3.ルーメン
幼子は従順で、するすると教えを吸収していった。教典を与えると自分の机にそれを置き、一度瞳を光らせてじっと見つめている。それからゆっくりと頁を繰り、目を通していくのだ。
難しい言い回しも解釈が曖昧なところも、彼は質問するということがほとんどなく、理解しているのかと尋ねれば、「視ていますから」と微笑むのだった。
時たま、解釈の相違が浮き彫りになったりするのだが、そんな時、彼は総主教の意見を聞き、彼女の言に納得すればそう修正し、納得いかなければ懇々と話し合った。
彼女が望んだ通り、そこにひとりの完璧な信徒が出来上がろうとしていた。
ただ、彼は信徒として完璧になりすぎた。
子供に間違いを指摘されるなど、喜ぶ者は少ない。彼が私生活のほとんどを神を理解することに費やしていたことと、隔離されるように総主教周辺の者達としか交流がなかったことが、彼に人としての営みや心の動きを汲むことを鈍くさせていた。
彼の瞳は上辺の感情を常に読み取っていたので、酷く対立するということは無かったものの、小さく降り積もっていく不満はどうすることもできない。
教えと、人に付き纏う矛盾の隙間を埋めきれずに、総主教のお気に入りというレッテルは常に妬みの感情を引き寄せていった。
柔らかく遠まわしな表現もストレートな言葉も、どちらも結果同じことしかもたらさないのなら、面倒臭いことはやめてしまおう。嘘をつくことは悲しみを引き連れてくるのだから、いけないことなのだと主は教えている。
2つの結論から、いつしか彼の言葉は鋭く尖って、さらに誤解を深めていく。
一方で主と向き合う真摯な姿勢と年々美しさを増すその容姿に、総主教はますます彼にのめり込んでいった。
彼こそが神の使いだと『神の愛し子』だと臆面もなく口にし、『我が光』をもじって『
その様子を快く思うものは少なかった。
「美しい容姿で総主教猊下を意のままに操ろうとしている。あれは神ではない。悪魔だ」
「その『神眼』で総主教猊下を覗き、脅しているに違いない」
「総主教猊下はヤツに洗脳されているのだ」
「彼は他教団が送り込んだ巧妙なスパイだ」
囁かれる噂に根拠はない。病気や事故で亡くなった者も、いつしか彼の仕業だということになったりもした。
「馬鹿を言うものではないわ。彼ほど教えに忠実で主の声に耳を傾けている者はいない。主教はもとより、大主教の位を授けても立派にこなすでしょう。そうしないのは彼が頑なに辞退しているから。彼が権力を欲しがっているという事実はないのです」
総主教の一声でしばらくは治まるものの、それらが完全に消えることは無かった。その無力さからか、彼女の愛情はより一層深まって……抜け出せない沼が出来ていくようだった。
テル・ルーメンの名が定着し14歳になった頃、彼は第二次成長期を迎えていた。
髭や体毛は元々薄いのか、それほど変化は無かったけれど、しっかりと精通があり、それをもって彼は一人部屋に移された。
彼は幼い頃から時々親子のように総主教とベッドを共にしてきたが、もちろんそれは身内しか知らない事。幼い頃から厳しく神の伴侶としての道を歩んできた彼女の、人に戻れるささやかな息抜きは彼の身体が大人になったことにより終わりを告げた。
それでも部屋は扉を隔てて繋がっていたし、彼女が眠るまで彼に傍にいてもらうことも多かった。幸か不幸か、彼は他人に興味がない。体が反応しても心は動かないようだった。
何故それを知っているのか。彼女が彼に『女性』を教えるように指示したからだ。
彼の容姿は女性を惹きつける。その性格の良し悪しに関わらず。
元々甘い声をしていた彼だが、声変わりをしたあと低くなった彼の声は、耳から入り込むとぞくぞくするほどだ。教典を読んだり、祝詞をあげたりしていると、いつまでも聞いていたくなる。
そんな彼に女性信者や同僚が惹かれ、求めた時に、彼はきちんと応えなくてはならない。教えに忠実な彼は請われれば厭わないだろう。
神に仕える身は結婚できはしないが、子を残すことに否定は無い。新たな世代が育たなければ繁栄はないからだ。そのカリスマとしての処女性を保たねばならない総主教以外は――
