遠き神代の光
ながる
1.テル
その子にしてみれば、それは大きな門だった。
白い門柱には蔦の彫刻が施してあって、さらに本物の蔦まで絡んでいる。やはり白い格子のアーチ状の門扉は閉められていたが、鍵などはなく、手をかければ問題無く開いたことだろう。
青みがかった銀髪に琥珀色の瞳をしたその子供は、少し首を傾げるようにしてその門を見上げていた。
門上部の羽の生えた子供の彫刻を見ているようでもあり、その向こうに見える石造りの建物をぼんやりと眺めているようでもある。
シスター・テレーズはそろそろお昼寝の時間は終わりだと、雑用を切り上げて孤児院内に戻るところで、門の向こうに佇むその子を見かけた。
色白で目鼻立ちの整った3歳くらいの綺麗な子供。その割に身につけている物は、腰帯もないすとんとした貫頭衣一枚と簡素だ。信者の子供か、観光客なのだろうとその時は声も掛けなかった。
サンクトゥア帝国。大陸一の勢力を誇る国の帝都にある宗教施設、中央神殿のあるここいら一帯はオトゥシーク教団の所有地だが、一般に開放された図書館や公園もあるので、昼間に見掛けるのは関係者ばかりではない。
夕食後門灯を灯そうと外に出て、シスター・テレーズはぎょっとした。
昼に見かけた子供が、微動だにせずまだそこに立っていたからだ。
手早く明かりを点けてしまい、その子の前にかがみ込む。
「ねぇ、あなた。昼にもいたわよね? 誰かと一緒に来たのではないの?」
ぼんやりとしていた瞳が、シスター・テレーズへと焦点を合わせた。
彼女は一瞬、背筋がぞわりとするのを感じる。夜になって空気が冷えてきたからだろうか。
「……誰、か?」
「お父さんか、お母さんか……お兄さんやお姉さんは?」
しばし動きを止めてから、その子はゆっくりと首を振った。
シスター・テレーズの頭を「捨て子」という単語が過ぎる。人が集まる場所だし、教団は裕福だろうと、年に何人かはそういう風に置き去りにされる子がいるのだ。
ともあれ、外は暗く人の気配もなくなりつつある。彼女はその子を院内へと促した。
黙ってついてくるその子は、物珍しそうにあちこちへと視線を向けてはいたが、泣いたり取り乱したりということはない。暗がりでただ立ち続けていたということも、この年の子供にしては少し異常に思えて、シスター・テレーズはだんだん不安になってきた。
実は幽霊だったら、などと詮ないことを思いながら、彼女は院長室のドアをノックする。
「どうぞ」と優しい声に少し安堵して、彼女はそのドアを開けた。
「シスター・テレーズ。どうしました……?」
言いながら院長は彼女の連れている子供に視線を落とすと、ちいさく「あら」と呟いて立ち上がり、彼女達に応接用のソファに座るよう手振りで勧めた。自分も向かいのソファに腰掛けると、優しく微笑んで子供に話しかける。
「僕かしら。お嬢ちゃんかしら。こんばんは」
子供は少し首を傾げただけで、後は反応を示さなかった。
「私、お昼寝が終わる頃に一度見掛けたんです。門の前にひとりで立っていたのを。それが、先程門灯に灯りを入れに行ったらまだそこに居て……」
捨て子かもしれない、とは口に出さなかったが、院長もそのニュアンスは充分に感じていたに違いない。
「お名前は言える? お父さんやお母さんになんて呼ばれていたのかしら」
少し考えて、その子は小さな声で自信なさそうに答えた。
「……テル」
「テル? 素敵なお名前ね。じゃあ、ここまで誰と来たのかな?」
また少し考えて、今度は首を振る。
「ひとりで来たの?」
院長の質問にその子は困ったような顔をしてまた首を振る。
「……わかんない」
院長とシスター・テレーズは思わず顔を見合わせた。わからない、とはどういうことだろうか。
「知らない人に連れてこられたの?」
ふるふると振られる首に困惑は深まるばかり。
「ぜんぶ、わかんない」
冷やりと、部屋の温度が下がったような気がした。片言なりとも受け答えができているのだから、言葉に問題はなさそうだ。しかし、全部とは。
院長は緊張した面持ちで寝床を用意するようにシスター・テレーズに告げ、小さく溜息を吐いた。
