19.市

 次の日、2 ※の祈りを終えると、ルーメンは総主教を街へと連れ出した。

 この辺りではフードやストールを被って肌も極力隠す服装が当たり前だ。あまり派手にならないようにと侍女たちに着替えを任せ、ついてくるのもひとりだけでいいと他の者を休ませた。

 何でもない果物や魚であっても、調理したものくらいしか見たことのない総主教にとっては新鮮に映るらしい。上機嫌で露店を渡り歩いては売り子に色々勧められ、侍女やルーメンが断りを入れたところで次の店に向かうということを繰り返していた。


「あら。これはなあに?」


 その店に売られていたのは一見ただの金属のアクセサリーのようだった。

 薄い鋼色の板を曲げただけに見えるものも、よく見れば細かい文字だか模様だかが彫り込んである。丸みを帯びたその文字のようなものは、直線で表す共通語の文字と違って異国の雰囲気を纏っていた。


「お守りだよ」


 濃い紫の、花や葉模様の刺繍の入ったストールを口元まで巻きつけ、目だけを出している老女はしわがれた声で答えた。


「この辺りはタマハミが出ることがあるから、それと出会わないようにお守りを身につけるのさ」


 少し訛りの強い老婆の共通語は聞き取りにくかったが、概ねそういうことを言っているようだった。


「タマハミ、とは?」


 砂漠の国周辺の動物や魔獣の生息域は確認したが、『タマハミ』などという生き物はいなかった。訝しげにルーメンが尋ねると、老婆はひっひっとひきつれたような笑いを漏らす。


「気をつけな。青い月の夜は近い。タマハミは命を啜る。夜は出歩かないことだよ」

「青い月?」


 月が青くなるなんて聞いたことがない。星読みを始めてからも見たことはなかった。ただ、ルーメンは『口伝』の冒頭を思い浮かべる。


 ――その夜、月は煌々と輝いていました。蒼い夜に主は降り立ち――


 ルーメンは売り物の中から首飾りに加工されたものを選ぶと、老婆に代金を支払った。少し多めに。

 革紐で纏められた、青い石のビーズが並び、真ん中に装飾の施された四角い板がついているその首飾りは総主教へと渡す。


「もう少し、お話を伺ってもよろしいですか?」

「ルーメンたら」


 少し呆れた声を出した総主教は、それでも首飾りを貰えたことが嬉しかったのか、それほど機嫌を損ねずに侍女を連れて次の店へと足を向けた。

 砂漠の国の言語も少し交えて詳しい話を聞いてみたところ、それはよくある教訓話のようにも思えた。悪い子のところに恐ろしい動物や化物がやってきて攫って行くぞというような、お伽噺。それは決まって青い月の出る夜に起こるという。

 老婆は青い月を見たことはないと言っていたが、南西の森には時折タマハミが出て動物たちを襲うのだと言った。


「あの森はそうでなくとも方向感覚を狂わされたりする、『不帰かえらずの森』だからね」


 丁寧に礼を言って、ルーメンは数件先の露店で足を止めている総主教を追いかけた。売り子が地元の人間だと思われる者には『不帰の森』について聞いてみたりもした。大層な名前がついているが、奥へ行かなければそれほど怖いところではないらしい。地元の者は近づかないけれど、入口付近には狩に入ったりもすると。

 昼の礼拝に間に合うようにと宿に戻る道々で、総主教は呆れた瞳をルーメンに向けていた。


「星見の影響なのかしら。あるかどうかも分からない月に興味を示すなんて」

「一緒に語られる『タマハミ』のお話も面白かったですよ。外に出ると色々なことが知れますね。戻ったら言語の棚だけではなく民俗学の棚も調べてみようと思います」


 どうしてそんなに気になったのか。やはり星見を始めたからなのか、ルーメンは青い月を一目見たいと思っていた。毎日見られる茶がかった月ではない、青い月を。

 まだ明るい陽の輝く空を見上げるルーメンに総主教は小さく溜息を吐く。


「ルーメン。明日は私、宿で大人しくしています。あなたも羽を伸ばせばいいわ」


 驚いたように総主教を見下ろすルーメンに彼女は笑って見せた。


「猊下……」

「フェエルには私の見張りをしろと言われているのでしょう? 1日くらい休みをあげないと、不公平ですものね。その代わり、午後からは湖に連れて行ってね」

「……畏まりました。……猊下、ありがとうございます」


 頭を下げるルーメンに総主教はバカね、とその頭を軽く小突いた。

 4 ※の祈りを終えて、日差しが緩み始めてからルーメンは約束通り彼女を湖に連れて行った。

 湖に浸かるように沐浴をする現地の民に混じって足先だけを濡らし、子供のようにルーメンを誘う彼女に、ふと彼は思う。無理に総主教を続けるよりも、只人に戻った方が彼女は幸せなのではないかと。

 まだ30を少し越えたばかり。今ならフェエルのいう抜け道を使えば、誰かとひっそり家族を持てるかもしれない。


 そうなるとフェエルはルーメンを次期総主教にのし上げるだろう。今では彼を支持(あるいは崇拝)している者も増えてはいる。やっていけないことはない。

 けれど教団内が荒れるのは必至だ。ルーメンでは反発の声が大きすぎるのだ。フェエルは抑え込むだろうが……そうまでして彼はその地位が欲しいとは思っていなかった。

 やりたい者がやればいい。

 誰が総主教だろうと彼が祈る対象も信仰も変わらない……変えられない。例え、主がそこにいなくとも。


 濡れた足を拭くために総主教を抱え上げる。ルーメンの背に回された手に力が篭るのを感じると、覚悟を迫られる時が近い気がして、彼はそっと目を閉じた。



 ◇ ◆ ◇



 何処に行っていたのか戻ってきたフェエルを捕まえると、2人は宿の酒場に落ち着いた。地元の酒だと言うヤシの実の蒸留酒を口に運びながら1日の報告をする。


「――と、特に問題はありませんでした。何をしても楽しそうであられましたよ」

「だろうな。彼女はお前よりは外を知ってる。楽しみ方も知ってるだろうさ」

「その総主教猊下から明日はお休みしてもいいと許可を頂きましたので、少し出掛けてこようと思います」


 フェエルは少しの間動きを止めて、片眉を上げてルーメンを見た。


「何処へ」

「『不帰の森』を散策してこようかと」

「戻らんつもりか?」

「いいえ。『青い月』の話が面白かったので、何か手がかりでもないかと」

「ああ。その話を聞いたのか。現地民でも探れん話だぞ。別に止めんが……そうだな。無茶をせんように誰かひとり連れて行け」

「逆に危ないのでは?」

「道が続いてる辺りまではピクニックと変わらん。馬も用意してやる。あそこまでなら砂もそう深くない」


 ルーメンは小さく息を吐き出した。


「もう調査済みですか」

「昔な。お前の瞳になら何か見えるかもしれんから、私が一緒に行きたいところだが……そうもいかん。念のために風壁が張れる魔道具とナイフくらいは持っていけよ」


 ひとつ頷いてから、ルーメンは小首を傾げた。


「フェエルはナイフを使えるのですか?」


 平均よりやや小柄で細身の体格の彼が武器を手にしているところなど、彼は見たことがなかった。


「お前は彫り物をするくらいにしか使ったことがないだろうな。私は、必要に迫られて色々出来るようになった」


 にやりと笑って、コップの中身を飲み干してしまう。


「念の為だ。通信具は忘れるなよ」


 そう言って立ち上がると片手をひらりと振ってフェエルは立ち去って行った。




********************

※2刻・・・9時頃 ※4刻・・・15時頃

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