彼女の側近たちが嫌がるのならプロに頼もうと思っていた彼女だったが、杞憂に終わってしまった。あっさりとつつがなく彼は女性を知り、時々自主的に教えに向かう彼女達で勉強している。が、彼自身が誰かを誘うということはついぞ無かった。
そう言う話を誰がするわけでもなかったのに、「夜ごと女を連れ込んでいる」という噂はいつにもまして広がるのが早かった。
夜ごと、などではなかったし、連れ込んでいるというのも語弊がある。彼女達は勝手に彼のもとにやってくるのだから。
こういう噂に反論しても埒が明かないことは学習済みだったので、テル・ルーメンは努めて興味ないように振舞っていた。
その時は図書室から借りた他国語の本を返して、また別言語の本を借りて部屋に戻るところだった。
ふいに開いたドアから伸びた手に彼は引きずり込まれる。よろけて膝をつくと、後ろで鍵の閉まる音がした。部屋の中は薄暗く、窓は塞がれているようだった。カツンと音がして風が巻く。
懺悔を聞くときや盗聴を防ぐ目的で使われる魔道具だろう。
――3人……
そこまでは把握した。
ルーメンは今までも何度か閉じ込められたり、脅されたりしたことがあった。証拠の残る暴力を振るうような者はほとんどいなかったが、根拠のない言い分に反抗的な態度をとると、反射的に手を出してくる者はいる。今回は随分と用意周到だなと、彼は溜息を漏らした。
「なぁ、毎晩イイ思いしてんだって?」
「そんなことはないです」
心からの言葉だったが、聞いてもらえる訳もない。
薄闇からするりと伸ばされた逞しい腕が彼の肩を抱きこんだ。
「ああ、ああ。顔がいいと得だよなぁ。あんたは黙っててもいいんだもんなぁ。もしかしたら、女の方がしつこいのかもしれないし……」
含み笑いを漏らす声に眉を顰める。罵倒されるわけでもない、一種歩み寄ろうとするかのような言葉。先が見えなくてルーメンは身を固くした。
「ところで、あんた、男だってホント?」
「……誰か嘘だとでも?」
「いやいや。だって、細っこいし色白だし、髪だって伸ばしてる。黙ってると……美少女に見えなくもない。ちょっと確かめさせてくれよ」
「…………!!」
胸をまさぐられて、下半身にも手を伸ばされる。
「なっ……た、確かめられたでしょう?! はなし……」
放すどころか、逞しい腕は彼の腰を引き寄せ、その口を自身の口で塞いだ。普段澄ましているルーメンの慌てぶりが可笑しかったのか、その唇はうっすらと笑っていた。
別の手が彼の服を緩めていく。
「へぇ、ヤラシイのか、躾けられてんのか知らねぇけど、オトコの手でも反応するんだな。知ってる? そういう趣味のやつもいっぱいいるんだぜ? 俺が教えてやるよ。だって、請われたら与えなきゃいけないもんなぁ」
――アンタノハジメテヲクレヨ。
女性の身体とは違うゴツゴツした肉体の手の、指の感触。身を捩ろうにも2人がかりで抑え込まれていた。立たされたまま、嫌だと思っても女性達に慣らされた身体は反応する。薄闇が彼らの輪郭しか見せていなかったせいもあるだろう。
床に押し倒され、圧し掛かられ、感じたことのない場所に感じたことのない痛みを与えられ、それでも彼は叫び声を上げなかった。プライドだったのかもしれない。後はよく覚えていなかった。3人に代わる代わる犯され、未知の痛みと血液まじりの生臭い放出物だけが残された。
ただ彼の尊厳を傷つける為に行われた行為だったのなら、もしかしたら彼はもう少し抵抗したのかもしれない。けれど、彼の瞳は彼等の中に確かに捻じれた好意も見て取ってしまっていた。劣等感、背徳感、独占欲……同性に欲情する己への言い訳……
請われれば、厭わない……
のろのろと身支度を整えると、借りた本が汚れていないのを確かめて、彼は心のどこかを凍てつかせてゆっくりと足を進める。他の誰にも異変を知らせぬように。
その日以来、彼の雰囲気は一段と冷たくなった。その一方で夜となく、昼となく、求められれば誰とでもその身体を繋ぐ。
決してその心を開かぬまま――
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