「明日、お医者様に見てもらいましょう」
◇ ◆ ◇
翌朝シスター・テレーズが昨夜の子を起こしに行くと、その子はすでにベッドに半身を起こしていた。
ぼんやりと中空に視線を投げ、微動だにしない姿は、窓から入る朝日に照らされて一種幻想的であった。
いつもと違う雰囲気に感づいた院の子供が数人、シスター・テレーズの後ろから部屋を覗き込んで息を呑むのが聞こえる。一番やんちゃなひとりがシスターの脇をするりと潜り抜けてベッドに飛び乗った。
「おい、おまえ! ここにすむのか!?」
シスターが嗜めようと口を開きかけたところで、その子を覗き込んだ彼は弾かれたように飛び退いた。少し青褪めて口を引き結んでいる。
銀髪のお人形のような頭が少し傾いだ。
「まだわからないわ。これからお医者様に見てもらうの。一緒に暮らすようになったらよろしくね」
シスターが彼をベッドの上から下ろすと、彼は少し心配そうにシスターを見上げたので、にっこりと微笑む。銀髪の子は特に動きを見せていない。表情のないその顔が睨んだようにでも見えたのだろうと、シスター・テレーズは彼の飛び退いた原因をそう結論付けた。
彼は無言で他の子供達を引き連れて朝のお祈りのためにホールに向かう。ちらりと振り返る様子を、銀髪の子は見るとはなしに見ていた。
朝食を摂るために行った食堂では、彼は子供達に少し遠巻きにされていた。明るいところで見てもその子は美しく、背に羽があったら本物の天使だと言われても疑わないだろう。そのぼんやりとした表情も相まって近寄りがたい雰囲気を醸し出しているのだ。
緊張している様子はなかったが、出された朝食はほとんどを残していた。どれも平均的に減っているので、贅沢などというのではなく、ただ食が細いだけのようだった。
皆がそれぞれ自分の仕事に就く頃、お医者様と『見識』の加護を持つ女性がやってきた。シスター・テレーズは院長と共にその場に立ち会う。
お医者様は他の子供達も診てもらっている、子供に慣れた優しいお爺ちゃん先生だ。彼はてきぱきと優しく声を掛けながら銀髪の子を診ていった。
「男の子だね。目立った傷や痣はない……少し細い気はするが、食が細いというのならこんなもんだろう。年齢は、言えるかな?」
少年は銀の髪を揺らした。
「3、4歳、だとは思うのだが……」
細長いライトの先端を軽く叩いて点け、左眼を覗く。次に右眼にライトを向けて、老医師はびくりと身体を震わせた。前屈みだった身体を起こし、ふるふると頭を振る。
妙な様子に院長とシスター・テレーズは顔を見合わせた。
「あの……」
「何も、覚えていないと……そうなのだな?」
少年はこくりと頷く。
老医師は手を組み、顔を伏せて「神よ……」と小さく呟いた。
「確認は、彼女に『視て』もらう。院長、この子は神からの贈り物かもしれん」
「え……? どういう……」
老医師と入れ違うように加護持ちの女性が少年の前に進み出た。少年のつるりとした頬に手を添えると、その琥珀色の瞳を覗き込む。
すぐに異変は現れた。女性が小さく震え出したかと思うと、少年の右目が仄かに光り出したのだ。
「……なに……あ……い、やっ……!」
呼吸が不規則に乱れ、女性は身を引こうとしたが、少年は彼女の神官服を握り締め、視線を外そうとしない。腰が抜けたようにその場に崩れ落ちる女性を追いかけ馬乗りになると、少年はうっすらと笑顔を浮かべてその瞳を覗き込み続けた。
異様な光景に、院長もシスター・テレーズも動くことが出来なかった。
「その辺で、やめておあげなさい」
老医師が少年の肩にそっと手を置くと、はたと気付いたように少年は顔を上げた。もう、瞳は光っていない。
震える女性を抱き起こし、シスター・テレーズは加護持ちの女性をこれほど怯えさせるものは何なのだろうかと、薄ら寒さを感じていた。
少年の前に跪き、その手をとって額に押し当てると、老医師は恭しくもはっきりと口にする。
「神の子よ」
と。
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