに没頭していると忘れることが出来た。
「……ルーメン。顔色が良くないわ。あなたが勉強熱心なのは知っているけれど、ほどほどにして、きちんと食べてね」
ベッドに横たわりながら総主教はルーメンの顔にそっと手を添える。
「大丈夫ですよ。ご心配には及びません。猊下がお早く眠りについて下されば、私も早く部屋に戻れます」
「……そう……そうよね。解っているの。でも、ゆっくり一緒にいられるのは、この時間しかないでしょう?」
日に4度の祈りの合間に会議や書類へのサインなどの事務仕事、時には視察に赴いたりと総主教の仕事は意外と多い。解釈の違いで衝突する者達の仲介などというやっかいな案件まで回ってくる。
最近はそういうストレスで寝つきが悪くなっているようだ。
もちろん、ルーメンが組織内に上手く嵌まれていないのもストレスのひとつだと解っている。解っていても、どうしようもないものだった。
「猊下のお心遣いには感謝しております。私のことはどうぞお気になさらずに」
酷く頼りなさげな瞳がルーメンを見上げる。
――自分はもう必要ないのか。総主教という立場でなければもっと――
「……今日は薬でも飲もうかしら」
嫌われたくない。もっと見て。もっともっと。奥底まで。
合わされた瞳が訴えかける。
「お薬はあまりお勧めしません。子守唄でも歌いましょうか」
眼の端に侍女が動き出すのが見えて、ルーメンはついと目を逸らした。侍女の動きも止まる。
背が伸び、肩幅が広くなり、細いなりにも男の体つきになってくると、彼女のルーメンを見る目は変わっていった。子供を慈しむ母の目から女のそれへと。もしかしたら本人は気付いていないのかもしれない。けれど彼の『神眼』に映る彼女の裏側は、彼に言い寄る女性達となんら変わるところがなかった。
神に一生を捧げたはずの総主教も、結局ただの人間なのだ。
「まぁ。あなたに子供扱いされるなんて。すっかり大人になってしまったのね」
「次に誕生日を迎えれば、猊下に初めて会った年に追いつきます。あの時、猊下はもうすでにお仕事をされていたではありませんか」
「あぁ……そうね。そう、なのね……」
彼女が懐かしそうに目を閉じたので、戯れにとルーメンは昔
何小節か歌ったところで、彼に触れていた手が布団の上へとぱたりと落ちた。もう眠ったのかと、少し驚きながらその手を布団の中へ仕舞い込む。1番を歌いきったところで、彼女がぐっすり寝付いているのを確認して立ち上がり、何人か控えている侍女たちを見渡してルーメンは動きを止めた。
全員がその場にうずくまるか、壁を背に辛うじて立っているという具合で眠っている。
立っているひとりを軽く揺すり声を掛けると、ようよう目を開けた。
「……あっ……すみま、せん。なんだか、急に……」
言っている傍から瞼が落ちてくる。力の抜けていく身体をそっとその場に寝かせると、彼は
早く眠って欲しいとは思っていた。
もしかして、無意識に魔力を乗せていたのか? そんな使い方は聞いたこともないが、詠唱が魔法の規模と方向性を決めるためのものなら、歌にも同じような効果があるのかもしれない。
仮説は何度か実験して証明していけばいい。
彼は自室から本を手にベッドサイドに戻ると、侍女の誰かが目を覚ますまでそこで本を読み耽っていた。
◇ ◆ ◇
いくつか初歩的な詠唱を試してみて、テル・ルーメンは難しい顔をしていた。
敷地内の湖の畔や森の中など、人のいない場所で少しずつ試していたのだが、さっぱり安定しないのだ。
大抵は自分の思い描いているものより規模が大きくなる。手にした布の切れ端に火を点けようとしているだけなのに、焚火程の大きさの炎が上がった時には、誰かに見られやしなかったかと心配になったくらいだ。湖の傍で本当に良かった。
子守唄の方は、音量を調節してやれば、浅い眠りから深い眠りまで上手く使えるようになったのに。
それを使えるようになってから、ベッドを共にしたがる相手もうまくあしらえるようになっていた。どうやら使えるのは眠りだけではないらしい。半覚醒状態にしておいて囁きかけると、ある程度まではこちらの意のままに行動させることが出来たのだ。
歌ではなく、声に何かあるのかもしれないとテル・ルーメンは気付き始めていた。
詠唱にもこの声が何か干渉しているのかもしれない。
魔法が使えないわけではないのに、どうにも使い勝手が悪いことに彼は小さく溜息を落とした。
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